本屋さんに立ち寄った際にグルメ情報誌の焼鳥特集を眺めていたのだが、ちょっと驚いたのが近年登場したオシャレ系焼鳥屋さんの多くがコースだけで勝負していることだ。
ここ10年、いや20年ぐらいだろうかコースだけをウリにする飲食店が増えた。焼鳥までそんな風潮に呑まれ始めているわけだ。私がブツクサ言ったところで仕方ないが、これもまた世の中のマイルド化の象徴みたいな話かもしれない。
好き嫌いが多い私だからコース料理は昔から苦手だ。この話は最近も書いた気がする。そりゃあ格式高い西洋料理屋だったら計算され尽くしたコース料理を黙って食べる。「そういうもの」という理解が追いつく。
さて焼鳥だ。私はネギ間が好きじゃないし、ボン尻も皮も苦手だ。塩味で出されるレバーも嬉しくない。細かいことを言えばキリがない。コースだとこれらに遭遇してもおかしくない。
食べられないわけではない。逆にそこが問題だ。食べられないものならハナから同行者にあげたり素直に残せる。中途半端に食べられる以上は渋々食べる。外食先で渋々食べるという行為はストレスだ。
好きなものを食べに行きたいから外食に行く。なのになぜ食べたくもないもので腹を満たす必要があるのか。単に私がワガママなだけだが、カジュアルな食べ物に関してはコースはやめてもらいたいと切に願う。
最近、気鋭の鰻屋が私の行動範囲に鳴り物入りでオープンしたと聞いてワクワクしていたのだが、そこもコース一辺倒だったからパス。珍しい鰻の刺身も出すらしいが、私はそこに興味はない。鰻の刺身はビックリするほどウマいものでもない。
他にもコースだと揚げものやら箸休めだとかおそらく“鰻気分”とは無関係なものも出てくるはずだ。もはや大食漢ではない私にとっては一部の料理が苦行になってしまう。
お寿司さんに関しても「コースのみ」という不思議な形態は今や都市部の小洒落た外観の店ならごく普通の様式になった。時代とともに進化するのはどの世界でも常だが、寿司の世界における「コースのみ」というパターンは進化ではなく劣化だと思う。
これもまた私が好き嫌い大王だからとくにそう思うのかもしれない。イカ、赤貝あたりはナゼか食べないし、たいていの店でメインイベントみたいに出されるトロも苦手だ。そうなると私には実に居心地が悪い。
こちらとしてはシメはワサビの効いたかんぴょう巻きかたまごの握りと決めている。たまごだってナゼか今はシャリつきで出さない店ばかりだ。握りで食べてこそシメの一品にバッチリだと思うのだが時代遅れなのだろうか。かんぴょう然りである。トロたくあたりに押されてさほど人気が無い。もったいないと思う。
好きなペースで好きなものを好きな量。ここが大原則であり、世界にも稀なこういう客優先のシステムが確立されている。それなのに画一的なコースで済まされてしまったら意味がない。
たいていのイマドキのそういう店は不思議と客単価が3万だ5万だと摩訶不思議な値付けだ。だったら全席個室にして一皿一皿うやうやしく運ぶようなスタイルにしても採算が合うんじゃないかとさえ思う。
書き連ねると私の偏屈ぶりに拍車がかかっちゃうからテキトーにしないといけない。
まあ、今のようなコースのみで勝負する店が増えたことは超高齢化による働き手の不足や、“いわずもがな”の常識や気配りが世間から失われつつあることも影響している。
たくさんのメニューを臨機応変に提供するにはそれなりに人手が必要だ。人材不足なら店側は決まったものを順番通りに出すという流れ作業に落ち着く。
“いわずもがな”のほうは、たとえばシンコの握りだけ10貫くれとか、かっぱ巻きと酒だけで何時間も居座るとか、最低限の常識が分からないマヌケな客が増えたことを意味する。
店の規模によって仕入れの量や塩梅は決まっている。想定客単価も店ごとに決まっているわけだから、あまりにもシャバダバな客が増えれば商売として厳しい。だからコースのみというスタイルを防衛策にしている面もあるわけだ。したがって私ごときが批判がましく言ったところで意味はない。
ただ、昭和の人間に言わせれば、今のスタイルが標準になれば客と寿司職人の丁々発止も無くなり、文化としての寿司の在り方も変わっていくと思う。残念だが客も店も育たないという淋しい状況になっていくと思う。
私自身、30歳ぐらいから日本中のお寿司屋さんで“客としての修行”に励みさまざまなことを学んだ。その経験は財産だ。私に限らず回転寿司のなかった昔は日本中どこでも街場のお寿司屋さんでみんなが学んだ。大人はもちろん、子供たちが寿司という世界のイロハのイを自然と身につけていった。
全国各地のそんな小さなやり取りの集合体みたいな空気が「カウンターで寿司を食う」という一種独特な日本の食文化を作ってきたわけだ。
その後、回転寿司の普及が世界を大きく変えた。マナーも常識も気にしなくてよくなったから寿司の世界は大転換期を迎えた。いわば対人コミュニケーションが不要になったわけだ。そしてそこからたどり着いた先が「コースのみ」の高級寿司なのかもしれない。これは私の仮説だが、丁々発止のやり取りが不必要とされている点が回転寿司と共通している。
でもそれが時代の必然なら私がアーダコーダ言ったところで意味がない。なんだか“置いてけぼり”にされているようでちょっと切ない。
好き嫌いがまったく無いならそんなイマドキ寿司業界の軍門に下ったほうがラクチンかもしれないが、やっぱり食いたくないもので腹を満たすのはストレスだ。今後も偏屈でいようと思う。
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