2014年3月5日水曜日

鯛めし、せいろ蒸し、自家製パスタ


このブログを時々読み返すと、いつも似たようなモノばかり食べている。実に世界が狭いと思う。

まあ、そうは言っても、変なモノにチャレンジして後悔するのもイヤだ。確実にニッコリできる食べ物を摂取したい。

と、エラそうに書いているが、「サッポロ一番塩ラーメン味焼きそば」というヘンテコなジャンクフードにハマって頻繁に食べている私である。

私の味覚などその程度のものである。


今日は、最近食べたウマかったものを書こうと思う。

まずは鯛めし。鯛めし文化は西日本が中心なのだろうか。東京で目にする機会は少ない。

鯛めしにもさまざまなバージョンがある。刺身を熱々御飯に載せて、溶き卵とダシ汁をぶっかけて食べるパターン、まるまる一尾を米と一緒に炊きあげるパターン、そぼろ状の鯛の身をダシで炊いた御飯にまぶすパターンなど実に多様だ。

某日、日本橋まで出かけて食べた一品は、特許だか商標登録だかの関係で、他では食べられない独特な鯛めし。

7~8年前だったか、島根に旅した際、松江の有名旅館「皆美」で食べた鯛めしがそれ。

日本橋にある直営のレストランで本場と同じ味が楽しめると聞いて、いそいそ出かけてきた。



自分で撮った画像がちっとも美味しそうに見えなかったので、下の画像はお店からパクッてみた。

そぼろ状の鯛、裏ごしされた卵、大根おろし、わさび、海苔をごちゃごちゃ混ぜて優しい味の熱いダシ汁をかけて食べる。

口に入った途端にウマい!と感じさせるイマドキの「ファーストアタック重視」の食べ物とは一線を画す滋味あふれる後味が嬉しい。

通年、暴飲暴食で胃腸が疲れている私にとっては医食同源みたいな有り難さがある。ジンワリと風味が身体中に染み渡る感じ。

こういう食事を基本にしていれば性格も穏やかになりそうな気がした。それ以外の懐石仕立ての一品一品も、優しい味わいでホッコリできた。

続いては、せいろ蒸しである。

銀座にある鹿児島料理の店「華蓮」の名物料理だ。黒豚料理というと、ついつい豚しゃぶを注文する私だが、たまには目先を変えようと未体験のせいろ蒸しを食べてみた。




肉は牛と豚をミックスしてもらった。下の段に野菜、上の段に肉である。蒸されて加熱された肉からこぼれる肉汁が下の段の野菜類にシャワーのように降りかかるらしい。

宗教上の理由で、野菜を食べない私だが、肉汁を身にまとった野菜なら味見しないわけにはいかない。まあまあだった。野菜好きな人ならかなり喜ぶのだろう。

野菜などどうでもいい。肉が思った以上にウマかった。クドさが取れて、適度にあっさりした感じに変身しているのが中高年には嬉しい。

この食べ方は病みつきになりそうだ。結構な量を食べたのだが、肉を食べた後のドンヨリと重い感じは皆無だった。

さて、ウマかったモノといえば、自宅で真面目に作ってみた自家製パスタを忘れてはなるまい。

一人暮らしをしている以上、たまには料理の真似事をしてみる。とはいえ、必死な感じになるのがイヤで、ヘンテコなこだわりを守っている。

そのこだわりとは、「まな板と包丁を使わないで作る」という実に生半可な姿勢である。

大げさなことはしたくないし、洗い物が大量に出るのも避けたい。一生懸命な雰囲気になっちゃうと、自分としてはどこか侘びしく感じてしまう。

そんな意味不明な感覚があるから、あくまで簡単にチョチョちょいっと出来上がるモノしか作らない。

何度かここで書いたことがある特製ピラフも包丁やまな板は一切使わない。

米をといだ後に、唐揚げ用のぶつ切りの鶏肉、缶詰のマッシュルームなどを投入して、市販のコンソメスープとかオニオンスープに、適当な分量のケチャップやソース、バターを加えて、電子ジャーのスイッチを
押すだけである。

炊きあがった直後にもう一切れバターを加えて混ぜ合わせるだけで特製ピラフが出来上がる。

味のほうも確かである。以前、我が家に遊びに来た12歳の娘は、2合作ったピラフのほとんど食べ尽くしたほどだ。マズいはずはない。


で、パスタである。残念ながら?これを作る場合は、フライパンは必要である。タップリのオリーブオイルに市販のザク切りガーリック、アンチョビペーストを投入、具は主にシーフードである。

この日は無性にカキが食べたかったので、大量にカキを入れる。その他に海老とアサリを脇役にする。

適量の塩こしょうの他、イタリアンハーブミックスとスイートバジルなるスパイスもそれっぽい味に仕上げるために有効だ。

まだバリバリに固い状態のパスタをフライパンに移して、出来上がっていた具材入りパスタソースとあえる。

普段、料理などしないクセに、私は鍋ふりが結構上手である。フライパンの中味をこぼすことなく、かなり大胆に振りまくって、パスタソースの「乳化」もしっかりクリアする。

良い具材を買って、それを大量に使っていればウマく出来て当然である。アルデンテにするためには、勇気を持って?麺をフライパンに移すタイミングを決断しないとならないが、だいたい失敗することはない。

タンスイカブラーの面目躍如である。若い頃、イタリアンばかり食べまくっていた経験もダテではない。

私の場合、親の遺言を守って野菜は食べないので、彩りは華やかではない。でも味は結構なレベルである。

客人に振舞えば、私のことを料理好きの男だと誤った印象を与えてしまうほどである。

滅多なことで自分以外に食べさせる場面などないから、遠慮せずに最高の美味だと宣言しておこう。

どれだけ誇張して書いても心配はない。物凄くウマい!最高である。

単なる自画自賛である。

2014年3月3日月曜日

たまに壊れる日


常日頃、30代の人を相手に「ご苦労さんだねえ~」と言い続けている。自分の経験を思い起こすと、30代の頃は色々なことを厄介に感じて、物事をいちいち大ゴトと捉えて悶々としていた覚えがある。

突き抜けちゃった今になると、そんな壁のようなものに直面している世代に、心底ご苦労さんと言いたくなる。

とか言いながら、私だって時々、分けの分からないことで悶々とする。一応、いっぱしの大人である。孤独死の心配とか年金の不安とか、男性機能の低下とか悩む問題は山ほどある。

冗談はさておき、私だって人並みに鬱々する材料はある。まあ、たいてい数日で収まっちゃう程度だが、そんな時は、ちょっと壊れる。

壊れるといっても文化的?な感じではなく、単に暴飲暴食に走るだけである。

最近も深酒が続いた。よせばいいのに毎晩遅くまで飲んでいた。夜ごと、ゲロまでは行かないものの、気持ち悪くなってヘロヘロフラフラしていた。

そんな日が続くと、さすがに酒を抜く日を作る。ただし、悶々モードが続いているから、酒の代わりに「ドカ食い大会」になってしまう。

わが身の胃腸方面には迷惑をかけ通しである。いつか恨まれて反転大攻勢を受けて大変な目に遭うんじゃないかと脅えている。

とある週末の夜、ビミョーな飲み会に参加して、何だか疲労困憊になって、一足先に抜け出してタクシーを拾った。既に深夜だったのだが、運転手さんに家の近所の牛丼屋に立ち寄ってくれと頼む。

ところが、目指した牛丼屋が珍しく24時間営業ではなく、「夢の深夜牛丼計画」が頓挫してしまった。

おとなしく帰宅すればいいのに、コンビニに立ち寄ってもらう。どうでもいいジャンクな弁当をアレコレ買ってしまった。

オムライス、カツ丼、ドリア、たらこパスタである。

炭水化物しかない。さすがにタンスイカブラーである。酒に酔うとこういう行動が迷わず出来ちゃうから我ながら恐ろしい。

タクシーの運ちゃんもコンビニのお兄ちゃんも、間違いなく私が一人暮らしだとは思わなかったと思う。

帰宅して、ひとつだけ食べようと思ったのだが、ドリアとカツ丼をペロッと食べてしまう。暴挙である。バカ丸出しである。

おまけにそれを缶チューハイで流し込む始末だ。ここまで来ると「ゆるやかな自殺」みたいなものだと思う。

膨満感ゆえに、逆流性食道炎が暴れるのを抑えようと、枕を3つほど重ねて上半身を起こしながら眠りにつく。

当然、快眠には程遠く、お化けに追われる夢を見る。自業自得である。最近、お化けが出てくる夢をしょっちゅう見ている。深層心理に何か変化が起きているのだろうか。

そして翌朝、休日だったので爆睡したかったのに、眠りが浅かったせいで何となくモゾモゾ起き出す。

当然、胃部不快感とやらが私にのしかかる。

困ったことに、二日酔いだったり、暴飲暴食の翌日の朝は無性にジャンクな食べ物を欲しがる変な癖がある。

学生の頃は、飲み過ぎて胃液まで吐きまくった翌日の午前中に必ずトンカツを食べるという無気味な習慣があった。

あの頃ほどハチャメチャではないが、いまだに脳が覚えているようで、「ジャンクドカ食い指令」に気持ちが支配されてしまう。

冷蔵庫には、たらこパスタとオムライスが鎮座していた。どちらを食べようかと悩んでいるうちに両方ペロッと食べてしまった。

飢餓状態で死んだ人の怨霊が取り憑いたかのような行動である。

それから3時間ぐらい経った頃、たらこパスタが冴えない味だったことに腹を立て、家にある在り合わせのもので突然パスタを作り始めてしまった。

ツナ缶、かに缶、マッシュルーム缶。すべて缶詰である。あとは大量のオリーブオイルと、バジルやらイタリアンパセリやら、やたらと揃っているスパイス類をゴチャゴチャ混ぜる。

電子レンジでパスタが茹で上がる手抜き便利グッズを久々に使う。ソース作り、麺の茹であがり、全てひっくるめて10分程度で完成する。

麺は200グラム。知らぬ間に完食する。ここまでが昼間までの話である。

ヒマな休日は溜まったテレビ番組を見て過ごす。ヨーロッパをめぐる旅行番組を見ていたら、ウマそうな肉系パスタが紹介されていた。

時間は午後3時ぐらいだ。おやつを食べようと冷蔵庫を覗いたらフェットチーネの生パスタを発見。賞味期限が近づいていたし、レトルトのボロネーゼソースもたくさんあった。結局、また食べてしまった。

ペロリである。

カロリー過多。この日の私のカロリー摂取量は、未開民族だったら1週間分ぐらいに相当するのではないだろうかと心配になる。

そして夜がやってきた。やることもないし、近くのスーパーに買い出しに出向く。お惣菜コーナーに目が向いたが、さすがに我慢である。

食材などをアレコレ買っているうちに小腹がすく。いかん。我慢我慢である。

買い物を済ませて外に出る。ふと目に入ったのが蕎麦屋の看板だ。「もりそば一杯だけ食って帰ろう」と私の中の悪魔が囁く。

「もりそば程度ならいいんじゃないか」。私の中の天使も許してくれた。で、店に入る。

街場の普通の蕎麦屋である。そんなにウマい蕎麦が出てくるはずもない。マズい蕎麦なんか食べちゃったら損だよなあ~と、私の中の悪魔が路線転換を促す。

そして私の口が発したのは「天丼ください」という恐ろしい言葉である。タンスイカブラーの暴走である。

街場の蕎麦屋の割には結構高い値付けだと思ったのだが、出てきた天丼クンは、値付けに納得するような結構なボリューム。甘っちょろい天つゆが妙に食欲を刺激する。御飯もしっかり入っている。

秒殺ぐらいの勢いで完食した。

食べ終わった後、何かに負けたような気がした。猛烈な敗北感である。こんなことなら、珍味をツマミに酒を大量にかっ食らって寝入ったしまったほうが健康的だったかもしれない。

私にとって酒を抜く日は、かえって「危険日」であるという現実を想い知らされた。

酒を飲んでいればバカ食いはしない。私にとって酒はドカ食いを防ぐための避妊具?みたいなものなのだろう。

この日、確かに何かが壊れていた。炭水化物の王道のようなものばかり1日で5食分も摂取してしまった。

でも、これを書いていて思ったのだが、若い頃に比べれば小食になったと思う。初めて一人暮らしをした20代半ばの頃、出前を頼む妙な高揚感が病みつきになって、休みの日には昼も夜も3人前ぐらい注文して、毎度毎度すべて完食していた。

あれに比べれば屁のカッパである。

刑務所に1年ぐらい収監されれば、きっとスマートなイケメンになるのだろう。でも、悪いことをする予定はないので、今後も酒とメシという煩悩の海をさまよい続けるのだろう。

ごめんよ、オレの内臓達・・・。

2014年2月28日金曜日

色気


28年前の映画「夜叉」のヒトコマである。全盛時の田中裕子である。静止画だと分かりにくいが、ひっくり返りそうなほどの色気である。

色気に圧倒された。

高倉健主演のこの映画、円熟期の健さんのカッコ良さも相当なものだが、田中裕子の空気感が独特で、ストーリーよりもそっちばかり気になってしまった。

YouTubeで検索すれば断片的にこの映画の名シーンが出てくるので、お暇な方は覗いてみることをオススメします。

田中裕子が大ブレークしたのは、この映画の2,3年前、チューハイのテレビCMだったと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=80CBhHMydPQ

http://www.youtube.com/watch?v=0XEZ0c5uBCw

今は亡き大原麗子のウイスキーのCMとともに、田中裕子のチューハイCMは酒広告の歴史的傑作である。

ここ数年、人気女優を起用した角ハイボールのCMが人気を集めているが、往時の大原麗子、田中裕子に比べちゃうと、まだまだである。

「タコが泣くのよね~」とか田中裕子がフニャフニャ言っていた当時、学生だった私は、彼女の良さがちっとも理解できなかった。

若さって悲しい。あの色気にピンとこなかったのだから、まだまだ男性としてヨチヨチだったのだろう。

あの頃のオトナたちが田中裕子を猛烈に支持していたことが今になって凄く理解できる。



健さんの妻役のいしだあゆみと、ビミョーなサヤアテを繰り広げる場面の表情も良い。その下の画像は、健さんと初めてヤッちゃったあとの表情。このあと、健さん、シンボーたまらん状態になってもう一回する流れになる・・・。

テレビ画像をパシャパシャ撮影したくなるほど映画の内容そっちのけで見入ってしまった。

さてさて「色気」である。

なんとも定義が難しい言葉だ。エロとは別次元のものだ。エロ大好きな私だが、女性の色気も当然大好きである。

ついでにいえば、私自身も色気を感じさせる男になりたいと常々思っている。

色気。滲み出てくる空気感とでも言おうか。露出や態度ではない、具体的な性的行動でもない。存在から漂う魅力である。

色気があるかないかは、大人の異性が面と向かえばわずかな時間で察知できる。本能のアンテナが反応する分野である。

女性の場合、着るものや髪型、化粧の仕方ひとつで、パッと見は「色気的なもの」を醸し出すことは簡単だ。それはそれで結構だが、本質的な色気は、そうした上っ面ではなく、まさに滲み出てくるものだと思う。

男女ともに色気を高めるために必要なのは、やはり「余裕」だろう。ドタバタする、あたふたする、ピーチクパーチクやかましい、ガチャガチャと落ち着きがない等々、色気のない行動パターンは、結局、余裕がないことが原因だ。

余裕があれば、ゆったり構えていられる。色気にはユッタリ感が不可欠である。ゆったり構えていられれば、自分のことだけでなく、相手に対する気配りも生まれる。

空気を読んで的確な気配りが出来る人は必然的に魅力的な人物だろう。まずはここをクリアしないと「大人の色気」にはつながらない。

適度な余裕や的確な気配りだけなら、該当する人はいくらでもいる。これにもう一つ、大事な要素が加わると「色気のある人」になるのだと思う。

その要素とは、「異性から異性として見られたいと思うか、また、それを日頃から強く意識しているか」という感性だと思う。

単純なことのようで、年を重ねると意外に実践できなくなる。女性はいくつになっても蜜蜂を誘う花であるべきだし、男だって、年を取っても女性から警戒されるようじゃないとダメだと思う。

男女を問わず、何歳になろうとも現役でいようとするモチベーションを維持することは大事だ。若いのに男を卒業しちゃったような無頓着すぎるヤツからは色気は出てこない。

女性も同じ。たかだか30~40代で、「オンナ卒業」みたいなズボラな感覚で生きている人が結構多い。もったいないことである。

今日は絶頂期の田中裕子について書こうと思ったのだが、話がウザったい方向に飛んでしまった。

映画「夜叉」では、雪降る港での健さんと田中裕子のまったりしたシーンにシビれた。

突然の訪問に驚く健さんに田中裕子が色っぽくささやく。

「会いに来たらアカン・・? 
 会いとうて・・・
 もう ふたりきりで・・・」

さすがの健さんもイチコロだったようで、その後、入れ墨姿をさらしながら後先考えずに昼間っからヤッてしまうという流れになる。

http://www.youtube.com/watch?v=Bkk0LYrMhYA

ケナゲな妻である「いしだあゆみが気の毒」な展開だった。でも、あんな誘われ方をしたら、どんなカタブツ男でも煩悩の火を消すことは無理だろう。

さてさて、現実社会に、あんなふうに穏やかで優しくて色気があって、ちょっと痴的な女性はいないもんだろうか。

私の場合、もしそんな人に出会ったら、舞い上がっちゃってフニャフニャデレデレになりそうである。健さんのようにボーッと黙って相手からホレられるような態度はとれそうにない。

だから私の場合、「色気のある男」にはなれないのだろう。修行が足りない。

刺青を入れて無口な漁師になってみようか・・・。

無理である。

2014年2月26日水曜日

新宿という魔界


職場のある池袋のことを、このブログでは散々悪く書いてきたが、先日、池袋にホレてしまう事件があった。

とある日の夜、会社前の明治通りからクルマに乗る際にマフラーを落としたことに後になって気付いた。落としてから5時間も経った深夜、帰宅途中に念のため現場に戻った。

あるわけないだろうと思ったが、かなり高価なマフラーだったし、一応キョロキョロしてみた。

驚いたことにすぐに発見。現場横の蕎麦屋のノレンに巻き付けられているではないか。「なんてこった池袋!」である。

いやあ、この国はホントに良い国である。道に落ちていたマフラーなど無視して通り過ぎるのが普通だろう。

それをわざわざ拾い上げて、汚れない場所に結んでおいてくれる人がいる。何たる道徳観念の高さ、何と人情味あふれる国民性なんだろう。

美談?の現場である池袋を親の仇のように罵倒していたことを反省しないといけない。池袋バンザイである。

さて、東京の怪しい街といえば、池袋、いや新宿である。魔都・新宿だ。やつあたりみたいな話の展開だ。。。

池袋あたりじゃコソ泥とか変質者とか、ラリったオッサンあたりが「悪者地図」の主役である。たぶん・・・。

でも、新宿はそうはいかない。本物の殺し屋とかがゴロゴロ歩いていそうな気がする。

本格的な悪者が闊歩するようなイメージだ。池袋が日本のプロ野球だったら、新宿はメジャーリーグみたいな、そんなスケールの違いを感じる。

新宿に思い入れがある人、ゴメンナサイ。あくまで私的な思い込みです。

繁華街としての歴史や規模でいえば日本最大級である。全国に勇名をとどろかせている凄みがある。

以前、新宿区内のちょっとした住宅街に住んでいたのだが、旅先で宿帳に住所を書いたら「新宿って人が住めるんですか!?」と驚かれた経験がある。

そのぐらい凄み?があるわけだ。

で、何を書こうとしてたんだっけ。。。

そうだ。大繁華街なのに洒落た店とか接待とかデートに使えそうな店が見つからない話を書こうとしていた。

というわけで、ある日のこと。新宿でそれなりの夕飯を食べる機会があって、しばし店選びに難儀した。

歌舞伎町をウロウロして銃殺されるのはイヤだし、結局、ホテルメシという結論になる。

この日は最古参・京王プラザに出向いた。昔は広大な西新宿の原野?にこのホテルだけがニョキッと建っていた。昭和40年代のそんな光景をかすかに覚えている。

京王プラザの登場は戦後の高度成長期を象徴するひとつのシンボルみたいな感じだった。子ども時代には家族で食事に行ったり、なぜだか泊まったこともあった。

人気俳優・沖雅也がここから飛んじゃった時の衝撃も鮮明に覚えている。少年の頃、時々顔付きが似てると言われてコッソリ喜んでいたのに、その後、次々に出てきた「養父」とのスキャンダルのせいでイメージが激変。おかげで私も変なアダ名を付けられたりした。

さて、京王プラザといえば中華料理の「南園」である。有名料理人の多くがここ出身だと聞いたことがある。

仰々しくはないし、安っぽい感じもない。中高年にとっては居心地が良い雰囲気である。料理を取り分ける小皿も常に温かい状態で供されるし、質の高いサービスも大人向きである。

何もしないくせにサービス料を10%も取る店がゴマンとあるなか、成熟した老舗ホテルレストランは一味違う。しっかりしている。そういう部分はもっと評価されていいと思う。



そんなことより料理である。さすがに全部美味しかった。前菜から魚系、肉系、御飯モノ、デザートまでバッチリだった。

丹念に味付けがチェックされている感じ。やっつけ仕事みたいな要素はまったくない。一言で表わすなら丁寧。これって大事なことである。

ウヒョーって歓喜するようなウマさではなく、ゆっくりうなずきながらニッコリするウマさだった。


この画像は海老の塩卵炒め。カニ玉や天津丼とかのアッチ系の卵と海老が合わさった料理かと思って注文したのだが、まったく違った。塩漬けにされてカラスミにも似た雰囲気の海老の卵でプリプリの海老が調理されている。

酒飲みにはバンザイ!の味だった。こういうニクい料理を求めて、見知らぬ一品をオーダーすることが中華レストランの楽しみ方だと思う。

新宿には洒落た店、デートっぽい店が無いことを嘆いたが、西新宿エリアに行けばホテルメシの選択肢は豊富である。歓楽街としての魔都の顔の他に、そういう懐の深さを兼ね備えていることがあの街の強みである。

やはり池袋とは別次元である。比べること自体に無理がある。

それにしても、池袋と新宿について一生懸命考察している私は一体何をしたいのだろう・・・。

2014年2月24日月曜日

バリ島の潜水事故


連日ニュースで取り上げられたインドネシア・バリ島の潜水事故。漂流した女性7名のうち、5名が奇跡的に生還した。

私が一番好きなリゾ―ト地がバリ島だ。これまで10回以上は潜水目的で出かけた。広い島のアチコチにダイビング適したエリアがある。

今回事故が起きたのはバリ島の東側の沖に位置するヌサペニダ周辺の海域。個人的には15年ほど前に一度潜っただけだ。いつも別なエリアで潜っている。

理由は単純。あのエリアの海が怖いから。それだけ。

当時からそこそこの潜水キャリアはあったが、非常に危なっかしいポイントだと感じて、それ以来何度バリ島に行ってもヌサペニダ周辺は避けてきた。潮流は複雑で、水温の変化も激しく、以前から潜水事故が起きていることも聞いていた。

とはいえ、バリ島のダイビングエリアの中で特に人気の場所でもある。観光シーズンにはレジャーダイバーが連日押し寄せる。初級者レベルのダイバーもコンディションによっては潜っている場所だ。

そういう点では今回の事故はアンラッキーではある。でも、知る人ぞ知る複雑な潮流のポイントだから、他のエリアよりもトラブルのリスクは高かったのだろう。

私の場合、じっくり水中写真を撮影したいから、流れに身を任せるドリフトダイビングはあまりやらない。ラクチンだけど、小さい魚をじっくり撮ることは無理だし、大物に遭遇しなかったら退屈だからいつもパスしている。

激しい潮流は、どんなに経験を積んだプロダイバーだろうとまったく歯が立たない。海猿レベルだろうと関係ない。自然の力は圧倒的だ。何といっても流れ自体が目に見えないから不気味だ。

水面や水底は流れていないのに、中層だけ激流という不思議なケースもある。もう20年以上前だが、モルディブで潜っていた時にこのパターンにやられて私一人だけはぐれてしまったことがあった。

水面に浮上したらダイビングボートは、はるか彼方に停泊していた。運良く、ベタなぎ状態だったから、すぐに見つけてもらって問題はなかった。

パラオで潜った時も似たような経験をした。激流にあっという間に身体をもっていかれた。

当時は、はぐれた時に水面で見つけてもらうためのフロートを持っていなかった。仕方なく、足ヒレを外して頭上に掲げてボートに見つけてもらった。

バリ島の事故では漂流したダイバーはフロートを揚げていたのに発見されなかったそうだ。ちょっと信じがたい。余程コンディションが急変したんだろうか。

ボートの船長が警察に逮捕されたから、無責任にいなくなっていたという見方も出ている。そうだとしたら人災だ。被害にあわれた方々がお気の毒で仕方がない。

今回の事故では、現地のダイバー有志も必死に捜索活動に当たり、その結果、5人が救出された。救助チームのまとめ役としてニュースにも登場していた女性インストラクターは私が以前バリ島で何度もお世話になった人だ。

非常に真面目で慎重なベテランインストラクターの彼女が話していた内容から察すると、事故に遭ったダイバーグループが無茶なことをした可能性は低い。

やはり、突発的な天候急変などの不運が重なった末の悲劇だったのだろう。すなわち、どんなレベルのレジャーダイバーにも起こりえる事態だ。

私の場合、幸か不幸か、漂流までは至らなかったが、モルディブとパラオでの「流され体験」のおかげで、潮流が単純に一定方向に流れるようなポイント以外ではドリフトダイビングを避けるようになった。

結果、もうずいぶん長いこと大物に遭遇するダイビングには背を向けたことになった。自分で選択したスタイルだから時々ジレンマも感じる。でも、やはり海は怖いし、のんびりまったり潜ってる方が性に合っている。

今まで、なんとか無事に過ごせてきたのもこの選択がすべてだと思う。世界のどこのダイビングショップも、こっちがベテランだと知ると、深場で流れも強いダイナミックなポイントに案内してくれようとするのが普通だ。若い頃はそうした場所にもガンガン潜ったが、ここ10年、いや15年ぐらいは穏やかなポイントを中心に潜っている。

ハードなポイントに行きたいなあと思ったこともあったが、いつもパスしてきた。チキンダイバーみたいだが、たいてい一人旅だったし、言葉もろくに通じないガイドダイバーとのやりとりも面倒だったし、何かと緊張を強いられてきたから、水中で強いストレスを受けるようなことはなるべく避けてきた。

水深も自主規制している。過去にボルネオの海の水深23メートル地点でトラブルを起こして、本気で怖かったことがあった。ダイビングをやめたくなったほど恐怖を感じた。一応、ディープダイバーライセンスも持っているが、それ以降、基本的に自分のMax水深は初級者に毛の生えた程度の23メートル程度を目安にしている。

もし私に気心の知れた潜水仲間がいて、いつもそのメンバーと一緒に出かけていたら、きっとこんな呑気なスタイルで潜ってはいられなかったのだろう。あまり社交的じゃなくて良かったのかもしれない。

ダイビングではとにかく流れが一番厄介だ。流れが複雑なところでは、タチの悪いダウンカレントが発生することもある。文字通り、上から下への流れだ。

これが強いと、足ヒレで頑張ってキックしても身体が上に行かない。口から吐く泡は普通は上に向かうのだが、真横に流れたり、激しいときは下に向かって泡がこぼれる。

少し横方向に移動するだけで、突然流れがないエリアに逃げられることもあるのだが、さすがに慌てるし、ちょっとしたことでパニックを起こしそうになる。

厄介極まりないが、魚群や大型の魚は流れがある場所に集まるので、どうしてもリスクは避けられないわけだ。でも、予想外の流れには絶対勝てないし、外洋ポイントで漂流しちゃったら絶望的である。

ダイビングに慣れてくると激流ポイントに大物を見に行きたがる人は多いが、場所が場所だけに、何かあったらシャレでは済まないことは再認識したいものだ。

私自身、そろそろ南国での潜水旅行を企てようとしていたので、今回の事故を教訓にして臆病すぎるほど臆病になってプランを考えようと思う。

2014年2月21日金曜日

寂しき海老フライ


揚げ物。こう書くだけでヨダレが出てくる。「パブロフの犬」状態である。

若い頃の不摂生のツケで逆流性食道炎に困らされている私としては、揚げ物は禁断の味である。

禁断とか言いながら割としょっちゅう食べている。持病が無かったら一体どれほど食べてしまうのだろう。

何年か前に、とある女性の歓心を得ようとハッスルして、結局、フードファイト?状態になったことがある。

トンカツ専門店でのこと。ヒレカツ、ロースカツ、メンチカツ、カキフライ、その他諸々、やたらめったら注文して、最後のほうは二人とも無言で食べるはめになった。

私にとっては揚げ物はスーパースターみたいな存在だが、相手にとって好みで無かったのなら地獄の行軍みたいな話である。


この画像は、先日、ディープタウン・池袋のやきとん屋「木々屋」で食べた「レバカツ」である。半生のレバーが揚げられている。ひと噛みした瞬間、全身に稲妻が走った。

生きてて良かったと思う味だった。揚げ物のせいで胃酸が逆流して食道が焼けようが、レバーの食べ過ぎで尿酸値が急上昇しようが、これだけウマければOKである。事前に太田胃散、食後に制酸剤ネキシウムを飲んで対処する。

油で揚げる調理法自体は奈良時代ぐらいからあったらしい。その後、植物油の普及で一般化し、江戸時代の天ぷら文化に結実する。

その後、パン粉で揚げる「フライ」が登場、文明開化でトンカツやコロッケ、メンチカツなどにつながっていく。

そう書くと「文化を食らう」みたいな高尚な感じがする。どんどん食べれば文化的な人間になれる気がする。


揚げ物といえば、私にとってはトンカツが王様だが、なぜか今年に入ってから私の心をやたらと揺さぶるのが「海老フライ」である。

時々、お寿司屋さんでも生きた車海老をフライにしてもらうほど好きだが、このところ、どうも偏愛状態である。海老フライの精霊が私に宿ったかのように常に頭の中に海老フライが浮かんでいる。

謎である。

先日、度胸試し?に入ってみた「ゴーゴーカレー」でも海老フライをトッピングした。カレーのルーで食べるのかとヤキモキしたが、一応タルタルソースも用意されていた。

カレーもウインナーも御飯も美味しくなかったが、海老フライはウマかった。

前々から感じていたのだが、海老フライってどこか寂しいイメージがないだろうか。だいたい、あんなにウマいのに専門店を見たことがない。なぜだろう。トンカツ屋の余興みたいな位置付けである。


この画像の一品もビミョーである。某洋食屋でドライカレーのバックダンサーのような扱いを受ける海老フライである。突き刺さっている。その姿に尊厳はない。色モノ扱いされているようで不憫である。

海老フライは洋食屋におけるレギュラーメニューだが、あの世界ではビーフシチューとか、ハヤシライスあたりのデミグラスソース系が主役だ。

揚げ物に脚光があたる時でもカニクリームコロッケとか肉汁タップリのメンチカツに注目が集まり、海老フライがスター扱いされることは希だ。

「寂しき海老フライ」。ゆゆしき問題である。国民みんなで今後の海老フライの在り方について検討する必要があるのではないだろうか。


この画像もトンカツ屋のサイドメニューである。高田馬場の名店「成蔵」の海老フライ。軽めに揚がっていて海老の甘さもしっかり感じられて絶品。高級洋食屋もビックリのウマさである。

一本からサイドオーダーできるが、私が注文する場合は当然2本である。メインのトンカツより先に持って来るように頼む。こいつが出来るまでは水すら口に入れず沈思黙考。ひたすら待つ。

そして、揚げたての海老フライ様が運ばれてくると同時に生ビールを持ってきてもらう。禁欲的に待っていたストイックな姿勢がいよいよ幸福につながる。レジェンド・葛西選手の銀メダルのように待ち望んだ喜びが爆発する。

タルタルソースにちょこっとソースも混ぜてグワッシと海老フライに噛みつく。喉を通り過ぎたかどうか微妙なぐらいのタイミングで、待ってましたの生ビールをグビリである。

その瞬間、全世界を相手に勝利を収めたような気分になる。金メダルの表彰台に上った気分だ。

ひとしきりそんな喜びを味わった後でトンカツを食らう。まさに人類の叡智だ。緻密に計算された一大スペクタルショーである。揚げ物のある国に生まれて良かったと実感する瞬間である。

それが私の「揚げ物黄金律」だが、このところ急浮上してきた「海老フライ偏愛路線」が、王者トンカツの地位を危うくしそうな気配である。

老舗洋食屋に行って気の利いたオードブルでシュワシュワか何かをグビグビして、小皿サイズの濃厚なベシャメルソース系の料理につなげる。そしてメンチカツを中盤の口直しに投入して、最後に海老フライを選ぶ。

ウッシシな展開である。

日々、そんな妄想ばかりしている。海老フライに取り憑かれたみたいだ。

私が職場のパソコンに鬼気迫る形相で向き合っている時は、たいてい「ウマい海老フライの店」を探している時である。

今年、私は海老フライを100本ぐらい食べる気がする。

2014年2月19日水曜日

白い東京 ペニンシュラ

雪で大迷惑の2月である。ちらちら舞い始めて、木々がうっすら雪化粧する程度なら風情があって良いが、今回のドカ雪は迷惑の一言。

でも、思わぬ収穫が一つあった。迷惑積雪のおかげでスマホでタクシーを呼べるアプリを使い始めたのだが、これが実に便利。

自宅マンションの車寄せまで来てくれるし、GPS機能のせいで、かなり正確な到着予定時間まで通知される。便利な時代になったものである。

1度目の大雪の時は、なぜか激しく雪が降っているのに、娘が私の住まいに遊びに来ると言い張るので、雪の中を迎えに行き、夜になって雪の中を送り届けた。

送り届けたはいいが、その後、暴風雪状態になって、電車が止まったりして散々な状況になった。雪中行軍みたいになってしまった。


別な日、子ども二人を連れて杉並区の実家に出かけた。庭にドカンと雪が残っていたので、今度は息子を雪遊びさせようと画策した。離れて暮らしているせいで、会う時には妙にハッスルしてしまう。常にヘトヘトになる。

雪合戦である。しかし、投げつけた雪がヤツの首回りに命中し、服の中まで濡れてしまい、ヒーヒー泣かれてすぐに合戦終了。結局、近隣の散歩ばかりさせられるハメになった。ダウン症の子どもは体質的にシモヤケになりやすいそうなので、スパルタ雪合戦は無理みたいだ。

思ったようにはいかない。

翌週、二度目の大雪の時には、天気予報が外れて、都心部は思った以上の積雪に見舞われた。いろいろ用事があったのだが、あらかじめ帰宅困難者になることを想定してホテルを取るハメになった。

同じ事情の人は多かったみたいで、手頃なホテルは満杯。泊まろうと思っていたホテルも全然ダメで紆余曲折を経て有楽町のペニンシュラを確保した。富豪だからそんなところを取ったわけではない。基本的に外資系ホテルは苦手なのだが、その手のお高いホテルしか取れなかったのが実情である。



チェックインの際、予約していたはずの喫煙部屋がオーバーブッキングでいっぱいだとフザけたことを言われた。「じゃあキャンセルするで~」と怒ったら妙に立派な部屋にアップグレードされる。最初からそうすりゃいいのに間抜けな対応である。

それにしても、あの日、東京のホームレスはどこで眠ったのだろう。真っ白な都会の景色を眼下に眺めながら妙に気になった。

深夜、オリンピック中継を見る。羽生選手の金メダルを生中継で見られた。この日のことは「暴風雪のペニンシュラ」ととともに私の記憶に残ることになった。

さてさて、雪の思い出といえば、やはり若い頃のことばかりだ。

スキーはまったくやらなかったクセに、高校、大学の頃は悪友達とスキー旅行に何度も出かけた。

温泉に浸かって酒飲んでワイワイバカ騒ぎ。昼間は寝ているか、時々そり遊びをする。普通の服、普通の靴でスキー場に行ってたのだからモノ好きである。

女の子グループなんかも一緒だったので、チャラい若造だった私としては、スキーに興味が無いのにニコニコ参加していたわけだ。

何日も滞在していると、毎日一人ぐらいはスキーをサボる女子もいる。そうなれば暇を持て余す私の出番である。冬眠を忘れた熊のように頑張ったりしていた。

「若さ」と「バカさ」が同義語だったあの頃、エネルギーが有り余っていたのだと思う。

大学生の頃、当時はまだマイナーだった四輪駆動車にハマり、冬が来ると雪道踏破にハッスルしていた。

4輪にチェーンを装着すれば、かなりの悪路もヘッチャラなので、わざわざ雪深い場所に出かけて秘境の雪見露天風呂を楽しんだり、人のいない大雪原でコーヒーを沸かしたり、アマノジャクの極みみたいな時間を過ごした。

都心に雪が積もると自慢の四駆でウロウロ走り回り、脱出不能な車を牽引して、謝礼を稼いじゃったことも何度かある。

アクティブな若者なら、雪といえばスキーにスノボって感覚なんだろうが、私の場合は、「雪イコール温泉」である。

雪見の露天風呂こそ、日本最上級の風流の世界だ。今までも何度も出かけた。近場の群馬あたりにイソイソ出かけ、イメージ通りの「渓谷、川、ドカ雪」みたいな背景を眺めながら極上の湯浴みを楽しんでいた。

わざわざ北海道まで行って「海、カモメ、雪」という演歌みたいな状況で温泉を楽しんだことも何度もある。

顔だけ冷たい雪見露天はのぼせない点が最高である。演歌以外にはいつもレミオロメンの「粉雪」を口ずさむのだが、サビの「こな~ゆき~」という部分しか歌詞を知らないので、常にその四文字以外は鼻歌になってしまうのがストレスである。

また話は変わる。

15年以上前だっただろうか。京都・大原の雪景色が自分史上、もっとも印象的な雪だったかもしれない。

大阪に出張で出かけた時のこと。出張といっても、講演会でちょろっと話をするだけだったので、細かいスケジュールに縛られていなかった。

天気予報を見たら京都は雪。本来の用事をサクッと済ませて京都に向かう。駅前でレンタカーを借りて、明るいうちに大原に着いた。

平日、遅めの午後。三千院に人はいない。雪に埋もれる境内を歩き、高名な画家がどんなに頑張っても描けないような美しい景色の中に身を置いた。

静寂のなか、時折ばさっと木々に積もった雪が落ちる音だけが聞こえる。幽玄の世界そのものだった。あんなに美しい雪を見たのは、それ以前もその後もない。

あの時、もし恋仲の女性を連れていたら間違いなく詩人になっていたはずである。いや、意味もなく心中しちゃったかもしれない。

それほどこの世のものとは思えない光景が広がっていた。いつかまた好きな人を連れて行ってみたい。いや、心中しても困るからやめておこう。

その頃、自己満足に過ぎないヘタな短編小説を書いたことがある。南国ミクロネシアの小さな島の空港で、星空を見上げていた主人公が、雪が降り積もる錯覚を見るという意味不明な話だった。

雪を描写する際に、京都で体験した神がかり的な雪景色を参考にした。ほぼ完成していたのだが、いつの間にか原稿自体を紛失してしまった。ちょっと残念である。

まあ、紛失したからこそ、自分の中で都合良く美化しちゃってる部分もある。ひょんな時に見つかって読み返したらゲンナリするはずだから良しとしよう。

今年、東京はまだ雪に見舞われる可能性があるらしい。迷惑な話だが、せっかくだから画期的な時間になるように企てたい。

何年か後に大雪になった時、今年を振り返って「○○で△△と一緒に過ごしたなあ・・・」などと懐かしくホッコリした気持ちで思い出せるような雪の時間にしたいものだ。