2008年2月21日木曜日

オトナの歌


テレビや雑誌の「あの人は今」みたいな企画が結構好きだ。その人が活躍していた頃の自分の記憶をたどって感傷にひたれる。

こんなことを思ったのは、先日、iPodに何か新しい曲を仕入れようと、ウェッブ上の音楽ストアをあさっていて懐かしい名前を見つけたから。

「門あさ美」。80年代初めに独特の存在感を示した謎の女性歌手だ。「ファッションミュージック」とかいう意味不明の看板が掲げられていた歌手だったが、その表現が確かにピンとくる世界を歌っていた。

シブガキ隊とかがもてはやされていた時代、多感な中高生達は洋楽に救いを求めた。綴りが面倒なので全部カナ表記するが、有名どころではエア・サプライとかクリストファー・クロス、ボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェルあたりは、いわゆる「オシャレなもの」として必須課目というべき存在だった。

邦楽のポップス系はちょっと遠慮しておくみたいな気取りが少なからずあった多感な頃の私が妙に惹かれたのが「門あさ美」。もともと女性が聞くような雰囲気の曲ばかりだったが、その歌詞の世界が、当時おこちゃまだった私にはえらく新鮮で、友人には内緒でこっそり聞いていた。

ジャケット写真からしか窺い知れない本人の容貌もまた「大人」のイメージ。ワンレンの走りのような長めの黒髪に物憂げな表情を際だたせるメイクがおこちゃまには嬉しかった。

徹底的にメディア露出を避ける戦略をとっていたため、その神秘性が増加、ませた中高生がイメージする大人の世界そのままのイメージができあがっていた。

大人の世界といっても、もちろん演歌的大人の世界ではなく、エロティックな大人の世界だ。最近の「エロかっこいい」とか中途半端なものではない。

胸の谷間や太ももを一切見せることのないエロティックさが特徴だ。膝から下の美、指先の美みたいな感じ。匂い立つ色香に思春期そこそこ坊やがクラクラするようなエロティックさだ。

具体的な曲のタイトルを見ても「セ・シボン」、「月下美人」、「ミセス・アバンチュール」、「感度は良好」、「お好きにせめて」等々。最近は使われなさそうな言葉だが、当時、確実にオシャレな響きに聞こえた。

一流のアレンジャー、ミュージシャンを揃えて制作された楽曲自体が、完成度が高く、そこに艶っぽい歌詞がのっかる。甘ったるく切ないヴォーカルは、あえぐように、すがるような歌い方で独自の空気感を醸し出す。そんな感じだった。

iPodにダウンロードして20ウン年ぶりに聞いてみると、あれほど大人の世界に聞こえた歌詞の世界が結構普通で逆に新鮮。微笑ましかったりもする。でも、この感想自体が自分が加齢しちゃったことの証で、ちょっとせつない。

「感度は良好」、「お好きにせめて」などのタイトルは、言葉の印象だけでは、一歩間違えると時代をもっとさかのぼった畑中葉子の迷曲「後ろから前から」を連想させる。もちろん、門あさ美の世界は上品なエロティックさに満ちており、畑中葉子のスケベっぽさとは一線も二線も画していた(それにしても「後ろから前から」ほどイタい歌はそうそうないと思う)。

昔の歌を聴くのも結構楽しい。

ところで、門あさ美に「気分はもうメンソール」という曲があった。メンソールという単語自体にお洒落な感覚があったわけで、いま思えば妙に新鮮。そう考えると、あの当時盛んに使われて、今では陳腐化しちゃったフレーズって結構多い気がする。

「マティーニ」とか「カンパリ」とか「バカンス」、「ランデブー」、「ジュークボックス」、「シュガー」、「ペパーミント」とか、「ピンボール」、「ララバイ」、「ヴィーナス」、「レモネード」、「マーメイド」、「トロピカル」あたりは、やたらと耳にした記憶がある。なんか甘酸っぱい記憶がよみがえる言葉だ。

いまこうした言葉をカラオケでうなると相当恥ずかしいかもしれない。

2008年2月20日水曜日

ミッチーとリッチ

渡辺善美行革担当相の四面楚歌状態を各メディアがこぞって取り上げている。先日も天下り問題から構想が浮上していた内閣人事庁を創設する案が白紙に戻り、政治家と官僚の接点を限定的にする制度も曖昧なまま決着しそうな雲行きだ。

行政改革担当大臣といえば、わかりやすくいえば、行政全体の既得権益を壊すことが仕事なわけで、官僚機構はもちろん閣内からも反発を受けて当然。スムーズに和気あいあいと進められる業務であれば、それこそウソだ。

当初の任命者・安倍前首相の政権放り投げで、改革担当の居心地は悪くなったようだ。福田首相は、何がしたいのかよく分からずに首相になって、前任者の閣僚を全員引き継ぐというポリシーもヘッタクレもない状態だから、すべての政策が官僚機構のペースで進み始めている。まあ福田首相は、小泉、安部路線のゆりもどしをゆりかごで眺めているような状態だろう。

随分短絡的な批評をしてしまったが、今回書こうと思ったのは、渡辺行革担当相の父親であるミッチーの話。

ミッチーといっても及川光博ではない。故渡辺美智雄氏のこと(最近は一期一会と市毛良江を混同する人がいるらしいから、あえてミッチーは美智雄氏と書いておこう)。

ミッチー元蔵相は、政治家になる前は税理士事務所を開設していた経歴を持ち、税財政分野でしっかりとした持論を展開した。政治的なパフォーマンスも独特で、税の世界でもいくつかエピソードが残っている。

確か、80年代前半、東京国税局管内で日本初の女性税務署長が誕生したときも、時のミッチー蔵相の意向が強く働いたとか。おかげで、精緻に積み上げられていたノンキャリア公務員の人事慣行や序列が崩れ、その後何年にもわたって影響が残ったというボヤキを聞いたことがある。

ちなみに西日本初の税務署長は、小泉チルドレンの中で何かと異彩を放つ片山さつき現代議士。こちらは東大出のキャリア組とあって、弱冠30歳での署長就任。

話がそれた。ミッチーさんの話だ。
ミッチーさんがとくに晩年強く主張していたのが「金持ちを優遇しろ」という点だ。最近でこそ、チラホラ聞かれるようになった正論だが、氏の提言は、バブル崩壊後の低迷期に声高に展開されていた。実体経済を知る人間こその発言だと思う。

税制審議では、当然のように金持ちへの課税強化を基本にする。それを言っておけば間違いないとばかりに、何とかのひとつ覚えのように締め付けが強まる。実に安直。

金持ちがカネをドシドシ使いやすくする環境を作ることが経済の循環を良くするという当たり前の原則が忘れ去られている。大衆迎合をしたほうが、審議会でも議会でもことは簡単なのだろうが、ここは自由主義経済、資本主義経済を選択した国家である以上、金持ちを制裁するかのような課税思想はトンチンカンだろう。

最近でも、自民党財政改革研究会でリーダーの与謝野馨代議士が、日本の所得税の最高税率の引き上げについて言及した。先祖返り極まれりって感じだ。ここ10~20年、さんざん議論されて、国際競争力確保という理由で現在の水準にまで引き下げられたものを再度引き上げるという発想は理解に苦しむ。

ヨーロッパでは最近、「富裕税」とか「裕福税」といった資産課税政策を軽減・廃止の方向で動いているそうだ。そのお金持ちマネーを他に使ってもらい、経済活性化につなげようというごくまっとうな話。

かつてレーガン減税、サッチャー減税と称された米英の政策がその後の両国の好景気を招いたことは結構みんな知っているのに日本では一向にそういう発想がない。

首相レースの最後で力尽きたミッチーさんが強力な政権を作っていたら、税制の歴史に少しぐらい金持ち優遇政策が反映されたのだろうと思うと残念。

2008年2月19日火曜日

頑張れるか、池袋


会社が池袋にある関係で何かと困る。賃貸物件に入居しているのなら、移転も簡単だが、古い自社ビルがオフィスだと、なかなか動きが取りにくい。

東京中心部への移転も昨年あたりは真剣に考えたが、現社屋の扱いをあれこれ考えて実現していない。一棟丸ごと貸せれば話は早いが、ことはそう簡単に運ばない。

だから池袋でウロウロすることが少なくない。しっぽりと呑んだり食べたりしたい私としては、そんな雰囲気を漂わす店がないことにイラつく。

チェーン店の居酒屋とカラオケ、風俗店とファーストフード、おまけにデパートもゴマンとある。でも私が行きたい店がない。

寿司好きにとっては、池袋は絶望的な環境。ちょっと良い感じの店を見つけても、入ってみれば、客層がみんなその筋の人だったりして「うひょー」となる。

悪い評判をあまり聞かない「五十嵐」、「丸銀」あたりは、確かにまともだが、まとまな店の全体数が街の規模に比べると圧倒的に少ない。

昨年11月にオープンした「鮨処やすだ」。池袋名物ロサ会館そばに登場した期待の新星!?だ。2週続けて行ってみた。

店の作りは、港区あたりで主流になっている和モダン的。間接照明が上手に使われていい感じ。店の入口からカウンターまでの距離がわずか1歩ぐらいしかない幅の狭さが立ち食いそば屋みたいで問題だが、全体の店舗デザインが見栄え良くまとまっている点でなんとかカバー。横に長い作りの店舗のようで奥の方には座敷もある。入口の印象よりは収容人数は多そう。

つけ台にガラスのネタケースはなく、魚貝は木箱に納められているパターンも今風。アルコールの品ぞろえもそれなりで問題なし。隣の椅子との間隔も広めで居心地良し。

大将も実に低姿勢で穏やかな感じ。こう書いてくると結構高得点だ。

肝心の味について。関サバをほぼ常備している姿勢が有り難い。通り一遍の鯛やヒラメではなく、メバル、金目鯛、ムツ、イサキといった白身類が豊富で、鮮度もいい。飲み屋的使い方をする人にとっては、少しづつ刺身をアレコレ出してくれる流れがいい感じ。

突き出しも2種類の小鉢に酒肴が用意される。珍味系は、この時期は、このわたと鱈の白子。品数は多くないが、ツボは押さえてある。締めたカスゴ、脂ののったマスも美味しい。貝類も味の濃いものが揃い、タケノコなんかもじっくりと焼いてくれる。

基本的に、出されるものはおまかせ中心で店側のシナリオ通りに順番などが決まっているようだ。ただ、腰の低い大将だけに、途中であれやこれやわがままを言っても対応してくれる。

会社の人間と連れだって出かけたときのこと。刺身、酒肴、焼物をしっかり食べたのに、いつまでも握りに移行せず酒ばかり呑んでピーチクパーチクしていた。そんな時でも、限られた種類の食材から、ちょこっとしたツマミを即興で出してくれる。

大将に池袋に店を構えた理由を聞いた。やはり、真っ当な店があまりに少ないからという答えだった。問題は、その姿勢と意気込みが続くかどうかだろう。

池袋は客が店を育てない街だと思う。お寿司屋さんに限らず、結構いい感じの路線で開業した店が、半年、一年と経つ間に、質と価格をしっかり落として池袋的居酒屋路線に変貌していく姿をいくつも見てきた。

「こだわりの逸品」、「プロの仕事」などを池袋界隈で求めようとしている人は少ない。って言うか、いないような気がする。

でも逆に、そんな店が池袋で根を張っていることが知れ渡れば、このエリア周辺をうろつく私のような池袋不満組がジワジワと集まってくることも間違いない。要はそこに至るまで辛抱が続くかどうかがポイント。

砂漠にポツンと生まれたオアシスと言ったら大げさだが、そんな感じがする。水に飢えた動物が見つける前に枯れてしまうか、砂と泥にまみれて埋もれてしまうか、はたまた湧き水として異彩を放ち続けるか、この店も1年ぐらいが勝負どころだろう。なんとか現在の路線を変えずに続けて欲しいもの。

お勘定はしっかり呑んで食べて1万円台前半。コストパフォーマンス抜群とはいえないが、この店が目指す路線が好きな人なら納得できる範囲か。

腰の低い大将がもっともっと自信満々な雰囲気を醸し出せるかが勝負の分かれ目かも。

2008年2月18日月曜日

マイ・シガー・バレンタイン


セレブレーションシガーという習慣が西洋社会にはあるそうだ。嬉しいこと、お祝いごとがあると周囲の人に葉巻を一本ずつ配る。葉巻をくゆらしている短くはない時間、喜びを共有する洒落た儀式だ。

ビジネスの世界で大きな契約が取れたときに経営陣がセレブレーションシガーを楽しむなんてこともある。バスケットの最高峰、NBAでも優勝を決めたチームがコート上でシガーを楽しむシーンが見られる。葉巻好きで有名な俳優・村井国夫氏も舞台初日に関係者にシガーを配るという話を聞いたことがある。

先週、チョコレートが飛び交う日、銀座にいた。「義理」とか「営業」とか「仕方なく」とか色んな冠付きのチョコレートをもらった。会社にも取引先などからいくつか送られてきた。
有り難く存じます。

でも、貰う側の論理としては、チョコレートは少しつらい。甘いし、いっぱい食べられない。情けない話、どれも同じ味に感じたりする。堪能できたのはアルコール風味のチョコぐらいだろうか。

いきなりだが、バレンタインデーにはシガーを贈ろう!って声を大にして言いたい。相当素敵なプレゼントだと思う。ロブストサイズぐらいが大げさでなくてちょうどいい。そんなプレゼントだったら大感激だ。

1本でも充分洒落たプレゼントになると思うが、あくまで葉巻好きの戯言として世間からは受入れられないかも。

葉巻の時間って不思議なもので、突然、時の流れがゆったりしはじめる。せかせか動いていたさっきまでの自分が突然、スローモーションの世界に入り込む。このユルい感じが葉巻の醍醐味だ。

一本楽しむのにロブストサイズなら40分ぐらいだろうか。ゆったり流れる40分の間、大げさに言えば、弛緩した脳は小旅行に出かけている感じ。不謹慎な表現をすれば、捕まらない麻薬みたいなものかもしれない。

こうした脳の小旅行、お供は、自分の趣味や夢、楽しかった経験などが中心。私の場合、仕事の悩みとかは葉巻の時間に持ち込まないように心掛けている。イライラした気分で葉巻をふかすと不思議と味わいがいつもと変わる。辛くて苦いばかり。やはり味覚と気分は密接に関係する。

お義理で出席する結婚式で飲むシャンパンと、プライベートでゆっくり味わうシャンパンの味がまるで違うのと同じようなものだろう。

話がそれた。「シガーを贈ろう運動」事務局長の私としては、来年のバレンタインデーに向けて行動計画を綿密に練らねばなるまい。

来年の今頃、銀座、赤坂、六本木などなどがハバナ産シガーの芳醇な香りに包まれるようになったら素敵だ。日本たばこ産業あたりが支援してくれないものだろうか。

プレゼントシガーをくゆらすとき、自然と贈ってくれた人のことを思い浮かべる。40分ほどの小旅行を共にする感覚かもしれない。

「シガーバレンタイン」。習慣として定着しないものだろうか。

2008年2月15日金曜日

テキトーな決算で済む


2月、3月は何かと税金の話題が多い。確定申告にしても3月決算にしても、納税者側はその精査に必死になる。申告書、決算書は、事業をしている人や会社から見れば、一種の通信簿であり、その内容がいい加減ではみっともない。神経をすり減らして当然。

当たり前のことを冒頭から書きつづった理由は、国家予算には、この当たり前が通用していない現実があるから。

「忙しいから決算は来年にでもやればいい、内容も大雑把でいいよ」。経営者なら、それで済むならそう言ってみたい。でもこんな願望、冗談にもならない。ところが国はこれが許されている。意外に知られていない不思議な話だ。

国家財政の規定では、予算は国会での審議および議決が必要とされているのに対し、決算は審議のみ。単純に国会に「報告」が行われるだけ。予算の執行責任が決算でとられないという構造的な「?」は、民間レベルでは考えられない発想だ。

以前は、国会での決算審議が、2年分とか3年分とかまとめて審議されていたしょーもない実態もある。仮に決算が否決されようとも屁の突っ張りにもならない。事実、かつて反消費税運動の高まりで社会党のマドンナ議員が多数誕生した80年代後半に、決算が否決されたことがあったが、時の内閣におとがめはなし。何も変わらなかった。

税金のムダ遣いはいつの世もマスコミを賑わす。ムダ遣いしても罰せられないのだから無くなるわけはないが、それ以前に、国会における予算と決算の制度上の問題がこんなズサンである以上、ムダ遣いは永遠に続く。

必死に努力して税金を負担している企業経営者からみれば、腰が抜けそうになる話だ。

ちなみに首相の諮問機関である第一次臨調でも、この問題を指摘したことがある。「決算の立場から予算そのものの批判を含めた強力な監査機関が必要」、「年度途中でも予算執行の変更・停止権限を持つ機関が必要」。至極真っ当な提言だ。

実はこの提言、ほぼ半世紀前に出されたもの。50年も前から問題点が見えているのにまるでやる気なし。お粗末。

個々の真面目な納税者だけでなく、世の中には民間レベルで納税協力団体を組織して活動している真面目な経営者は多い。心から気の毒に思えてくる。

2008年2月14日木曜日

各務周海さんの黄瀬戸


焼きもの収集に欠かせないのが美濃焼、瀬戸焼。前者は岐阜、後者は愛知に分類されるが、作品の特徴は大雑把に言って同じ傾向だ。

美濃焼とひとくちに言ってもその様式は大きく分けて3種類に分けられる。緑色の釉薬をバランス良く配し、微妙ないびつさ加減を美とする「織部」、伊万里で磁器が焼成されはじめるまで、その白い色合いが風流人を魅了した「志野」、茶人に根強い支持を集める「黄瀬戸」。それぞれ産地や名前を知らなくても、どこの家庭にもあったりする焼きものだ。

もともと、このエリアは古くから陶器産出で名高く、いま普通に使われる「セトモノ」の語源でもある。瀬戸周辺は、現在、どちらかと言えば工業製品を産出するイメージが強く、私が何度か足を向けたのは、岐阜・多治見周辺。美濃焼の陶芸家が集中するエリアだ。

焼きもの好きにとってこの一帯は、一種独特なイメージがある。なにより加藤唐九郎、荒川豊蔵といった伝説的ビックネームが活躍した地域だ。また、最近では、鈴木蔵、加藤卓男らの人間国宝も出ている。

基本的にどの陶芸家も前述した3種類の特徴的な美濃焼の名品をせっせと作り続けているが、作家によって当然、志野が得意とか織部に定評があるといった傾向に分かれる。

今回紹介する各務周海さんは、黄瀬戸を作らせたら、間違いなく日本一だと思う。日本で一番素晴らしい黄瀬戸だから、世界一の匠と表現してもいいだろう。

灰をベースにした釉薬から独特の黄色を発色させることは一筋縄ではいかないらしく、多治見周辺の陶器商を訪ね歩いても、渋い黄瀬戸を捜すのは困難。たいていテカテカ金属っぽく光っているものや、立体感のない淡い色の作品しか見あたらない。

各務さんの黄瀬戸は、俗に「油揚げ肌」と称される肌合いが実に艶っぽく、釉薬のグラデーションが微妙な立体感を生み、他では見られない完成度を見せる。釉薬の焦げやタンパンと呼ばれる濃緑色の発色も計算されたアクセントになっている。

ロクロの技術の高さも作品の品格を高めている。自身の黄瀬戸の器肌を熟知しているからこその造形は、他の作家の追随を許さないレベル。徳利の口作りなどは、まさしく芸術だ。

私自身、集めるばかりで陶器制作は詳しくないが、ロクロをひきおわって乾燥させる段階で、生乾きの作品は、ロクロでひかれた向きと逆方向に戻ろうとするそうだ。各務さんの徳利は、その反作用の収まる向きを計算して、徳利を自然に握ったときに注ぎやすい位置になるような角度で口をすぼませておくとか。

単に器をひしゃげさせれば風流とか手作り感が増すといった程度の認識で作られているものは多いが、各務さんの作品は次元が違う。まさに匠の技だ。

以前、各務さんの個展にお邪魔して、あれこれとお話しする機会があった。日本の器の「ひしゃげた美」から話は弾み、いつしか日本文化と西洋文化の比較論みたいな話題になった。

すなわち「対称と非対称」にまつわる話だ。

西洋食器は、均整や左右対称が尊ばれる。庭園造りにしても同様。いわばシンメトリーの美しさを大きな基準にしている。それに対し、日本の場合、器の形は必ずしも均整にこだわらず「歪み」に美を見出すこともある。卓上に並べる器も、西洋食器はシリーズで統一感を強調して並べることが多いが、日本の場合は陶器あり、磁器あり、漆器もあるといった取り合わせの妙を楽しむスタイル。

庭園作りにしても、枯山水の庭園にシンメトリーの要素はなく、曖昧さとか未完成の形が尊ばれる。

ここまでの話なら、趣味嗜好の違いというだけで、「ふむふむなるほど」で終わってしまいそうなだが、ここからの結論付けがチョットいい。

すなわち「決めつける文化」と「決めつけない文化」が西洋と日本の違いだと総括。そのうえで、各務さんは、決めつける文化が招くのは対立であり、決めつけない文化は共存と理解につながると柔和な表情で語ってくれた。

なんだかすっかりファンになってしまった。おまけに自分が賢くなったような気がした。

その後、私が仕事で書いている新聞のコラム(朝日の天声人語みたいなコラム)で、各務さんと交わしたこの話を取り上げた。掲載紙に対するお礼状がまた達筆で含蓄あふれる言葉ばかり。一期一会ではないが、やきもの収集という物好きな趣味に足を踏み入れて良かったと思った。

ところで、私はお茶をやらない。お茶の世界に入っていたら、間違いなく各務さんの茶碗を求めるだろう。正直、おいそれとは買えない値段だ。本当に茶道に足を踏み入れなくて良かったと思う。チョット情けないが、徳利とぐい呑みで満足できてラッキーだ(それも結構値が張るが・・・)。

一応、携帯で撮影した画像を載せるが、こんな画像で各務さんの作品が持つ極めて風雅な空気は伝わらないことが残念。

各務さんの黄瀬戸、一生ものです。

2008年2月13日水曜日

経営者のよりどころ

以前、コンサルタントと称する人からアレコレ話を聞いた。どこの教材の受け売りか知らないが、耳触りのいい話を盛んに展開する。お説ごもっともとうなずいてあげたが、やっぱり自分で会社経営しているわけでなし、なんか説得力がない。

社員の人事評価を例に挙げる。彼いわく無遅刻無欠勤の社員を評価する必要はないと主張する。理由は、それが当たり前だから―。大の大人が遅刻や欠勤をしなかったことを誉めていてはキリがないという理屈は確かに正論。でも、私としてはどうにも気持ちが悪い。ムズムズする感じだ。

トクトクと無遅刻無欠勤当然論を主張する彼の論調は格好良すぎる。格好良いことを言っている自分に酔っているかのようなフシさえある。

「あなたは1年間無遅刻無欠勤でいられるか?」。私の問に彼は窮する。私が続ける。「じゃあ、やっぱりそれが出来る奴は立派だ」。こんな感じでラチがあかない。現実社会で、なんだかんだ言っても無遅刻無欠勤は評価に値する行為だろう。それが当たり前だとは言いきれないし、経営陣のはしくれとして時にはドライな判断をする私だって、そんな社員は偉いと思う。だいたい、そんな社員なら、仕事ぶりが不真面目であるはずもない。

特殊な技術導入や専門外の事業スキームを練るような場合、コンサルタントの力が必要になることは多い。ただ、汎用的というか一般的な諸問題をコンサルタントに委ねる経営者はどのくらいいるのだろうか。

創業間もないのならいざ知らず、経営者は経営のプロである。いつも引き合いに出すが、寅さんに出てくるタコ社長だって、優秀か否かはさておき、プロとして従業員の人生を背負っている。なまじっかのコンサルタントが上っ面なことをもっともらしく言ったってそれに負けない経験と自負を持っている。

欧米企業の経営者には、専属のカウンセラーがついていることが多い。コンサルタントとカウンセラーの厳密な定義はさておき、後者の役割を端的に表現すれば「聞き役」だろう。経営者が社員に本音を語ることはない。弱みも見せられない。孤独なポジションゆえ誰かに話をしたくても、家族では通じない。友人とも土俵が違うとなれば、まさに八方ふさがり。

わが国の場合、カウンセラーという響きが、どこか心に病を持っている人だけを相手にするようなイメージがある。そのせいか、ビジネスの現場では「カウンセラーにかかってます」と軽々しく口に出せない雰囲気がある。この偏ったイメージが変われば、経営者の苦悩が多少なりとも救われることが増えるはずだ。

日本の経営者の場合、四柱推命とか風水とか、広い意味での占い系にカウンセリング的期待を寄せることが多い。定期的に事業の行方を見てもらったり、アドバイスを受けるパターンだ。占い師にあまり入れ込みすぎて、どこかの大会社の社長が役員会で追放されたとか言う話も聞く。

占いとなるとカウンセラーの基本である「聞き役」とは違う。ただ、占ってもらうには、自分の心配事や胸中を説明する必要があるため、この段階で「聞き役」になってもらっており、それだけでスッキリする経営者も多いのかもしれない。

カウンセラー、占い師、いずれにせよそこそこの費用は発生する。これが経営のために必要なものであれば、会社の経費にしても問題はないと考える。自分の子供の縁談とか自宅の間取りとかばかり相談してちゃマズいが、事業のための支出で常識的な範囲であればさほど気にすることはあるまい。

ところで、カウンセラーにも占いにも頼らない経営者もいる。そうした人達の頼みの綱は、近所のスナックのママさんだったり、赤提灯のオヤジだったりする。ここでウサばらしする費用は、カウンセリングと効能は一緒でも会社の経費にしにくい。本当の目的が酒を呑むことだったり、ママさんを口説くことだから、やっぱり対税務署的には通じない。

税務解釈はなかなか難しい。