生卵かけご飯が好きな私は、スーパーに行くと6個で500円ぐらいの卵を買う。売れ線は10個で200円ぐらいで売っているから、私の買い方は富豪的?である。
とはいえ、6個で500円といえば、1個80円ちょっとである。缶ジュースすら買えない。「おかず1回分の値段」としてはちっとも高価ではない。
1個20円の卵と比べるから物凄く高価に思えるだけでちっとも富豪的ではない。ある意味、1個20円という売れ線の価格が安すぎるだけだと思う。
結局、値段なんて相対的なものだから神経質になりすぎても仕方がない。
時々、やけっぱちな気分で烏骨鶏の卵というやたらと高価な生卵を購入する。1個で500円である。確かにウマい。
「おかず1回分の値段」としては高価だ。デパ地下で打っている結構マトモな肉料理やそれなりの刺身だって買えるから、高価な一品であることは確かだろう。
それだって、外食に出かけるよりは安い。500円では喫茶店のピラフや松屋の牛丼特盛りも食べられない。
何と比べるかで値段の概念は変わるわけだ。
だからどうしたと言われそうだから本題に入ろう。今までの話は単なる前振りである。
「1万円のふりかけ」を買ってみた。我ながらちょっとマヌケだと思う。多分にこのブログのネタにしようというヘンテコなブロガー魂のせいである。
「ひとくち頬張ると思わず恋してしまうふりかけ」というキャッチフレーズの「口どけ」という商品だ。
画像の小さな缶が二つ入って1万円である。1缶に30グラム、合計60グラムである。さきほど値段なんてモノは相対的だと書いたが、こればっかりは単純明快に高い。逆立ちしたって高い。
「本枯れ節血合抜き」なる鰹節のなかでも1000本に1本の最高級品を使っているらしい。鰹節の知識などまるで無い私にはチンプンカンプンである。
それを繊細な手作業でとろけるような食感になるような薄さに削って秘伝のタレを混ぜ合わせて出来上がるらしい。
仰々しい挨拶状も同封されていた。こうやって付加価値を強力にアピールすることで私のようなアマノジャッキーを引き寄せようという戦略だろう。
この商品、インターネット通販の世界で話題を呼び、注文してもそこそこ待たされるほどの人気なんだとか。
ひねくれ者の私としては、到着まで時間がかかること自体も客の飢餓感をあおる業者側の巧みな販売戦略だと睨んでいるが、それはそれでいいと思う。
まあ、世の中、安さばかりがモテはやされるケッタイな風潮が根付いちゃったから、この手の上等な品が脚光を浴びるのは良いことである。
よくわからないが、高価格の背景に日本の高度な物作りや職人技という伝統が息づいているのなら乱脈大量消費型社会へのアンチテーゼとして必要な存在だろう。
ということで、期待に胸を膨らませて食べてみた。
この時とばかりに、私がもっとも気に入っている一推しのコメ「つや姫」を慎重に炊いて、炊きたてご飯にドサッとふりかけてみた。
感想はただ一言「普通に美味しい」である。飛び上がるほどウマいのかと言われればそんなことはない。極めて普通である。
強いて言えば、この「普通」こそがイマドキの食べ物に欠けている貴重な部分かもしれない。
化学調味料や強い味付けに毒されて不自然な刺激を有り難いと錯覚する現代人の味覚からすると、1万円のふりかけの味は極めておとなしい。
一口食べて目ん玉ひんむくようなファーストアタックはない。でも、優しい風味がジワジワと口の中に拡がっていく。
酸味、辛味、甘味などと並ぶ味覚成分である「旨味」は日本人が発見したそうだが、それを妙に実感する味わいだった。
期待がデカかっただけに、感動するほどではなかったが、正しい味わいという点では素直にうなずけた。
誉めてるんだかけなしてるんだか分からなくなってきたが、そんな感じである。
結論としては「さすがに高い」。私程度の味覚の人間にとっては残念ながらそれが感想だ。
正直言えば、永谷園の「おとなのふりかけ」シリーズの「すき焼き風味」のほうが好みである。私にとって海外旅行の必需品だ。
あの人工的な味付けと口に残ってしまう科学的?な後味についつい引き寄せられてしまう。現代社会でジャンクフードを食べまくってきたツケだ。
ウソっぽい怪しげな味付けにすっかり飼い慣らされてしまった自分の舌がチョッピリ悲しい。
2 件のコメント:
私は加島屋のさけ茶漬を炊き立ての御飯にかけるのが好きですねぇ。
追伸
丸美屋の3色ふりかけで、最後に残るゴマ塩に何とも言えないシンパシーを感じざるを得ません。
県民さん、加島屋の鮭のほうが1万円ふりかけより美味。最近食ってないから今度ください。お礼にギター教えてもらうよ!
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