2026年7月3日金曜日

性欲の謎


人間の性欲ってつくづく不思議だと思う。男性の性欲の源であるテストステロンは20代の頃にもっとも血中濃度が高く、40代を過ぎると崖から落ちるがごとく減少していくらしい。

 

40代で激減するのに世の中には50代、60代、はたまた70代でもスケベ大王は大勢いる。理屈に合わない話である。

 

20代の頃と今と比べて性欲がどう変化したかを私も冷静に考えてみた。さすがに20代の頃のほうが意欲満々だったが、さりとて当時を100とする場合、今現在が5060だとは思わない。若い頃とさほど変わらないような気もする。

 



これってひょっとすると異常なのだろうか。だとしたら恐い。診療内科で治療してもらうレベルなのだろうか。いやいや、同年代の友人の中にもお盛んなヤツはゴロゴロいる。決して多数派じゃないだろうが珍しいほどではないのだろう。

 

そう考えるとテストステロンの影響力はどの程度なのか疑問だ。個人的な推理ではそんな物質の分泌量より脳の中のさまざまな記憶や妄想が性欲を支配する最大の原因じゃないかと思う。

 

大脳の発達によって人間は性行為を単なる生殖活動だけでなく娯楽的要素も加えて楽しむようになった。これって地球上の生命体では人間だけに許された“特権”だと聞いたことがある。

 

確かに50代、60代のオヤジは生殖適齢期からウン十年も過ぎているのに懲りずに性欲を発散しようと涙ぐましい努力を重ねている。私もそうだ。人間の神秘でもあり、エロ界隈?における大いなる謎である。

 

先日、ナゼか実話ナックルズという高尚な雑誌を買ってしまったのだが、中高年向きのエロ啓発記事で溢れていた。やはりテストステロンとやらが激減しても中高年のスケベ欲求は不変のようだ。

 




かつての有力政治家・山拓さんの武勇伝?を引用したエロ記事など確実に読者対象を結構な年寄りに絞っている。中高年オヤジ、いや、高齢者への叱咤激励に満ちた良い記事だった。

 

広告然りである。アッチ系の増大効果をうたうありがちな広告も訴求ターゲットはオッサンたちである。体験談を語るサクラらしき人々は皆さんかなりのご高齢だ。いかに世の中の中高年がエロ追求に躍起になっているかが分かる。

 

まあ、超高齢社会ともなればソッチ方面の現役引退年齢も当然に上昇してくる。昭和30年代頃を背景に54歳設定だったサザエさんパパ・磯野波平さんにはエロをまったく感じないが、76歳になった後期高齢者・舘ひろしには今もちゃんとエロが漂っている。

 

世の中すべての分野で「時代のせい」がキーワードだ。何らかの言い訳や何かの規制理由などすべて「時代のせい」の一言で片づけられている。ということは結構な歳になってもエロ追求に励むことも「時代のせい」である。すなわち私のエロエロ活動も誰に恥じることなく大手を振って続ければいいということだ。

 

物凄い身勝手な論理である…。

 



あれこれ力説してしまった一方で、雑誌の中高年向けエロ記事やエロ広告が目に入っても特段なにも感じなかった自分の感度の低さがちょっと気になる。真面目に熟読する意欲が無くなってきているのはマズい事態である。

 

考えてみればもうずいぶん前から週刊誌のエッチなグラビアを見てもムホムホした気持ちにならなくなった。ブサイクなオネエサンの地味な水着姿を見ただけで性欲モリモリだった昔に比べるとまるで違う人間になったのかと思うぐらいだ。スケベを自認しているのにこんなことでは問題である。

 

スケベですかと聞かれればハイと答え、女好きですかと聞かれてもハイと即答する私だが、エロエロ言っているわりに性欲はもうすっかり減退している可能性も否定できない。

 

もちろん、いまだに据え膳はすべて食べるし、ことあるごとに狩猟本能を発揮しているのだが、はたしてそれが性欲によるものなのか怪しくなってきている。少なくとも若い頃のように本能のまま頑張っている感じはない。


さんざん性欲に関して書き連ねてきたのにちゃぶ台返しみたいだが、ひょっとすると中高年は本来の性欲など既に消滅しているのではないか。あるのは「エセ性欲」に過ぎないような気がしてきた。その証拠に50や60にもなると「もうソッチは引退」とばかりにまるでエロ方面に関心を持たなくなる男性は多い。というか全体の半分以上はそっち派だ。むしろそっちが正常な高齢男子の姿なのかもしれない。


運悪くそっち派に属すことが出来なかった私としてはエロ街道の終点を目指して終わりなき旅を続けているようなものだ。なんだかこの表現、カッチョイイかもしれない…。バカですいません。

 



さて、中高年のエセ性欲、すなわち性欲がニセモノだったならいったい何が原動力なのか。おそらく「歪んだ承認欲求」だと思う。言い換えれば「現役感の確認」である。エロ展開の際に自分がちゃんと機能するのか、相手を楽しませることが出来るのか、それを無事に突破できた時の喜びのために飽きもせずに奮戦している気がする。

 

「よし、オレもまだ通用してるぜ!」「オレもまだまだ現役じゃないか!」等々、そうした確認ができると自己承認欲求が満たされるというわけだ。むしろその感覚を味わいためだけに無理をしている部分もある。つくづくご苦労なことだと思う。


その証拠に中高年にもなるとエロ展開の際に若者時代のような独善的なプレイをする人は激減するようだ。逆にいえば中高年なのに身勝手プレイに励める人はテストステロンがちゃんと残っている正常な性欲を持つ稀有な人ともいえる。

 

さてさて、物理的にテストステロンが無くなっちゃったのに性欲バリバリみたいな中高年が多いのが不思議だったのだが、きっと性欲ではなくそうした「自己肯定感の追求」が大きく影響している可能性は高い。「オジサマ、凄かったです。若いコと全然違いました…」。お世辞だろうとお構いなしにそんなセリフを女子に言わせることで満足感に浸る。純粋な性欲とはまた別の次元の欲求だ。

 

本来なら無くなっちゃった性欲をまだまだタップリ持っていると思い込み、自己肯定感をひたすら求めて腹上死の危険も顧みず奮戦するのが「高齢者エロ道」の現実だろしたら何とも切ない話である。悲しきオスのサガである。





 

 

 

 

 

 

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