2018年8月31日金曜日

高級炊飯器に興奮する


時々、まっすぐ帰宅して家で飲むことがある。レトルトや冷凍モノが中心だが、私はかなりのストック魔なので、ツマミに困ることはあまりない。

今年になって知ったのが冷凍の枝豆がそこそこ美味しいということ。食べる前まではそんな気色悪いもの食えるかいって感じで敬遠していたが、ある日、ダメ元で試してみたところ、下手な居酒屋の枝豆よりマトモで感心した。以後常備品になった。

冷凍庫には常にスジコなんかもストックしている。枝豆にスジコ、それにツナ缶をあけてマヨ醬油でちょろっと味付けすれば、アッという間に小鉢3品である。


ふるさと納税に励むようになってから、冷凍物が増えたのでそれ用の冷凍庫を買った。ウナギから松屋の牛丼までてんこ盛りだ。

ちょっと値の張る高級冷凍シュウマイなども家飲みの際の強い味方になる。単純明快にウマい。他にもレトルトシチューやハンバーグもあるから、小鉢の後の重いツマミも何とかなる。便利な時代だと思う。


こちらは沼津の渡辺精肉店という店のオリジナルのコンビーフだ。結構な人気を集めているらしい。ふるさと納税の返礼品にもなっていたので、さっそく入手した。

以前、革命的にウマいコンビーフをここで紹介した(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/10/blog-post_26.html)が、こちらのコンビーフはまた違う種類の美味しさだ。

味が優しい。正直言えばちょっと薄いぐらい。脂のギトギト感もなく実にアッサリしている。逆にちょこっと好みの味付けを加えればいろいろな楽しみかたが出来る。オススメだ。

家飲みの場合、炭水化物までたどり着かないことが多いが、週末になるとせっせとコメを炊く。休日の私の楽しみはウマい米を食べることである。

コメの銘柄がどうだ、炊き加減がどうだとここでもアレコレ語ってきたが、より大きな喜びを手にするために高級炊飯器を衝動買いしてしまった。


なんでもイマドキの炊飯器は圧力系と非圧力系に別れており、主流は圧力系だという。難しい話はよく分からないが、硬めのコメが好きなら間違いなく非圧力系が最適だという話を耳にした。

圧力系のほうがもっちりした仕上がりになり、非圧力系のほうがしっかりと粒立った感じになるらしい。もちもちした炊きあがりは好きではない。当然私が気になるのは後者だ。

で、非圧力系で良さそうなものを探してみた。各メーカーのフラッグシップ炊飯器の中で非圧力系を採用しているのは三菱製だけだとか。結果、私の選択肢はそれだけである。

定価は10万円以上もするらしい。でもネットで見ると実売価格は5~6万だった。不思議なもので5~6万だと聞いたものをその値段で買うのは勇気がいるが、10万オーバーと聞いていたのが5~6万だと喜んで買ってしまう。

そんな流れで衝動買いである。なんだか興奮する。「高級炊飯器を買っちゃう自分」って結構いい感じだ。“こだわりの男”みたいで素敵だ!

コメを美味しく食べたいのは日本人の根源的な欲求である。いっぱしの顔をしたオジサマとしてその欲求には忠実であるべきだ。

もう何年も前に離婚して引っ越しする際に、他の家電とまとめて買ったテキトーな炊飯器を使い続けているようではコメ好きの名がすたる。

というわけで、おニューの炊飯器を日々研究している。驚くのはコメの銘柄があらかじめ30種類ぐらい登録されていて、それに最適な炊き加減をコントロールしてくれる機能だ。まあ、そんな機能がどれほど正しいかは分からないが、何だかワクワクする。



他にも炊きあがりに硬さが5段階、粘り気を3段階ごとに任意に選べる。私の場合は「硬めマックス、しゃっきり度マックス」で決まりである。残念なのは早炊き機能を使う際には、そうしたワザが使えないことだ。

これまでも早炊き機能ばかり使ってきたから、悠長に1時間もコメの炊きあがりを待つのがかったるい。ニュー炊飯器でも主に早炊きだが、それでも粒立ったコメの炊きあがり具合は私を幸福にしてくれている。

実際のところ、これまでの炊飯器と比べて10倍もウマくなったわけではないが、コメのツヤ感や甘味を以前より強く感じるのは確かだ。前の炊飯器より3倍ぐらいは美味しくなったと思う。

早炊きだけでなく、銘柄別炊き分け機能で「ななつぼし」や「つや姫」を炊いてみた。みずみずしいのにベチャっとはならないのが嬉しい。適度に冷めた時にコメの旨味を強く感じる。結論から言えば、買って正解だったと思う。

今度の休日には朝から晩までいろんなパターンでコメを炊きまくってみようと思う。

デブまっしぐらである。

2018年8月29日水曜日

赤坂離宮の焼きもの


無性に中華料理が食べたくなることがある。理由は分からないが、周期的に頭の中が中華思想?になる。

温めた紹興酒が飲みたい時にそういう発作が出るのだろうか。暑い夏でもなぜか紹興酒は燗酒にして飲みたい。邪道といわれようが砂糖もぶち込んで飲みたくなる。

先日、赤坂離宮の本店に行く機会があった。赤坂サカスのエリアにある。ロースト系の料理に定評がある有名店だ。


香港あたりに行くと店先にぶら下がっている鳥や豚のローストばかり食べる。街中を歩いていてもこんな画像をつい撮りたくなる。

空腹じゃなくてもこういう肉のぶっかけご飯をかっ込む。まるでお茶でも飲むようにいつでも口にしちゃう。私にとっては飲み物みたいな存在だ。

蜂蜜などが入ったタレを何度も重ね焼きするらしいのだが、甘味がある脂の風味が最高だ。そんな路線のウマい料理が「赤坂離宮」のウリの一つだという。なぜ今まで行かなかったのだろう。


ダックの窯焼き、窯焼きチャーシュー、皮付き豚バラ肉のクリスピー焼きの3種盛り合わせである。

小さいサイズだが、4~5千円の値付けだった。この手の料理が好きなら高くは感じない。「これだよ、これ!」と叫びながらワシワシ食べた。

焼きもの系の雄?である北京ダックは1本からオーダーできたので、同行者にはそれを2本あてがい、私はこの「焼味盛り合わせ」をほぼ占拠して味わう。至福である。


こういうローストっぽい料理は「外側」を楽しむものだが、中の肉質もとても良い。もちろん外側の旨味、食感ともに文句なし。こちらはダックのアップ画像。

この3種盛りをツマミに酒が飲めれば、それだけで私は満足だ。正直に言えばこの盛り合わせをおかわりしてダラダラ飲んでいたい。

でも、ちゃんとした中華料理屋さんでそういうフラチな過ごし方は出来ない。いくつか他の料理も注文する。



タマゴとエビの炒めと五目焼きそばである。何の変哲もないこういう料理こそ店のレベルを知るには近道だ。どちらも優しい味なのに適度なパンチもあって気に入った。

別な日、ちょくちょく足を運ぶ維新號の銀座新館へ。フカヒレの姿煮はココだと勝手に決めている私だが、もちろん、スター料理であるフカヒレ以外にも美味しいものはいくつもある。

維新號といえば肉まんファンにとっても有名だが、その流れを汲む「肉シュウマイ」が絶品でいつも注文する。

それなりの中華に行くと、ついつい定番の高級料理に目が行きがちだが、あえてそこで肉シュウマイである。これがまた酒に合う。紹興酒だろうと焼酎だろうと何でもアリだ。画像がないのが残念。でも見た目はただのシュウマイだから、名物のフカヒレに比べると地味だ。


中華の高級店に行った時の楽しみはシメのチャーハンかもしれない。パラパラ感が楽しめるだけでなく、その店独自のオリジナルチャーハンが楽しい。満腹なのに食べられちゃうのが問題ではある。

維新號のチャーハンの中で私の好物は岩海苔チャーハンだ。シメに最適だと思う。磯の風味がしっかり感じられるから、チャーハンなのに後味がサッパリ感じる。


ウマい料理を紹興酒とともに味わいながらホロ酔いになってくると、私の悪いクセが頭をもたげる。

紹興酒を食事相手に勧めながら「いい色だろう。これって何から出来ているか知ってる?」と真面目な顔で尋ねる。

相手の答えを無視して「実はこれ、中国の人の汗なんだよ」とつぶやく。その昔、祖父が語っていたブラックジョークの受け売りだ。幼い私はビビッたものだ。

こんな趣味の悪い話をするとたいていの人はギョッとした顔をする。それもまた、いとをかしである。

2018年8月27日月曜日

鮨處やまだ 目からウロコ


某日、中学高校の2コ下の後輩から連絡をもらう。「予約が取れない寿司屋に行きましょう」とのこと。後輩は本業の社長業の他、銀座に飲食店を二つ構え、あの街で夜な夜なブイブイ言っている豪傑男である。

先約の会食があったので、夜の9時半に合流。会食の席ではその後の寿司のためにチョロチョロと肉をつまむだけにしたが、酒も入っていたし、あまり空腹ではない。

私は結構大柄なほうだが、後輩はもっとデカい。よく食う男だし、こりゃあ付き合うのが大変だと思いながらお寿司屋さんに突入する。

聞くところによると、その店は「つまみ無し、おまかせの握りだけ」というスタイルだとか。おまかせ一辺倒の寿司屋は私がもっとも苦手なパターンだ。少したじろぐ。


店の名前は「鮨處やまだ」。カウンター8席だけのお店で、40代の大将が独特な寿司を握る。熟成させた魚を使うことでも有名らしい。

特筆すべきは値段だ。おまかせ15貫で1万円。それが基本。足りない人は追加するスタイル。銀座では考えられない価格設定である。聞けば聞くほど何となく不安になる。

で、食べてみた。後輩が店の大将と親しいおかげで、気兼ねなくその場の空気に馴染ませてもらえた。まあ、その部分が私の印象を左右しているのも事実だが、感想としては「目からウロコ」である。1本取られたって感じ。



空腹ではなかったのに、15貫すべてを美味しく食べた。ただただ握りだけ。ガリすら出てこないのだが、ガリの必要性を感じないような展開だった。食後に苦しくなることもなかった。

握りが小さめという理由もあるが、単純明快にウマかったせいだろう。ツマミを並べてダラダラと酒を飲みながらシメに握りを3つ4つというパターンに慣れ過ぎた私にとっては物凄くインパクトがあった。

寿司の原点ってこういう感じなんだろう。ある意味、「銀座の寿司屋」という一種独特な世界へのアンチテーゼと言える。

ツマミと握りで一人あたり2、3万取るのがアノ街の寿司屋にとっての「普通」だ。さすがにマズい店は少ないだろうが、酒を飲みながらどうってことのない料理と特別面白くもない握りを出されて一人3万円などという世界はスットコドッコイである。

多くの人が「銀座だから仕方ない」みたいな思考停止になりがちだから、大した腕もないのに甘い商売をやっている店もある。

そういう意味では、「鮨處やまだ」の世界観?はアリだと思う。あのレベルの握りをテンポよく堪能して明朗会計で済む。純粋にお寿司が好きな人ならヘビーユーザーになるのも分かる。

大将はコワモテではないが、そこそこ個性的で、「自分が客だったらこんな店には来たくないです」と平気で言うようなタイプだ。

客に緊張を押しつけるような職人さんではない。寡黙な修行僧みたいな様子で仕事をしているわけでもなく、相応の偏屈ぶりが垣間見える程度である。

なかなかの腕だと思う。まずシャリ自体がウマい。それに加えてネタとのバランスやシャリの握り加減が抜群だった。どれをとってもネタとシャリが完璧に一体化していた。

熟成させた魚の旨味の引き出し具合をはじめ、酢締めの加減、火を入れた青魚系も握りになった時の完成度が高かったのが印象的だ。

ただし、また行きたいかといえば微妙ではある。ただただウマい握りだけを堪能したい時には最適だろうが、なかなかそんな機会はない。

あえて言えば、「寿司屋に行く」というより「ウマいメシを食う」という使い方の店なんだと思う。変な言い方だが、それがピンとくる。

寿司屋と一口に言っても、飲み屋っぽい路線や小料理屋みたいなパターン、はたまた、ある種の社交場みたいになっている店もある。

良い悪いではなく、それが歴史のなかでの進化だ。ただ、もともとは屋台で握りをポンポンと頬張って終わりというのが寿司の姿だ。

そういう意味では、四の五の言わずに握りだけを楽しませる店が一つのジャンルとして確立されるのは自然なことかも知れない。こういう路線が好きな人には良い店だと思う。

ウマい寿司を堪能した後は後輩の馴染みのクラブで深夜まで痛飲。真面目に寿司文化を語り合おうかと思ったのだが、我が母校ではアホバカ連合の直系にあたる?先輩後輩という間柄である。結局、とことんバカ話で騒ぐ。

気付けば、寿司屋もクラブ活動も後輩にゴチになってしまった。先輩として実にヤボである。反省。

イキがって寿司を語っている場合ではない・・・。

2018年8月24日金曜日

ウズラにハマる。


先週末、暇にまかせてウズラの卵と格闘した。半熟のウズラ卵が無性に食べたくなって、ネット上に飛び交うレシピを参考にあれこれ試してみた。


焼鳥屋さんで出てくるウズラの卵はそのほとんどが「普通」である。でも、なかにはワオワオ叫びたくなる極上モノもある。

極上モノすなわち半熟である。普通の鶏卵だって半熟はウマいが、あっちは一口で食べないとタラリと黄身が垂れたりしてザワザワした気分になる。溢れ出た黄身が皿の上に流出すると負けた気がする。

その点、ウズラは当然一口でパクッである。可憐なサイズなのに嚙めばトロッとした黄身が恥ずかしそうに口の中に広がる。おしとやかな感じが好ましい。

おまけにウズラの卵の場合は、一個と言わずに複数楽しめるのが良い。


この画像は某焼鳥屋さんでの1枚。ウズラの卵を1本だけ頼んだのに「失敗して爆発しちゃったからオマケで食べて」というビミョーな展開になった時のもの。食べ過ぎである。

で、台所でウズラの卵と格闘した話である。半熟にするための茹で時間もネットで調べた。諸説あったので何度か試した。私の好みは沸騰したお湯に「2分10秒」である。5秒単位でシビアに茹で加減が変わるから大変だった。

ザルに入れたウズラの卵を沸騰した鍋に入れて、ちょこちょことザルのなかで動き回るようにする。こうすることで黄身が中心に収まりやすいらしい。

キッチンタイマーがピースカ鳴ったらすぐに水でシメてしばし冷ます。それから殻をむく作業である。これもネットで便利な方法を知ったので試してみた。

タッパーなどのフタ付き容器に殻つきのタマゴを入れて、20回ぐらい軽めにシャカシャカすると殻にヒビが入る。その状態で水に浸すと殻と白身の間に水が入ることでペロペロンと簡単にむける。

実に簡単だった。プレーン状態ならこれで完成。もちろん、そのまま食べてもウマい。トリュフ塩を散らして食べてウマい。でも、それだけでは面白くない。

で、ジプロックの登場である。蕎麦つゆをタップリ入れてウズラの卵に浸かってもらう。味付きタマゴへの挑戦だ。この日使ったのは濃縮2倍タイプの蕎麦つゆ。

2時間、4時間経ったところで味見してみたが、今ひとつパンチに欠ける。6時間程度経ったところで、さすがに待ちきれずに引き上げる。

で、フライパンにつゆも多少入れた状態で焼く。つゆの焼ける風味がアクセントになる。ウズラに少し焼き色がついたぐらいで完成。

熱しても半熟はキープされている。蕎麦つゆの甘味も加わり抜群の仕上がりだった。涙が出るほどウマかった。健康上の問題さえなければ一気に20個でも30個でも食べられそうな感じだ。

必死に格闘していたので製造過程や完成状態を画像に残すことを忘れてしまったのが残念である。

次回はウナギのタレに漬け込むことを考えている。他にも数限りないほどのアレンジが出来そうだ。しばらくウズラとの闘いを楽しもうと思う。

ということで、今日はオチがないのでウズラの卵ではなく、親のほうの串焼きの画像をあげてみる。


銀座6丁目にある焼鳥の老舗「鳥繁」で注文できるウズラだ。これで1500円ぐらいするので安くはない。でも、なかなかお目にかかれないし、野趣あふれる串にかぶりついて、この店独特の注ぎ方で供される酒をかっ食らうのは幸せだ。

ついでにいうと、この店のシメの定番であるドライカレーは“タンスイカブラー”にとっては魅力的である。

ウズラの話の結論がドライカレーになってしまった。

デブならではである。

2018年8月22日水曜日

ゴリラよりも


今日は単純明快に下世話な話です。

「アイツ、馬並みらしいぜ」。男なら誰もがそんなセリフを羨望の思いで聞いたことがあるはずだ。

私も同じだ。馬並みの持ち主である友人と会う時は普通の話をしていても、彼のモノのことがついつい頭に浮かぶ。なんだか口惜しい。

デカけりゃいいってものではない。そんなことは半世紀も生きていれば分かっている。女性もそう言う。たぶんマナーだろう・・・。

でも、馬並みではない私としては、馬並みに生まれついた男が気になる。

そいつより勝っている部分はないだろうかなどと無駄な競争意識すら芽生えてしまう。切ないことである。


無料のアダルト動画を見る際にチラチラ出てきて邪魔でしょうがない広告もソッチ系が多い。

「飲むだけで驚きのサイズに!」、「かんたん日帰り長大術で自信アップ」みたいなグッとくる?誘い文句のオンパレードである。

飲むだけでそんなになる薬があるなら世の中の男は全員デカチ〇になってしまう。ついでにいえば、大事なところの周辺にメスを入れて根っ子を引っ張り出すなんてオッソろしくてカネをもらってもイヤだ。

でも、ああいう広告があふれていることは世の男性がいかにその長短?に問題意識を抱えているかの証だろう。

だから馬並みという言葉に絶望や羨望、憎悪や憧憬といった感情がわき起こるわけだ。

馬の交尾シーンをネットか何かで見たが、さすがに馬並みという言葉の語源だけのことはある。デカい。

しかし、しかし、ここで朗報である。馬の交尾って一瞬で終わるらしい。一瞬というのは大げさかも知れないが、ホントにすぐ終了するんだとか。

あんなにエラそうにデカいクセにアッという間に漏れちゃうらしい。カッチョ悪いぜ、お馬さんよ~!と叫びたくなる。

その事実を知って以来、馬並みという言葉がちっともうらやましくなくなった。「馬並みイコールすぐに出ちゃうヤツ」である。

「馬並みじゃなくてゴメンね」という私の口グセも考えようによっては大人の余裕を伴う謙遜みたいな意味になるわけだ。

よしよし。

世の中の大半の人が馬並みではない。そういう人達にゼヒ知って欲しいのが次に紹介する事実である。

霊長類の中では人間が圧倒的にデカチ〇である。これって結構凄い。なんてったってあのゴリラよりも人間のほうが圧倒的にデカいらしい。

ゴリラのアレのサイズは3㎝、オラウータンが4㎝、割と頑張ったチンパンジーで8㎝なんだとか。人間圧勝である。勇気づけられる話だ。

なんでもゴリラはオス一頭にメスが複数で暮らすハーレム生活を習性としているから、他のオスと競い合うことがなく、結果、コンパクト化につながったんだとか。

人間の場合、ハーレムじゃないからそうはいかないという指摘が聞こえてきそうだが、ここで大事なのはハーレムか否かではない。

3㎝で用が足りるという事実である。あんなに胸をポコポコ叩いて勇ましいくせに、生き物として最も大事なアノ行為に際しては3㎝で勝負しているわけである。

見かけの立派さなど意味はないという教訓に充ち満ちた話である。

「ゴリラよりデカいんだぜ。試してみるかい?」

そんなセリフを武器に残りの人生を戦っていこうと思う。

2018年8月20日月曜日

あいみょん バンド練習


「あいみょん」という女性シンガーが人気だ。過激な詩の内容が若い人にウケているらしい。私もミュージシャンの真似事をしているから頑張って聴いてみた。

で、「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」という曲にちょっと感動した。オトナ的ナナメ目線では、アザとく感じる人もいるだろうが、単純に歌詞にパワーがある。若者のいじらしいホンネを描いている。ぶち殺したいほど好きという歌だ。

https://www.youtube.com/watch?v=IL35V9wYr-U

西野カナの世界観とはまったく別の一種異様な切なさである。椎名林檎の系譜、いや、昔の戸川純の流れといえるかもしれない。

さて、音楽活動の話である。わがオジサマバンドの今年のライブは11月中旬に南青山のライブハウスで予定している。あと3か月だから結構マジメに練習に励んでいる。


演目も9割がた固まった。バイオリンやキーボード、コーラスをこなす我が姪っ子が今になっても、当日参加できるか不透明なのがちょっと問題である。

基本的に彼女が欠席する場合に備えた構成で準備を進めている。“賑やかし”の音色が無い前提であれこれと考えているせいで、ギターメンバー達がいろいろと創意工夫を凝らしている。

その成果もあって、なかなか面白い仕上がりになってきた。あと3か月もあればより練れてくるだろう。私としてもキレのあるMCネタを考えないといけない。いや、ちゃんと歌の練習に励まないといけない。

私が作詞、友人が作曲したオリジナルも2曲だけ披露する予定だ。子どもを想う切なくも美しい親心!を描いた新曲も完成した。

サビの高音が出ないというボーカルの私の致命的な問題が発覚して、メロディーラインを一部変更してもらった。詩も微調整してうまく収まった。

タイトルは「たからもの」である。親子の絆がテーマだ。昨年はオリジナルとして友を悼む歌と不倫の歌を披露したから、来年は我がバンドの愛妻メンバーをイジりつつ中高年夫婦の愛の歌でも作ろうかと考え中だ。

いつの日か、名曲だらけ!!のオリジナルだけでライブをやりたいものだが、そんな構成では“無観客ライブ”になっちゃいそうだからそうもいかない。

今年の演目は14曲ほど。再演曲はほとんどない。一から練習してきたので結構大変だったが、なんとかメドもついた。あとは曲の合間の小ネタや私のMC台本が手付かずだが、そこは大した問題ではない。

そういえば今年は新たに「笛男」も参加する。フルートである。一部の曲だけだが、我がアコースティックバンドの音色に彩りが加わるから頼もしい戦力だ。


笛男さんは某メンバーの友人で我々と同じ歳だ。私は今年初顔合わせだったので、練習後の飲み会では彼に馴染んでもらおうといろんな角度から攻めている段階だ。

「スコラ」や「GORO」のヌードグラビアでは誰にお世話になったのか、嫁とはどのぐらい仲が良いのかなど、1ミリも音楽に関係ない話で攻め込んでいる。

彼はおとなしい雰囲気の紳士である。バンド活動を楽しんでくれているのか、まだちょっと分からない。心配だ。

もっともっとワイ談攻勢を仕掛けて、1日も早く我らが変態オヤジ同盟に馴染んでもらおうと思う。

2018年8月17日金曜日

若気の至り精神


無理に若作りしているオッサンは嫌いだが、たかだか50歳ぐらいで枯れた雰囲気を漂わす男も好きではない。

そういう人はたいてい“男引退”みたいな言動が多い。「いい歳して・・・」「いまさら・・・」「この歳になって・・・」みたいなフレーズばかり使う。

別に中年だってアイドルに夢中になってもいいし、トライアスロンを始めたっていい。相席屋でナンパに励んでもいいと思う。わざわざ進んで枯れちゃうのはバカみたいだ。

落ち着きと覇気が無いこととは別モノだ。分かったような顔で若々しい行動を頭から否定するのは愚かだ。

とか言いながら、私もそんな態度を取ってしまうことはある。加齢の問題点の多くがそこかもしれない。

若気の至りという言葉はネガティブな意味で使われがちだが、中年世代はあえて「若気の至り精神」を取り戻さないと老け込む一方だろう。

面白いもので、若い頃は早く大人になりたくて背伸びしがちだ。私もそうだった。いま思えばトンチンカンである。

大人になりたいから、子どもっぽいことを否定し始める。ハジケたいのについ抑えてしまう。自ら去勢しているようなもの。つくづくムダな心掛けだった。

私の場合、40代を過ぎた頃からオトナぶることに限界を感じて、まあまあ自然体でいられるようになった。おかげで何となくラクになった。

バンドを組んで人様の前で歌うなんて昔は考えられなかった。30代の頃だったら「そんなのやってられるかよ」的な斜に構えた態度に終始した気がする。

さすがに無鉄砲になっちゃうのはマズいが、何でもかんでもオトナブレーキをかけるのは人生の損失だろう。

まあ、分別ヅラでじっとしている方が何かとラクチンだから、そうなっちゃう中年の気持ちも理解できる。でもそればっかりでは日々の暮らしが退屈になる。

その昔、フラれるのが格好悪くて遠回しに女性を口説いていた私も、今ではすっかり直球勝負になった。「白黒ハッキリせんかい!」ぐらいの勢いで攻めるようになった。 ような気がする。

エログッズを持参したら軽蔑されるのではとオドオドしていた若き日の私も今はいない。「物凄いヤツ買ってきてやったぜ!」ぐらいの恩着せがましさで突き進むようになった。

男たるもの、気持ちよがってる姿なんて見せてはいけないと我慢していたのも遠い昔だ。今では「ウォーウォ-、オーマイガッ!」などとアメリカのポルノ男優並みの雄叫びをあげるようになった。

ちょっとウソです。

「若気の至り」に話を戻す。若さは愚かさと表裏一体ではあるものの、何かに一心不乱になる情熱や真っ直ぐさは尊い。オジサマ達も時には見習いたいものだ。

それがたとえ真っ当な趣味とかじゃなくても、何かに没頭したり、真剣に向き合える対象があることは幸せだ。

犯罪じゃなければエグいことだってエロいことだって構わないと思う。何に関してもシラけた顔で達観したような態度しかできないオッサンよりはマシだ。

外見を必死に若作りしたって限界があるんだから、気持ちの面で“子ども返り”するのが正解だろう。

俳優の香川照之がEテレの番組で必死になって昆虫と遊んでいる姿を見るたびに、あの子ども返りした姿をうらやましく思う。

誰もが若かった日々に小っ恥ずかしいようなことに夢中になったことはあるはずだ。今になってそんなことに再トライするのも悪くない。

私の場合、少年時代は野球ばかりしていた。いま必死に野球をやったら骨折とか熱中症で死んじゃいそうだから困ったものである。

その後、四輪駆動のクルマに凝りまくってオフロードを攻めに行くサークルに入っていたこともある。思えば私以外のメンバーはオッサンばかりだったが、彼らの顔はいつも子どもみたいに無邪気だった。

ダイビングと水中撮影にもバカみたいに熱中した。病的なほどのエネルギーだった。自分にあんな情熱があったことが今では不思議に思える。

四駆ツーリングと潜水道楽はそれなりにやりきった気もするが、無理して新しい趣味を見つけるより原点回帰して再び熱中するほうが簡単そうだ。

いや、その考え方自体がが“守り”に入っているのかもしれない。

我がバンドメンバーの同級生の友人が作曲教室に通い続けて、無事に全課程を修了したそうだ。オジサマの挑戦として素敵な話である。

刺激を受けた私もこっそりとシナリオライター教室の資料を取り寄せたりしていることは内緒である。

相変わらず話がまとまらなくなってきた。暑さのせいだ。

オチが思い浮かばないから、私のケッタイな若気の至りエピソードを紹介する。ファッションモデル?を体験した話だ。

ガラにもないことに手を出すぐらい好奇心が旺盛だった。バカみたいだけど適度なバカのほうが楽しい気分になるのは確かだ。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/05/blog-post_14.html