お寿司屋さんの花形はどう考えても「握り」だ。珍味をつまんでばかりの私でも悩まずそう思う。腕の良いプロの握りは見た目も美しく、口の中で広がる喜びも抜群だ。まさに日本の文化遺産である。
「握り」と言っても今日は巻き物の話。シャリの上に魚が抱きついて?いる見目麗しい握り寿司とは違い、「巻き物」は独特の存在感がある。でも、巻き物の位置付けは少し微妙だ。
握りが主役だから脇役なのだろうか。ただの脇役と呼ぶには失礼だ。大御所というか、黒幕みたいな感じもする。
巻き物の基本は、カッパ巻きに鉄火巻きだ。盛り込み1人前の握りの世界では、さほど有難がられずに脇役に甘んじている。しかし、高級寿司屋のカウンターでは「ネギトロ巻き」だとか「トロタク巻き」となって一気にエラソーにしている。
なんとなく、巻き物は普通の握りより下に見られがちだが、あれだって素人が作ろうとしても綺麗に形作ることは難しい。立派な職人技である。
それ以前に、かっぱや鉄火以外にも選択肢が実に幅広く、アイディア次第でさまざまな美味しい寿司が誕生する。
もともと「巻きもの」といえば、古来、日本人が書をしたためる際に用いた様式である。そう考えると実に奥ゆかしい。実に優美だ。ちょっと大袈裟だ。
日本が独立を果たしたかつてのワシントン講和会議でのこと。当時の吉田茂首相が巻紙に書いた文書をパラパラと広げながらスピーチをしたところ、諸外国の代表団からは「トイレットペーパーのようだ」と驚かれたそうだ。
そりゃあ、外国のじぇんとるめんには分かるめえ。あれこそが日本が誇る惻隠の情みたいなもんだってんだ。
意味不明でスイマセン。
巻紙の文書がパラリパラリと少しづつその全貌を表わしていくように、「全部見せない」ということが、一種の日本人の美的感覚だと思う。
少し強引だが、寿司の世界における巻き物も同じだ。なんといっても全体を横から見れば海苔の黒一色である。実にぶっきらぼうである。
武士道みたいだ。よく分からないが。
でも、中身が見えないあの楚々とした?感じが何とも洒脱な雰囲気を醸し出している。秘密が隠されているようなワクワク感がある。
アメリカあたりからの逆輸入寿司の世界では、海苔を内側にした裏巻きが珍しくない。裏巻きの場合、中に巻かれているキュウリとか葉っぱをわざわざグワーンとシャリの外に飛び出させて派手にしている。見栄っ張りが着飾っているみたいだ。
あれは日本的ではない。地味であることを良しとする凛としたヤマトゴコロの対極にある巻き物だと思う。よく分からない分析でスイマセン。
個人的に好きな巻き物は色々ある。握りでトロを食べないくせに、たくあんとセットになったトロタク巻きは好きだし、時には禁断の?ウニ巻きも食べたりする。
かんぴょうにワサビを泣くほど効かせた巻き物も好きだし、梅干しにシソとキュウリを組み合わせたヘルシーな巻き物も好きだ。
この画像は、高田馬場・鮨源で注文した「アナなら巻き」だ。一番上の画像は「スーパーかっぱ」である。
穴子と奈良漬けというフムフムなるほどという組み合わせで巻いてもらう一品は食感も楽しく食べ応えがある。穴子とキュウリの穴きゅう巻きの応用みたいなものだ。甘ダレのツメをチョこっとにしてもらうことがポイント。
スーパーかっぱ巻きは、普通のカッパ巻きに異常な量のすりゴマを入れてもらうだけの一品。作ってくれる職人さんが首をひねってイヤな顔するぐらい大量のゴマを入れてもらうことがポイント。
自動擂り下ろし機があるお店じゃないと無理な注文だが、あくまでキュウリが脇役でゴマを大スター級の主役にすることがカギだ。
多すぎるゴマのせいで口の中でモゴモゴするぐらいが私の好みだ。醤油にピトッとつけるだけで醤油小皿に粉砕状態のゴマが広がる。素敵な光景だ。
いずれにせよ、一般的に知られている巻き物を少しばかり応用しただけだ。とはいえ、その応用が、知らなかった味、気付かなかった味と出会わせてくれる。
なかなか奥が深い。今後も探究を続けたい。
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