2025年5月30日金曜日

男と女


もう13年ほど前に「男と女」というタイトルでアレコレと考えを書いていた。ひょんなことで読み返してみたのだが、この当時は自分がまだまだ青臭くて現役感バリバリだったんだなあと感じた。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/09/blog-post_24.html

 

10年以上も経つとさすがにいろんなことが様変わりする。当時書いたことはフムフムとうなずけるが、今はもっと達観の域というか、投げやり?みたいな感覚が強まった気がする。突き詰めて言えば「人生すべて出たとこ勝負」みたいな思いが強くなったのだろう。

 

男女の仲をいろいろと考察したところで結論なんて出るわけないし、すべて成り行きである。そう言っちゃうと元も子もないが、結局は考えるだけ無駄なような気もする。

 

「神様はサイコロをふらない」という通り、しょせんはすべてが必然だ。男女の仲についても上手くいくか否かは出たとこ勝負でしかないと思う。

 

とはいえ、世の中には男と女の2種類しかいないわけだからその関係性についてアレコレ悩んだり考察することは人類の永遠の研究課題でもあるのだろう。

 


 

さてさて、話は変わる。この2か月ほど意識して節制を心がけているせいで私の体の細胞たちが元気に活性化してきた気がする。いろいろ元気になってきた。いや、いろえろ元気になってきたと言うほうが的確か。

 

運動を心掛けるようになったこと、体重が落ちたこと、小麦類やコンビニメシを控えるようになったこと、テストステロンサプリを飲み始めたこと、睡眠時間を多めにとるようになったこと等々どれが最大の要因かは不明だ。おそらく複合的な効果だろう。

 

ダルさや倦怠感を退治したかったのがきっかけだが、最近は調子が良い。結構元気になったことを実感する。

 

最近も朝から夕方まで職場で過ごした後で某女子と仲良しタイム!をこなし、別な女子の夜ご飯に付き合いながら一杯ひっかけ、その後に銀座のクラブに繰り出すというモリモリ元気な1日を過ごすこともできた。

 



正直に言うとちょっと無理しているような感覚もある。でも“適度な無理”って案外大事だと感じる。隠居気分でゆったりし過ぎると身体も脳もどんどんそっちを標準と認識し始める。そうなると活力を失いドンヨリしちゃう。適度にバタバタすることは元気を維持するためには必要だろう。

 

でも「無理してる感じ」って何だか悔しい。10年以上前には無かった感覚だ。それだけ自分の劣化が進んでいる証でもある。見る人が見れば「ジタバタしてるヤツ」である。カッチョ悪い。

 

この歳になると、いろんな面で自分がいつまで現役でいられるのかをつい考える。アンチエイジングという言葉は好きではないが、かといって何もしなければどんどん現役感は弱まってくる。困ったものだ。




この画像は映画界の巨匠・今村昌平監督の知る人ぞ知る名言だ。冗談のようで実に核心を突いた凄い言葉だと思う。男子として生を受け半世紀以上たった今だからこそこんな格言が胸に刺さる。

 

「そんなことしか頭にないのか!?」と立派な人達に叱られそうだが、これは一面の真理であることは間違いない。男性本来の野生感覚、DNAみたいなものであり、一種の長患い、すなわち宿痾みたいな本質ともいえる。

 

大げさに言えば生命エネルギーの根っこだ。仕事や人間関係、日常生活のよもやま事に至るまですべてに影響を及ぼす部分でもある。知らん顔してうっちゃったままではダメだと思う。

 

何だか必死に力説してしまった。冒頭に紹介した十数年前の話に比べると、いかに自分に余裕がなくなってきたかが分かる。いかんいかん、もっと呑気に構えて現役生活を過ごすべきだろう。

 

余計なことを考えずにヌルっと日々を過ごすことが精神衛生上は良さそうだ。適度にがんばろうと思う。

 

 

 

 

 

 





2025年5月28日水曜日

キャンセル界隈

 

最近このブログで「エモい」という若者言葉に共感した話を書いた。若者言葉といえばいつの時代もヘンテコだ。いい歳してマネしているとカッチョ悪いだけだが、時には妙に納得して使いたくなるものもある。

 

いま若者の間で使われている言葉に「キャンセル界隈」がある。もともとは風呂に入りたくない人たちが「入浴キャンセル界隈」と言い出したことがきっかけらしい。

 

「〇☓界隈」はどんどん多様化して「外出キャンセル界隈」「ご飯キャンセル界隈」「人付き合いキャンセル界隈」など、何かしらの行動をやめちゃうための言い回しとして普及している。

 

ネット界隈(笑)でもこうした言い回しが特集されていた。https://www.j-cast.com/2025/01/26500869.html?p=all

 

この記事では何だかんだと細かな分析がされているが、若者たちは難しいことなど考えずに気軽に使っている。

 

端的に言えばちょっとだけ後ろめたい行動について「キャンセル界隈」を付けることで同士の存在を意識して緩やかな連帯感につなげようという感覚なんだと思う。

 

そのため「キャンセル」の頭にくっつく言葉はどちらかといえばネガティブな、人様から感心されないような行為となる。風呂に入らない、人付き合いをしないなどの決して褒められない内容が定番になる。

 

だから私のように最近になって頑張って節制していることを「デブキャンセル界隈」とは言わない。後ろめたくない、むしろ褒められるようなテーマだと「キャンセル界隈」に馴染まないわけだ。

 

どっちにしろヘンテコな言葉だから大人たちが四の五の語ったり考察するほどの話ではない。と、気取ってはみたものの個人的には妙に気に入った使い方がある。「健康キャンセル界隈」がそれ。

 

時々、ネットの動画で簡単な料理レシピを眺めているのだが、見るからに身体に悪そうな脂ブリブリガッツリ系のメニューにキャッチフレーズのように使われている。

 

いやはや実に的確な表現だろう。「脂マシマシ」などという暗号みたいな言葉でガッツリ系のギトギトラーメンを食べる動画などにも「健康キャンセル界隈の人にオススメ!」みたいに使われている。

 

たまたま節制中の私にとっては禁断の言葉である。実に魅力的な響きだ。もともとジャンクフードも大好きだし、チャーシューが20枚以上入ったラーメンにもヨダレを垂らす私にはとても麗しい言葉に聞こえる。

 

健康、健康とやかましい世間の風潮に真っ向から歯向かっているようで潔い言葉だと思う。個人的に大好きな言葉になった。今は実践できていないことが歯がゆい。

 

「キャンセル」が付いていない「界隈」にも面白い言葉がある。感心したのが「伊能忠敬界隈」である。やたらと歩く人のことを指すそうだ。長距離を歩いてしまった時などに使うらしい。なかなか趣のある言い回しだと感じた。

 

というわけで、きっと老若男女問わず誰もがなんらかの「界隈」に属して、何らかの「キャンセル界隈」を経験しているはずだ。

 

私自身のことを考えてみても、週末は「髭剃りキャンセル界隈」だし、平日も重役出勤がクセになって「目覚まし時計キャンセル界隈」である。最近は「夜の銀座キャンセル界隈」もすっかり定着してしまった。

 

もっと言えば生きざまそのものが「結婚生活キャンセル界隈」である。確かに「界隈」がくっつくと自分だけではなく他にも仲間がいてくれるような安心感がある。

 

もちろん、女性関係についてはまだまだ現役でいたいので「性交渉キャンセル界隈」に陥ることは避けたい。でも、いい歳して「年増の女性キャンセル界隈」を標榜していることは反省しないといけない。


なんだかなぁ~。。




 

 

 

 

 

 

 

2025年5月26日月曜日

柔らか系の話

 更新が間に合わなかったので「下ネタ界隈」?の過去ネタを2つ載せます。


過去フェチ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/04/blog-post_25.html


下着の話

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/05/blog-post_27.html





2025年5月23日金曜日

プチ幸せ

 

日常のちょっとした喜びを大げさに喜ぶことは大事だと思う。「足るを知る」ではないが、不平不満を漏らすより嬉しい気分に浸るほうが建設的だ。

 



某日、居酒屋で出てきた「生グレサワー」がやたらサービス濃厚バーションだったことが嬉しかった。店によっては鼻くそ程度しかグレープフルーツが入っていないヤツが出てくるが、このぐらい色鮮やかだと妙に嬉しい。

 

血圧の薬を飲んでいる私にとってグレープフルーツは食べてはいけない代表格の存在だ。そう言われると無性に食べたくなるもので、飲み屋さんでサワー気分の際にはグレープフルーツサワーを注文したくなる。

 

血圧の薬は朝に1回の服用だ。夜に摂取するグレープフルーツは薬の作用に影響しないだろう。たぶん。だからここぞとばかりに「生グレ」を飲む。なんなら継ぎ足しでおかわりしてグレープフルーツの果肉を増やしたがる。

 

どうでもいいことのようでこういう「プチ幸せ」が自分の精神衛生をノーマルに維持してくれる。サービス精神旺盛な「生グレ」を出す店には感謝である。でも、この画像のサワーを飲んだ店がどこだったか忘れてしまったことが悔やまれる。

 

タクシーを拾おうとして瞬時に空車が目の前に来た時や、帰宅した直後に雨がザーザー降ってきた時なんかもプチ幸せである。「はい、ラッキー」とアッケラカンと済ますより「いやあ、なんて運がよかったんだ。物凄くハッピーなことだなあ、なんて素晴らしいのだろう!」としつこくプチ幸せを噛みしめると退屈な日常にちょっとした彩りが加わる。

 

ちょうど画面に目をやった瞬間に大谷翔平サマがホームランを打った時もことさらその一瞬のめぐりあわせを大げさに喜んでいれば、心の平穏は結構長持ちする。きっと表情も穏やかなままでいられるはずだ。

 

そんなホトケ?みたいな考え方に日夜努めていたら物凄くハッピーなことが起きた。日頃の精神修養?がもたらした幸せだと信じたい。

 



大谷サマのボブルヘッドが手に入った。これが配られた日にドジャースタジアムで観戦していた某近親者からお土産としてもらった。大ハッピーである。単なる立ち姿ではない。滑り込んでいる格好のボブルヘッドである。貴重だ。メルカリに出せば高値で売れそうだが、そんなことは一瞬も考えずに家宝にすることにした。

 

本気で嬉しかったからもう1枚画像を載せる。バンザイ!

 



話を戻す。思えば日常の中にちょっとした喜びはたくさん溢れている。どうでもいことのようでも、それを心底ハッピーだと受け取ることで平凡な日々が非凡になる。ストレス対策、もっと言えばうつ病予防にも効果的だと思う。

 

サッポロ一番の茹で加減が狙った通りに仕上がった、デリバリーで届いたつけ麺の麺が乾いていなかった、チャリで爆走中に信号が立て続けに青だった等々、そんな程度でもサラっとやり過ごすことなくしつこく喜びを味わうと結構楽しい気分になれる。

 

莫大な遺産を相続した、万馬券が当たった、さらには、やたらとモテまくった、脱がせてみたら思った以上に峰不二子級だった、予想外の床上手にヘロヘロにされた等々の喜びはプチ幸せではない。


そちらはスペシャルハッピー大事件だから話は別だ。そういうスぺクタル系?以外のほんのちょっとした日々の瞬間をポジティブに捉えるように心がけたい。

 

そういえば、毎週のように観戦に行っている東京六大学野球でもこの春のリーグ戦では貴重な体験ができた。六大学100年の歴史の中で初の「延長戦での逆転サヨナラホームラン」と「ノーヒットノーラン」を立て続けにナマで見ることが出来た。そのほかの退屈な凡戦でも真面目に観戦していたご褒美だったのかもしれない。

 



プチ幸せを大げさに喜ぶ心がけ。なんだか安っぽい新興宗教みたいな話だが、実践できればおおらかな気持ちで過ごせて悪くない。人生後半戦だからこそそんな意識で過ごそうと思う。

 

 

 

 

 

 

2025年5月21日水曜日

アーカイブ

 更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ載せます。


オノマトペ








2025年5月19日月曜日

楽しい節制


キックボクシングジムに通い始めて3か月。週二回のペースをなんとか維持している。なかなか立派!である。とはいえ、毎度毎度、自分の劣化を思い知らされるのも事実である。


固まってしまった身体はなかなか厄介だ。いつまで経っても中段回し蹴りが限界。昔のように脚が高々と上がる気配はない。それもまた自分の年齢を正しく認識するために必要な現実かもしれない。

 

体力もちょっとついてきた感覚がある。これは嬉しいことだ。なにより最大の目的だった倦怠感の退治はほぼ完遂したと言ってもいい。長いこと悩まされてきた謎のダルさはすっかりなくなった。寝起きも快調である。

 

身体を動かすことに励んでいるついでに体重を落とそうという欲も出てきた。そっちをメインにすると一喜一憂しそうでイヤだ。あくまで狙いは倦怠感の退治だからあえて体重計にはだいぶ前を最後に載っていない。でも8キロぐらいは落ちているはずだ。ゆるくなった服の感じで分かる。


ちなみにいま8キロの重りを持って歩けと言われたらツラそうだ。そう考えると倦怠感の原因は体重そのものにあったのだろうか。

 

食事にもちょっと気を使っているせいで胃袋が小さくなってきた。強烈な空腹感は感じないし、そこそこの量で満足できるようになった。もちろん、それでも普通の人レベルではある。

 

キックボクシングジムに行った日はバテバテになって食べる気がおきないので夕飯抜きになる。これって胃腸を休ませる効果もあるから身体には悪くない。今後、ジム通いに慣れてしまったら運動後に平気でドカ食いしそうだから、何とかこのバテバテ状態は続いてほしいものだ。

 

ここしばらく夜には炭水化物をなるべく避けるようにしている。美容にしか興味がない若いオネエサンみたいで情けない話だ。小っ恥ずかしい。でも、還暦を前にどこまでそんな生活が続けられるかマゾ的な興味が湧いてきた。だから寿司や麺類をしばし口にしていないことが淋しい。

 

とはいえ、肉はしっかり食べている。いろえろ付き合ってくれる女性陣と外食する際も焼肉屋で済ませることが増えた。さんざん肉をふるまってこちらはキムチやナムルやチャンジャをつまんで酒を飲み、肉は23切れでオシマイ。

 

一人飲みの際はモツ焼き屋で梅きゅうやら肉モヤシ炒めやら純レバみたいなツマミを頬張って串焼きを5本も食べればかなり満腹になる。ウナギ三昧の日々より財布にも優しいことがハッピーである。

 





先日は、赤坂にある肉十八番屋という居酒屋で快適な時間を過ごした。エビとアボカドのマヨ和え、馬刺しと豚肉の岩塩焼あたりを並べてサワーをぐびぐび。シメの麺だのコメだのを食べずに終わってもハッピーだった。

 




そう考えるとプチ節制を始める前の無軌道な乱食ぶりがいかにヒドかったかを実感する。それはそれで幸せなことだが、おまけとして倦怠感が付いてきたのならさすがに少しは制限すべきだったと思う。幸せの裏側には必ず魔物が潜んでいることを今更ながら感じる。

 

まあ、そんなゴタクを並べていてもいつかはこのプチ節制モードにも終わりは来る。やはり深夜のペヤングは悪魔的に魅力があるし、寿司屋の帰りにマックのフィレオフィッシュを食べるのは最高だ。そんな習慣から引退しちゃうのは人として違うような気がする。ある意味それはそれで健康の証でもある。

 

今のところプチ節制の暮らしにさほどストレスを感じていないのが救いだ。私にとって最大の敵は「我慢」である。我慢が苦手なワガママな私がそれを感じないうちは続けられそうだ。


血圧もガッツリ下がって処方されている薬を一つやめるという快挙にもつながった。このまま1年ぐらい同じ暮らし方だったら体重だって学生時代の水準まで戻りそうである。さすがにそれは目指していないが。

 

歳を重ねてから身体を絞りすぎるとたいていは貧相な様子になる。おまけに必ず「病気ですか?」と聞かれる。そんな状態になることは望んでいない。いつまで節制を続けるのかは難しい問題だ。

 

性格なのか単に頭が悪いのか、私の場合「適度にこなす」というのが苦手だ。「やるか、やらないか」の二択みたいな感じだからプチ節制も終了後が心配だ。たとえ10キロ痩せようがほんの半月もあれば7キロぐらい太る気がする。

 

まあ、それでもトータル3キロ減なら上等かもしれない…。





2025年5月16日金曜日

東京駅、奉行所、西郷さん

 

日本橋エリアの暮らすようになって身近な存在になったのが東京駅だ。レンタルチャリでうろうろ走っている時もつい丸の内側の美しい駅舎を通るコースに行ってしまう。

 


 

国の重要文化財に指定されているのも当然の佇まいだ。その昔、オランダを旅した際にアムステルダム駅が東京駅にそっくりだったのでそちらが元祖なのかと思ったが、資料的にはアムステルダム駅を参考にした記録は無いらしい。今になって画像と比べると似て非なるモノにも思える。

 

明治時代にこんな素敵な建物を作った当時の日本人の意気込みに感心する。プチ歴史好きな私としては当時の世相や庶民感情、技術力などを勝手に想像して関係した人々の気持ちに思いを馳せるのが楽しい。

 

丸ビルあたりから見る夜景も素晴らしい。これぞ東京という言葉しか浮かばない。飽きもせず見ていられる。実際に下の画像は用もないのに丸ビルに入ってテラスから撮影した。根っからの東京人である私もこの眺めを前にするとオノボリさんみたいに気分がアガる。

 



 丸の内北口と南口がある両端の屋根がドーム状になっている部分は、中から見上げると実にシャレたデザインになっている。これまたボーっと見ていられる。往来する人々は私のように暇人ではないようで誰も上を見上げていないのが実にもったいないと思う。

 



東京駅には近現代のいろんな歴史が垣間見える。丸の内南口の切符売り場横には原敬首相が暗殺された現場を示すレリーフが掲示されている。歴史を大きく変えたともいわれる事件の現場だ。とはいえ、99%の人はレリーフを気にすることもなく通り過ぎていく。そんな無常観を眺めているのもいとをかしって感じだ。




話は変わるが、東京駅に限らずレリーフや記念碑、歴史の由緒書き看板を見るとしっかり読み込みたくなるのが私の習性だ。ちっとも知らない事柄や業績だろうとナゼか必死に読んでしまう。その時代を想像して空想にふけるのが楽しい。

 

有楽町駅の交通会館寄りの広場には「南町奉行所跡」という碑がポツンと建っている。毎日のようにテレビ各局の街頭インタビューが行われている場所だ。とくに由緒書きがあるわけでなく素っ気ない感じがシュールだ。

 



江戸の奉行所といえば「遠山の金さん」である。あれは創作ストーリーだが、モデルになった遠山金四郎というお奉行さんは実在していた。まさにこの場所で「お裁き」が行われたのかと思うと空想気分も盛り上がる。

 

お次は職場近くで見つけたレリーフだ。京橋にある私の職場の周りは再開発が盛んだが、新しく出来たビルにヒッソリと歴史に関するレリーフが設置されることも多い。これは東海道五十三次で知られる歌川広重の住居跡。

 


 

自分が日々過ごしている場所のすぐそばだ。200年前にはここで一連の絵が描かれていたのかと思うと妙に不思議な気分になる。今はビルだらけの場所の200年前の景色を好き勝手に想像してみるのも楽しい。

 

お次は「西郷どん」である。こちらは人形町に近いエリアを散歩していた時に発見した。鹿児島のイメージしかない西郷さんだが、考えてみれば一時期は明治新政府でゴリゴリ辣腕をふるっていたわけだから東京に住まいがあったのも当然だ。

 



この周辺を上野の銅像のような姿で犬を連れて散歩していたのかと想像してみると何となく楽しい。近隣に住む江戸っ子たちが薩摩からやってきた革命の親分を見てどんな陰口を叩いていたのだろう。そんな空想にふけると歴史的な由緒書き看板の有難さを痛感する。

 

キリがない話だが、東京の都心部だけでなく全国主要都市の中心地にはそれこそ数えきれないほどのレリーフや記念碑、由緒書き看板が存在する。そればかりを目的に散策したら飽きずに過ごせそうだと思う。