テレビをつけると、日々「箸にも棒にも・・・」的な番組ばかり。もっと硬派で有意義な番組はないだろうかと常々思っているのだが、先日放送されたNHKスペシャルは硬派すぎて見終わった後、しばし動けなかった。
大袈裟ではなく、ウツウツとふさぎ込んでしまったぐらい重い内容の番組だった。
タイトルは「老人漂流社会」。NHKのホームページからあらましをコピペしてみる。
●●『歳をとることは罪なのか――』
今、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっている。
ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない。
超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。
ひとりで暮らせなくなった高齢者が殺到している場所のひとつがNPOが運営する通称「無料低額宿泊所」。かつてホームレスの臨時の保護施設だった無料低額宿泊所に、自治体から相次いで高齢者が斡旋されてくる事態が広がっているのだ。しかし、こうした民間の施設は「認知症」を患うといられなくなる。多くは、認知症を一時的に受け入れてくれる精神科病院へ移送。
症状が治まれば退院するが、その先も、病院→無届け施設→病院・・・と自らの意志とは無関係に延々と漂流が続いていく。
ささいなきっかけで漂流が始まり、自宅へ帰ることなく施設を転々とし続ける「老人漂流社会」に迫り、誰しもが他人事ではない老後の現実を描き出す。●●
今、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっている。
ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない。
超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。
ひとりで暮らせなくなった高齢者が殺到している場所のひとつがNPOが運営する通称「無料低額宿泊所」。かつてホームレスの臨時の保護施設だった無料低額宿泊所に、自治体から相次いで高齢者が斡旋されてくる事態が広がっているのだ。しかし、こうした民間の施設は「認知症」を患うといられなくなる。多くは、認知症を一時的に受け入れてくれる精神科病院へ移送。
症状が治まれば退院するが、その先も、病院→無届け施設→病院・・・と自らの意志とは無関係に延々と漂流が続いていく。
ささいなきっかけで漂流が始まり、自宅へ帰ることなく施設を転々とし続ける「老人漂流社会」に迫り、誰しもが他人事ではない老後の現実を描き出す。●●
そんな内容である。かなりショッキングだった。
孤独な老後などと言うと、最初から身よりのない一部の人の話だと思いがちだが、番組で紹介されたのは、ごく普通の人達であり、誰にでも起こりえる現実が突きつけられていた。
子どもには恵まれなかったものの、夫婦で真面目に働いてきたお年寄りは、奥さんが亡くなった後、一人で生きてきたが体調を崩したことをきっかけに「漂流」。生活保護を受け、ようやく入れる施設が見つかったが、長年暮らした住まい(公団住宅)が業者によって「整理」されていく様子に涙を流す。ほとんどのものが捨てられてしまう。
また、あるお年寄りは夫婦と息子と3人で普通に暮らしていたが、奥さんが先立ち、その後、自分と息子さんが重い病気にかかる。治療費捻出のため、自宅を手放し「漂流」。簡素な宿泊所に入所中に亡くなる。亡くなる直前に「家族みんなで食事がしたい」と涙を流すシーンが強烈だった。
「幸せの形」、「不幸な形」。それぞれ簡単にイメージは可能だが、つくづく表裏一体であることを痛感した。想像すら出来ない運命の複雑さを思い知ったような気分だ。
人間は一人で生まれてくるのだから、死ぬ時も一人。そんなことは分かっているのだが、どのような環境でどのような精神状態で最期を迎えるかは大きな問題だろう。
孤独死が社会問題になっているが、「漂流」を余儀なくされる人達が増えていることを思えば、変な言い方だが、誰に看取られることもなく自宅で人知れずポックリ死んじゃうことが、あながち悲惨なことではないようにすら思えた。
最近、20年、30年という時間が思った以上に早いことを感じ始めている。若い頃と違って20年前の出来事など、しょせんは今起きていること、今過ごしている世界の延長線上にあると感じる。向こう20年もあっという間に経ってしまうのだろう。
いやはや大変である。
身よりのない寂しさは想像すれば確かに不安だ。ただ、身よりがあるからと言って、邪険にされ、迷惑視される最晩年はもっと怖いようにも思う。
男の場合、根拠もなく漠然と奥さんや子どもに看取られて最期を迎えると思い込んでいる人が多い。実際には、奥さんに先立たれる人はいくらでもいるし、子に先立たれる不幸だってある。
修復不可能な夫婦仲を憂いて、明るい老後を目指して必死の思いで離婚したものの、重度のストレスからか、直後に癌が見つかり、離婚の翌年になくなってしまった不幸な中年男の実例を耳にしたこともある。
どの道を選べば幸せなのか、不幸の境目は
どこにあるのか。こればっかりは誰にも分からない。
日々、真面目に暮らせば大丈夫なのか、おとなしく地道に生きていれば幸福な最期が迎えられるのか、これもまた保証はまったくない。
考えはじめたらキリがない。ネガティブ思考でこんなテーマに悶々としていたら簡単に鬱病になってしまいそうだ。
ケセラセラで日々を過ごしたいものだが、時には私だって哲学的な気分になってしまうから困ったものだ。
最近、話題の詩集がある。90歳の詩人・加島祥造さんの「受入れる」である。
すると 優しい気持ちに 還る
受いれる-
すると 運命の流れは変わるだろう すこし深くなり すこし静かになり 前とはすこし ちがった方向へゆくだろう
まったくそうなんだと思う。凡人が自然の摂理や運命に抗うことなど出来ないのだから、すべての事象をありのままに「受入れる」しかないのだろう。
なかなか、そこまで達観できないのがもどかしいが、ジタバタしないで悠然と過ごしていきたいと思う。
ちなみに、冒頭で紹介したNHKスペシャルは、1月24日午前0時25分から再放送されるようです。
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