2013年12月30日月曜日

年末年始


早いもので今年も暮れようとしている。

さらば2013である。さらばで結構だ。個人的に今年は早く終わってほしかったから、今から除夜の鐘が待ち遠しい。

鐘の数だけ煩悩を消し去るらしいが、私は逆に108つほど新たな煩悩を授けてもらおうと思う。

煩悩こそ人生の醍醐味である。

来年の暮れも、その次の年の瀬も、そのまた何年も先まで、そんな呑気なことを言いながら暮したいものだ。

今年の初めにターニングポイントを迎えて、いろいろドタバタした1年だったが、突発的な尿管結石の他は、おおむね健康状態も良かったし、このまま元気で人生後半戦を突っ走っていきたい。

さて、年末年始である。かなり暇である。絶望的にヒマかもしれない。誰か遊んでください。

年末から中国・上海に出かける予定だったが、つい先日キャンセルした。もともと正月を東京で過ごすのがイヤでマイレージの特典航空券が取れたという理由だけで上海行きを計画していた。

いかがわしいサウナには興味があったが、他に見たい場所もないし、何より大気汚染が地球で一番ヒドいらしいから、ノコノコ行っても仕方がない。

一応、私はボーカリストが本業だし、喉に悪いことは避けねばなるまい。

ということで、草津温泉の別荘マンションに引き籠もろうと考えたが、冬用タイヤをそのために買うのも面倒だからヤメた。本業が温泉評論家である私としては情けない限りだ。

まあ、溜まりまくった録画番組もあるし、読み切れていない本も無数にあるし、1日ぐらいは荻窪の実家に行って仏壇の前で写経でもしようと思う。

さて、今年の悔いの一つが潜水に関することだ。

本業である水中写真家としての活動が上半期だけで停滞してしまった。3月、5月とバンバン潜り、ようやく「通算1000本ダイバー」に手が届くところまできた。

四半世紀を超えるキャリアにしては遅いペースだが、今年下半期にドシドシ潜れば到達できたのに無念である。

バリ島に行かなかったことも問題である。本業であるバリ島案内人として毎年のように活動するのだが、今年は機会が無かった。来年は倍返しを企むことにしよう。

そんな冗談のような後悔しか浮かんでこないのだから幸せ者である。仕事面は別として、思い返しても悔いが残るようなことが少ない。ラッキーである。単に忘れっぽくなっているのかもしれない。

でも、そう思えることは今年が良い年だった証拠である。

私自身の年回りは大殺界らしいが、すべては尿管結石の石とともに去って行ったのだろう。

一昨年の暮れ、このブログの年内最後の更新では、「壺中有天」の例えを用いて、精神の別天地を求めて新しい年は攻めに転じたいという趣旨の話を書いた。

そして昨年は、確かに適度に無理も重ねて、分別ヅラに陥らないように腐心して、新たな方向に自分が進んだ感覚があった

そして暮れには、このブログの年内最終更新で「偏屈だと損するから来年は笑っていよう」みたいな話を書いた。

結果、今年はどうだっただろうか。

偏屈が直ったわけではないが、春頃からは運気も上昇、偏屈を根源としたイライラも激減したような気がする。よく笑った。表情や様子が変わったと複数の人から言われるようになった。

まあまあ合格である。

でも、もっと笑えるはずだ。笑いの“伸びしろ”はまだまだ余地がたっぷりあるはずである。

来年はどんな1年になるのだろうか。

自分としては「風林火山」のおいしいトコ取りを考えている。

「疾(はや)きこと風の如く、徐(し)ずかなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」。

全部そんな水準で過ごせたら、武田信玄の生まれ変わりみたいだから、私の場合、来年は「林」と「山」の部分をメインにしたい。すなわち、「林のようにしずかに、山のように動かない」路線だ。

もちろん、何もしないで眠ってしまうという意味ではない。いちいち動揺したり慌てたりせず、何事にも動じないドッシリ感を鍛えていきたい。

一応、そんな決意を固めてみた。

まあ、そんなことを宣言したところで、魅惑的な女性に遭遇したら、「風」と「火」の部分ばかりでドタバタしちゃうのだろう。煩悩太郎である。

結局、そういうことを書き殴って今年も終わるのか。。。

さて、年内の更新はこれで終わりです。

今年もお付き合いいただき有り難うございました。

皆様が笑顔で新しい年を迎えられますよう祈念しております!

新年は1月6日から更新します。

2013年12月27日金曜日

北村有起哉、竹芝、焼肉


クリスマスが終わった。

キリスト生誕を厳かに祝うはずの日が、ギラギラ、エロエロな日と化してしまって久しい。無節操な街の喧騒がどうにも苦手である。

クリスマスになると俄然ハッスルする日本の男女っていかがなものか。普段は「隠れキリシタン」なんだろうか。

この季節にデートする相手がいないとか、そういうくだらないことを気にかける年齢ではないが、それでも鬱陶しい気分になる。

いかんいかん、偏屈オヤジになってしまった。ただのヒガミです!

だいたい、この時期は年末でバタバタしているし、飲む機会も妙に多くて疲労気味である。

目の下にクマはできるし、吹き出物は増えるし、ユンケル飲みまくっているし、常に眠い。

昔より足が冷えるようになって靴下用の貼付けカイロが手放せなくなった。寒いのは足だけではない。懐も寒い。出費が妙に多い。

日常の付き合いでも、今の時期はお金に羽が生えたかと思うほど出費がかさむ。子ども達のXmasプレゼントも、離れて暮しているせいか妙に高い品物を買わされてしまった。

まあ、喜びは循環するらしいから、せっせと人に喜びを与えれば、いつか倍返しになって帰ってくるだろう。そう確信して散財?を続けよう。

さて、そんな年末の日常に、一服の清涼剤みたいな時間があった。


舞台で生の芝居を見てきた。何年ぶりだろう。随分久しぶりである。大がかりなミュージカルとかではなく、比較的地味な舞台だったので、じっくりゆったりした気分で楽しめた。

北村有起哉主演の「セミナー」という芝居。チケットが余ったという人に誘ってもらったので、予備知識も何も無い素の状態で見られた。

たまたま、先日終了したばかりの「刑事のまなざし」という連ドラにハマって、「北村有起哉いいね~」と感じていたタイミングだったから、「生・北村」に結構感動した。

「刑事のまなざし」という連ドラは、椎名桔平が主演の社会派ドラマだったのだが、「松重豊」と「北村有起哉」が実にいい味を醸し出していた。あの二人がドラマを支えていた感じだ。

渋めの脇役、存在感のある脇役なくして映画やドラマは成り立たない。北村有起哉という俳優は、今後の映像世界で貴重な存在になっていくように思った。

生の舞台の緊張感は独特だ。静寂の瞬間、躍動的な瞬間、客席と一体化する瞬間。状況に応じて瞬時に変わる場の空気が面白いし、刺激的で心地よかった。

静寂の場面でナゼかグーグーなりだす私の腹には困った。観劇後にウマいものを喰おうと空腹で出かけたことを激しく後悔。

腹の音が気になるぐらい凜とした空気が漂う。主演以外は有名俳優ではないものの、舞台を活動の基盤にする役者さんの発声の素晴らしさに改めて感心した。呼吸法とか日頃の鍛錬が別次元なのだろう。

エネルギーがみなぎっている感じとでも言おうか、あの瞬発力、表現力、パワーに触れたことは、ノンベンダラリと日々を暮している私にとっては刺激的だった。

いい時間だった。

日常の自分と違う場所に身を置くことは結構大事なことだと痛感した。

非日常的な話ついでに別な話題。

別な日、普段は行かないような場所に出かけてきた。


都会の喧噪といえば、聞こえはいいが、この時期、都会中心部は気が狂ったような人出である。仕方なく、ちょっと外れた竹芝まで行ってきた。

「たけしば」を「たけばし」と言い間違えて、ムダなタクシー代を支払わされたのは御愛敬である。

レインボーブリッジを中心とした夜景が綺麗だった。思えば半世紀近くも東京人として生きているのだが、この風景はほんの20年ぐらい前はなかったはずだ。

時の流れを感じる。

お台場の灯りを眺めながら、フジテレビ本社ビルが1時間に1回、乱痴気騒ぎみたいにイルミネーションショーをやっていることを知った。

ビル全体がケタタマしく光る。風情とかムードはちっとも感じないが、なかなか面白かった。

でも、あれだけ騒いでいた「節電」の風潮はどこにいったのだろう。あの頃の計画停電とかは一体何だったんだろう。つくづく“お上”の言うことは信用できないとブツクサ言いたい気分になった。

夜景を見て、さぞムーディーな時間だったと思われるのもシャクである。夜景を見ながら何をしていたのかというと、肉を食べていたのである。


たまに無性に焼肉が食べたくなるが、この日もそんな日だった。肉をむさぼって元気になろうと企んだのだが、「特上」という脂ギットリの肉のおかげで胸焼け・胃もたれモード全開だった。

結局、タン塩とかホルモンをちょろっと焼いて、あとはキムチやチャンジャをメインに韓国焼酎をチビチビ飲んでいた。

竹芝まで行かずとも、我が家の近所にもウマい肉を出す店はいくつもある。いやいや、それを言っちゃあオシマイである。「わざわざ出かける」という気持ちが大事である。

出不精(デブ症ではない)の私にとっては港区あたりでも「遠征」レベルだが、やはり、日常と違う場所に出かける高揚感は捨てがたい。

年末年始は中国に旅行する予定だったが急遽キャンセルした。おかげで驚異的にヒマである。

億劫がらずにマメに出かけようと思っているのだが、多分寝て過ごすハメになると思う。

2013年12月25日水曜日

窮屈コラム


記憶があやふやなとき、意外にもこのブログが役立つことがある。3年前、5年前あたりの出来事を確認したいときに、過去の投稿をたどると正確な日時が分かったりする。

ポリープ取ったのはいつだっけ?、マンタを撮影したのは何月だったか?、寝台特急に乗ったのは何年前だっけ?等々、結構便利である。

ポリープうんぬんの話だと、たとえば医療保険の審査の際の告知事項だから正確な年月が分かると大助かりである。

読み返すついでに、その前後に書いてあるチャラけた話もついつい熟読してしまう。自分で書いてきたのに結構忘れていることも多い。

モノを書き残すことの効用ってなかなか侮れない。今書いていることも将来、記録として役立つかもしれないから、このブログはネタがなくても書き続けようと思う。

ということで、今日はあまりネタがない。無くはないのだが、さすがにここでは書けない話だってある。書きたくてもかけない話もある。オトナの事情はさまざまである。

一時期、内緒のブログを作って、絶対に表で書けないようなアダルティ~ベリーマッチな話を書いていたことがあった。でも、自分で怖くなって?やめてしまった。全削除である。

とか言いながら、このブログも読み返してみると随分オチャラけた話を書いている。睾丸、いや紅顔の至りである。

すいません。「汗顔の至り」が正解です。「紅顔の至り」は誤用です。「睾丸」に引っかけたかっただけです。。。。

さて、そんな私だって普段は真面目なことも書く。専門新聞を複数発行する会社の編集トップである以上、今でもコラムは書いている。

コラムだから難解さを避け、なるべく軽いノリで仕上げたいのだが、題材が制約されているから、どうしても小難しい話に終始してしまう。

文字数も決まっているので、脱線もできないし、さすがに書きながら窮屈な思いをしている。

言ってみれば、そういう窮屈な作業があるから、その裏返しで、このブログを気ままに続けていられるのかもしれない。

ということで、今回は最近、我が社の新聞に載せたコラムをいくつか引用してみる。

引用でお茶を濁しているようでは「ブロガー?」として手抜きである。ダメである。

もっと楽しい話を書けるように、日々楽しいことに邁進しようと思う。


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「またやってらあ~」。そんなセリフしか出てこないのが年末恒例の新党結成だ。いまや「流行語大賞」や「今年の一文字」みたいな風物詩だろう▼今回の主役は「みんなの党」の内輪モメで出て行った議員サン達。ほぼ全員が比例選出の議員。すなわち選挙区で選ばれた個人というより、政党への支持で議席を得た人々だ▼単純に有権者への裏切り行為であり、選挙制度の欠陥を露呈した格好だ。語るに落ちるというか、語りたくもない話だが、このハチャメチャの元凶について考えてみたい▼政党交付金制度が政界の年末ドタバタ劇を招いているのは周知の事実。1月1日現在の国会議員数に応じて政党に税金から助成金が出る仕組みだ。95年から始まり、累計5000億円超の税金が使われている▼制度誕生の条件だったのが政治家への企業・団体献金の廃止である。ところが、政党支部を経由させる方法で事実上、企業・団体献金は存続。まさに詐欺▼国民を騙した二重取りの構図は醜いの一言。選挙の際には莫大な広告予算に化けるから大手メディアもスポンサー?に気兼ねして声高にインチキを糾弾しない。実に嘆かわしい現実だ。

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ヨーロッパを訪ねてきた。イタリアとスペインを回ったが、この2つの国は世界遺産の数では世界1位と2位。貴重な歴史的建造物がそこかしこに見られ、観光都市としての成熟ぶりはさすがだ▼大聖堂や教会群、いにしえの宮殿等々。ヨーロッパとは文化的、宗教的背景が異なる日本人の目線から見るとすべてが新鮮に映る。旅の面白さはこの点に集約されるのだろう▼そんな観点で捉えると、わが国の歴史的な遺産の数々は貴重な存在である。西洋社会で生きる人達にとっては、我々が思う以上に魅力的な存在だと確信する▼少子高齢化、人口減少、疲弊する地方の現状を思えば、外国人観光客の誘致はわが国にとって大事な成長戦略である。わが国では2006年に観光立国推進基本法が制定され、観光庁の設置も5年前のこと。まさに途についたばかり▼日本のポップカルチャーの人気は世界中に浸透中だ。東京オリンピックも追い風になる。五輪効果を単なる短期的特需と捉えるのではなく、真の観光立国への転換点と捉えるべきだ。インフラ整備と同等に重要なのは観光誘致に向けたソフト面の戦略だろう。

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「お医者さんと一緒に禁煙」。テレビCMでもすっかりおなじみになったが、禁煙のために病院に行く人は多い。古い世代の筆者にはピンとこない話▼2006年から健康保険を使った禁煙治療が認められるようになった。CMでは「月に2万円程度」で禁煙治療が可能と宣伝しているが、これは3割負担の部分。残りは健康保険から支出される▼私事で恐縮だが、以前、禁煙に成功したことがある。20数年来の習慣を断ち切るのは大変だったが、個人的な感想は「医師より意思」。ガムとかパッチも使ってみたが、結局は自分の意思が決め手だった▼そもそも国の管理下で販売奨励している商品の愛好者を病気とみなして、それをやめさせる行為に国が金を出す仕組みってヘンテコだ。国の協議でも最後までもめていたのがこの部分だ▼深刻な依存症は別として、自らの努力でやめようとしない人にまで保険で面倒を見る必要があるのだろうか。大いに疑問だ▼過度の喫煙が結果的に医療費を膨らますという理屈も分かるが、不妊治療や介護分野など保険が適用されずに困っている人に救いの手をさしのべる方が先決だと思う。

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「国に莫大なカネを払って商売させてもらっている感じだ」。優良企業の2代目経営者が発した言葉だ。先代が亡くなり、自社株評価が招いた高額な相続税を納めた感想だ▼このところ、相続をめぐる話題が世間を賑わせている。中小企業経営者にとっては、処分すら出来ない自社株が金銭換算されるわけだから負担感は強い▼調整措置はいろいろあるが、税金を納めないと土地を持ち続けられないし、事業も継続できないのが相続税制の基本的な姿だ。冒頭の嘆き節もあながち的外れではない▼律令時代の「班田収授法」では、農民が死んだら農地はお上に返上する仕組みだった。頑張って耕す意欲は必然的に薄くなり、その後の「墾田永年私財法」に大転換するハメになった▼諸外国の多くが相続税の廃止・縮小に向かっている。理由は、生前のさまざまな税金との二重課税に過ぎないという考えだ。至極真っ当である▼わが国の場合、富の再配分という社会主義的な考えが優先して、生前負担してきた税金との重複課税であるという側面が議論されることがない。木を見て森を見ずの典型的な話だと思う。

2013年12月20日金曜日

キャラ


愛車のインパネ画像である。イマドキのクルマはオーディオから流れる音楽情報などを親切に表示してくれる。

この画像だと運転中に落語を聞いていることになる。どう逆立ちしたって落語である。

でも、実際に聴いていたのは先日のオヤジバンドライブの音源だ。なぜか表示上は「六代目・円生」である。

公演当日、ライブハウスのスタッフがPA経由の音を収録してCD化してくれた。それをせっせと聴き込もうとしたのだが、ナゼか表示されるのは「落語」である。

もちろん、実際に流れてくるのはライブの音である。きっと、CDに以前記録されていたデータ表示が残っているだけの話だ。でも、私としては複雑である。

シリアスに歌ったのに落語扱いである。デジタル機器は私の歌声を笑い話だと認識したのだろうか。少し落ち込む。

でもMCでは、ウケ狙いの話ばかりしたから逆に「落語名人」という表示は喜ぶべきかもしれない。光栄の至りである…。

さて、話は変わる。

先日、先輩から飲み会に誘われた。小、中、高と同じ学校に通った同窓の先輩だ。たまに顔を合わす機会がある。

一応、主催者としては合コンのつもりだったようだが、そっちの戦果?は完璧にそっちのけでオッサン達でくだらない話で盛り上がった。

30年ぶりに会う別な先輩も参加して、ひゃあこらひゃあこら飲んだ。楽しかった。私の兄の同級生でもあるので、気安く可愛がってもらえるのが有り難い。

新鮮だったのが「後輩キャラ」を楽しむ自分である。プライベートでは後輩との付き合いは結構あるのだが、先輩となると交遊機会は多くない。

会社でも古株中の古株だし、仕事内容が営業系ではないため、接待とかで気を使う場面も少ない。

結果、控えめな感じとは対極な態度のデカいキャラが固まってきてしまった。
本当は、単なる神経質なビビリ男なのに、そういうイメージで私を捉える知り合いは100%いない。問題である。

その日の飲み会では、水割りを作ったり、食べ物をオーダーしたり、せっせと後輩役に奮闘してみた。「気が利く後輩」っていうのも割と楽しい。

中年になってから自分がMっぽいことに気づいたから、案外気持ちの良い時間だった気がする。

キャラっていうのは不思議なもので、本人の意図にかかわらず長い間ついてまわる。とくに昔からの友人と接する際には、何歳になろうとも子供時代のキャラがそのままだったりする。

エラそうなヤツはエラそうだし、スケベなヤツはスケベだし、いじられキャラはイジられると昔と似たような愉快なリアクションを見せる。

ここ数年、子供時代からの友人と飲んだり遊んだりする場面が以前より増えてきた。気兼ねなくフランクに付き合えるからラクチンである。

そうはいいながら、ふとした時に昔のキャラをあえて意識している自分に気づく。成長が足りないのか、現状に自信がないのか、どういう心理なのか不思議である。

学生時代はそれこそ、エラそうでエバってブイブイ言ってるようなキャラだった。いっぱしの大人になると最も恥ずかしいタイプである。

そんなキャラを維持したところで、ちっともトクすることはない。困った問題である。

来年あたりから「後輩キャラ」を前面に押し出してテキパキと動き回ってみよう。

たぶん無理だと思う。

2013年12月18日水曜日

ライブ報告


このブログでも何度か書いてきたバンド活動。今年の集大成である「Xマス・望年ライブ」と銘打ったライブが無事終わった。

来ていただいた皆さん、ご協力いただいた皆さんに心から感謝です!

手間ミソだが、大盛況と言える状況でやり遂げることができた。有り難いことです。

今回は、いわゆる対バンはなく、われわれの単独ライブである。メンバー3人の友人知人だけが相手なので、和気あいあいとした時間が過ごせた。

四谷のライブハウスはさほど大きくない規模だったが、用意された椅子は全部埋まったし、立ったまま声援を送ってくれた人々もいた。

肝心の演奏のほうも中年の図々しさのせいで滞りなく大きなミスも無くこなすことができた。

つくづく中年に生まれて良かったと実感した。若者だったら、あのプレッシャーでヘロヘロになるはずだし、ニヤついた顔でド緊張をごまかすことは難しいはずだ。

ずっと中年でいようと思った。

ライブハウスのPAさんにも感謝である。リハーサルの時に若手スタッフの面々にちょっとした魔法?をかけておいたから全力でサポートしてくれた。


スローな曲の際には、エコーを深~く効かせてくれたし、我々のアラを目立たせないようにキッチリ仕事をしてくれた。

無謀にも挑んだ竹内まりあの名曲「駅」も練習の時よりも良い感じに収まった。PAのおかげである。歌ってるこっちまで感情移入してしまったほどだ。

実はライブ直前、それまでの不摂生がたたって喉が壊れかけてしまった。がらがら声になって心底焦った。

寝室の加湿器をフル回転させて全身カビだらけになりながら回復をめざし、前の日には1日中家の中でもマスク姿で過ごした。

そして当日、バンドリーダーの熱い語りにホッとする。

「少しぐらい問題を抱えていた方がうまくいく」。

尊師のような言葉である。絶好調のつもりでやると失敗することが多いらしい。

この日、メンバー3人とも自分たちで決めた集合時間の30分前に集まってしまった。図太そうに見えてこのあたりが小心者オヤジ達の実態である。


開演前の緊張を多種多様な栄養ドリンクや缶入りのウイスキーで紛らわしながらリハーサルに突入。

そこそこ声も出た。演奏する二人も順調である。彼らも中年に生まれてくれて本当に良かった。いつまでも中年でいてほしい。開き直りはオッサンの特権である。

その後、お客様が続々ご来場。楽屋でビビりはじめる。いい年した大人3人が、なぜか楽屋の椅子に座らない。みな立ったままブツブツ言っている。ヘンテコな光景だった。緊張の極地である。

でも、あんな感覚って、日常生活では味わえない。仕事の緊張とは異質だし、美女とムフフになる前の緊張とも大違いだし、一種独特な高揚感がある。

やり終わった達成感にもシビれるが、開演直前の悶々とした時間もシビれる。徐々に視界が狭まってブラックアウトしそうな感覚になる。

そして本番、3人で「AKB~ファイト!!」と意味不明の掛け声を叫んでステージへ移動。

1時間半を超えるファンタスティック・ナイト?である。声もちゃんと出た。MCもそれなりにこなせた。

でも、前回も来てくれた悪友達からはMCのキレがイマイチだったと叱られた。そんなことは百も承知である。理由は単純だ。

私の娘が客席にいたからだ。仕方がない。私の身の上をめぐるキラーワード?を封印して喋っていたのだから許してもらおう。

新メンバーの「松」は、高校生以来の本格的なステージだとか。緊張ぶりぶりだった。でも、そこはオッサンである。しっかり演奏をこなし、コーラスのハモリもバッチリ、ソロもキッチリ歌い上げた。

前メンバーの「旧・松」が休養しちゃう前には、「キミのレベルなら前座だな」と偉そうに「新・松」をイジメていた残りの二人は、今回のステージ上で涙を流しながら土下座(ウソです)。

新メンバーの「松」はまるで半沢直樹である。

リーダーの「富」は相変わらず泰然自若な空気で超絶プレイを繰り返す。彼が最もミュージシャン然とした雰囲気を醸し出していた。

演奏が単調にならないための「オカズ」や「盛り」をしっかり計算しながら、渋い部分は全部持っていった。さすがリーダーである。

私は呑気に歌うだけなので、勝手なテンポに合わせる二人の苦労は大変だったはずだ。まあ、その分、全体のMC進行をキッチリ仕切ったから許してもらうことにする。

メンバー二人は私の歌いっぷりを「どの練習の時よりも良かった」と言ってくれた。これは嬉しいことである。

まあ、オヤジバンドは、メンバー全員が傷をなめあい、オベンチャラを連発し、おだてすかし、なだめ合わないと続かない。今度の反省会でもみんなでベタベタに褒め合うことになりそうだ。


アンコールの「勝手にしやがれ・アコースティック・ノリノリバージョン」では、会場が一体となって「ア~ア~アア~」と盛り上がった。純粋に楽しかった。

終演後のお客様の表情はどことなくホッコリ見えた。これが何より嬉しく有り難かった。音楽の効用って凄いものだと今更ながら感じた。

お褒めの言葉も随分戴いた。メールもいっぱいいただいた。昨年も同じことを書いたが「真に受けます」の一言である。

こういう趣味には図々しさも必要?である。

ついでに今年はもう一言付け加えたい。

「図にのります」。

既に次回公演に向けて決意も新たである。ライブが終わったばかりなのに、もう次を見据えている。

でも、演目の話ではなく、衣装をどうするかという不届きな話で盛り上がっているのが実態である。どこまでも図々しい3人組である。

さてさて、業者さんが撮影した動画はいつ編集が終わるのだろうか。図々しくYouTubeに何曲かアップすることになるはずだ。

なんとなく始めたオヤジバンドだが、ヨレヨレジジイバンドになるまで続けたいと思う。

当日、お越しいただいた皆様、本当に有り難うございました。心から感謝しております!

2013年12月16日月曜日

異端とか


ラーメンにカレーライス。もはや国民食である。

子供から見れば、あれは日本料理という認識だろう。生まれ育った国で幼い頃から誰もが食べるわけだから立派なローカルフードだ。

中国やインドの人達にしてみれば、日本のラーメンやカレーはオリジナルとはまったく別モノだ。

中国人が「二郎系」ラーメンの発祥が自分達の国だとは思わないだろうし、「大勝軒」のつけ麺だって、どう逆立ちしたってルーツが中国だとは思わない。

なんでもかんでも自分の国に起源があるという「ウリジナル思想」の韓国の人でもビックリしちゃいそうな「進化」である。

カレーも同じ。納豆カレーとかヘンテコな一品を見たらインド人もビックリだ。カツカレーもそうだ。あれを開発した日本人の叡智は大したものだと思う。

ちなみにカツだって、フランス料理が起源だ。カツカレーは、インド、フランス、日本の凄まじい三角関係によって成立している。

どこかにルーツがある以上、その存在は「異端」であり「異質」である。異質とか異端という言葉には、何となくネガティブな印象があるが、ラーメンやカレーを思えば、一概に悪い概念ではない。

異端や異質、すなわち「普通じゃないこと」は世間から敬遠されがちだ。でも、世間の固定観念など、しょせん面白味の無い線引きで決められているだけだ。

異端の中にこそ、未来の真理が隠れていたりする。ちょっと大げさである。でもそう思う。

自分の考えや行動が、自分にとっては普通のことでも、少数派というだけで異端視されることは多い。

いわゆる多勢に無勢である。多数派か少数派かというだけの区分で少数派が後ろ指を指されてしまうのが世間様の仕組みだ。

仕方のないことだが、時々そんな壁にぶつかって疲れる。

多数派が正しければともかく、そうとも限らないからややこしい。間違っていないのに異端視されたり、異例なことだから認められない悲劇が世の中にどれだけ溢れているだろう。

「伝統」や「権威」だって結局は何かしらの異端を吸収して出来上がったものに過ぎない。そこから先の進化を妨害するだけになってしまってはアホみたいだ。

異端、異質、異例。こういう言葉が世の中に溢れまくって、そのうち、それらが普通のことに進化していったら空気も大きく変わるんだろうな。

男も女も年寄りも子供も、いや、個人だけでなく国家の政策にしても「異端」や「異例」という要素が大切だと思う。

なんだか今日はスッキリしない話に終始してしまった。

きっと飲み過ぎの副作用だろう。

2013年12月13日金曜日

12月の日常


飲んでばかりである。毎日二日酔いである。胃腸もお疲れである。先日は朝の4時まで飲んだ。バカである。

だから体重も減ったままである。バンザイである。

身体が風邪をひきたがっているが、気力で追い払っている。いよいよこの日曜日にはオヤジバンドのライブ本番である。その緊張のせいで体調は良い状態だ。

緊張感のおかげで元気を維持している。こういう感覚って大事なんだとつくづく思う。

ライブが無事終わったあとに一気にヘロヘロ~ってならないように、今後も緊張するような予定をバンバン入れ続けようと思う。

追い込みのスタジオ練習で課題が続出し、それを何とかやっつけながら完成形に近づいてきた。二人のギタリストのおかげである。わがままボーカリストの要求をキッチリ形にしてもらった。

もっとも、素人演芸なので、完成形と言っても大したことはない。ガッチャガチャだったものがそこそこ収まってきた程度である。

それにしてもスタジオ練習の音源を聞き直すと、自分の拙さに気が滅入る。謙遜ではない。自分では良い感じで歌っていたつもりなのに、音程やテンポが乱れまくる。

カラオケスナックとかで調子よくうなっているオッサンとかも、ヘタクソなのに本人は裕次郎とかになりきっている。本人は幸せでも周囲は堪ったものではない。アレと同じである。

もっと切ないのは、自分の歌声をバックに寝入ってしまうことである。復習のためにスタジオで録音した練習音源を深夜に流す。酔っているから気づくと寝てしまう。

すなわち、自分の歌声が子守歌である。なんとも侘びしい。

うたたねから目覚めた時に、「ダーリン、だめよ、そんなとこで寝ちゃったら、ウフン!」とか言われるなら嬉しいが、聴こえてくるのは自分のシャウトである。

金縛りに遭いそうになる。

当日、ライブ会場ではエコーを深めに効かせて乗り切ろうと思う。

さて、呑んだくれの日々である。

相も変わらずお寿司屋さんとか焼鳥屋さんとかでクダをまいているが、先日、たまたま入ったスペイン料理屋がなかなか良かった。嬉しい収穫である。


銀座というより有楽町、数寄屋橋にある「セニョール・マサ」という店。店の広さが有り難い。窮屈感はない。ホール席も間隔は広めで、カウンター席もカウンター自体の奥行きに余裕があって居心地良し。

今までスペイン料理屋をアチコチと巡ったわけではないので、味は正直分からない。でも、私自身はウキウキバクバク食べ続けたから悪くないはずだ。



エビのアヒージョも味付け自体に旨みがあったし、ムール貝のトマトガーリック煮込みみたいな料理も味が濃すぎず薄くなく、素材も悪くなかったからバッチグーである。

スペインレストランだから、カバで威張っていられるのも嬉しい。小洒落たレストランでシュワシュワ系を飲む場合、シャンパンをボトルで頼むと財布が淋しくなる。その点、スペインの泡であるカバはボトルで何本も頼んでも大したことはない。

水のようにグイグイ飲んでも財布には優しい。だから飲み過ぎてしまう。したたか酔う。幸せである。

パエリアもいくつか用意されていた。この日はポルチーニと何とかのパエリアにしたが、香りも正しく立ち上っていたしバッチグーだった。

使い勝手の良さそうな店だったので、また行きたい。

とある別な日、都内某区の区長を務める幼稚園時代からの同級生とじっくり飲んだ。区外で飲むのが楽しいらしい。確かに日々の公務が選挙民とダイレクトに関わるから何かと厄介ごとも多いのだろう。

堅い話は抜きに、家庭論とか、共通の友人のアホのような噂話や中年男はどこまでカッコつけて生きるべきかみたいな下らない話だけで時は過ぎていった。

仕事柄、さすがに真面目である。真面目じゃなきゃ何十万人もいる区民が困っちゃうから当然だ。

無責任な旧友としては、彼が昭和の利権政治家みたいな悪代官的雰囲気をまとってくれたら面白いと思うのだが、そうもいかないようだ。

いつか怪しげな料亭で「おぬしも悪よの~」みたいな会話をしてみたいのだが、実現は難しそうだ。


この日、銀座のお寿司屋さんで珍味ばかり食べていた。キンキとか、数々のキモ類をワシワシ食べたが、なかでもスジコがタマランチンだった。黄身しぐれが添えられていて酒のツマミには最高だった。

そのあとで、スジコ巻きも出してもらった。酒を飲んでいる時に、ツマミ気分で食べるシャリ付きの一品としては極上だった。ウットリした。

呑気で楽しい?12月である。体内にコレステロールと尿酸と何よりも疲労を過剰に貯めこんでいることが問題である。