日本選手のメダルラッシュが続いている。厳しい環境の中での奮闘に心底頭が下がる思いだ。
と同時に、快挙を喜ぶ姿を見れば見るほど切なさを感じてしまう。無観客の淋しい会場で一世一代の頑張りを見せてくれるアスリートが気の毒で仕方ない。
今回のオリンピックをそんな目線で見ている人は多いはずだ。メダルラッシュは凄いことだし素直に嬉しいが、正直、オリンピックにどう反応していいか分からないという複雑な気持ちでいる人も少なくない。
ビックリしたのは、五輪に否定的だった人は競技を見るなだのメダルに歓喜するなといった実にトンチンカンな話まで一部で出ていることだ。極めて幼稚だ。まるでかみ合わない、まさに分断社会を構築したいがための低次元の論法だろう。
そんなビミョーな空気が少なからず存在すること自体、必死に頑張るアスリートにとっては可哀想な話だ。
意味不明とも言えるルールに縛られている窮屈さも気になる。柔道を例にとっても、いまさっきまで密着して組み合っていた選手同士が表彰台ではマスクを着用させられる。意味不明な光景だ。
表彰台で30秒だけマスクを外しても良いという許可が出たそうだが、その根拠は何なんだろう。30秒の意味って何なんだろう。アスリートファーストという言葉がむなしく響く。
コロナ禍だから仕方ない。はたしてそうだろうか。確かにそれも事実だが、単なる天災のせいと片付けてしまうのはちょっと違うと思う。
ワクチン外交の失敗を始め、場当たり的で後手後手の政策が「切ないオリンピック」という前代未聞の事態を招いた一つの要因であることは間違いない。この点はすべての国民が忘れてはいけないことだろう。
アメリカ・メジャーリーグの中継映像を見れば一目瞭然だが、マスクなんか関係無しに大声援が送られている。
そのように動いている国が厳然とある以上、オリンピックという世界的イベントを無観客かつマスク強制で実施するハメになったことは極めて残念だと思う。
母国開催というホームアドバンテージどころか、開催前からのゴタゴタ続きでまるでアウェーのような空気の中で選手達は困惑していた。
そんな過酷な状況の中での奮闘ぶりには最大限の賛辞を送りたい。その美しさ、尊さに比べると、組織委員会を始めとするお偉方のお粗末さも際立っていた。
開会式の音楽だか演出だかのマヌケな人選問題などでは、「責任は私にあります」とご立派な言葉こそ語られていたが、じゃあどのように責任を取ったのか。その肝心な部分は頬被り状態。
責任を認めた以上、どのように総括してどう落とし前をつけるのか、この点も国民として忘れてはいけない話だと思う。
メダルラッシュという国民的喜びに切なさという不必要な要素が混ざってしまったことは、本当にやるせなくとても悲しいことだ。
それはそれ、これはこれという割り切りも大事なのだろうが、やはり、このような事態を招いた原因は何だったのか。冷静に認識すべきだと感じる。
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