日本でインフルエンザに感染する人は毎年1千万人前後だ。死者数は3千人ほど。関連死を含めると1万人ぐらいが亡くなっている。
新型コロナはこれまでの約8ヶ月で感染者が7万数千人、死者は約1500人という水準だ。
ちなみに8月までの3ヶ月間に小中高生で新型コロナに感染したのが1200人弱、半数が無症状で重症者はゼロだったそうだ。
感染対策が功を奏したのは確かだが、上の数字を冷静に見比べると、今年初めの“パニック”は何だったんだという気持ちにもなる。
もちろん、未知のウイルスだから必要以上に恐れ、神経質になることは必要だ。でも当初言われていたような事態になっていないのは確かだ。
もちろん、これから寒くなる季節を迎えるから油断は禁物だが、数字が雄弁であるのも見逃せない事実である。
今現在、多くの人の意識や行動様式は「42万人死亡説」が飛び交った今年春の段階とさほど変わっていない。見えない敵が相手だから仕方ない話だが、あの頃と事情は変わってきている。
外食は危険、電車は危ない、飲み会は禁止、学校も職場もリモートが当然みたいな風潮は、今年春ぐらいの世情の中で根付いた。
毎年インフルエンザでの死者が3千人、関連死を入れれば1万人、交通事故での死者数は4千人(平成の前半は毎年1万人前後)、入浴中に亡くなる人は2万人。
そうした数字を見れば、コロナの死者数は少ない水準だ。これをもって生活や行動様式を極端に変える必要があるのかは今一度検証すべきだろう。
「薬やワクチンが無いから」。新型コロナに関してはその一点が過剰反応の大きな理由である。
もっともだとも思えるが、逆に言えば、薬もワクチンも無いのに感染者数、死者数ともに当初言われたような水準には程遠いわけだ。
もちろん、国や自治体は最悪のケースを想定して慎重姿勢で臨む。それを闇雲に責めることは出来ないが、今のまま漫然と自粛の延長みたいな風潮が続けば社会活動はどんどん停滞する。
誰もが実感していると思うが、いま世の中を覆っているのはダラけたムードだ。リモート、在宅といったスタイルがもたらした副産物だろう。資源の無い国でダラけた状態が続けば経済は死んでしまう。
いまは中途半端な助成金や給付金でギリギリ凌げているケースもあるが、それだってインチキは物凄い数で横行しているし、国や自治体の財布も無尽蔵ではない。
とはいえ、全面解禁、元通りで動きましょうと言えないわけだから、私がアーだコーだ書いても始まらない。でも、無節操に何でもかんでも漫然とコロナのせいにしてダラダラしていると社会経済は修復不能のレベルに陥る。
今は街の人出も減ったままだ。飲食店やデパート、対面販売の世界で混雑を見かけることは激減した。
一説によると人口減少が始まっているこの国の来たるべき近未来の予行演習という見方もあるらしい。
確かに20年、30年、はたまた50年後を考えれば人口はドッと減って、高齢者だらけになり、都会のど真ん中ですら今の地方都市のシャッター商店街みたいに淋しい光景に変わっていくことは確かだろう。
コロナ禍の今の都市の姿がそんな将来像を物語っているという指摘だが、みすみすそんな悲観的なスタイルを先取りするのもシャクである。
最低限の予防に努めながら以前の行動に少しずつ近づける意識を持つこと。当たり前のことだが、ダラけずにこの感覚を維持することを怠ってはいけないと思う。思考停止が一番マズい。
2 件のコメント:
これまで続けてきた面倒なことをコロナを理由にやめてしまう、これは各方面で多発している。コロナの一番の影響が、実は、日本から勤勉がなくなることだとしたら、日本も並の国となりかねない。
まさにその通りですね。
何でもかんでもコロナを理由に避けることが罷りとおっている印象はありますね。そのツケに結果的に社会が苦しむことになりそうで怖いです。
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