2011年4月27日水曜日

グルメぶったオヤジ

おでん、焼鳥といえば、わが国の代表的なファーストフード。安くて手軽というのが普通の感覚だが、銀座あたりだとこの常識が通用しない。

善し悪しはさておき、高級なおでん、高級な焼鳥というジャンルは日本の中でも銀座界隈でこそ成り立つ。そこに価値を見出すかどうかは人それぞれだが、赤ちょうちんやガード下とは違う楽しみ方があってもいい。

銀座のおでん屋には、客単価1万円ぐらいの店がいくつもある。字面だけ見ればバカみたいだ。ただ、その店の空気感とかが好きなら仕方がない。

ちょっとした一品料理の質も当然高いわけだから使いようだ。焼鳥にしても場所柄、上等な素材を丁寧に提供しようとすればそれなりの値段になる。

焼鳥1本500円という店がいくつもある。いまどきの牛丼なら2杯は食える。とはいえ、銀座界隈でしっぽりゆったり焼鳥を味わいたい気分を牛丼の単価と比べても仕方がない。

先月だったか、このブログでも書いた「サソリの揚げ物」なんて一匹500円ぐらいしたから、それに比べれば500円の焼鳥は許せる存在。

上等なカウンター割烹と比べれば、1本500円の焼鳥を5~6本食べた方が経済的なわけで、そこに適度な雰囲気、まともなサービスが加われば充分存在価値はある。

先日、「銀座離宮」という焼鳥屋に出かけた。1本500円パターンだが、一本あたりの量が多め。他の一品料理をアレコレ食べていれば、5~6本で結構腹がふくれる。そういう意味ではもっと高くつく焼鳥屋が周囲には珍しくない。

逆に言えば、高級焼鳥というジャンルにしてはお手軽路線なので、悪く言えば、中途半端な感じもある。

コリドー街に近い場所でもあり、大胆に高級路線に踏み切れなかったのだろうか。オトナ専用の店かと期待していたが、そうでもない。個人的にはもう少し「しっぽり感」が欲しい。




ブツブツ言っている割には、美味しくてバクバク食べた。実に素敵?だったのは、うずらの卵。半熟だ。黄身がビュワンとこぼれ出る。ウヒョウヒョ言いながら食べる。官能的だ。コレステローラーとして生きている私だ。許されるならこれだけで5本ぐらい食べたい。

結局、美味しく食べたわけだから、ああだのこうだの食べ物屋さんを論評する自分が残念だ。

グルメぶったオヤジほどカッチョ悪い存在はないと分かっているのに、ついついウダウダ書いてしまう。田舎者みたいだ(田舎者の人、ゴメンナサイ)。

まあいいか。ウマいものや珍しいものを食べたら、ついつい何か書きたくなってしまうので、これからも書きます。

2011年4月25日月曜日

池袋村 怪談 ホッピー

このブログを始めて3年半が経つ。もともとは、会社のSEO対策の一環として始めた。

「富裕層が興味を引きそうな題材を面白おかしく書いて、上手にわが社の商品に誘導する」という当社システム担当者の壮大なもくろみが背景にあった。

そんなウマく事が運ぶわけもなく、最近では、単純に私自身の身辺雑記に終始している。まあ、それでも何だかんだゴタクを並べてモノを書くことが嫌いではないので、こうして続いている。

「富豪」を名乗る以上、100円ショップで商品を吟味している話とか、吉野屋より松屋が好きだとか、実はペヤングを愛しているとか、閉店間際のデパ地下の割引商品を買いあさっている話は書かないようにしている。

綺麗に着飾った銀座のオネエサンが、休日は、ザンバラ頭でシミのついたジャージ姿で咥えタバコで近所をウロつくのと同様、「扮飾富豪」である私もホッピーをガブ飲みしてゲップを連発する時がある。

わが社のある池袋は、魔界のような街だ。そんな魔界でホッピーをグビグビ呑んで目が座る。

そもそも池袋というエリアは、江戸時代には、ジメジメとした湿地帯で、中心部からも離れており、独自の習俗もあったらしい。「池袋の女を嫁にもらうタタリがある」と恐れられていたことは知る人ぞ知る。

戦後は三業地もあってそこそこ栄えたらしいが、今ではマンションばかりで面影はない。ほんの少し霊感のような感覚がある私から見ると、イヤな気が漂うエリアもあって、まさに魔界だ。

サンシャイン60にしても魔界伝説のイメージしかない。戦犯が収容された巣鴨プリズンの跡地に建つ「墓標」があのビルという話。

あそこで処刑された人は60人だからビルが60階建て、処刑はたいてい明け方だったからビルの名前はサンシャイン。おまけにビルの形自体が土台と墓石を摸しているとか。

周辺の再開発を指示したのが、自身が巣鴨プリズンに収容されていた岸信介元首相で、事業共同体はGHQに解体された恨みを持つ旧財閥系の集合体だというから、さもありなん。

あの周辺はお化け目撃情報も多い。わが社が独身社員用社宅にしているアパートが、サンシャインのすぐそばにあるのだが、幽霊に慣れっこになった社員が何人もいたのは事実だ。

話が大分それてしまった。

池袋村でホッピーをガブ飲みする話だった。

時々ひとりで池袋の居酒屋に行く。残念ながら池袋には気の利いた小料理屋とか居心地の良いオトナの店は見あたらない。

随分探索したが、やはり若者がワイワイ騒ぐセントラルキッチン系の店が大半で、ちょっと高級路線の店は、ヤクザ系か風俗系の人々が占拠していることが多い。

私のお気に入りは、その名も「南国ファミリー」だ。なんでそういう名前なのだろう。実にシュールだ。駅近くの妙な路地にある。

会社の人間と池袋で飲む際にも、ここは使わない。いつも一人酒だ。私にとって内緒の隠れ家みたいなものだ。理由は不明だ。

客層はオジサン中心。でもネクタイ族が中心なので安心だ。池袋にはもっとベタベタなホッピー系飲み屋がいくつもあるが、下手するとネクタイ姿だと浮いてしまうぐらいディープな店もある。

その点、南国ファミリーは安心だ。蛍光灯が光り輝き、疲れたネクタイ族が健全にウサを晴らしている。

時にはフィリピン人ホステスを同伴したお父さんが一生懸命口説いている微笑ましい光景が日々繰り広げられている。

「シャチョウさん、スケベダネエ」とか言うセリフをBGMにカウンターでボーと呑む一時が堪らない。

たいていエッチグラビア満載の週刊誌を持ち込んで、ハイボールかホッピーだ。食べ物メニューが異常に種類豊富でオーダーに悩むところも嬉しい。

だからいつも注文しすぎてしまう。想像出来る居酒屋メニューや定食メニューは何でも揃っている。壮観だ。

しめ鯖やナンコツ唐揚げ、やきとんあたりはいつも注文するが、海老フライトかコロッケとかソースマンを喜ばせるメニューも多い。

時々、生きた毛ガニがあって、一杯丸ごとひとりでホジホジすることもある。この辺は富豪としての矜持?だ。

ササミにチーズをベットリ載せてわさびを塗った一品とか、卵黄をブリブリ混ぜ合わせる馬ユッケあたりをつまみにホッピーを呑むと明日への英気が養われる。大袈裟だ。

10年ぐらい前、「ホッピーとやきとん」というゴールデンタッグに魅せられて、あちこち名店?を巡ったことがある。グルメとか高級料理とは無縁な孤高かつ独特な存在感にはまった。

その後、ふとしたきっかけで足を洗った。「こんなことではいけない」という心の囁きがきっかけだ。自分が身を置く場所として、その手の店が標準になりそうだったので、それはそれでマズいと判断した。

とある店のカウンターでのこと。隣に座っていた一人酒のお父さんが泥酔・熟睡状態で目から涙をこぼしている。おまけになんか唸っている。負け負けモード全開だ。

気付けば、そのお父さんの「負のエネルギー」がこっちに移りそうだったので、慌てて退散した。

一応、それなりの中年紳士を自負する以上、身を置く場所は考えないといけない。明日にも首をつりそうなお父さんが泣いている店はNGだろう。

ホッピーとやきとんに罪はないが、ディープな店のなかには、「気」がダメダメな店もある。「哀愁漂う酒場」と言えばチョット格好良いが、一歩間違うとヤバヤバだ。

「シャチョウサン、スケベダネエ」というBGM?が流れる店ならセーフだ。だから南国ファミリーは貴重な存在だ。

客単価3千円で充分な店だが、注文しすぎてしまう私のお勘定はその2倍、3倍ぐらいにはなってしまう。

そのあたりは富豪だ。

2011年4月22日金曜日

銀座の閑古鳥


スズメやツバメ、カラスの話は良く聞くが、最近の銀座は閑古鳥の話ばかりだ。震災を境に大きく環境が変わり、銀座のネオン街には淘汰の嵐が吹きまくっている。

「飲んでる場合じゃない」、「さっさと家に帰りたい」という一般的な理由の他に、「東京湾大地震が来たら銀座にも津波が来る」という声まであるらしい。

ホステスさんの自宅待機話もよく聞くし、老舗の閉店をメディアが取り上げたりしている。実際にシビアな状況のようだ。

まあ、銀座のネオン街に限らず、どこの世界、どんな分野にも確実に震災の余波はあるわけで、誰にとっても、今の時期をどのように的確に捉えるかが今後の商売の鍵になるのだろう。

銀座のクラブにしょっちゅう出かけるわけではないが、確かに最近は寂しげだ。おかげでハーレム状態だが、店によってはしっかり賑わっているところもある。

一般的には元気がないのは確かで、そこそこ人出があると思っても、よく見ると客引きとか黒服とか、夜の業界人ばかりだったりする。

噂では、お色気攻勢というか、肉弾攻勢が増えているという話も聞くが、残念ながら私にはそういうラッキーは降りかかってこない。どういうことだろう。

ちなみに「特攻隊」と称される肉弾攻勢担当のオネエサンが存在すると言う話はよく耳にする。とはいえ、一度としてそのような経験がない。情けないことだ。

私のようにケチケチとちんまり隅っこで隠れて飲んでいるような客の前には姿を見せない仕組みになっているのだろうか。

話を戻す。

飲食店の世界では、閉店やリストラの一方で、今を商機と捉える前向きな考え方もあるようだ。「こんな時だから攻めに出る」。成功する人って、その辺の判断が的確なんだろう。

確かに銀座のホステスさんで自宅待機やリストラに遭うのは、自分の客を持たない、いわゆるヘルプのオネエサンが中心だ。

しっかり客を持っているホステスさんは、個人事業主として、一種のテナントとして店を間借りしているようなものだから腕次第で荒波を乗り越える。

この図式だと、店自体が閉店した場合、客を持っているホステスさんは困るわけだ。逆に言えば、客を持っているのにテナント契約が無くなってしまったホステスが増殖中という図式も成り立つ。

そうなると当然、そういうホステスさんを集めて新しい店を出そうという動きが出てきてもおかしくない。ピンチをチャンスに変えるこの手の話は、きっと今後の銀座では珍しくなくなるのだろう。

いずれにしても、震災不景気の中で、飲食業界に限らず、あらゆるジャンルで「ウチなんて真っ先に切り捨てられる分野ですから」という弱気発言を耳にする機会が増えた。

もっともに聞こえるが、はたしてそうだろうか。今現在、仕事として成り立って存在しているものの中に不要なものなど無いと思う。

あるとしたら原子力安全院委員会とか原子力保安院だろう。民間企業である電力会社を監視・規制する役目なのに、すべて民間会社に責任を押しつけて、誰も謝らないし、一切責任も取らない。あんなもの不要だ。

話がそれた。

銀座の綺麗どころからも「無くなったって誰も困らない仕事だから・・・」などという投げやりなセリフを聞かされると嬉しくない。

無くなったら私が困る。

「だったら、もっと顔を出せ」と言われそうだからこの辺でやめる。

2011年4月20日水曜日

義援金でトクをする?

高額な義援金を拠出する人は、どう逆立ちしたって、それをしない人より褒められて当然。それ自体は間違いないのだが、金額を自ら発表する風潮は、何かしっくりこない。モヤモヤする。ひがみ根性だろうか・・。

まあ、そんな綺麗事を言っても仕方ない。経営者であれば企業のイメージアップを考えるし、人気商売の人は、当然、その行為をアピールしたいだろう。

もちろん、そうした報道に触発された第三者がせっせと義援金を出すつもりになれば、「発表ブーム」もあながちムダではない。

韓国人は、WBCで敵役になったマリナーズ・イチロー選手を批判したらしい。理由は、韓国同胞の「冬ソナのペ」が出した義援金とイチローのそれが同水準だったからだという。バカみたいな話。

金額の公表は、逆に「それっぽっち?」とか言われかねないから、有名人の方々もお気の毒。つくづく一般人で良かった思う。

さてさて、高額な義援金を出す場合、当人は当然テクニカルな面が関心事になる。すなわち、義援金を出すことで、どういう効果が得られるのかということ。

イメージアップといった観念的なものではなく、いくら節税が出来るのか、自分の税金はどのぐらい戻ってくるのかといった部分だ。


「そんな考えは不謹慎」という声もありそうだが、それこそが綺麗事だろう。高額な支出の裏にまったく思惑がないというケースは奇跡に近い話だと思う。

だいたい高額な出費をただ漫然とアト先考えずに支出するのは天文学的なお金持ちぐらい。そういう次元のお金持ちは一般社会では見かけないから、その手の偉人を尺度に考えても仕方がない。

わが社が発行する新聞は、震災関連の現象面を追う一般メディアとは異なり、こうしたオモテに出てこないテーマにもスポットをあててアレコレ取材している。

表層的な事実を浪花節調に取り上げるよりも、その背景にある問題点や意外な経済的影響を随時掲載している。

わが社でも取材班を被災地入りさせたし、支援チームが飲料水を持参して、被害甚大地に直接届け、現地の生の声を聞き取った上で、義援金の支出先を慎重に検討している。

闇雲に義援金を送って、それが東京電力が本来補償するはずの所に配分されては堪ったものではないし、現地の声に最大限配慮することが大切な取組みだと思っている。

そういうサポートに向けた意識と、被災地以外で求められている情報とは別個であり、編集制作上は、そのあたりの機微を考えながら、実情に応じた紙面作りを展開中だ。

義援金については、寄付金控除との絡み、ふるさと納税制度を利用した場合のメリット、借金してまで支出する場合の税務上の効果、個人と会社の二つのサイフの使い分けによるアレコレ、経営する会社が行う寄付行為にともなう各種の効果など、記事で取り上げるパターンはさまざまだ。

経営者がそれなりの金額を拠出する際には、たとえどういう場面であっても、さまざまな角度から効果を検討する。

「はたしてこの義援金を払うことでどういう効果があるのか」。純粋な善意とともに必然的に脳裏をよぎるこうしたテーマを噛みくだいた記事にすることは専門メディアの役割だ。

現場記者からの報告によると、黒字体質の会社であれば、高額義援金を会社で支出することで、理論上、後継者へのバトンタッチの際に有利になる相続税対策まで実現できるようだ。

節税効果を発揮するテクニックを「不謹慎だ」と片付けるのは簡単だ。もっともらしく聞こえるが、否定ありきの必要はないと思う。

極論すれば、高額義援金の支出で大幅に節税が出来たのなら、浮いた分を更なる復興支援に向けることだって可能になる。

世の中には、壊滅した被災地に取引先があったことに仮装して、インチキの貸倒れを計上しようと企むようなヤカラも存在する。

そうしたインチキは純粋に不謹慎だが、正当な手法で「効果」を追求する分には非難される必要はないと思う。

なんてったってそれだけの支出を現実にしている以上、その行いは尊い。

2011年4月18日月曜日

花が舞う


京都・嵐山に桜を見に行った。舞妓時代から親しくしている祇園の芸妓さんに誘われてふらふらと散策してきた。

京ことばに癒されながら、散りゆく桜を愛でる。白いうなじに花びらがひろりと舞う。

はんなりとしたひと時に心が洗われた。家族には内緒の束の間の逃避行だ。


というのは真っ赤なウソです。ただの願望。


この画像は、東京の千鳥ヶ淵。風に舞う花びらがお濠の水面を桜色に染めて私の頬もピンクに染まった某日夕方のひとコマ。

今年の桜は何かと切ない感じが強かった。例年ならライトアップされている場所も自粛ムードで寂しいばかり。

美しさよりも憂いにも似た感情で桜を眺めた人も多いだろう。私もそんな一人だ。どうも気分が上がってこない。

「スピッツ」のボーカルがストレス障害で休養していたそうだ。結構多くの人が、今年はウツウツとした春を迎えている。

死んだ祖父が晩年、桜を見るたびに「今年で最後かな」と語っていたことを思い出す。ガンと闘っていた知人が哀切の眼差しで桜を見ていた情景も頭をよぎった。

もともと、和花の象徴でもある桜は、古くから一期一会とか諸行無常といった日本人的感性に訴えかける要素が強く、千年以上前から和歌には欠かせない素材。

DNAを受け継ぐ現代人が、ヒラヒラと散りゆく花びらを見れば感傷的になるのも当然だ。ましてや多くの人がモヤモヤ病?状態の今年はそんな傾向が強まったのではないだろうか。

とはいえ、桜が咲いて散っていくタイミングは、日本人的感性では、一種の転機を意味する。新緑が栄えるこれからの季節、前向きになるにはいい機会だ。

なんか、自分に言い聞かせているような書き方になってしまった。

恥ずかしながら私も「モヤモヤ病」だ。震災報道、原発報道、ユーチューブの見過ぎが原因だろう。いかんいかん。

せっかく気分が上向いてきても、不思議と携帯の地震予知メールが鳴り出す。そのせいでまた落ち込む。職場でも一斉に「ブイッ、ブイッ」と不気味な音が響くと憂鬱になる。

まあ、あの警報のおかげで、タバコを消したり、書棚から離れたりする時間があるから仕方ない。いい加減馴れることにする。


先日、気晴らしにサウナに出かけた。そこでもネガティブ思考がむくむくと頭をよぎる。サウナ中に大地震が来たら、サウナの扉が歪んで開かなくなって、フルチンのまま干からびて死んじゃう。

想像するだけで汗がいっぱい出たからサウナに行かなくても平気だと思う。

妙に深い場所を走る地下鉄には乗らない。エレベーターにも乗らない。先日など仕事で訪ねた某所で10階まで階段で上がる始末。

アルコールもバカ飲みが出来ない。酔っぱらった状態で帰宅難民になるのがイヤだから、つい控えがち。実にだらしない。

どうしたもんだろうか?

やはり、ムダな衝動買いに走ったり、ご馳走をここぞとばかり食べまくったり、吉原の超高級店で二輪車に励むぐらいの非日常的行為に励んだ方がいいのだろうか。

考えているより実行あるのみかもしれない。

でも、吉原あたりで地震に遭遇したら格好悪すぎる。もう少し検討してみよう。

モヤモヤ病を克服する魔法を知っている人は是非教えていただきたい。猪木のビンタとかアニマル浜口に気合いを入れてもらいたい気分だ。

そんなこと言いながら、いま私の頭をよぎっているのは、「運転が下手な男は夜の場面もヘタだ」という説だ。ある人から聞いた新しい学説?だ。

なんとなくうなずける理論だと思う。運転が荒いとか、トロい、もしくは運転が丁寧、センスがいい等々、言われてみれば意外とそっち方面と共通するものがありそうだ。

この説を聞いて以来、クルマに乗る際は、普段かけない眼鏡をかけてスムーズにセンス良く運転するように心掛けている私だ。

どうやら充分元気みたいだ。

2011年4月15日金曜日

馬登場

海の汚染が厄介だ。被爆魚を食べたくないのは当然だが、関係のない産地や現段階で気にしても仕方がないレベルの魚まで敬遠される風潮は困ったものだ。

漁に出ることが出来て、市場で取引が成立する魚なら、今まで通り気にせずガンガン食べたい。

今後、汚染が広がって日本中のお寿司屋さんが苦況に陥ることが心配。お寿司屋さんでグダグダと過ごす時間が好きな私としても大いに気になる問題だ。

魚が敬遠されてしまえば、たくあん巻きやカッパ巻き、梅しそ巻きにかんぴょう巻きとかばかりで過ごさないとならない。困った困った。

他に思い浮かぶのはワサビ巻きとか芽ネギぐらいか。コーンマヨもアリだ。なんかベジタリアン専門の回転寿司みたいだ。

ノルウェー産、カナダ産あたりのサーモンが高騰し、マグロも地中海あたりの養殖物が高値を記録しちゃうのだろうか。実に心配だ。

O-157騒動の際も、客の少ない焼肉屋でレバ刺しをムシャムシャ食べていた私だ。ちょっとぐらいの放射能でひるんでいてはいけない。内需拡大、景気刺激策の一環で積極的に寿司攻めを続ける決意だ。

先日、高田馬場の鮨源で馬刺しを食べた。「寿司屋で馬を生で食べる」。これ自体が今の世相なんだろう。

元もとこのお店は客に応じて懐を広くアレコレ提供してくれるのだが、こんなご時世だから牛刺しとともに馬刺しもレギュラーメニューに仲間入り。

何だかんだ言って、美味しければ大いに結構なことだと思う。実際に、馬刺しの概念が変わるぐらいウマかった(ダジャレではない)。


赤身、ロース、霜降り。それぞれ味わったのだが、すべてウマい。マグロで言えば、大トロが好きな人、中トロが好きな人、赤身が好きな人それぞれが満足するレベル。

臭みはまるで無し。変な話、馬肉独特の香りが好きな人には物足りないぐらいクセが無い。もともと牛刺しよりも馬刺しの方が好きな私にとっては実に有難い。

ありそうでない赤身の馬刺しがバッチグーだ。ニンイク醤油、もろみ醤油もいいが、モノ自体が良いから、ショウガ醤油との相性がバッチリだ。いつかレバ刺しも仕入れてもらおう。

馬肉はもともと「蹴飛ばし」と称される精力の源。その昔、吉原大門の門前では、さくら鍋の店が大繁盛だったらしく、世の男どもは遊びに行く前に馬肉を突ついてパワーアップに励んだ。

ウツウツムードを蹴っ飛ばすには馬肉はもってこいだろう。私自身、「みの家」とか「中江」といった下町の老舗さくら鍋屋には何度か出かけたことがある。

馬肉にはビタミンなんとかも豊富らしいが、そんなことに関係なく、ビンビンだった若者の頃に良く食べに行った。ヘルシーだの精力だのスタミナとかではなく、単純に美味しいかったからガツガツ食べていた。

評判の良い専門店が近所にないので、頻繁に行かないだけで、私の行動範囲にその手の店があったら今でも相当頻繁に通う気がする。

鮨源で馬刺しファンが増殖すれば、刺身だけでなく、あれこれと馬肉料理の種類が増えるかもしれない。それはそれで嬉しい。

魚を食べよう、寿司屋に行こうと威勢の良いことを言いながら、結局、馬肉の話に終始してしまった。

でも、「高田馬場」という場所にある店だからお寿司屋さんといえども、「馬」が出てきて当然かもしれない。

2011年4月13日水曜日

災難と保険と落し穴

何かと世の中が殺伐としている。バカも増殖中だ。先日、娘と公園に行った際、公園横に路上駐車したクルマの窓ガラスを割られた。

そんな所に駐めておいた方が悪いのだろうが、駐車時間は30分程度。一応、チラチラと公園から遠目にクルマをチェックしていたのだが、一瞬の犯行だったようで、クルマに戻るまで気付かなかった。


この日はたまたま鬼嫁用のクルマを使っていた。私の不注意が原因だから、私自身が鬼嫁にトンカチで攻撃されかねない。ヘコむ。

後ろの窓ガラスをトンカチか何かで瞬時に割ったのだろう。直径15センチ程度の穴が開き、窓ガラス全体がクモの巣状に粉々だ。

物盗りとも思えないので、きっと、路上駐車を嫌った近所のバカがやったのだろう。温厚で純情な私はただ悲嘆に暮れていたのだが、一緒にいた娘はビビるどころか、激しく怒っている。母親の血だ。

しょうがないから、クモの巣状になったガラスをその場で落として、ディーラーに運ぶ。15万ぐらいの出費とか言われてまたヘコむ。

保険屋さんに「なんとかしろ」と連絡したら、なんとかしてくれた。実損はゼロで済んだ。最近入り直した自動車保険は、免責ゼロにしてあったので保険金で全額カバーされた。やれやれ。

今日の話は、人のクルマを壊すバカの話ではない。鬼嫁が恐い話でもない。保険がテーマだ。

なぜだかわからないが、私は結構な「保険好き」だ。昔から随分色々入っている。ひょんなことで医療保険の保険金をたくさん受け取ったりしたことが保険好きになった理由だろう。

ただ漫然と貯金するのも面白くないので、貯蓄性の高い保険にも加入している。いざとなった時の解約返戻金は結構貯まっている。この金額の範囲内で面倒な手続きなしに瞬時に借り入れることも出来るわけだから、すぐに使っちゃいそうな銀行口座に貯めるより堅実かもしれない。

保険といえば、今回の震災を受けて、生命保険各社が支払手続き簡素化や、そもそも保険に加入しているかどうかの確認作業を迅速に行うことをアピールしている。

保険会社が頑張っていることは認めるが、つくづく怖さを感じるのが生命保険の基本原則である「請求主義」だ。契約者からの請求があって始めて保険金が支払われるというスキームだ。

当たり前のように聞こえるが、今回のような急な災害を想定すると実に厄介。多くの人が思い当たるだろうが、「お付き合い」で生命保険に入る人は多い。自分がどんな保険商品を契約していたか完璧に把握している人は少数派だろう。震災で保険証券が無くなっちゃったらお手上げというケースはザラだ。

これだけなら、まだ各保険会社に問い合わせするという手段があるが、保険契約の存在を知っている人が亡くなり、保険代理店も被災したり、無くなっちゃったケースだと、残された人は保険を確認することにすら思いが至らない。

もっと悲惨な場合を考えてみる。災害で親が死亡。保険金受取人は子ども。当然保険のことは知らない。保険証券も見あたらない。保険料は当然、未納状態になる。保険会社から保険料の未納通知が出されても、通知自体が届かない――。

こうなると、せっかく親が子どものために長年契約していた保険自体が失効してしまう恐れが出るわけだ。まさに悲劇だ。

生命保険が請求主義に基づいている以上、当然起こりえる話。死亡保険金に限らず、ケガや病気をカバーする医療保険だって同じ理屈だ。せっかく何年も保険料を払い続けたのにパーになっちゃうのは悲惨だ。

被災地域の契約者の安否確認を保険会社が率先して行い、実態に応じて受取人に保険金を請求するよう促すことは制度上行われないし、そうした動きもない。

今回のような大災害では、人知れず失効する保険契約はかなりの数にのぼるのではないか。誰が悪いと言える話ではないが、なんとも気味が悪い話だ。