2018年10月17日水曜日

子どもに学ぶ 油そば


この歳になると食べたことがないモノが減ってくる。食い意地が張っているほうだから結構いろんなモノを食べてきた。逆にいえば、未知の食べ物はほとんどが「食べたくないもの」である。

「油そば」という看板をよく見かける。凄い名前だ。若い頃ならいざしらず、今はちょっとゴメンだ。名前が無気味すぎる。

でも、食べてみた。「東京油組」というコワい名前の店に行った。泥酔していたからではない。娘に無理やり連れて行かれた。


高校生の娘は時々食べるらしい。「そんなもんウマいはずないだろ!」という父の意見は抹殺され、仕方なくノレンをくぐった。

恐る恐る食べた。悪くない。いや、悔しいけど美味しい。結構モリモリ食べてしまった。名前ほどには油っぽくなかった。アッサリと言ってもいい。


こっちがグチャグチャかき回した後。見た目はともかく実際の味はちっともゲテモノっぽくはなかった。普通の汁なし麺である。

香港や中国で食べる麺といえば、日本人が思っている以上に汁なし麺が多い。店によっては汁麺のほうが少数派だったりする。

麺の味と食感がメインで、乗っけたおかずとともに味わうパターンである。考えてみればそういう食べ方は日本ではあまりポピュラーではない。

こちらの画像は香港のファストフード的な麺屋での一コマ。私自身、こんな感じの汁なし麺が大好きだから、油そばにすんなり馴染めたのかも知れない。


よく考えてみれば、うどんや蕎麦だって必ずしも汁に浸っているわけではない。釜揚げうどんなどは“汁なし業界”ではしっかりした地位を築いている。

ラーメンの場合、汁なしみたいな路線はつけ麺のほうにシフトしている感じだ。汁と麺をあえるようなスタイル、すなわち「あえ麺」というジャンルがもっと広まってもいい。

汁なし担々麺は割とよく目にするが、普通のラーメンの汁なしバージョンはあまり見かけない。ちょっと不思議だ。

そういうパターンはすべて「油そば」というヘンテコな名前で統一されているのだろうか。だとしたら人気が広がることはないような気がする。

「油そば」という名前だと、私のイメージではギトギトしたベトベト麺である。勝手な思い込みだが、中年以上の人なら馴染みがないからそう思う人は結構いるはずだ。

「あえ麺」といわれればピンと来るのだが、「あえ」という語呂が悪いのだろうか、漢字で「和え」だと読みにくいからだろうか。

今度、友人のラーメンブロガーに解説してもらおうと思う。

いずれにせよ、高校生の娘のおかげで縁のなかった初体験の食べ物にありつけたわけだ。“大人ブレーキ”のせいで未体験のモノを敬遠しちゃうのは正しくないと痛感した。

油そば。正直また食べたい。でも、その店は若者客しかいなかったから一人で訪ねるのも気がひける。また、娘に渋々連れられてきたフリをして行こうと思う。

別な日、娘と息子を連れて回転寿司に出かけた。子ども達が住む家から割と近い場所にある「がってん寿司」である。

お寿司自体は大好物だが、回転寿司に行く機会はなかなかない。子連れの時だけだ。イマドキの回転寿司はサイドメニューもやたらと豊富でビックリする。居酒屋とファミレスが融合したような感じだ。


回転寿司の楽しみは「邪道系握り」に尽きるだろう。普通のお寿司屋さんでは口に出すのもはばかられるような個性的メニューが揃っていて興奮する。

エビフライ巻き、ローストビーフ握り、舞茸天ぷら握りなどと聞くと、ドッヒャ~!と思う一方でワクワクする。

白身照りマヨ炙り握りなんてメニューもある。頭の中で現物がイメージできないスペクタルな感じが素敵である。


これはサーモンにアボカドとネギにマヨソースがかかっていた一品。邪道中の邪道である。でも単純明快にウマかった。

お寿司屋さんではいつも旬がどうだ、シャリがどうだなどとウザいことを言いたがる私だが、回転寿司に来てこういう未来寿司?を食べると気分がアガる。

子どものために注文したような顔をして自分でバクバク食べちゃう。追加する時だって「これもあれも頼んでやったからな」と恩着せがましく言いながら自分の興味本位でヘンテコな握りをオーダーする。

ハッピーである。離れて暮らす子ども達と食事していることを喜ばなければいけないのに、ジャンクな握りをムシャムシャ食べることに妙な幸せを感じた。

子どもっぽい食べ物が大好きなのに、カッコつけて我慢しちゃう場面は多い。子連れなら、子どものせいにしてバクバク食べることが可能だ。

ジャンクフードと私をつなぐという意味で、やはり「子はかすがい」である。

2018年10月15日月曜日

ライブまで1か月


10月も半ばを過ぎてしまった。いよいよあと1か月である。もったいぶった書き方をしたが、我がオジサマバンドのライブが1か月後に迫ってきた。

今年で7年連続で人様の前で歌う。いっぱしのキャリアだが、あの緊張感は独特だ。シレっとした顔でこなしているように見せているが、いつもテンパってしまう。開演寸前なんてほとんど脳ミソが白くなる。


今年は新バンドとしてのステージである。今までやっていた旧友2人と我が姪っ子で始動。その後、笛男さんが参加することになり、更にエレキ男さんも加わることになった。

昨年暮れから演目などを協議して今年の早いうちから遊びを兼ねてちょこちょこ練習してきたのだが、当初予定より遙かににぎやかな感じになってきた。

エレキ男さんはメンバーである旧友の新卒入社時の同期だ。笛男さんも別なメンバーの大学同期だ。要するにオッサンだらけ、いやオジサマ中心である。

23歳の姪っ子のおかげで平均年齢をどうにか下げているが、基本的には紛うことなきオヤジバンド、いや「素敵なオジサマバンド」である。

姪っ子は現在、就職した某特殊部隊?の新人訓練中で、参加できるか微妙だったのだが、9月になってからようやくスケジュールが確定して正式に参加が確定した。


エレキ男さんは有難いことに自ら我がバンドに興味を持ってくれて、これまた9月から急きょメンバー入り。

8月までは旧友トリオでアレコレ練習を重ねていたのだが、この2人のおかげで、がぜん様相が変わってきた。かなり本格的?に仕上がってきた。

姪っ子はキーボードとバイオリンといくつかのコーラスを担当する。今や強力な戦力として欠かせない存在だ。オジサマ軍団のムサくるしさを緩和する重要なポジションである。

私が以前にやっていたバンドライブの前座でも一緒に組んだ経験がある。もともと、大学時代はオーケストラ活動をしたり、いくつかのバンドを掛け持ちしていた絶対音感娘である。

最近では積極的にアレンジの提案もしてくれるようになった。ミュージシャンのフリをしているだけの叔父としては頼もしい存在だ。

叔父と姪という関係性も私には有利だ。ピアノも弾けてバイオリンもこなす人にエラそうに注文をつけるのは気がひけるが、そこは赤ちゃんの頃から可愛がってきた相手である。

「テキトーにイントロ考えて」、「そこんとこ、テキトーにコーラス入れて」といった乱暴なリクエストを出しまくっている。

「テキトーに」という指示が一番困るようだが、姪とは昔から仲良く交流してきたこともあって、渋々、いや、泣く泣く要求をこなしてくれている。

急きょ参加が決まったエレキ男さんは、いわゆる“腕っこき”だ。地元のライブハウスで頻繁にセッションに参加するなど、いわば場慣れしたギタリストである。

私のように1年に1度のライブでアタフタするようなタイプではない。キャリアが豊富だから応用力の高さが魅力だ。練習でも常にいろんな演奏を試してくれる。

あえてネタバレの話を書くが、エレキ男さんと某メンバーが2人だけで披露する「あんたのバラード」(世良公則&ツイスト)は絶品だ。エレキとアコギのめくるめく攻めぎ合いが素敵だ。練習で聴いてシビれた。

エレキ男さんには当初2,3曲だけ参加してもらおうかと考えていたのだが、その達人ぶりに一同脱帽し、10曲以上、というか、ほとんどの演目で何らかの形で絡んでもらうことになった。

このあたりがオジサマの柔軟性というか図々しさかもしれない。フルートを2,3曲担当してもらう笛男さんにも、練習のたびにみんなで無茶な注文をして困らせている。


今回はオリジナル2曲を含む15曲ほどの構成だ。曲順も決まったので、私としてはMC台本作りにも着手しなければならない。

フロントマンとしてはコレが一番大事だ。いや、キチンと歌うことと同じぐらい大事である。

お客さんとの一体感を出すためにはそれなりに工夫を凝らさないといけない。そろそろMCネタも絞る必要がある。

オリジナルメンバーとは専用の掲示板みたいなサイトで随分前からやりとりを続けてきた。でも音楽の話は半分ほど。残りは呆れるほどのくだらない話だ。ある意味でMCネタの宝庫である。

下ネタも多い。みんな疲れているオジサマだから、下ネタになっても「空砲」だの「不発弾」といった品のない!?言葉が飛び交う。そんなタイトルのオリジナル曲を作ろうと真剣に検討したりしてバカ丸出しである。

ベテランみたいな顔をして100人以上のお客様を前に演奏するわけだから、自前の曲が1曲も無いようでは大人バンドとして収まりが悪い。とはいえ、オリジナルが多ければお客様は退屈してしまう。

結局、オリジナルは、子を思う親の気持ちを描いた新曲と、旧友を偲ぶ友情の歌との2曲にとどめた。残りは中年世代になじみのある曲を多めに揃えた。

アリスや桑田さん、明菜ちゃんや森高、ドリカム、ゆず、松山千春、斉藤和義などのカバーを特訓している。

きっと楽しい宴会、いや、ライブになると思う。

覗きに来たいという有難い方がいらっしゃいましたら、コメント欄にその旨お知らせください。コメントは掲載しませんのでお気軽にどうぞ。会場は青山にある割と大きめのライブハウスです

2018年10月12日金曜日

龍勢 ラガヴーリン


 常に銘柄にこだわって酒を飲む人もいるようだが、私にはそこまでのマメさはない。大半の人がそうだろう。


大衆酒場に行けばホッピーか生グレサワーだし、お寿司屋さんに行けば、ボトルキープしてある焼酎か日本酒、銀座の夜の街ではナントカの一つ覚えでオールドパーを飲んでいる。

これから寒くなればお燗酒の出番である。「熱めの燗を1本ちょうだい」。これで済む。銘柄をアーダコーダと言われないのが良い。

お燗酒以外、すなわち冷酒を飲む際の私の唯一のこだわりが鮮度だ。馴染みの店では、開けたてなら何でもいいよ~と注文する。馴染みのない店なら300㎖の小瓶を頼む。これが安全策だ。

若い頃、仕事の関係で国税庁の管轄する日本酒の研究機関に出入りすることがちょくちょくあった。

抜栓して日数が経って劣化した味と口開けの味の違いの差を随分と教わった。そのせいでフレッシュこそ一番だと思い込んでしまっている。

客の回転が悪いようなテキトーな飲み屋で一升瓶の底の方に残ったマズくなっている部分を出されるのはゴメンだ。

保管の際にシュポシュポと空気抜きをしている店なら良いのだが、そんなのは少数派だ。有名銘柄だからといって、保存状態次第で味は大きく変わる。そのせいで、いつのまにか酒の銘柄はどうでもよくなってしまった。

先日、とある銀座のバーでナゼか日本酒を飲んだ。それっぽいバーではいつもマッカランのロックか、時々はボウモアのロックをチビチビやるだけなのだが、その日はマスターと酒談義する中で日本酒劣化問題で盛り上がったので、そんな展開になった。



同じ酒造会社が出している酒だ。「龍勢」と「夜の帝王」である。後者のネーミングはシュール過ぎてビックリだが、両方ともキレの良い正しくウマい日本酒だった。

マスターいわく「抜栓した後もかなり長い間、風味が落ちない酒」なんだとか。それが特徴だという。ホントだろうか。真相は分からないが、酒を商売にしている人が熱く語っていたから信じることにした。

バーで日本酒を頼む人もちょこっとはいるそうだ。もちろん、頻繁に注文されるわけではないから、マスターが気にするのは、やはり抜栓後の劣化問題だ。そういう状況の中で店に置かれている酒だから、それなりに違いがあるのだろう。


別な日、ラガヴーリンというウィスキーを飲んだ。シングルモルト好きには有名なアイラ・モルトの代表格の一つ。平たくいえば「煙っぽいヤツ」。スモーキーフレーバーである。

ピート香と呼ばれる独特の匂いが特徴なのがアイラ産のウィスキーだが、マニアではない私は、ボウモアぐらいしか飲まないから、ラガヴーリンは初体験。

酒の味なんてその時の気分によるところも大きいが、この日はやたらと美味しく感じて一気にファンになってしまった。

「煙っぽさ」という言い方をしたが、これって一歩間違えるとヨードチンキみたいな消毒液や正露丸の匂いみたいに感じる人もいる。

私もラフロイグなんかはそんなイメージがあってイマイチ好きになれない。ややマイルドなボウモアが無難だと思っているのだが、いろんな銘柄を試してみれば、好みも変わってくるかもしれない。

何事も決めつけちゃったり、知らないものに手を出さない保守的すぎる行動は、自分の視野が狭くなるだけだと痛感した。

ちなみにここのバーの店主は元国税職員という経歴。私の仕事はそっち方面に絡む部分があるので、名刺交換した際にやたらと我が社のことを懐かしがられた。

ムーディーなバーでしっぽり飲むつもりなのだが、顔を出すたびに、昨今の税務行政や税制の課題について語るヘンテコな時間を過ごしている。

2018年10月10日水曜日

烏骨鶏と銀座の夜の出前の話


若い人達にとって、いまや食べ物画像は“映える”かどうかがポイントらしい。私は若い人ではないので、今日はさりげなくウマかったものの話を書く。


卵かけご飯、すなわちTKGの極上バージョンである。ご飯に生卵をかけただけだからシンプルの極みだ。でも、そこは富豪記者ブログである。

1個500円のタマゴだ。烏骨鶏である。金額だけは“映え~”である。1年に1度ぐらい気が狂って?買ってしまう。私の悪いクセである。

普通のタマゴが20個ぐらい買える値段だ。味のほうも20倍ウマいならともかく、正直に言うと、ちょっとだけ美味しい程度である。



なぜ買ってしまうのだろう。

おそらく、TKGという淋しげな食べ物を一人で食べるショボくれた感じを払しょくするため、烏骨鶏というブランドの力を借りるのだろう。我ながら御苦労なことだ。


お気に入りの専用醬油を普段より少なめにポタポタ垂らして、卵の味が薄まらないように気をつける。ご飯も当然炊きたてである。

TKGごときにそんな細かい配慮をすることで、ショボくれたイメージはなくなる。見た目はともかく、私の心の中ではゴージャスな一品に変身である。

烏骨鶏は全身真っ白や真っ黒なんだとか。その昔、中国では霊鳥として大事にされたらしい。そんな有難い話も頭に入れておけば、がぜん気分も上がる。

エンゲル係数的にはバカみたいだが、喫茶店でコーヒー飲んでも500円オーバーはザラである。そう考えたら安いものだ。

話は変わる。

夜の銀座で知らない人はいない名物が「みやざわ」のサンドイッチである。8丁目の洋食屋さんというか喫茶店のような小さな店なのだが、界隈のクラブやバー、スナックへの出前で有名だ。


もはや文化財的な存在といっても過言ではない。普通のサンドイッチなのだが、本気で美味しい。なぜだかは分からない。

アゲアゲ気分で飲んでいるせいでそう感じるのだろうか。いや、冷静に食べても実にウマい。

特に人気なのがタマゴサンドだ。優しい味わいで何個でも食べたくなる。でも、いつも気取って飲んでいる間にオネエサン達にかっさらわれて一切れぐらいしか食べられない。


パニーニとかベーグルだとか、よく分からない名前のオシャレ系?が世の中でデカい顔をしているが、「みやざわ」のサンドイッチに比べれば小僧みたいなものだ。意味不明でスイマセン。

まあ、昭和人である私にとって「みやざわ」のサンドイッチは長嶋茂雄みたいなものである。これまた意味不明だ。

出前じゃなくて直接お店に行ってワンサカ食べればいいのに、なぜかそういう気にはならない。

「出前してもらってこそウマい」。きっと背徳感のような気持ちが絶妙な調味料になっているのかもしれない。

2018年10月5日金曜日

たかが蕎麦、されど蕎麦


本格的な蕎麦をあまり食べなくなったのはいつ頃からだろう。東京生まれの東京育ちである私にとって、うどんやラーメンより蕎麦のほうがソウルフードである。

「蕎麦屋で一献」は江戸っ子の基本姿勢だが、ここ数年、蕎麦に対するモチベーションが上がらない。

きっと、「ゆで太郎」のせいである。時々、東京のアチコチにある「ゆで太郎」に行く。普通に美味しい。いや、ちゃんと美味しい。街場のヘタレた蕎麦屋よりよっぽど美味しい。

ここ10年ぐらいで急に増えた気取った店構えの小洒落た蕎麦専門店よりもウマいと思うこともある。

ゆで太郎という安直(失礼!)な店でウマい蕎麦が食べられるわけだから、古武士みたいな顔をしたオヤジがやたらと仰々しくもったいぶっている専門店で食べるのがイヤになっちゃったのかもしれない。

ゆで太郎、恐るべしである。

もちろん、職人技を突き詰めたような名店の蕎麦がウマいのは分かる。私も一昔前まではそんな店にちょくちょく足を運んだ。

山梨の長坂にある名店「翁」まで蕎麦好き達と日帰りで食べに行ったこともある。荻窪の「本むら庵」にも年に何度も足を運んだ。会社から近い雑司ヶ谷の隠れた名店「和邑」にもちょくちょく出かけたのに最近はすっかり蕎麦から縁遠くなってしまった。

ゆで太郎、恐るべしである。しつこいか。

というか、何事においても感度が鈍くなっているのだろう。飲む酒を選ぶ時もそうだが、若い頃よりこだわりが無くなってきた。

食べ物や飲み物、店選びや着る物だろうと、そこそこ以上のモノなら何でも良くなっている。肩の力が抜けたといえば聞こえはいいが、自分の中の鋭さが錆びてきているようだ。

もっと鋭くならないと。どこからかそんな声が聞こえてくる。あまりヌルいままだと老け込んでしまいそうで要注意である。

ちなみに、蕎麦に日本酒といえば、大人の嗜みの最たるものみたいなところがあるが、私の場合、体質の関係か、蕎麦と日本酒をセットで飲むと気持ちが悪くなる欠点がある。

だから蕎麦屋で飲む時は焼酎専門だ。麻布にある「更科堀井」の名物・蕎麦焼酎の蕎麦湯割りなんかは最高だ。でも、ここにももう3年ぐらい行っていない。


ゆで太郎、恐るべしである。

先日、銀座のオネエサンと食事をする機会があった。長い付き合いだから義理みたいな同伴出勤である。別に食べたいものが浮かばなかったため、オススメだという蕎麦割烹に連れて行かれた。

8丁目の「流石Le蔵」という店。2丁目にある人気蕎麦店の姉妹店らしい。場所柄、同伴客にもウケの良さそうな雰囲気。やたらとワインメニューが豊富なあたりがイマドキっぽい。

蕎麦にワイン・・・。昭和人である私には単なる謎である。


蕎麦以外の一品料理がなかなか良かった。つまみセットみたいな気の利いた盛り合わせもあって、蕎麦味噌のような酒好きを喜ばせる酒肴もある。

炭火焼きメニューも豊富で、この日は羊と鶏を注文した。上質な肉を使っていたし、焼きも丁寧。とてもウマかった。



蕎麦屋で飲む際の王道の一品である「そばがき」も頼む。何だかババロアみたいな一品が出てきた。私の知るそばがきとは異質すぎた。ちょっと苦手。

で、シメに蕎麦を注文する。一品料理の質が良かったから、久しぶりに無言でうなってしまうような蕎麦を期待する。

結論としては、普通だった。更科のような白っぽさではなく、田舎蕎麦のような濃い感じでもない。王道といえば王道だが、さほど特徴的な感じはなかった。私の期待が大き過ぎたせいだろう。

蕎麦湯はドロドロで良かった。程よい質感の隠れ家的料理屋でシメに蕎麦をちょろっと味わうという使い方には良い店だと思う。


綺麗どころを前に、あまり食べ物のウンチクを語るのもヤボである。それ以前に、私自身がそこそこウマければ何でもグダグダ言わずに食べるような鈍感太郎になりつつあるわけだから、その場が楽しければ充分である。

そして、御勘定を終えて店を出た時、あの言葉が私の脳裏に浮かんだ。

ゆで太郎、恐るべし。

そういうことだ。

2018年10月3日水曜日

ホテルの時間


泊まるわけじゃなくても、何気なく使うのがホテルだ。食事やお茶、バーも使うし、待ち合わせ場所にすることもある。

ホテルで過ごす時間は、どこかゆったりした気分になれるから好きだ。私自身、帝国ホテルやパレスホテル、第一ホテルのカフェなどは商談や軽い打ち合わせでも使う。

喫茶店よりやたらと高いが、そこはショバ代であり雰囲気代が加算されるから仕方がない。

ちなみに、ウサンくさい経済ゴロや詐欺師みたいな連中は、やたらと高級ホテルのロビーやカフェを使いたがる。日頃そうした場所に行き馴れていない面談相手に微妙な“圧”をかける狙いらしい。

私にはそんな思惑はない。談話室滝沢やルノアールよりも、ちょこっと気分がアガるから仕事に関係ない時でもホテルをあれこれと使っている。

まっとうなシティホテルとなれば、日本特有の「おもてなし」精神が根付いている。何かを尋ねたり頼んだりしても、マニュアル的反応しか出来ないコンビニのバイト君のようなスットコドッコイな対応はない。


いわゆるニッポンの洋食系の食べ物がウマいのも魅力だ。文明開化とともに花開いた日本流の洋食は、たいていホテルレストランが発祥だったりする。

シチューやグラタン、ピラフといった昭和の子どもが狂喜乱舞したメニューがホテルの伝統と看板を背負って高尚に?調理されるわけだから味のほうも間違いがない。

いつもここで書いているパレスホテル系列のピラフしかり、ホテルオークラのフレンチトースト、赤坂のキャピトルホテルのパーコーメン、ホテルニューグランドのドリアしかり、名のあるホテルには名物料理が多い。

名物ではなくても、カレーやオムライスといったド定番の料理は、たいていウマい。安くてマズいものを食べるなら、時には“上質なド定番料理”をワシワシ食べたほうが幸福だ。

新興の外資系ホテルとは一線を画すのが、そうした物語性のある歴史だと思う。新しくてカッチョいいホテルに話題は集まりがちだが、ベテランの味はやはり捨てがたい。


部屋に関しては外資系のオシャレなホテルに軍配が上がるが、なんてったって高いから気軽には使えない。予約サイトで格安料金を探しても目を引く値段は出てこない。

その点、日本の老舗は時にベラボーな値段で投げ売りしている。チェックインを18時とか20時にすることで通常の半額ぐらいにしたり、曜日限定でバーゲン料金を設定していることが珍しくない。

うがった見方をすればラブホテル需要を意識しているという見方も出来なくはない。

なにぶんラブホテルがあるエリアは限られている。都内中心部のシティホテルをそういう目的で利用する人も多い。それはそれでアリだろう。


実際、あちこちの高級ホテルがデイユースとして数時間単位の部屋貸しをしている。ホテルの公式サイトでは扱っていないが、各種予約サイトを覗けばそんな情報はいっぱい出てくる。

私も商談?や密談?などで部屋を使うこともある。現場記者時代は紙面に掲載する座談会の会場にホテルの部屋を使うこともあった。

今ではすっかり個人的な使い方ばかりだが、都会に家があるわけだから、いちいち朝まで泊まっていくことはない。

ひとときの非日常空間である。窓から都会の雑踏を眺めながら思索にふけったり、哲学的に人生を考えたりする。

そんなはずないか・・・。

最近は、ビジネスクラスをちょっと高級にした中堅クラスのホテルが増えている。旧来型のホテルに比べると全体にゆとりの無いことが残念だが、部屋は機能的で使い勝手は良い。

そうはいっても、ルームサービスがなかったり、部屋の冷蔵庫が空っぽだったりすると、いっぱしの料金が腹立たしく感じるのも確かだ。

ちょっと古めかしくても、そうした機能面がちゃんとしているホテルを格安サイト経由で手配するほうが間違いがない。


だいたい、今どきのシャレたホテルは、カードキーを持っていないとエレベーターが動かない。実に面倒な仕組みになっている。すなわち、部屋での待ち合わせが出来やしない。

「12階の〇〇号室で待ってるよ」などという艶っぽい待ち合わせが出来ないわけだ。困った問題である。

いにしえの名曲「ホテル」のような怪しい展開に期待したい人にとっては迷惑千万な話ではある。

♪ホテルで会って、ホテルで別れる♪ なんとも悩ましい歌詞だ。

学生時代、家族と一緒に行った団体旅行のバスの中でのこと。若い人向きの曲を何か歌ってくれとバスガイドさんにマイクを渡され、この歌をアカペラで歌った。

すべてのお客さんにドン引きされたことを思い出す。

この動画、歌詞付きなので暇な方は熱唱してください。

https://www.youtube.com/watch?v=HDz0-JQzZNk


2018年10月1日月曜日

ラーメン、胃カメラ、ピラフ


Facebookやインスタをチェックするように私の中でクセになっているのが某ブログを覗くことだ。

基本はラーメンブログである。私はラーメンにさほど興味が無い。でもナゼだかラーメンに関係ない枝葉のどうでもいい話に魅せられて?読み込んでいる。

http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/

中学高校時代の旧友が書いているブログなので、はじめは一種のお付き合いで読み始めた。でも、どことなくヘンテコな書きぶりに中毒性がある。いつしか更新を楽しみにするようになってしまった。

更新されたことが自動通知されるように登録するのはシャクだ。仕方ないから毎日のように覗く。更新されていないと殺意を覚える。

おかげで時々、ラーメンが食べたくなるようになった。ラーメンよりドンブリ派の私の生きざまにまで影響を与えているわけだ。


某日、娘がやってきて、アレが食いたい、コレが食べたいなどと四の五の言ってきた。でも、その日の私はブログのせいでラーメン気分だったので行きずりのラーメン屋に入った。

餃子とおつまみチャーシュー、キムチなんかをつまみにビールをグビグビ。ラーメンはシメに注文しようと思ったのだが、ツマミで満足しちゃって、結局、娘のラーメンを一口だけもらって終了。

やはり、ラーメン道を語るのは私には難しいようだ。


別な日、一年に一度の全身検査に出かけた。胃カメラと大腸カメラを体内に突っ込むスペクタクルな日である。

検査自体は強烈な鎮静剤でコテっと落とされちゃうから痛くも痒くもない。むしろ、検査終了後もしばらくは鎮静剤でフワフワしちゃうから私にとっては毎年の楽しみでもある。

問題は、早朝から下剤を飲んですべてを出し切ってから昼ぐらいに検査することである。すなわち、空腹との闘いが待っている。

いつも朝メシをドカ食いする私にとって、その点に関しては一年に一度の苦行である。

この日、検査が終わったら肉肉しいラーメンをどっさり食べようと心に決めていた。スープだって全部飲み干してやるぜと意気込んでいた。

さてどこで食べるか。友人のヘンテコラーメンブログに載っていた新橋の「満来」という店のチャーシューメンが食べたくなった。ヤツの興奮ぶりが伝わる渾身のレポート(http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/archives/1051250086.html)のせいである。

チャーシューメンを脳裏に浮かべ、よだれを垂れ流しながら鎮静剤でコテっと寝かされた。検査が終わり、起こされたのは13時半ぐらいだったろうか。

前夜の食事から17時間以上経っている。腹ペコで死にそうだ。クリニックで検査結果を待つ間に「満来」の場所を調べてみた。しかし、しかしである。なんと「閉店」しているではないか。

女性だと思ってパンツをおろしたらチンチンが出てきたぐらいの衝撃である。頭が真っ白。茫然自失である。

「怪しげなポリープはありませんでしたよ」というドクターの言葉も上の空だ。ただただ空腹が私を混乱させる。

途端にラーメンが怨めしくなった。毎年、この検査の後はコメものをドカ食いしてきた私が、せっかく今回に限ってラーメン屋に突撃しようと思ったのに何てこった。

で、すべてのラーメンを逆恨みする結果となり、コメ系に方針転換することにした。いそいそと九段下のホテルグランドパレスに向かう。


シャトーソースをビチャビチャかける伝統のピラフに目的変更である。むしゃくしゃしたからビーフシチューとライスまで注文した。コメまみれである。

ラーメン屋さんに行くより、3倍、いや4倍のコスト増である。エンゲル係数が大幅に狂ってしまった。

もちろん、好きなモノをドカ食いしたから満足感はあったのだが、心のヒダの部分に肉ドッサリラーメンへの愛惜の情が浮かんだ。

コメばかり愛してきたせいで、きっとラーメンの神様に嫌われているのだろう。