60才、70才ぐらいでピシッとしている男性を見ると憧れる。40代程度の分際でオッサン症状を肯定してしまう自分はまだまだだ。
その昔、有名なサミュエル・ウルマンの詩を知って鬱陶しく思ったものだが、いまでは妙に納得する。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」。
ふむふむ。確かに若い頃に聞かされても「別に」って感じだ。でも、立派な中年になると心に染みる。
大人の分別は大事だが、「分別」が「ジジ臭さ」と同義語になってしまうとタチが悪い。好奇心とか情熱とか一生懸命さとか脇目もふらぬ一途さなどは、年齢に比例して弱くなるものだが、それであきらめていては老化が待っているだけなのだろう。
見習おう。内田裕也。ロッケンロールだ。
冗談はさておき、シュッとした初老の男性達は結局、自分の律し方が巧みなのだろう。巧みというか、自分を律する努力をいとわないのだろう。
私のような怠け者は、週末ともなれば髭も剃らずに頭もぼさぼさで寝間着兼用の部屋着で平気で近所をウロウロする。
こういうだらしなさの有無が「シュッとした初老」、「キリッとした老人」になれるかどうかの分かれ道なんだと思う。
先日、ひょんなことから20年近く前に死んだ祖父の礼服を見る機会があった。晩年に「やんごとなき方面」からお招きを受けた際に新調したモーニングだ。
礼服は他にもあっただろうに、その時新しく仕立て直す発想が既に私とは違う。着る機会も滅多にないわけだし、私だったら面倒くさく感じるだけだろう。
裏地を見て唖然とした。トラの顔が4箇所にあった。変だ。タイガースファンだったわけではない。単に寅年生まれだったせいで、わざわざ余計な細工をしたわけだ。
ヤーさん趣味があったわけではない。真っ当な老紳士だったし、着ていく場所だって「やんごとなき場所」なのに、トラの顔を入れちゃうセンスは凄い。
センスが良い悪いではない。というか、正直センス悪い。そこが問題ではない。遊び心というか、こだわる姿勢に見習うべき点がある。
この日、他にもいくつか祖父のスーツを見たのだが、一見ごく平凡なスーツの裏地が全面羽を広げたクジャクだったりしてぶっ飛んだ。
浅草的趣味といってしまえばそれまでだ。決してマネしたいとは思わないが、平凡に飽き足らない姿勢という部分は教訓にしたいと思った。
服の趣味はともかく、祖父を思い出すたびに、いつもキチっとしていた印象が頭をよぎる。「キリッとした老人」だったが、相当自分に厳しくしていた。
休みの日でも髪をセットして、折り目の入ったズボンをはき、出かける予定などなくてもボウタイを締めていることも珍しくなかった。
無精髭で髪が乱れているような姿を見たことがなかった。ある日、体調を崩して寝込んでいた際に部屋に様子を見に行った。そこで見た「素の状態」、すなわち型通りに老いた姿に驚いた記憶がある。
毎日顔を合わせていたはずなのに、枯れかけている姿を見たことがなかった。別人のような姿に驚いてしまったわけだ。逆に言えば、祖父が日頃いかに気を張って過ごしていたかということだろう。
そんな人生後半戦の生きざまを目の当たりにしても、若かった私は「ご苦労なことだ」ぐらいにしか思わなかった。自分が年を重ねるうちに、気力とか生命力は、結局日常のちょっとした姿勢に大きく左右されることを実感しはじめている。
ちゃんとしようと思う。
体形を気にすることも大事だ、鼻毛をキチンと抜くことも大事だ。下半身にまで進出してきた白いモノを見過ごしていてはダメだろう。ちゃんと退治しよう。
ガラにもなく熱くなるような恋もしよう。人様に愚かだと言われても情熱を捨てないようにしよう。いろんなことに執着して、こだわりを持って背筋をシュッと伸ばしていこうと思う。
そんなことを思いながら、先日仕立てた夏物のスーツは全部表も裏もごく平凡。こだわりのカケラもない。
酩酊して乗りこむ深夜のタクシーでは、ネクタイを突き出た腹のあたりまで緩めて、ベルトも外しちゃってゲップとかしている。
ちっともシュッとしていない。
どこから改造すればいいのだろう・・。
2011年6月8日水曜日
男の背筋
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2 件のコメント:
富豪さんのブログホント大好き!この裏地…朝からテンション上がりました(^^)やはりお祖父様は只者ではあられませんね!いつか富豪さんも是非!いつもありがとうございます(^-^)/
美也子さま
はじめまして、でしたでしょうか?
お誉めいただき有り難うございます。
励みになります。
雑文ばかりではありますが、今後ともよろしくお願いします。
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