溜池にある全日空ホテルに行った。全日空ホテルと書いたが、いつの間にかインターコンチネンタルホテルの傘下に収まり、だいぶ以前とは違う雰囲気になっている。
今年の初め頃、メインロビーそばの「シャンパン・バー」に足を運んだことがあったが、その時もホテル全体がいい感じにリノベートされたなあという印象があった。
外資系ホテルの参入で東京ホテル戦争なる言葉も聞かれるが、やはり旧来型のホテルは相当大胆に変身しないとこれから生き残れないのだろう。
この全日空ホテル、適度にモダンに適度に上質な感じを漂わせている。大げさではなく動線も単純で結構使い勝手は悪くなさそう。ハヤリモノを追いかける人には論外なのかも知れないが、改めて見直してみても良さそうだ。
俗に“おっさんくさい”とか“客層が疲れている人ばかり”とか評されることもある既存のホテル。オークラやニューオータニなどはコアなファンを持つ一方、ある種の人々からはそんな理由で敬遠されたりする。
全日空ホテルもある意味似たようなイメージを持たれているようだ。新興ホテルラッシュで“いまさら”感は少なからずあるのだろうが、本来ホテルの評価は、熟成していくための年月も加味されるわけだから、ここも踏ん張りどころなんだと思う。
この日は中華レストラン「花梨」で食事をした。店の内装も適度な上質感がある。無難な安心感とでも言おうか、肩も凝らないし、気負わないで済むし、かといって安っぽくもなく、程よいバランスだ。
平均的なディナーコースは、盛りつけが綺麗だったのが印象的。味の方は美味しくてうなるようなものはなかったが、×印を付けたくなるものもなかった。全体にあっさりした味付けの中華が好きな人なら気に入ると思う。
今回は、ご馳走になったので詳細な値段は分からないが、安心して人に勧められることは確かだろう。でもこのエリアでちょっとしたディナーにこの店を選ぶかどうかは微妙なところだ。
2008年6月11日水曜日
全日空ホテルで食事
2008年6月10日火曜日
玄海の水炊き
久しぶりに新宿にある水炊き専門店「玄海」に行った。ここの水炊きが物凄く好きで、一時期は割と頻繁に足を運んだが、わざわざ新宿に行くのがおっくうで大分ご無沙汰だ。
ここの水炊きの特徴はなんといっても「野菜がないこと」。これは大きい。子どものような私にとって野菜は天敵。
「野菜はお嫌いですか」とか聞かれると条件反射で「宗教上の理由で食べられない」と応えてしまうほどなので、玄海の水炊きはパーフェクトだ。
運ばれてくる鍋には、白濁したスープと鶏のぶつ切りだけ。このシンプルさが堪らない。野菜なんか入れてスープを薄めてしまう必要はないと確信する。
料亭風の造り、全室個室というやや大げさな構えのため、コース料理を注文するしかこの店の水炊きは食べられない。
コースも4段階ぐらいに分かれているが、いつも一番安いコースを頼んで、水炊きのスープと鶏肉をおかわりするのが私の決まったパターンだ。
この日もそうした。相変わらず前菜は大して美味しくない。こんなものでお腹をふくらませてなるものかとばかりに水炊き登場を待つ。
早めに持ってきてもらった水炊き。肉を食す前にまずはスープだ。旨味成分たっぷりの白濁スープは薬味のネギと漉したニンニクを少し混ぜて味わうと口の中が極楽状態になる。端的に言って「滋味」。身体の中が綺麗になって長生きしそうな感じがする。
正しい素材を長時間煮込んで完成するスープは、さすがに家庭で出せる味ではない。汁モノだが、不思議とこれが酒の友としても楽しめる。スープをズルズル飲んで、アルコールもぐびぐびと進む。
さほどツンツンしていない特性ポン酢ダレで食べる鶏肉も素直に「滋味」にあふれて、いくらでも食べられる。小骨もあって難儀することもあるが、豪快なぶつ切りを堪能するわけだから、それも一興だ。豪快に骨のすき間までしゃぶってこそ美味しい。
サイドオーダーでいつも注文するのが「ロース焼」。美味しい鶏を単純に焼いただけの料理だが、鶏好きの私にとっては欠かせない一品。塩加減も程よく、少しバターの風味もあって、これまたいくらでも食べられる。正しい鶏の味がする。
不満な点も書いておこう。鍋の最後のお楽しみである雑炊が問題。突っつき終わった鍋で即興で作ったものをがっつり食べたいが、この店ではそうはいかない。別に厨房で作ってくるのでなんか損した気がする。だからほとんど頼んだことはない。いつもスープを大量にのみ、肉をワシワシ食べて、ロース焼に延々とかぶりついて終わりにしている。
炭水化物を抜いたからきっと痩せるはずと思いこんで店を後にするのだが、いつも身体が重くなるほど食べてしまっている。
私は元々、肉に苦手なものはないが、あえて好きな順に並べると鶏肉、豚肉、牛肉という順序になる。同様な好みの人だったらこの店の水炊きはきっと気に入ると思う。
2008年6月9日月曜日
極上の泡盛

先日、泡盛の極上品をいただいた。焼酎ブームで芋ばかりもてはやされている風潮があるが、蒸留酒という意味では同類の泡盛も根強いファンが多い。
私自身、学生時代から潜水旅行で頻繁に沖縄を旅していたから、泡盛歴は結構古い。25年ほど前、学生だった私にとって泡盛はおっかなびっくり呑む酒だった記憶がある。
既にその当時から、万人受けするようなまろやか路線の商品が出始めていたようだが、まだまだ、キツくて臭いというイメージは強かった。
久米島に行ったときのこと。昼間一緒に潜ることになった若者達は民宿の広間に集って酒盛りをする。学生の私も勇んで参加。オリオンビールをぐいぐい呑み続け、しまいには宿に置いてあるビールが底をついた。
「もう泡盛しかないさ~」。おばあが出してきた一升瓶は、当然のように久米仙。こっちはどうやって呑んでいいのか分からず、とりあえず茶碗酒ならぬ茶碗泡盛で、ストレートで呑んでいた。まずい。
おばあが言う。「水割りにしなさい。地元の人だって今どきは水割りで呑んでるさ~」。これで救われた。日本酒と同じような一升瓶を見ただけで、そのまま呑まねばならないという私の思い込みは誤りだったようで、薄い水割りにしてチビチビ飲みはじめた。
他に呑むものがないから渋々呑んだのが正直なところだが、ある意味これが正解だった。人間の味覚なんて馴れによって変化する。その晩のうちに徐々に泡盛が美味しく感じるようになった。
徐々にというか突然といった方が正しい。夜も更けてすっかり酩酊状態になり、何杯目かの水割りは、いつの間にかやたらと濃いめ。ふと口に含んだとき、なんだか妙にうまいと思った。それ以来、すっかり泡盛ファンになった。
いまでこそ東京でもアチコチに沖縄料理屋があるが、20年以上前は、完全に沖縄出身者が集うための閉鎖的な感じの店が大半だった。美味しく感じた泡盛も、しょっちゅう出かけた沖縄旅行の際に呑むものでしかなかった。
そうこうしているうちに焼酎ブームやら沖縄ブームの到来で今や泡盛もすっかり定番酒としてどこでも呑めるようになった。
今回いただいた泡盛は、極上の古酒が2本。思い出の久米仙が造っている最上級品の「球美18年」と「海の邦1993年」。貯蔵年数3年を超えれば「古酒(くーすー)」を名乗れるのが泡盛のルールだが、いただいた2本はそれぞれ18年、15年貯蔵というスペシャル。
まず「球美18年」をロックで味わってみた。18年という歳月はやはりウットリする酒を造る。人間だったら18歳はとんがって仕方ない年頃だが、酒の場合、角が取れてまろやかになるには必要充分な年月だ。
ツンとした刺激的な味はなく、43度のアルコール度数にしては印象は穏やか。ロックのあとで、少し濃いめの水割りを試したが、ここでも感心。味がぼやけない。ロックで呑んだときと同様の複雑で広がりのある味わいが水に負けずに残っている。さすが。
15年ものの「海の邦」はまだ味わっていないが、封を切るのが楽しみだ。やはり焼酎を含めた蒸留酒のなかでも、長期熟成という点では泡盛の独壇場だろう。
なんといっても歴史と文化が違う。琉球王朝時代には、300年モノの古酒もあったそうだ。ウン十年、100年モノあたりの古酒もそこそこ存在していたそうだが、沖縄戦でなくなってしまった。
芋焼酎がブームで、長期熟成モノもチラホラ見かけるが、この点においては泡盛は別次元の存在といえよう。
今回いただいた2本の古酒。販売業者の手違いだろうか、はたまた贈り主さんの意図的な戦略!?か分からないが、商品金額がしっかり記載された納品書が同梱されていた。
見てびっくり。こんなに高価な泡盛があったとは!。泡盛ファンを自認する私も知らなかった。普通の泡盛の5~6倍はする価格だ。プレミア価格ではなく、定価の段階でビックリ価格だ。
でも、2本ともビン自体はこれみよがしの豪華絢爛さはなく、実にあっさりとした佇まい。大げさにネーミングしていないことも併せて、どこかさりげない点がなんか素敵だ。
「10年、20年程度の熟成で騒いでられないさ~」。古酒文化を背負っている琉球杜氏の矜持が垣間見えるようだ。
2008年6月6日金曜日
中国の親日感情

中国・四川大地震での死者数は、あの阪神大震災を10倍以上も上回る歴史的大惨事となった。地震大国日本でのXデーの際に、少しでも何らかの教訓が生かされることを願いたい。
被災者救済をめぐる日本チームの活躍が中国国内で大きな反響を呼んでいる。救援チームが諸外国の中で一番乗りだったことに加え、最近では、犠牲者の遺体を真摯に黙祷して見送る姿がニュースで紹介されたことで一気に親日派が増えたらしい。
国営通信社・新華社は“賛日ブーム”の広まりを危惧し、慌てて「感謝をしても歴史を忘れるな」という趣旨の人民に対して自制を促す報道を展開した。この辺が中国っぽい話ではある。
とはいえ、わずか1か月程度の間に日本人への融和意識が急速に高まった事実は率直に良いことだろう。ただ、逆に考えると、こうなる以前の現実に強い疑問を感じる。
乱暴な言い方をすれば、わずかな人数でわずかな期間の人道支援が嫌日感情を大幅に和らげることにつながったのに対して、これまでの日本外交は何だったのかということだ。
対中問題といえば、政府開発援助、すなわちODAの問題抜きに語ることは出来ない。無償資金供与や特別融資などの経済的支援からなるODAは外務省が握っているジャパンマネーである。
これまで約30年にもわたって総額3兆円を超える巨額なODAが中国に対して行われてきた。3兆円だ。こんな天文学的な資金を活用したうえで、嫌日感情の改善がまるで進んでいなかったことは日本外交の完全な失敗だ。
対中ODAと言えば、現地での理解度が低く、感謝もされていないという情けない問題がかねてから指摘されてきた。さすがに国会などで問題になったことを受けて外務省も中国に対して日本の貢献を積極的に広報するよう要請したものの、今度は「感謝の押しつけか」と逆に怒られる始末。漫才みたいだ。
ジャパンマネーが中国の発展に貢献したことは疑いようのない事実にもかかわらず、日本に対する融和感情が広がってこなかったのにはそれなりに理由もあるようだ。
厄介なのが、多くの中国人がODAを戦後賠償と認識していること。戦後賠償問題は、昭和40年代の田中角栄さんの時代に決着して終わった話である。
そんな誤った認識がいまだに支配的である現状を考えると外務省の責任はひたすら重い。ODAの出資者たる納税者を馬鹿にした話だ。
2008年6月5日木曜日
沈没するニッポン人
5月後半のブログで若者のモチベーションについて書いた。簡単にいえば、活気がない、精力がないといった趣旨だ。
今回、フィリピンでノンビリしながら、オヤジの方もろくでもない状態が進んでいる実態を見た。若者批判ばかりではなく、オヤジ批判もしないとバランスが悪い。
沈没組。ひと言でいえばそう表現すると分かりやすい。その昔、タイ・バンコクあたりで、人生を捨てちゃったような日本人の行動が一部で話題になった。
現地に住み着いて、ドラッグやオンナでおかしくなり、日本人旅行者相手に詐欺的な目的で近づいてくるような連中だ。
この手の日本人、若者ばかりではなく、いい歳をしたオヤジも結構いる。たいてい、極端な物価格差につけ込んで派手にオンナ遊びしているうちに崩れていくパターン。
フィリピンでもこの手の世捨て人系日本人が少なくないことは知っている。ただ、今回、セブ島の外れのローカルエリアでも実にビミョーな日本人に遭遇したので、その手の連中の増殖ぶりは推して知るべきかも知れない。
「この辺の町娘なら、日本のミルクチョコレートを2枚も渡せば、やらせまっせ」。セブの外れに住み着いている初老の日本人が真顔で話す。このおっさん、関西で職人仕事をしていたそうだが、職場のそばのフィリピンパブ通いから人生が狂ったらしい。
結局、フィリピン・某都市で、フィリピン人の若い女性と所帯を持って暮らしはじめたものの、何らかのトラブルを起こして、その地にいられなくなり、逃げ回っているとか。
新たなフィリピン人妻は身重の身体で甲斐甲斐しくおっさんの世話を焼く。なんともビミョーな光景。
次に会ったのは40歳代後半のオヤジ。こちらはオンナ狂いで身を持ち崩したわけではないようだが、40代半ばになって、初めて家庭を持った相手がこのエリアのフィリピン人女性。20年以上勤めた会社を辞め、主に蓄えだけで暮らしている。
「毎月5万円もあれば、のんびり暮らしていけるよ。年金の受給開始まで15年以上あるけど、計算ではそれまでなんとか蓄えでやっていけるはず」。
のほほんと彼は語る。彼の発想がちょっとお子ちゃま的に思えるのは私だけではないだろう。この人、大学も出て名のある会社に勤めていた人。まっとうな世間でまっとうに生きていたように見えるのだが・・・。
次にあったのは、世界的なメーカーで技術屋だったという50歳代前半のオヤジ。日本では、独身で実家暮らしが長く、無趣味だったこともあって蓄えが結構な額になり、おまけに死んだ父親の生命保険金がかなり入ったため会社を辞めたらしい。
「テキトーに面白おかしく遊んでまーす」。口から出てくる言葉はエロ系のみ。でも、すさんだ生活をしていることは自覚しているようで「いまじゃあ日本に友達が全然いなくなっちゃったよ」と自嘲気味に話す。
今回会ったオヤジ達に共通するのが人相。思いっきりゴムが延びたような感じ。そりゃそうだろう。人間、中年にもなれば生きざまが顔に刻まれるのだから、闘うべき年齢なのに闘っていない男の顔は独特になる。
それにしても3人とも「年金がもらえるまで・・」といった趣旨の話をしていたのが印象的。日本の年金制度になんの疑いも持っていない様子。
ある意味でうらやましい感覚だ。ひと言でいえば思考停止状態。じゃなきゃその手の暮らしは出来ないだろう。
仮にニッポンのオヤジ世代に「沈没組」的な潮流が広まっているとしたら恐いことだ。若者の活気の無さを憂いているどころの話ではない。
ところで、さんざん偉そうに書いてきたが、私だって今回の旅行最終日、セブシティの雑踏のなか、きっとゴムが延びたような顔をしていたような気がする。
どこで何していたかは割愛。
自分の人相にはつくづく気をつけようと思う。
2008年6月4日水曜日
コンパクトデジカメ頑張る
10年前と変わったところがほとんど無かったモアルボアル。海の綺麗さなどはまったく衰えることはなく、すべての進化が良い意味でスローモー。環境破壊のペースも同様で、もっともっとあのサンゴ群落がダイバーの間で有名になっていい。
今回は朝もゆっくりしてからダイビングに出かけたので、朝食後は決まって海沿いをブラブラ散歩した。朝から照りつける強い日差しの中で貝殻を拾って歩いたり、じゃれ合う子ども達を冷やかしたり、実に健全でのどかな時間を過ごした。
コンパクトデジカメでの水中撮影は、やはりデジカメ特有のシャッターのタイムラグが問題で、チョロチョロ動き回る被写体には非常に弱い。ゆっくり動いている生きものやジッとしている魚を撮るには結構遊べる。
次の写真は体長10センチ程度のニチリンダテハゼ。顔の直径はせいぜい1,5センチ程度だが、コンパクトデジカメの機能である光学ズームとやらの望遠効果を使うと、被写体までの距離が1メートル近く離れていてもこんな顔のアップが撮れる。
通常の一眼レフにマクロレンズを装着してもこのぐらいアップにしようとすると、もっともっと被写体に接近する必要があるため、ハゼはスッと巣穴に隠れてしまう。
まあ15分とか20分ぐらいかけて、なるべく魚と目を合わせないよう、泡で驚かせないよう呼吸も少なめにゆっくりゆっくりほふく前進をして近づけば相当被写体に近づくことは可能だ。ただ一般的に小一時間程度の潜水時間のうち、多くの時間をそんな努力に費やすわけにも行かず現実的ではない。
その点、デジカメのズームは強い。素直に関心。ある意味、時間をかけて被写体ににじり寄っていくオタク的な楽しみが奪われてしまってチョットつまらない感覚さえある。
技術の進歩は、自分が築いてきた潜水ノウハウをいとも簡単に過去の遺物にしてしまう。便利だけど被写体との駆引きが無くなって切ない感じがした。
次の写真はムチヤギにちょこんと乗っかるガラスハゼ。それこそ全長が1センチちょっとの超小型。肉眼では全体の色柄が分からないほどだが、デジカメのズームを使えば透明な身体に内臓が透けているところまで分かる。
動き回らない被写体といえば、じっと保護色になって思索にふけっている怪獣顔のエソなんかも簡単にドアップが撮れる。問題は光学ズームをいきなり使おうとすると外付けの水中ストロボの角度調整をついおろそかにしてしまい、被写体に光が回らない初歩的なミスをしてしまうこと。撮影可能範囲が広すぎるからこその特徴だろう。
今回、私が大好きなニシキテグリが見られるポイントがあるということで、ある日の午後、そのポイントに潜った。英名のマンダリンフィッシュと呼んだ方が雰囲気が伝わりやすい極彩色がこの魚の特徴。全長10センチぐらいで、夕方薄暗くなってからサンゴのガレ場からチョコチョコ姿を現す。ぴょこんと跳ねた瞬間を写すことができた。
なんとも落着きなく動き回り、おまけにすぐサンゴや岩の陰に隠れる。基本的な生息場所がガレ場の下なので、ストロボの光が回りにくく、おまけにヤツが好んで住んでいる場所付近には、たいてい刺されると洒落にならないガンカゼ(ウニの一種)がいっぱいいて撮影しづらい。
チャーターダイビングの良さで、この時は実に潜水時間100分というわがままな潜り方をした。やはりニシキテグリは可愛い。いつか飼ってみたいと思う。
さて、今回のデジカメ総括の前にもう少し写真を掲載する。
今日のこのブログにアップした写真は、接写、ワイド、そして陸上どれもコンパクトデジカメで撮影したもの。外付けの水中ストロボは使ったが、特別なワイドコンバージョンレンズやクローズアップレンズなども使わず、カメラ本体のレンズをズームにしたりワイドにしただけ。
フィルム一眼の描写力はやはり捨てがたい。ただ、荷物が多い潜水旅行の際に、コンパクトデジカメ1台でこれだけこなしてくれれば合格だ。
来年あたりにはデジタル一眼レフカメラ対応の水中ハウジングや水中ストロボが今以上に百花繚乱になるはず。アナログな私とはいえ、アナログ水中写真とはおさらばする日が近づいているようだ。
2008年6月3日火曜日
MOALBOAL紀行
なぜか今頃休みを取ってフィリピン・セブの外れにあるモアールボアール(moalboal)に行ってきた。セブシティで一泊後、2時間半ほどクルマで移動したセブ南部のダイビング村だ。10年ぶりの訪問。
FAME’S VILLAなる新型高級ホテルを手配していたが、ここが大外れ。わずか5室のこぢんまりした宿で、プールもあっていい感じという情報に惹かれたが、客がいない。私だけ。だからスタッフがいない。何を頼もうにも誰もいない。
おまけに一泊したあと朝起きてみると、門に鍵がかかっていて、外に出られない始末。仕方なく塀を乗り越えて脱出し、朝食を食べに行くハメに。最悪。早々に、すべての旅行手配を段取ってくれたダイビングショップの隣にある「EVE,S LODGE」に宿を取り直す。最近建てかえた新館に宿泊。
部屋は殺風景。でも新しいので許せる範囲。エアコンもあるしケーブルテレビもある。潜水三昧旅行だからこのぐらいで我慢。
10年前にイタリア人のおじさんが経営していてビックリするほど美味しかった「イタリアンコーナー」というレストランが隣にあったので早速行ってみた。ところが、おじさんは既に亡く、居抜きで経営を代替わりした新しい店は、適当な内容のメニューばかりで残念。
今回は、とにかく食べ物がダメ。オクラが山ほど入ったチャーハンやデザート以上に甘いだけの海老料理など、思い出すだけでもイラつく料理がいくつもあった。だからフィリピンのリゾートは、他の東南アジア系リゾート地に比べて人気がないのだろう。とにかく潜ることにする。
ダイビングは「オーシャンサファリ」という店で頼んだ。地域最古かつ唯一の現地人経営のショップ。オーナーのネルソンさんは、エリアの副市長だかも務める名士にまで出世した人で実に感じのよいオジサン。
今回私がアレンジを頼んだプライベートチャーターも気軽に安価で提供してくれた。1日3回のダイビングを私専用にチャーターした船で、水中ガイドも船頭さんも私用に専属となる。マイペースで実に楽ちん。写真撮影に最高の環境は整った。こんなボートを一人で占有できて全部込みで1日1万円程度。格安だ。
何はともあれ、久しぶりの真面目な潜水旅行はスタート。天気もよく海のコンディションもよい。船の上からも水中が透き通っている感じがお分かりだろう。
今回撮影したかったのは、浅瀬にこんもり茂った元気なサンゴ。フィッシュアイレンズを使って沢山シャッターを切った。世界的レベルで見ても極上のサンゴが広がっている。ダイビングポイントも船でわずか10分程度。こんなにお手軽に極上サンゴを堪能できるところは貴重だ。
モアールボアールの場合、沖合に浮かぶペスカドール島という小さい無人島周辺がベストポイント。大半のダイバーがそこを目指す。もちろん、ペスカドールもダイナミックなポイントだが、今回私は、そちらにはお構いなしに、セブ本島沿いの沿岸に南北に点在するサンゴがウリのポイントばかり選んで潜ってみた。
浅瀬のサンゴはピキピキに元気でボーと眺めているだけで癒される。極楽だ。上の2点の写真はいずれも水深5メートル程度。太陽の光が燦々と差し込み、緊張感のまるでない水深ということもあって大げさではなく思わず寝そうになった。
いままで潜水撮影旅行に行く際には、特定の魚の写真をなんとしても撮りたいとか、目的をかなりオタク的に絞っていたため、水中でも一喜一憂が多かった気がする。思い返せば、せわしく疲れるパターンが多かったが、今回は漠然と水中に漂うことが第一目的。おかげで弛緩しまくった。
必死に探す被写体ではなく、アチコチにゴロゴロ転がっているクマノミにもついカメラを向けた。
今回、はじめて水中にデジカメを持ち込んだ。ニコンの一眼レフを専用防水ハウジングに入れて撮影するスタイルを15年以上続けていたが、時代の流れでデジカメに挑戦してみた。
デジカメといっても、コンパクトカメラ。いわゆるコンデジだ。潜水機材メーカー「
sea&sea」が発売している「DX-1G」がそれ。リコーのコンデジをOEM生産して、水中写真モードなる画像調整機能を搭載したカメラを専用のコンパクトな防水ハウジングに入れて使用する形だ。
さすがに内蔵ストロボでは水中撮影は難しいので、同社製の水中ストロボを外付けして使ってみた。外付けストロボとカメラ本体を結ぶシンクロコードは、光ファイバーのコードで水中でも取り外しできるスグレモノ。
水中ストロボといえば、カメラ本体とのコード接点が浸水、水没トラブルの多くを占めていたのが水中撮影のかつての常識だ。それを思うとイマドキの機能は隔世の感がある。光ファイバー接続でも自動調光は割と確実で感心した。
今回は、ワイドアングル撮影用にニコンのフィルム一眼レフを多用し、その他、接写などにはコンデジを使ってみた。
上に載せたクマノミの写真はすべてコンデジによるもの。ニコン純正のマクロレンズほどのシャープさはないものの、趣味で楽しく撮影する分には結構な力量だ。正直、コンパクトカメラでこのぐらいの作品が撮れてしまうことにビックリ。自分の昔の苦労を思うと浦島太郎気分だ。
明日はコンデジ作品をもう少し紹介したい。