2015年2月16日月曜日

エドワード・グリーン、人間国宝


前回、嬉しいことがあった時にはウマいものが食べたくなると書いた。
ウマいものを食べるだけでなく、特別な場面では普段と違ったことをしたくなる。誰にでもそんな傾向はあると思う。

ワクワクした気分で誰かに会いに行く時、いつもよりオシャレをすることだってその一つだ。

ビジネスマンの世界にも「勝負ネクタイ」という言葉があるように、ここぞという時は普段と違う気分を何らかの形で表したくなる。

私の場合、勝負ネクタイなど気にしたことはないが、靴は状況に応じて選ぶ。詳細は内緒だが、自分の中で「今日は〇〇だからこの靴にしよう」といったこだわりがある。

自分だけのおまじないみたいなものだろう。


取っ替え引っ替え似たような靴を履いているが、この画像の靴はなぜか自宅のリビングに放置中だ。徳利・ぐい飲み陳列棚の上にポツンと置いてある。

凄く気に入って購入したエドワード・グリーンである。とくに色合いに惚れた。とっとと履きたかったのだが、特別な日にデビューさせようと思っていたら部屋の飾りになってしまった。

自分で決めたくせに「特別な日」がいつなのかはサッパリ分からない。どうしたもんだろう。さっさと履きたい。困ったものだ。

仕事上の勝負靴にするなら紐靴がいいからその可能性はない。紐じゃないとはいえカチっとした感じなのでカジュアルな用途に似合う靴でもない。

果たしてデビューはどんな場面になるのだろう。

恋い焦がれた人との初デートなんかが最適か。いや、その後、ウマくことが進む保証はないからイヤだ。

娘の成人祝いの時にでも履こうか。でも、まだまだ先の話だからイヤだ。

せっかくだから「人生初の」とか「待ちこがれた日」とか「一生の思い出」とか、そういうスペシャルな時に履き始めたい。実に大げさである。

そう考えると「特別な日」ってなかなか無いものである。普通に暮らしていると、何かで表彰されることもないし、どっかに合格するわけでもない。

しょうがないから宝くじを買いに行く時にでもデビューさせようか。

話を変える。

私が「特別な日」のために温存しているものの一つが自慢のぐい呑みである。



人間国宝にも指定されていた今は亡き巨匠の逸品である。柔らかい風合いの独特な釉薬が特徴だ。

光りの加減や酒を入れて濡れた時の加減で白に見えたものが微妙にピンク系に発色して何とも色っぽい。

こんなちっぽけな土の塊のくせに私にとっては清水の舞台から飛び降りて死にかけたぐらい高価だった。

今どきの大卒初任給よりもはるかに高かったのだから、さすがに日常的に気軽に使うのは気がひける。普段は箱に入れて仕舞い込んでいる。

ぐい呑みは鑑賞陶器ではない。使ってナンボである。分かっているのだが、このぐい呑みは祝い事でもなければ使わない。

ということで、ちっとも祝い事がないから使う機会がなく悶々としている。祝い事の基準というか、ハードルを下げないと使わずじまいになりそうである。

尿酸値が下がったとか、体重が1キロ減ったとか、夜中にカップ麺を食べたい誘惑に打ち勝ったとか、夢の中で普段はできない変態プレイに励めたとか、そういう些細なことも全部「祝い事」にしないと使う場面がなさそうである。

この話を書くために久しぶりに引っ張り出してみたのだが、しばし手に取ってフムフム言っていたら、ここ数年収まっていた私のぐい呑収集癖が復活しそうなヤバい予感がした。

いろいろ散財の予定があるから控えないといけないのだが、「アリとキリギリス」の後者のような性格だから危険である。でも、お気に入りの器で楽しむ酒は大げさではなく人生を豊かにしてくる。

人生を豊かにすることは贅沢とは言わない、などと都合の良い屁理屈をこねくり回して乗り切ろうと思う。

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