2018年6月29日金曜日

交際クラブに入ろうか

目立った進展がない様子の紀州のドンファンの事件。ワイドショーの関心も徐々に他に移ってしまっている。

ボッキュンボンの若い妻、愛犬イブちゃん、デヴィ夫人等々、世間の関心を集める素材にコト欠かないから、動きがあり次第、再びブーム?が再燃するはずだ。

さて、ドンファンさんのおかげで、がぜん注目されているのが「交際クラブ」だ。多くの人がその存在は知っていても詳細がよくわからない世界である。

インチキだ、サクラばっかりだ、デリヘルのボッタクリ版、美人局だろう等々、知らないものに対してはそんなネガティブイメージもつきまとう。

ところが、ドンファン氏が交際クラブをベースに数々の美女とネンゴロになっていたという話が広まるにつれ「ホントに可愛いコちゃんをゲットできるみたいだ」という変な安心感?が生まれているらしい。

というわけで、「交際クラブ」をネットで検索してみた。出るわ出るわ。情報があふれている。入会金、セッティング料金はいろいろだが、男女ともに身元がわかる登録制ということが共通している。

自分の個人情報をさらしてまで登録したくはないが、そんなことを気にしない人にとっては実に簡単な仕組みだ。でも、家庭がある人や勤め先が風紀に厳しかったら二の足を踏むはずだ。実際はどうなんだろう。

男女ともに、そういう場所で知り合ったことは隠すから、実際の体験談を聞きたくてもなかなか難しい。ネットに体験談が出回っているが、あんなものは業者作成のヤラセだろう。

もう15年ぐらい前になるが、仕事で付き合いのあった当時50歳ぐらいの税理士さんが、銀座に拠点のある交際クラブに登録して奮戦していた話を聞いた。

その頃は、あまり興味がなかったのでテキトーに聞き流していた。いま改めて詳細を尋ねてみたいが、その人は2年ぐらい前に若年性痴呆が進んじゃって施設に入ってしまった。残念ながら取材不能である。

ここはひとつ、私が身をもって体験してここで報告したいものだが、そうもいかない。なんとなく躊躇してしまう。

結婚相談所ならともかく、ソッチ系の場合は、はっきり言って肉体関係を前提にした「交際」を有料で斡旋してもらうのが特徴だ。夢見がちなロマンチストである私としては、ストレート過ぎる感じが気に入らない。

セッティングしたらその後は個人の交渉でというスタイルだ。体裁上は管理売春にはならないのだろうが、平たくいえば売春の斡旋には違いない。

別に気取ったことを書く気はないが、どことなくワクワクできない。いや、何だかんだいっても風俗へ行くよりはワンクッションあるからワクワクするかもしれない。

ウダウダ書いている私だって、正直に言えば、個人的に知り合った人と真剣交際というより、ソッチの関係での付き合いを持ちかけることはある。現役の男だし、独身だし、その女性が魅力的なら伏してお願いしたい時だってある。

ぶっちゃけて言えば「チップ」を渡すこともある。人並みにスケベ心を持っているいっぱしのオジサマである。そんな状況になっちゃうこともある。

気の利いたサービスには御礼も必要だろう。心付けを包むのと同じような感覚と言ってもいい。飲みの席に付き合わせて遅くなったらタクシー代を渡すのと感覚的には似たようなものだ。

とりあえず“お金ありき”には抵抗があるが、結果的に相手が何を目的にして、どう思っているかはこっちは知るよしもない。

考えてみれば、いまハヤリの相席居酒屋にしても、パパ活を目的にしている女性と知り合えば同じことだろう。

相席居酒屋に限らず、今の時代は、若い女性と中高年男性を引き合わせる飲み会や食事会などを定期的に開催している飲食店の話をよく耳にする。

そこで展開されている駆け引きや交渉?は、交際クラブのそれと違いはないのかもしれない。

その昔、私が10代後半だったころ、「夕ぐれ族」という斡旋組織が話題になった。俗に愛人バンクと呼ばれて社会問題化したのだが、当時イケイケだった私は世の中のオッサン達の行動が理解不能だった。

あれからウン十年、今の私はバリバリのオジサマだ。当時のオッサン達の気持ちがある程度は理解できる。そこまでして奮戦したがっていた肉食的男気に敬意を表したいぐらいだ。

なんだかすっかり交際クラブ支持者みたいな書きぶりになってしまった。

いろいろと相手にしてくれる人がいなくなったら登録しちゃうのかもしれない。そうなったらここでその事実を白状できるかどうか。。。

ビミョーである。

2018年6月27日水曜日

大衆酒場 ジャンクへの愛


やさぐれた気分の時に目指すのが大衆酒場である。「モツ煮にホッピー」みたいなパターンである。

やさぐれた気分っていうのが自分でもよく分からないが、1年365日もあればそんな日もある。

「雑な感じ」に身を置きたくなるような気分の時だ。不思議とそういう時は「ちゃんとした感じ」から身を遠ざけたくなる。

キチンとした店のキチンとした感じが重ったるく感じて、ちゃんとした料理のちゃんとした感じを敬遠したくなる。

そんな気分の時って誰にでもあるのではなかろうか。私だけだろうか。だったら困る。

もちろん、大衆酒場がちゃんとしてないわけではない。高級店に比べれば不必要に居ずまいを正す必要がないという意味だ。

足を組んだまま斜めに傾いた姿勢で酒をズズズっとすするのもアリだし、タバコを手にしたまま食べ物を口に運ぶのもアリだ。行儀の悪さを気にしないで済む寛容さがある。

鼻毛を引っこ抜きながらホッピーを飲むなんて芸当は着物姿の仲居さんがいる料理屋では無理だ。でも鼻毛を引っこ抜きながらホッピーを飲みたい夜もある。

遠慮なくゲップをかましながら大あくびするなんて芸当はフォークとナイフを並べている洒落た店では無理だ。でもそんなユルユルした態度で過ごしたい夜もある。

イキな男や本当の紳士ならば、どんな安酒場だろうとキリっと背筋を伸ばして静かに盃を傾けるのが正しい。それは分かっている。そんな男になりたいものだが、凡人にはそれが出来ない。

雑な状態の中に身を置くと、大げさに言えば鎧兜を脱いだような軽快な気分になる。昼間の放電がじんわりと充電される感じ。


こんな飲み物をガーって飲み干す感じにもワクワクする。「カチカチレモンサワー」なる飲み物だ。要は凍らせた大量のレモンをチューハイにぶち込んである。

暑い季節には最高だ。上野の大衆酒場で飲んだ。上野という場所がミソだ。アメ横のそば、御徒町にも近い側にディープな大衆酒場が集まっている。

一種の観光名所的なエリアでもあるので、客層は普通である。ケッタイなおっさんがクダまいているパターンは意外に少ないように思う。

あえて名前は書かないが、もっとディープな下町エリアなら普通の人が少ない。私が大好きなテレビ番組「月曜から夜ふかし」で扱われるようなグダグダな街だったら、独特の空気感に気圧されちゃったりする。


最近やたらと目に付くようになった関西風の串揚げ屋も好きだ。なんてったって「ソースマン」である私にとっては、どんな具材だろうとソースで食べるという分かりやすさが嬉しい。

エビやキスのような魚介類も自分がソースをまとわされるとは予想しなかったはずだ。そう考えると、醬油派とソース派に二分されるアジフライだって、ソースこそが正解だと胸を張りたくなる。

紅ショウガやチーズ、タマゴといった変わり串だろうとソースが女房役になるわけだ。バンザイである。おまけに安い。

富豪を目指している私だから、フトコロに余裕がある時もある。そんな時でも大衆酒場のほうが快適な時もある。値段の問題ではない。

何だかんだと結局はジャンクフードっぽいものに郷愁を感じているのかもしれない。ハムカツやマカロニサラダなんかが出てくると条件反射のように興奮する。


ジャンク魂を揺さぶる究極の存在がペヤングだが、いま話題のギガマックスが気になって仕方がない。食べた人の意見は皆同じ。「味は普通のペヤングですよ」である。

そういう問題ではない。1.3リットルの熱湯を用意するという非常識な感じや、単に普通のペヤングを4つ入れてある安易な感じにジャンク業界の王道っぽさを感じる。

4つ分のペヤングにソースをかけてワシワシと混ぜ合わせる作業がやってみたい。立て続けに大口開けて頬張っても残りの分量を気にしないで済むという贅沢感に浸りたい。

ここ数日、そればかり考えているのだが、50歳をとっくに超えたオジサマとしては、ついブレーキをかけてしまう。そんな自分で残念でならない。

2018年6月25日月曜日

ウソがヘタ


知り合いにウソばかりつく女性がいる。自慢げに見せられた彼氏の画像と、以前に見せられたストーカーだという人物の画像がどう見ても同一人物だった。

ストーカーだった人が彼氏に昇格したわけではなさそうだし、どうも妄想癖があるようだ。そういう人をメンヘラというのだろうか。

こういうウソにツッコミを入れたら気の毒なので、こちらは気付かないフリをする。ひとしきり話を聴いてふんふんとうなずく。それが賢明だ。

あくまで推測だが、どうやら自分には言い寄ってくる男もいるし、日々あれこれバタバタしてるんだぞというアピールに励んでいるみたいだ。ご苦労なことである。歪んだリア充である。

リア充アピールが世の中に広まったせいで、くだらないウソが大量に出回っているのが今の社会だろう。

まあ、見栄みたいな可愛いウソに目くじらを立てる必要もない。人間なんて基本的には、いわゆる承認欲求みたいな心理で生きているから、自慢めいた言動に走りがちだ。

そうはいっても、私も若い頃だったら今のような他人様のリア充アピールの洪水の中で、すべてを鵜呑みにしちゃって悶々としたかもしれない。

ある程度の年齢になって、それなりに達観すれば周りがヤイノヤイノしていても普通にやり過ごせるのだが、若い頃はさすがに他人様が気になっていた。

やたらと誰かと比べたり、少しばかりの優劣を気にしていた。それが若さなんだろう。逆にそれが向上心や負けじ魂の元になっていた部分もある。

SNSに害されている今どきの若者は大変だと思う。背伸びすることに疲れてメンヘラ状態な人も大量発生しているはずだ。少し気の毒に思える。

さて、ウソの話である。冗談としてのウソは私の得意技だ。「実は父親がクロアチア人なんだ」とか「プロボウラーの資格を持っている」とかのバカげたウソを日夜連発している。

でも、ちゃんとしたウソ?が苦手だ。もっと器用にウソがつけたら違った人生があったんじゃないかと思えるほどだ。

ウソをつくと目が泳ぐ。表情が変わる。これではダメだ。ドッシリとした様子で表情一つ変えずに大胆なウソを語ってみたいものである。

吉田茂だったか佐藤栄作か忘れたが「心の底から真剣にウソをつけば真実になる」と語っていたらしい。なんかカッチョいい話だ。

ヘタれた私の場合、人の目を見てウソをつくことができない。だから相手の鼻先や眉間を見つめて頑張ってみる。しっかり目を見て話しているように錯覚してもらえる。でも、身体や表情がぎこちなくなるのは避けられない。気が弱いんだと思う。

堂々と相手を信じ込ませるウソがつける人は詐欺業界なんかでは引っ張りだこだろう。見え透いたウソをつくバカとは違って、一種の才能だ。ビジネスの面などでは大いに参考にしたい。

もちろん、対女性問題でもアノ才能があれば世の中が楽しくなるはずだ。女性という生き物は男に比べて「疑いのカタマリ」である。身を守りたいというDNAのなせるワザだろう。

対する男はウソがヘタだ。これも古くからの因習で「男らしく」「男たるもの」みたいな固定観念のせいで、ウソを闇雲に罪悪と思い込んでいることが背景にある。だからアタフタする。

確かにウソは悪いことだが、必要なウソもあれば、許される程度のウソもある。そんなウソならサラっとこなしたい。

ちなみに私が最近ついたウソで、相手が信じちゃったやつをあげてみる。

「大学生の頃、アルバイトで渡哲也の付き人をしたことがある」。

「マレーシアに旅行したときにマントヒヒのモモ肉を食べた」

「初体験の相手が友人の母親だった」

こういう話をすると、周辺事情というか、枝葉の話について質問攻めにあう。そこを乗り切るのがポイントである。

経緯や細かいディテールを聞かれても、その場でもっともらしいウソを上塗りできれば完璧である。

瞬時に整合性の取れた話を構築するわけだから脳ミソはフル回転だ。ボケ防止に非常に有効だと思う。

ただ、最後には「ウソだよーん」と明かしてしまう。そこが私の限界である。シレっとした顔でそのままに出来たら私もいっぱしの詐欺師予備軍になれるかもしれない。

2018年6月22日金曜日

眠い話とサッカーの話


眠くて仕方がない。最近の私の課題である。睡眠時間は普通だ。浴びるように飲んでいるわけでもない。バテバテになるような活動もしていない。でもやたらと眠い。

午前中も午後も夕方も、ふと眠くなる。書類に目を通していたり、書きものに励んでいる時も、睡魔がやってきて、ちょこっと落ちたりする。ここ2か月ぐらいそんな状態が多い。

そのくせ、夜ベッドに入って灯りを消しても30分ぐらいは寝付けない。安定剤のお世話にもなる。リズムが狂っている感じだ。

一説によると、睡眠時無呼吸症候群や肥満が原因の低換気症候群という状態だとこんなパターンに陥りやすいらしい。

睡眠時無呼吸ナンチャラと書くと仰々しいが、要するにイビキが激しいと呼吸が不安定になって身体が休まっていないということ。

低換気とやらはデブのせいで肺の換気が適切に出来なくなって、やはり睡眠中の身体に負担がかかるらしい。

私はイビキ大王だし、いっぱしのデブだから、そのあたりの可能性は否定できない。だとしたら由々しき問題である。だいたい、イビキ自体がデブの得意技である。

体重を落とせば済むのだろうが、あれは目標が明確じゃないとやる気にならない。

今年も毎年恒例のオジサマバンドのライブが11月にある。人様の前でステージに立つから、事前に少しは体重調整に努める。でも、さすがに真剣になるのは1か月前ぐらいからだ。今からやっても維持できない。

今までの人生で夏ヤセしたこともない。夏はソーメンを食べ過ぎて逆に太りやすい季節である。そもそも寝苦しい夏は、私のようなイビキ大王にとって魔の季節だ。

しょうがないからコーヒーを多めに飲んだり、メガシャキなんかも愛飲して眠気を退治するしかないだろう。

メガシャキと言えば、ワールドカップである。眠りが浅いと悩んでいるくせに、夜中にサッカー観戦に夢中になって、昼間は職場の隣のコンビニでメガシャキを買う日々だ。

世界のトッレレベルのチームが本気でやる試合はやはり面白い。ふだんサッカーに興味がない私でも興奮する。

実はサッカーとの縁は子どもの頃からあった。私が通った学校の校技がサッカーだったせいで幼い頃からサッカーに馴染んでいた。

当時、すなわち昭和40年代、50年代といえば世の中は野球一色だった。サッカーが世間の話題になることは皆無だった。ワールドカップのテレビ放送もなく、そもそも大会の存在を知っている人の方が少数派だったぐらいだ。

わが母校は遠い昔にフランス人宣教師が設立した関係で、卒業式ではなぜかフランス国歌を歌わされるし、運動といえばサッカーだった。

そのせいで小学校では年に1度の運動会よりも1学期ごとに行われるサッカー大会のほうが格上のイベントだった。

中高のサッカー部は何と日本サッカー協会より歴史が古いらしい。私はサッカー部関係者ではないが、なんとなく自慢したくなる。

小学生といえば、運動神経のいいヤツがブイブイするのが世の習いだが、我が母校ではサッカーのうまい連中が幅をきかせていた。

野球少年だった私など屁みたいなものだった。サッカー大会では長身という理由だけでゴールキーパーをやらされた。

昨年、急に死んでしまった旧友と一緒に放課後、キーパーの特訓をやったことを今も思い出す。ヤツはその後、高校の東京代表で国体に行くほどのストライカーだったから、強烈なシュートを百本ノックのように浴びせられてヘロヘロになった。

懐かしい思い出だ。今年はワールカップの年だから、今度のライブでもヤツを偲んで作ったオリジナル曲を再度披露しようと思う。

話がそれた。

子どもの頃のサッカーの思い出は、Jリーグがスタートする20年近く前の話である。ボランチなんて言葉は誰も口にしなかったし、オウンゴールは自殺点と呼ぶのが普通だった。ユニフォームのパンツだってヒザ上30センチのピッチピチだった。

まあ、正直に言えば「オレってサッカーのことは40年以上前からアレコレ知ってるんだぜ」ということを書きたかったわけである。

この四半世紀ぐらいで一気にサッカー人気は定着した。昔を知る人間としてはただただ驚きである。関係者達の努力はもちろんだが、各方面のビジネス戦略がハマった点も大きかったのだろう。

Jリーグ発足以前からプロリーグの構想はあったものの、何度も頓挫するなど紆余曲折を経て、結果的にはバブル時代の勢いに乗っかれたのが転換点だったのだろう。

そこに2002年のワールドカップ誘致という神風が吹いて、一気に国民的スポーツに進化した感じだ。

一次予選で日本がどんな結果になろうと、あの場に出場していることが凄いことだ。あのイタリアだって今回は出られなかった。イタリア人に比べれば今回の我々は遙かに幸せである。

サッカーではまだまだ日本は途上国なんだから大らかに応援すればいいと思う。その上で、その他のアンビリーバボーな国々の試合をビックリしながら観戦するのがワールドカップだ。

なんだか今日はいつになく脈略もオチも何もない話になってしまった。

2018年6月20日水曜日

オコメに悶絶


硬めに炊きあがったコメが好きだ。コメも麺も硬いほうが良い。軟派な人生を過ごしてきた私だが、せめて口に入れるものは硬めに徹したい。


寿司飯にしても粒立ってこそのものだと思う。ビチャ、ベチャ的な形容詞がつくようでは食べる気にならない。

ベチャベチャしたコメを食べるぐらいなら、水加減を間違えてパサパサになっちゃったコメのほうがマシだ。

お茶漬けやスープカレーみたいに汁と混ぜる場合でも、硬めのコメが正解だろう。ベチャベチャしたコメだと埋没する。「粒立った」という言葉のイメージ通りにコメの存在感をしっかり感じられる方が美味しい。

ヨソの国のコメだって同じ。口の中でポロポロ転がるように一粒一粒のコメが独立して存在を主張するような感じが嬉しい。

というわけで、久しぶりに無性にビリヤニが食べたくなってインド料理屋さんに一人ふらっと行ってきた。炊き込みご飯「ビリヤニ」が標的だ。


銀座8丁目の「天国」の隣のビルにひっそり佇む「アナム」という店だ。以前は6丁目あたりにあった店だ。この周辺にはすぐ近くの博品館ビルの中にその名も「カーン・ケバブ・ビリヤニ」という人気店がある。

いつのまにか、昔は幻?だったビリヤニがアチコチで食べられるようになった。パサっとしたコメが好きな人には良い時代になったものだ。

辛さが選べたので、ごく普通にしてもらったのだが結構な辛さだった。個人的にはもう少しアッサリ目の味付けのほうが好みだが、これはこれでウマい。

まあ、私も着実に老化が進んでいるから、昔より味の好みが弱っちい方向に向かっている。インド料理をムホムホ食べたい若者なら大満足だろう。

鶏肉料理やマトン系のカレーも美味しく食べたのだが、食後5時間ぐらい経っても腹の中がスッキリしなかった。店のせいではない。私の身体が正しく年齢相応に反応したのだろう。ちょっと淋しい。



こちらは私のソウルフードだ。九段下にあるホテルグランドパレスのピラフである。シャトーソースという名の謎の液体をぶちまけることで至福の味が完成する。

40年以上前の子どもの頃、近くの学校に通っていたせいで親に連れてきてもらった頃から変わらぬ味だ。ピラフの粒立った感じはソースと絡み合うことで逆に引き立つ。

この日は大盛りにしてもらったのだが、ペロペロと完食してしまった。九段下は今の私の家からさほど遠くないので、もっと頻繁に食べに行きたいのだが、意識してブレーキをかけている。しょっちゅう食べたらデブまっしぐらである。

デブまっしぐらといえば鰻重問題も私にとっては悩ましい話である。鰻屋さんに行くのがこの上ない喜びなのだが、私にとってウナギは酒とともに味わいたい。

白焼きやうざく、その他のツマミを肴にしっかり飲んでからシメに鰻重というパターンだが、鰻重をしっかり食べたらデブまっしぐらである。

仕方なくいつも「ご飯は極小で」と注文する。鰻重はタレの染みたご飯とともに頬張るのが最高にウマいのだが、ダラダラ飲んでいると、ついついご飯の上のウナギをツマミにして延々と飲み進んでしまう。


冷めないようにお重の蓋を開け閉めしてウナギだけをチマチマと食べていくうちに、気付いたらご飯だけが残ってしまうという残念な事態に陥ることがある。

無残な姿である。ここで終了すればカロリー摂取の面では良いのだろうが、店の人の手前、そんなフシダラなことは出来ない。しかたなく、主を失ったご飯だけを半分ぐらいは黙々と食べることになる。

金欠でウナギのタレだけでドンブリ飯を食べた侘びしい若い頃を思い出す光景だが、実はこれがやたらとウマい。

ウナギの風味が少し残ったご飯に程よい加減でタレが染みこんでいる。私が出向く鰻屋さんはご飯も硬めに炊いてある。こういうシンプルな「タレご飯」は必然的にウマい。

酔いも手伝って、半分だけ食べるつもりだったのに、気づけば完食してしまう。コメの魔力がウナギのタレの魔力と混ざり合うわけだから、私の意志なんて瞬殺される。

痩せるはずがない。いや、この程度のデブで済んでいることが奇跡かもしれない。

2018年6月18日月曜日

銀座の部活


私にとって一種の潤滑油が夜のクラブ活動だ。ムダといえばムダ、有意義といえば有意義なのがオトナの部活である。

銀座7丁目8丁目あたりの夜の空気感に惹かれてウロウロするわけだが、そんな場面でも自分の老化を感じて残念な気分になる。

昔より長っ尻になってしまった。以前ならテキパキと小一時間ぐらいで店を移動するエネルギッシュさがあったが、最近はドカンと腰をおろすと長々とバカ話に花を咲かせる。


その店が楽しいとか、お気に入りの女性がいるならともかく、そうじゃない時でもダラダラしている。腰が重い。あまりカッチョいい話ではない。

サッと顔を出して風のように去るのがイキなのかもしれないが、ダラダラしちゃうのは感度が鈍化しているからだろう。

一度座ると立ちたくない。職場でも非常階段の踊り場にタバコを吸いに出ても、ついつい階段に腰をおろしてしまう。爺さんみたいである。もっと足腰を鍛えないといけない。

さて、クラブ活動の話である。付き合いのある黒服さんが店を移ったとのことで、初訪問の店に出かけた。


ボトルをプレゼントされちゃったから、感激屋の私は今後もちょこちょこ顔を出すことになるのだろう。そんなものだ。

初めて行く店、あまり馴染みの無い店はそれなりに楽しい。常連顔でホゲホゲできる店のほうが何かと快適だが、初めての店は顔見知りもいないから、「寡黙で渋いダンディーなオジサマ」を演じるチャンスがある。

何度も通っている店だと、私のアホバカぶりはバレている。今になってカッコつけようとしても手遅れである。「ワイ談大魔王」という定着したイメージから逃れることは出来ない。

その点、馴染みのない店では、田村正和ばりの苦み走ったいい男を演じても、ウソだとは思われにくい。高倉健のフリだって可能だ。

だから頑張ってカッコをつけてみる。席に着く女性陣もかしこまった感じで「謎めいた私」の様子を探ってくる。良い感じだ。

「こういう店には滅多に来ないから何を話していいか分からないな」などと硬派な男を演じたりして自己満足の時間を楽しむ。

しかし、コトはそう簡単に運ばない。馴染みの黒服さんがやってきて、場を盛り上げようと「この人のワイ談は奥が深い」などとアッサリ私の素性を暴露してしまう。

そんな展開になったら、根っからのワイ談インストラクターである私は、アッという間に「いつもの自分」に戻ってしまう。待ってましたとばかりにワイ談大会が始まる。

「謎めいていた私」は15分ぐらいで終了である。仮面は剥がれ、単なるスケベだという事実がそこの店でも記録される。

おまけにサービス精神旺盛の私は、初訪問ゆえに何かと話題が少ないその場の雰囲気を盛り上げようと、普段よりもワイ談のギアを上げがちだ。

その結果、ワイワイと楽しい席にはなるものの、「モテる」という展開には程遠い流れになるわけだ。なんとも切ない展開である。

ワイ談と一口に言っても、そんな生易しいものではない。ただ下品な話をするようではズブの素人である。高尚な次元を目指す私にはそれなりのコツや流儀がある。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/08/blog-post_19.html

一方的に語るだけでなく、その場の皆さんで「百物語」のように語り合うのが大事だろう。

この鉄則?に沿って今も各地でワクワクするような話を入手している。そのおかげで自分も新ネタを増やすために頑張ろうという気持ちになる。

老け込んじゃイカン。自分でそう思えるわけだから、夜の部活でワイ談に励むことは私にとっての健康法になっている。

ジムに行って身体を鍛えるより有意義かもしれない。そんなケッタイな言い訳をつぶやきながら夜の街に絡め取られている。

2018年6月15日金曜日

お子ちゃま的な味覚


食べ物をウマいと感じるかどうかは「甘味」に左右される。個人的に強くそう思う。スイーツの甘さではない。普通の料理における甘味のことである。

グルメな評論などを読んでいると「野菜の甘味が溶け出して・・・」といった言い回しを見かける。

ハンバーグに混ざっているタマネギの甘味などがその典型だろうが、そういうまどろっこしい甘味とは別に、単純に「砂糖」の甘味はもっと評価されるべきだと思う。

時々訪ねる銀座の小料理屋さんのポテトサラダにいつも感激する。芋芋した固形感がまるで無いマッシュポテト状のポテサラなのだが、甘味が絶妙である。聞けば砂糖の甘味だとか。

とかくマヨネーズやコショウの加減ばかりに意識が向きがちなポテサラだが、砂糖という秘密兵器のせいで、類いまれな美味しさに仕上がっている。

ほぼすべての国民が愛してやまない焼鳥やウナギにしても、味の決め手であるタレには砂糖が不可欠だ。すき焼きの割下だって同じ。

昨年このブログで私のお気に入りレトルトカレーを紹介したことがあるが、味のキモみたいな部分は砂糖だった。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/100.html

根っからの東京人である私は卵焼きも甘い方が好きだ。う巻きしかり、お寿司屋さんでシメにもらう卵焼きも甘くないと嬉しくない。


考えてみれば、私が何より大好きな「ニッポンの洋食」にしても「甘味」が最大の魅力なのかもしれない。

調理の過程で砂糖を使っているかどうかは知らないが、クリームコロッケ、メンチカツ、グラタン、各種のシチューなどはどことなく甘味を感じる。

先日、銀座3丁目にある洋食の老舗「グリルスイス」に出かけた。ちょくちょく洋食大会を楽しむ「煉瓦亭」のすぐ近くにある。

「天皇の料理番」として有名なナントカさんの流れを汲むお店だ。カツカレー発祥の店としても知られる。長嶋茂雄の前にジャイアンツの背番号3を背負っていた千葉茂さんのリクエストからカツカレーは生まれたそうだ。


アマノジャッキーな私はカツカレーには興味がない。ミックスフライをアテに飲み始める。帆立フライ、エビフライ、クリームコロッケの盛り合わせである。何かと矜持のある洋食屋さんは総じてタルタルソースがウマいのが嬉しい。

帆立フライが妙に甘くてウマかった。さすがに砂糖ではなく帆立自身の甘味だ。お寿司屋さんでもいつも思うのだが、貝類は火を通した方が甘味が増す。これもその典型的な味だった。

ビールやハイボールでフライものを楽しむのは至上の喜びだ。ついでにいえば、フライに合わせるウスターソースも原料として砂糖が定番である。私が醬油派ではなくソースマンである理由も「甘味」に惹かれるからだろう。


フライの後はハヤシライスである。甘味を感じる官能的な味だった。変な酸味が目立つハヤシライスとは違い、この店の場合、深いコクのあるデミグラスソース系のまろやかな味。肉もゴロゴロ入っていて、甘味のあるビーフシチューって感じ。洋食ファンとしては納得の一品だった。

いま思えば、子どもの頃、家庭で食べていたものの多くが甘味を感じるものだった。麻婆豆腐なんて中華っぽい要素はまるで無く、挽き肉と豆腐と多少のとろみが砂糖ベースの味付けで出てきた。

まったくの創作料理とも言えるが、あれが妙にウマかった。魚の煮付けなんかも砂糖が多めだった。

お子ちゃま時代の味覚は中高年になっても厳然と身体の中に染みついていることを実感する。

糖尿の気配がまったくない家系だったおかげだ。今後も砂糖とは仲良く付き合いたい。