2015年10月14日水曜日

トレドの鐘の音





なんとなく普段と違う場所で誕生日を迎えたくて、貯まっているマイルをフル活用してスペインに行ってきた。

以前から行きたかったトレドが目的地。「スペインで1日しか無いのなら迷わずトレドに行け」と言われている場所だ。

実際に行ってみた感想もまったくその通り。朝も昼も夕方も夜もすべて魅力的だった。



ヨーロッパのあちこちで「中世を思わせる街」に出会うが、トレドの場合「中世で歩みを止めた街」という表現がぴったりくる。

迷路のように入り組んだ路地をあてもなくさまよってみた。ひたすら散歩だ。時々は教会も覗いたりしたが、それ以外は黙々と歩いた。足はパンパンになったが実に楽しい時間だった。

スマホに搭載されている位置情報を表示する機能が散歩のサポートをしてくれた。あれがなかったら細い路地ばかりで方向がわからず発狂したはずである。

宿は「Parador de Toledo」。パラドールとは、スペイン各地に存在する国営のホテルだ。古い時代の建物をリノベーションした世界遺産大国スペインならではの宿である。



トレドのパラドールは市街中心地からタクシーで10分ほど離れた高台にある。美しく浮かぶように見える街全体の姿を眺めることで人気がある。

エル・グレコが描いたままの絶景がいながらにして楽しめるのがウリである。


今回、トレドには2泊したのだが、当初はパラドールが一泊しか確保できず、もう一泊は市街地のホテルを手配していた。

ところが、旅行に出てから2日目、マドリッド滞在中にインターネットでしつこく空室をチェックしていたら一室だけ空きが出たようで、慌てて確保した。スマホさまさま!である。

ここに泊まる利点は「絶景24時間体制」に尽きる。朝日に輝く街、夕陽に色づく街、夜のあかりが灯る街。時間帯ごとに堪能できる。



部屋はムダにスペースが広いJr.スイートだったのだが上位カテゴリーの割には部屋からの眺めは大したことなかったのが残念。

でも、部屋から近いカフェから続く展望テラスからの絶景が圧倒的だったのでいつもそこで葉巻をふかしていた。




画像はすべて同じ展望テラスから撮影した。一眼や高機能コンデジも持参したが、スマホのカメラが一番良く撮れた。

朝に昼に夜にこの景色を見ながら「人生50年」に思いを馳せた。実際に覚えているのは40年ちょっとか。いや、都合の悪い過去をずいぶん記憶から完全消去しているので35年分ぐらいだろうか。

なんじゃそりゃ。

まあいいや。一応そんな気分になってみた。そして沈思黙考を重ねて導き出された結論は「もっと感動しよう」である。


歳とともに感動する心は弱くなっていく。達観もするし、分別顔もクセになる。もったいないことである。何事においても新鮮な気持ちで大袈裟なぐらい感動したほうが人生が明るくなる気がする。

旅先で目に飛び込んでくる景色、映画や本はもちろん、小さなことでも自分の心が動いたらガンガン感動しようと思った。

実践できるかどうかは今後の行動次第だが、そんな気持ちになれたことは今回の旅の収穫だ。

トレドへはマドリッドから特急電車で向かう。ラマンチャ地方ならではの荒涼な大地が見えてきたら到着である。わずか40分弱。近すぎて拍子抜けするほど。




ぐちゃぐちゃした大都会マドリッドからすぐに着いてしまうわりにはトレドでは喧騒を感じない。時折響く鐘の音が古都ならではの風情を強く感じさせる。

団体旅行の集団と遭遇する時以外はいたってのどかな時間が流れる。日帰り観光客が多いせいで、夕方以降は特に静かだ。

私の場合、散歩に疲れた時や、街並みの撮影のタイミングに合わせて頻繁に中心地と宿をタクシーで移動した。どの道を通っても目に入るすべてが「トレド的」である。タクシーで移動するたびに目に入る景色も飽きることなく眺めた。

美食の国といえども、世界的な観光地だけに、インチキみたいなレストランも多いみたいだ。


この画像、実はぜんぶマズかった。トレドの名物ウズラは臭みがあったし、豚の煮込みはあり得ないほど固く、パエリアは作りおきをチンしたとしか思えないヌルさと味わい。そんな店を選んでしまった自分を呪った。

で、次の日の夕飯はマトモな店に行ってマトモなモノを食べた。残念ながら店の名前を忘れてしまった。

実はこの日、日本時間では一応私のバースデーディナーである。さすがにインチキパエリアはゴメンだ。


名物のウズラ料理は少し酸味を効かせたソースの味が日本人の味覚にもバッチリだった。野鳥ならではの肉質と風味の良さが印象的だった。


こちらは牛テールの煮込み。見た目よりあっさりしていて白ワインにも合う感じ。ホロホロとろとろの食感でかなりのボリュームだったが飽きずにワシワシ食べられた。

それにしても、田舎のスペイン人の英語力のメロメロぶりには驚かされた。

英語なんてまるで苦手で常に勢いと勝手な想像だけで会話を成立させている自分がペラペラの達人じゃないかと錯覚したほどだった。

次回は「知らなきゃ良かったファーストクラス体験」を書きます。

2015年10月9日金曜日

小休止2


今日も過去ネタです。

まずは映画の話。グレゴリーペックのような大人になりたかった私ですが「時すでに遅し」。残念です。

★ローマの休日

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/06/blog-post_29.html



続いては「イキとヤボ」について。粋な男を目指してきましたが、年々、鈍感で野暮ったい行動ばかり目立つようになってしまいました。残念です。

★粋と野暮

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/06/blog-post_10.html



続いては「日本にとっての上質」を体現した車の話です。

★センチュリー
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/04/blog-post_26.html



2015年10月7日水曜日

小休止


しばし旅に出ている関係で、更新をサボります。過去掲載分からいくつか紹介しますので覗いてやってください。


最初は世界的な艶福爺さんの話です。これを載せたのはもう5年前ですが、彼はいまだに健在らしい。ご立派のひと言に尽きる。


★ヒューヘフナー

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/09/blog-post_13.html



続いては下ネタ系です。やっぱりこういう話を書くのがとっても好きです。


★セックスと刷り込み

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/05/blog-post_20.html



次は日本文化の象徴であるお寿司屋さんについて結構真面目に持論を展開した話です。

★寿司屋という世界

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html



2015年10月5日月曜日

尻カメラ 矢場とん 冷やし中華 バンド活動


先週後半から実はスペインでぶらぶらしている。

今日のブログは出発前に書きためたもので、どうせ今頃はカヴァでも飲みながら鼻歌を歌っているはずだ。

節目の誕生日を迎えるにあたり、なんとなく非日常的な空間に逃げちゃいたい気持ちになった。どこへ行こうかアレコレ考えた結果、スペインのトレドを目指すことにした。

誕生日旅行だなどというとおセンチ野郎みたいでイヤだが、そんな大げさなものではない。単に旅好きだから自分への誕生日プレゼントみたいなものである。

うわべばかりの夜の街からのお祝い営業攻勢はイヤだ。かといって、せっかくの誕生日に巣鴨の大衆酒場でホッピーをグビグビするのもイヤだ。黙って自宅でエロ動画を見て過ごすのもシャクだ。ついでにいえば子供たちと一緒に過ごせない誕生日はほんの少し切ない。

理由を言い出せばキリがない。でも、すべてが取ってつけた言い訳みたいなものである。要は単に旅に出たかっただけだ。うん、それが純粋に真実だと思う。

フランクフルトに一泊してからマドリッド、トレドをじっくりぶらつきながら我が人生を考察して、ついでにウィーンに立ち寄って帰ってくる日程だ。はたしてどんな珍道中になっているか、来週以降には報告させていただく。

さて、秋が誕生日なので、毎年、この時期はお尻と口からカメラを突っ込んでもらう。

定期的な検査だ。内視鏡検査のほかに腹部のエコーや血液検査、そのほか肺のCTも受ける。人間ドック的な要素を手軽に済ませているわけで、私にとって秋の風物詩である。

私が昔から通っているクリニックでは内視鏡検査の際に、謎の強力鎮静剤だか弛緩剤みたいな薬物を注射されコテッと眠らされる。何も覚えていないうちに検査は終了する。

この薬物が大げさではなく物凄く快感だ。注射されて2分ぐらいでフワフワしてくる。長い付き合いのドクターとアホみたいな世間話をしてみるのだが、だんだんと視界がゆっくりと回り始めてどこかに飛んでいく感じ。

落ちないように踏ん張れば踏ん張るほど、落ちていく快感が身体中を包んでくる。どんなに抵抗しても知らぬ間にコロっと落ちてしまう。

目覚めたときには肩こりもすっかり解消しているし、その後、半日ぐらいはフワっとした感覚が残る。直後に酒を飲んだらフワッフワッ~になってしまうほどだ。

検査の日は当然、朝から何も食べられない。検査終了後にフワフワしながら空腹を満たすのがこれまた楽しい。

毎年毎年、今年はどこで何を食べようかと考えながら謎の薬物で落ちていく私である。

で、今年はクリニックから歩いていける場所にある味噌カツの老舗「矢場とん」を選んだ。東京では馴染みがないが、東海地方の人にとっては「スガキヤ・ラーメン」みたいなソウルフードである。


特選ヒレカツと串かつを注文してご飯もぶりぶりおかわりする。最大限に空腹の時のトンカツである。誰にどんな異論を挟まれようが天地神明に誓ってウマい。

私がミシュランの審査員だったら星を1万個はつけてしまう。

話は変わる。秋ならではの話題と言えば、忘れてはいけないのが「冷やし中華との別離」である。もりそば、ざるうどんなどは1年中活躍するのに冷やし中華は10月にもなると世間からコッソリ身を隠す。

毎年不思議に思うのだが、賞味期限が長いインスタントの冷やし中華は、全国の店頭から消えてしまった後はどこに行くのだろう。

メーカーの社員、関係者全員が持ち帰って来年の夏までせっせと罰ゲームみたいに食べ続けるのだろうか。

それとも包装を変えて別な粉末スープの子袋を入れなおして普通のラーメンとして再出発しているのだろうか。

昔から秋になると真剣に考えてみるのだが正解は謎のままである。


で、街場のスーパーの店先でこんな処分品を見つけては買いだめする私である。賞味期限は来年の春までだ。

「冷やし中華クリスマスバージョン」とか「年越し冷やし中華」とか、「バレンタイン冷やし中華スペシャル」なんかも大いにアリだと思う。

ついでにもうひとつ秋の話。

私がボーカルとMCをつとめるオヤジバンドは例年12月ごろにライブを行う。今年は11月28日に決まった。秋は練習が佳境を迎える時期である。


今年もこれまで7~8回に及んだ生音練習が終わり、10月中旬からはスタジオで音響装置をかました練習に移行する。

毎年、秋ごろからケツに火がついた感じで慌て始める。

バンドメンバー達との内輪のSNSではボーカルの私に対する叱咤激励という名の罵詈雑言が掲示板に飛び交う季節である。

「つべこべ屁理屈言わずに音程を取ることとリズムをキープすることを肝に銘じて地道に練習しろ」

こういうことを実際に言われる。わかりやすく翻訳してみる。

「お前は音痴だしリズム感もない。わかってるのかバカ!女のケツ追っかけてる暇があったら歌の練習に励め」。

そういうことである。結構大変である。グーの音も出ない私は気の利いた返信も出来ずに、仕方なく秘蔵エロ画像を掲示板に貼り付けて許しを乞う。

自分がMでよかったと思える瞬間である。

そんなこんなで今年も一つ歳を重ねて秋が深まっていく。

2015年10月2日金曜日

銀座大野


金木犀の香りが漂ってくると秋も本番である。

食欲の秋である。太る。

このところ、日本料理屋さんのカウンターに陣取ってばかりである。

ここ2か月ほどタバコを忘れている(やめているわけではない・・・)ので、全面禁煙の店でもニコニコ過ごせる。

ということで、初訪問の店にいそいそと出かけていく機会が増えた。

食欲の秋という厄介な事情も加わって自制心のカケラも無いダメ人間のようにグビグビ酒を飲み、ワシワシ食事をしている。


先日、初訪問してみた和食店は銀座にある「日本料理大野」。コリドー街に近い立地に目立たない様子で佇む店だ。

立て続けに2度お邪魔した。2回とも夕飯には遅めの時間に入店。居心地よく楽しい時間を過ごさせてもらった。

コース料理が基本の店だが、8時半を過ぎるとアラカルトでの注文も可能。初めて行った時は酒肴っぽいものを中心に煮魚、焼魚を適当に選ばせてもらった。

2度目はアラカルトメニューには用意されていないお吸い物を味わってみたかったので、魚中心のコース料理を注文。最後の釜焚きご飯は握り飯にして土産用に包んでもらうことにした。


そうはいっても、完成品を見せられたら、さすがに出来たてを食べたくなる。茶碗に軽く一杯よそってもらって食べてみた。

キノコの炊き込みご飯だったのだが、大げさではなく絶品だった。余計な装飾や余計な味付けを排除したシンプルだけど奥深い味わいだった。

水気の多いビチャッとした炊き込みご飯ばかりが世の中に出回っているが、この店ではコメがしっかり立っていて、強飯好きな私にとっては狂喜乱舞したくなるほど。

決め手はダシの味に尽きるのだろう。これが日本料理を世界遺産にまで昇華させたポイントである。


この料理はシマアジのみぞれ鍋。シマアジと大根おろしとダシの風味が渾然一体となってウットリである。

こういう逸品を肴に酒を飲む時間は何ともいえない幸せを痛感する。オッサンに生まれてつくづく良かったと思う。生まれ変わってもオッサンになりたいと心から思う。

店主の人あたりの良さもこの店の特徴だろう。2度目に出かけた時は、9時半頃だったので1階のカウンター席は貸し切り状態。結局、食事を終えるまでずーとアレコレと話をさせてもらった。

店主は料理人としてパリに長く住んでいたそうで、ヨーロッパの話や銀座の食事情に始まり、昭和の若者文化や下世話な話題に至るまで、こちらは日本酒、店主は白ワイン片手に2時間ばかり話し込んでしまった。

価格的にもあの街にしては良心的で、肩肘張って出かけるほど極端に緊張感が漂っている店ではない。実に頃合いのよい料理屋さんだと思う。

深夜2時まで営業しているそうで、遅めの時間だったら居酒屋的使い方も出来る。実際、深夜にそんな使い方をする常連さんもいるそうだ。

極めて真っ当な日本料理をツマミ感覚で楽しめるわけだから贅沢な話である。

また近いうちに食べに行こうと思う。でも、最近は新規開拓店の探検にハマっているので他の店も攻めてみたい。

胃袋は一つしかない。なかなか大変である。

2015年9月30日水曜日

イラつく


「富豪記者サンも怒ることあるんですか?」。そんなことを言われることがある。一応、穏やかなフリをして過ごしているから、私が人並み以上に短気なことはバレないことが多い。

誰かの胸ぐらを掴んだり、大声で怒鳴り散らすことは滅多にない。そんなことをしたい時もあるが、あれはあれで異様にカッチョ悪い行動なのでガマンガマンである。

女性や部下など、体力的や地位的に抵抗できない相手に怒りまくったところでみっともないだけだ。こっちのエネルギーが無駄に消費されてバカみたいである。

とはいえ、最近はイライラする場面が増えてきた。これも加齢だろうか。大声を出すわけではないが、しょっちゅう怒っている。

同じことを何度も言わせる、同じことを何度も確認する、人の話を聞いていない、空気が読めない、距離感に鈍感等々。こういう類いのバカに遭遇すると無性にイライラする。

短気は損気。ウン十年前から自分に言い聞かせているがダメである。

先日も、深夜のタクシーで、こっちの指示をいちいち復唱して「・・・でよろしいんですね?」と聞いてくる運転手に遭遇した。

「二つ目の信号を右、でよろしんですね?」と常にこちらに相づちを求める。もちろん、常識の範囲なら私だって気にしないが、その人はちょっと異常なほどしつこかった。

「今そう言ったろう?あなたバカなんですか?」とはさすがに言えない。あまりにしつこいので相づちをうたずに聞こえよがしに溜息をついてみた。

すると、その後はまったく相づちを求めてこない。溜息一発で改めるってことは本人もやましい気持ちがあるわけだろう。それがまた無性に腹が立った。

あの日のイライラで髪の毛は100本ぐらい抜けたかもしれない。たまったもんではない。

別な日、とある料理屋で一人しっぽり熱燗をグビグビしていた時のこと。板前さんとの世間話の流れで隣の席に座るオバサンと少し言葉を交わすようになった。

それはそれで珍しいことではないが、そのオバサンのお酌攻撃が尋常ではなかった。最初は板前さんにお酌しまくっていたオバサン、次なるターゲットは私だ。

自分はろくすっぽ飲んでいないのにお銚子を追加注文しまくる。板さんと私に酌をするためだけに注文している。

私だって一応、紳士である。最初のうちは低姿勢に有り難がって、返杯のお酌に励んだりした。

でも、あまりにしつこいので、「こちらはこちらのペースでやりますから・・・」とやんわりお断りしてみた。

それでもお酌攻撃をやめようとしない。そんな場所であからさまに不機嫌になってもヤボだし、結局、御勘定して店を出るしか方法はない。最悪だ。

「やんわり」が通じない人はつくづく苦手だ。違う星の人かと思う。本人は何も気にせず御機嫌なんだからタチが悪い。

顔で笑って心で怒る。思えばそんな場面がやたらと多い気がする。虫の居所が悪い日は、表面上は普通に装っていても、内面はグチャグチャで、なんでもかんでも腹を立てている。

「よろしかったですか?」「なるほどですね」などの変な日本語を聞かされると、自分のことを棚に上げてカチンと来るし、FacebookなどのSNSで感情的で中途半端な政治論なんかを読まされるとイラつく。

のろのろ運転しているクルマに腹が立つし、イヤホンだかヘッドホンつけて歩いているヤツにも腹が立つ。

凄い短いスカートを自分の意思ではいているくせにパンチラを異様に防御するヤツもイラつく。ついでにいえば私の意のままになってくれない人にも腹が立つ!?

いかんいかん、脱線しそうだ。

ネット上にあふれる泣ける話とか感動する話なんかも、ほぼ間違いなく作り話みたいなやつが多くないだろうか。道徳心や公共心のお節介な押しつけに思えちゃうとイラつく。

ここぞという場面でCMに入るテレビのあざとさもイラつくので見たい番組はすべて録画して見るし、「檀れい」が出てくると相変わらずムカつく。

50歳を迎えるにあたり、「ハーフセンチュリーですね」とか言われてニッコリ顔で「ありがとう」と返事するくせに、腹の中では「半世紀と言えばいいだろバカ!」と叫んでいたりする。

偏屈なんだろうか。もっと大らかにならないとストレスが溜まって髪も抜け落ちて老化に拍車がかかってしまう。反省反省。

ちなみに「うつ状態」が進行していく過程でイライラが爆発することがあるらしい。しょっちゅうイライラしている私も黄色信号なのだろうか。男にも更年期があるらしいからそっちの問題かもしれない。

で、グダグダ書き殴ってしまったが、オチが思いつかない。これまたイラつく。

旅にでも出ようと思う。

2015年9月28日月曜日

繊細な味 微妙な違い


和食ばかり食べている。世界中の料理が集まる東京に暮らしているのにヨソの国の料理にはあまり興味が湧かない。

昔はイタリアンでもフレンチでもエスニックでも何でも喜んで食べていたが、いつの頃からか和食一辺倒になってきた。

和食は世界遺産に登録されるほど世界的に価値のあるものである。真っ当な和食をせっせと食べることは世界遺産を日常的に身体に吸収しているわけだ。なんとも贅沢な話である。

和食の魅力は繊細さに尽きる。ダシの微妙な加減や食感一つとっても匠の技が活かされている。微妙な部分に魂が込められているのがポイントだろう。


小皿を並べた画像はイクラの醬油漬けの食感の変化を“実験”させてもらった時のもの。まさに「微妙」を体感させてもらった。

生のイクラは今の時期だけのお楽しみである。生イクラに醬油をチロっと垂らして食べるのが大好きなのだが、この日は作りたての醬油漬けイクラを味わいたい気分だった。

場所はいつもの高田馬場・鮨源。職人さんは作りたてと作り置きの微妙な違いを解説しようと時系列に4段階ほど異なるイクラの醬油漬けを用意してくれた。

面白いもので、出汁醬油に漬け込まれたイクラはどの段階のモノでも味は一緒。この「一定の味」に仕上げること自体が素人から見れば凄いことである。

問題は味ではない。食感が4段階それぞれ微妙に違う。素人の私でもその違いをしっかり認識できたほどだった。

イクラの表皮の食感が微妙に違う。職人さんが一番ダメだというイクラだって普通に美味しい。でも段階ごとに比べると、作りたてのなめらかな食感は他を圧倒する。

一緒に並べて比べなければピンとこないほど微妙な違いなのだが、その部分にこだわるところが和食の醍醐味なのだろう。

微妙な違い。この感じ方は極めて個人差が大きい。和食の店をウマいのマズいの批評するのは簡単だが、微妙な加減が大前提だから、一度食べたぐらいで店の良し悪しを決めつけちゃうのは賢明ではない。

それなりの水準の和食店でランチを一度食べたぐらいでネットで悪評を晒すのは反則だと思う。

話は変わる。先日、「初めての店探検」をしようと銀座の路地裏に佇む風流な構えの和食店に飛び込みで入ってみた。

時間は夜の9時頃である。お客さんの流れが一段落したタイミングでカウンターに陣取った。

店内の造りも凜としていて絵に描いたような「大人の食事処」である。フムフム、ウマいものが食べられそうだ。

板前さんもこちらの様子をうかがっている。私としてもそれなりに打ち解けないと息苦しいので、プロの客ならでは?の当たり障りなく、かつ、踏み込み過ぎず、出過ぎない程度の自己紹介的な世間話を繰り出す。

料理長さんは40代の真面目そうな人だ。とりあえず刺身と煮物、焼き物と酒の肴になりそうなモノを食べたい旨を伝える。

お燗酒片手に真っ当な和食屋さんのちょっぴり背筋を伸ばしたくなる空気を楽しむ。こういう時間をボケっと楽しめることが大人の幸せだ。若い時は居心地が悪いだけだった。

で、あれこれ食べてみた。もちろん、長く商売を続けている真っ当な店だからマズいはずはない。ただ、ちょっと物足りない。健康には良いのだろうが、全体的に味が弱い。

それなりに打ち解けてきた頃合いを見て料理長さんと少し無駄話を交わしたのだが、やはり酒が苦手な職人さんだった。

酒を飲まない職人さんや板前さんの味は、やはり酒を飲みながら食事を楽しみたい人間からすれば物足りない。一種の方程式だ。

もちろん、ちょっとの違いなんだと思う。それこそ「微妙な差」である。でも、その微妙な距離がとてつもなく大きな好みの差を生むのも確かだ。

別な日、銀座6丁目の「三亀」に出向く。少し前の初訪問をこのブログでも書いた。“裏を返さないのは客の恥”である。

前回と違う料理をあれこれ頼んだ。どれもとてもウマかった。鯛の兜の煮物など、見た目は真っ黒でしょっぱそうなのだが、実にいい塩梅の味付け。正しい東京料理である。

「ぜんまいの煮物」なる野菜嫌いの私にとっては気が狂ったかのような一品も注文した。前回、完璧なまでのダシの風味にノックアウトされたから、肉でも魚でもない素っ気ないぜんまいがどんな味付けで食べられるのか期待していた。

結果は大正解。ぜんまいなどという葉っぱだか茎だか分かんないヘンテコなものを物凄く美味しく感じたわけだから、和食の奥深さを思い知った感じだ。

なんだか最近はジャンク系より繊細な味付けの和食が毎晩のように食べたくなる。食欲の秋なのだろうか。いや、きっと心が繊細になっているのだろう。

さすがにそれはウソです。