加齢を実感する場面は、ベルトの穴を調整する時や、下半身にまで白い毛を見つけた時ばかりではない。
若い頃は気にも留めなかった占い方面に興味が湧くのもきっと年を重ねたせいだろう。
以前、銀座の街角で酔っぱらって手相占いの人に絡んでしまったことがある。
占い師いわく、
「あなは責任ある立場でお仕事されている人ですね」
「仕事や家庭の問題で結構ストレスを抱えていらっしゃる」
「思ったように計画が進んでいないようですね」
こんなコトばかり言われた。単純な私でもさすがに大笑いしてしまった。
銀座の8丁目あたりで小綺麗な恰好で飲み歩いていれば、どうしたって無責任な立場の人物であるはずが無い。それ以前に「責任のない立場の人」って世の中にそうそういないと思う。
仕事や家庭の問題でストレスを溜めていない幸福な中年男が、現代ニッポンにどれほどいるのか。誰だって大なり小なりストレスはある。
「思ったように計画が進んでいない」とやらも同じだ。子どもの勉強じゃあるまいし、大のオトナが計画通りに物事をスムーズに進められるなんて稀だと思う。
チャンチャラおかしい。
もちろん、占い師にだってスンゴイ人はいるはずだが、インチキっぽいのが多すぎる。ヒドいのになると、わが家のダウン症の息子を「直せます」と言い切った詐欺師にも会ったことがある。
その詐欺師、某大企業オーナー一族が熱烈に信じている。そっちから紹介されたもんだから、ぶっ飛ばせなくて困った記憶がある。
そんなこんなで自分自身が持っている運勢の力を信じて、これまでは、あえてその手の人々の御注進は聞かないようにしていた。
風水とか方位とか日取りとか、気にし始めたらキリがない。
とはいいながら、イッパシの大人として人生の円熟期?を迎えたいま、妙にそっち方面が気になり始めた。
クルマの納車ですら日取りを見るようになったし、引っ越しの方角も「その道の詳しい人」に見てもらった。
今住んでいる家を建てる時は、風水的な注意点はまったく気にせずに話を進めた。自分なりの設計プランがそんなことで邪魔されるのがイヤだった。
その後、いろいろな機会に家相を見てもらう機会があったが、ことごとく「大凶」だと言われた。障害児を授かった理由まで家相のせいにされた時には腹が立ったが、とにかく全体的にダメ判定ばかりだった。
コンチクショーである。
ワケあっていま引っ越し先を探し始めたのだが、いろいろ候補を絞ってあったのに、方位を見てもらったら、そっち方面は全滅だとか。
コンチクショーである。
おまけに今年のいついつまでならコッチ方向、来年のいついつまでまらアッチ方向と細かく判定されてしまった。
気にしないで進めたいのだが、聞いてしまった以上さすがの私も気になる。仕方なく、良い方向に絞って探しているのだが、なかなか難しい。
まあ、もっと真剣に探せばそれなりの物件が見つかるとは思っているのだが、こういうことは焦ってはいけないのでジックリ勝負だ。
そして、いざ候補が出てきたら「エスパー」としての能力をフルに発揮しなければならない。
とある「エスパーな人」に言われたのだが、私もわずかながらエスパー体質があるらしい。何のことはない。第六感みたいなものだ。
昔から、住むところを探す時に何度も不思議な感覚にとらわれた。ここは絶対ダメだとか、空気が合わないとか、ひどい時には、そこから瞬時に立ち去りたくなったこともある。
まあ、そんなエラそうなことを言いながら「大凶」の家に住んでいるのだから大したことはない。いや、大凶の場所から脱出しようとしている現在の状況自体が、私のエスパー感覚なのかもしれない。
ということで、今後自分の身のまわりに起こるすべての都合の悪い出来事をエスパー感覚のせいにしようと思う。
2012年10月22日月曜日
風水だの占いだの
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2 件のコメント:
占いは、都合良く捉えられれば良いのですが、振り回されないように気をつけないといけないですよね。話は少し違うかも知れませんが、信頼していた人が裏切りとも思えるような行動をとっていることを他人のメールから知る…というような事に直面した時、どちらを信じたら良いでしょうか?
やはり、神のみぞ知る?!でしょうか。。
匿名様
うーん、難しい状況ですねえ。
どちらか一方の人からの意見を鵜呑みにしないことをモットーにすべきでしょうが、内容にっよっては両方の人に確認できないこともありますから困ったものですね。
いずれにしても一方的な声を信じないことに尽きると思います。
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