2020年7月15日水曜日

寅さんイズム



この7月に寅さんシリーズの総集版とも言える「男はつらいよ・お帰り寅さん」のDVD発売に合わせて、Amazonプライムビデオでもレンタル視聴が始まった。

私もこの正月に映画館に行って観ようと思っていたのに、面白くなかったという感想を何人かから聞かされたので何となく見そびれていた。

この前の週末、じっくりと観てみた。ウルウルした。いい作品だった。面白いつまらないといった次元を超越した奇跡の映画だと感じた。

50年かけて積み上げられた最終形である。世界中探したってそんな作品は無い。

前田吟・倍賞千恵子演じる「博とさくら」などは50年前から同じ人が同じ役を時系列に沿って演じている。凄いことだ。



満男役の吉岡秀隆だって10才になるかならないかぐらいの頃からのキャリアだ。子供の頃から今の疲れた中年役まで本人がそのまま演じているのだから説得力という点ではピカイチだ。

この作品では満男の描かれ方が生命線だ。フニャッとした中年男とはいえ、随所で周りを気遣った痩せ我慢ぶりをみせる。

つまりそれこそが寅さんイズムである。満男の生き様の中に寅さんはしっかり生きているという意味合いがあるのだろう。

リリー役の浅丘ルリ子もすっかりお婆さんになっていたが、オカマバーらしき店のオーナーという設定が絶妙だ。上の画像が現在、下が回想シーンだ。




オープニングのテーマ曲は桑田佳祐が歌っている。ネット上のレビューを見ると随分と叩かれているが、あれはあれで良かった。


渥美清さんが亡くなったことでプツリと終わってしまったシリーズの最新版が満を持して作られたわけだから、オープニングにああいうドッキリ?を入れることは作品を見る前のわくわく感を高めてくれる。

ちゃんと本編最後にはキチンと本家・渥美清が歌うテーマ曲が流れるわけだから、桑田バージョンはあくまでこの作品がシリーズの中で特殊な位置づけにあることを際立たせていた。

寅さんシリーズの全作品を漏れなく観てきた私は、ややマニアックなファンである。そういう立場から言えば、この作品はケジメみたいなもので、作ってもらっただけで感謝の一言だ。

満男の中年っぷりが良かった。高校生の娘までいる。さくらと博はどう見たってお婆さん、お爺さんである。感慨深い。




満男の青春時代のマドンナ・後藤久美子の演技力はご愛敬だが、あの幼かった“泉ちゃん”本人が思いっきり老けた姿で登場したことに意味がある。

母親役の夏木マリの魔女っぽい感じが相変わらずだったのは嬉しかったが、父親役がなぜか寺尾聰じゃなかった点は残念だった。

あらすじは平凡だが、平凡だからこそ作品がジンワリ染みた。ちょっと大袈裟だが、生きることって途切れない一本のレールをなぞりながら歩いて行くようなものだと改めて痛感した。

思い出って何となくその部分だけが固有の独立した存在のように捉えがちだ。でも考えてみれば、思い出は決して人生の断片ではなく、いま生きていることそのものが思い出の延長線なんだと思う。

なんだかそんなセンチな感慨にふけりたくなる作品だった。

もちろん、こんな感想はシリーズ全作品を何度も繰り返し観たようなオタク的ファンだからのものである。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/10/blog-post_26.html

寅さんシリーズに詳しくない人が観たら退屈な作品だと評されてしまうだろう。あくまで寅さんファンのための作品だと割り切った視点で観ることをオススメする。

もちろん寅さんは回想シーンでのみ登場する。映画を観た人のレビューには寅さんの消息に触れていないことを消化不良だと指摘する声もある。

分からなくはないが、その部分を追究するのはヤボである。それこそ「それを言っちゃあおしめえよ~」である。

オープニングで桑田佳祐が歌い出すこと自体が寅さんはもういないというメッセージなんだろう。

今日は最近観た映画の話をいくつか書くつもりが、結局、寅さんだけに終始してしまった。

2020年7月13日月曜日

アマゾン パパゾン


娘が19才になった。来年は成人だ。親バカまっしぐらな私としては既に感慨深い。

私に対しては反抗期もまったく無いまま育ってくれた。今もちょこちょこ誘いが来る。

娘の小遣いでは行けないような高いスイーツ屋にスポンサーとして連れていかれたり、いわば打ち出の小槌みたいに扱われているのだが、だとしても声がかかるのは嬉しい。



これは銀座にある「ボンボヌール」というカフェで出てきたスイーツだ。なんだか煙がモクモクしていた。

あんころ餅や麩まんじゅうのほうが遙かにウマいと思う私にとっては単なる高いだけの店である。

でも娘がニッコニコになれば親バカな私は満足だ。お勘定にビックリしたことは顔に出さずに、帰り際にはラデュレのマカロンまで土産に持たせた。

実に甘い。まさにスイーツ父ちゃんである。甘いのは良くないことだが、娘は私に似ずにかなり堅実派だ。なかなかケチである。その点は元嫁のおかげだろう。

話は変わる。実家の母親が親元を離れて暮らす子供に食材などをあれこれ送ることをAmazonをもじって“ママゾン”と呼ぶらしい。

なかなかセンスのあるネーミングだ。私も一人暮らしを始めて間もない娘にいろんなものを送りつけている。パパゾンである。

お金がかかるという点では「パパ損」と表記するほうが的確だ。もともとネットでしょっちゅう買い物をしているから、つい娘にもいろいろ送ってやろうなどと考えてしまうわけだ。



先日も災害時に利用するラジオやどうでもいい雑貨を送った。もう何年も取り寄せ続けている高濃度ビタミンCも欠かさず送っている。

この高濃度ビタミンCは、ウソかホントか、普通のビタミンCサプリと違って体内に滞留しやすいので効果を発揮するとか。

何年か前に娘のニキビ対策商品として買わされた。たまたまなのか、効き目があったのか、その後、娘のニキビはすっかり改善され、なぜか風邪もまったくひかなくなったらしい。

信じるものは救われる、といった印象もなくはないが、そうなるとヤメる気配はない。買わされ続ける私としてはビミョーである。



で、コロナ禍のいま、私もこれを毎日飲み始めるようになってしまった。免疫力向上に効果があるというフレコミなので手を出してしまった。妙に高い商品だから困ったものである。

飲み始めてまだ2ヶ月程度なのだが、効果は不明だ。強いて言えば風邪っぽい様子になることがまったく無くなったことぐらいだろうか。

でも、もしそれが高濃度ビタミンCの効き目だったとしたら意味はある。今の時期、ちょっと風邪っぽいだけでコロナを疑って右往左往しなければならない。そうならないだけでも有難い。

他にも様々なサプリや常用薬を服用しているから、いったいどれが私の元気の源なのかはまったく不明である。

さて、娘が19才になったということは、あと1年で長期熟成保存していた記念の酒が飲めることを意味する。



娘が生まれた時に焼き締めの甕に入った泡盛を購入した。メーカーに相談して甕の背面に娘の名前を彫り込んでもらい、20年経ったら感動しながら飲もうと企んだわけだ。

購入時点で5年モノだったから、来年娘がハタチになる時には25年モノである。素焼きの甕で保存しているとガラス容器での保存と違って熟成が進む。間違いなくウマい泡盛に育っているはずだ。

甕を発注した19年前、果たして自分は20年後に娘と仲良く酒を酌み交わせる仲でいるのだろうか等々、いろんなことが頭をよぎった。

あと1年、大過なく過ごせれば、記念の泡盛を嬉し泣きしながら飲めるだろう。その日が待ち遠しい。

離婚だなんだと少しガタガタはしたが、娘との関係が断絶していたら甕を見るたびに悲嘆に暮れていたはずだ。そういう状況にならなかったことはとても幸せなことだと思う。




2020年7月10日金曜日

チャーハンは小悪魔


コメが好きな私は当然チャーハンも好きだ。10年以上続けているこのブログでは、ピラフやカレーライスは何度も語ってきたが、チャーハンを主役に話を進めたことはない。



チャーハンってそういう存在である。誰もが好きなのに「そういえば好きだよ」程度のポジションに甘んじている。

時々、思い出すのもイヤになるほどマズいチャーハンに遭遇する。でもなぜか許されている。美味しかった時でも熱く語られることは少ないし、なんとなく中途半端な立ち位置である。小悪魔みたいだ。

食べたこと自体を無かったことにして記憶から消したいぐらいダメなチャーハンが世の中に結構出回っているのは確かだ。デリバリーだとその確率は高い。

でもダメダメチャーハンに関してはナゼか声を荒げて怒る人はいない。ラーメンがマズいと大騒ぎする人はいるがチャーハンにはそれがない。不思議だ。

きっと「チャーハンを注文しちゃった自分が悪い」という自責の念が少なからずあるのだろう。

そのぐらい、チャーハンは主役ではない。チャーハン専門店が滅多に無いことでも分かるように、あくまでラーメン屋や中華料理屋で“付け足し”みたいに食べられている。

ウダウダと前振りが長くなってしまったが、最近やたらとチャーハンが食べたくなる。理由は無い。



池袋のホテルメトロポリタンにある「桂林」で食べたチャーハンだ。この店は池袋界隈では実に貴重な美味しい店。チャーハンも抜群だ。

パラッパラのお手本みたいなチャーハンである。具材に頼らず上品ながらもしっかり旨味がある。

こういう高級路線のチャーハンがウマいのは当然だが、私が最近やたらと食べたくなるのは、いわゆる「町中華」のチャーハンだ。

昭和の頃の食堂みたいな店で出てきたチャーハンは、妙に胡椒が効いて妙に味が濃くちょっと油っぽいジャンクな一品だった。

パラパラという概念などそこにはまるで無い。だからといってベチャベチャというわけでも無く、しっとり系というカテゴリーである。



必ず付いてくる謎スープも町中華チャーハンのキモである。レンゲによそったチャーハンをスープに浸すも良し、レンゲによそったスープをチャーハンにかけてビシャっと食べるも良しである。

ここ1ヶ月ぐらい、職場や自宅にほど近い町中華に入ってチャーハンを頼むのだが、なかなか気に入った一品に出会わない。ベチャベチャだったり、妙に味が薄かったり、会心の作品?に出会えていない。



これは銀座一丁目にある割と有名な老舗の町中華で食べたポークライス。この時もチャーハンを食べる気満々だったのだが、隣でチャーハンを食べていた人がいたので、マネっこ親父だと思われるのがシャクでこちらにした。

残念ながらびちゃびちゃだった。リゾットだと思いながら美味しく食べた。きっと隣のチャーハンもびちゃびちゃ系だったはずだ。

別な日、洋食の老舗「たいめいけん」にチャーハンがあるという情報を入手し、わざわざ食べに行った。

たいめいけんと言えばオムライスやチキンライスといったニッポンの洋食の総本山?みたいな店だ。そういう店のメニューにわざわざチャーハンがあるのが実に興味深い。



普通のチャーハンだった。普通というのは良い意味である。なかなか普通のチャーハンに出会わなかった私としてはそれなりに満足できた。

まったく奇をてらっていない。というか、本当に普通だ。味も想像の範囲内ど真ん中という感じ。感動はしないものの、じわじわと美味しくなってきて飽きずに食べ終えた。

町中華じゃないから謎スープは付いていなかったのがちょっと残念。そういう点で、やはりこのチャーハンも私がいま求めているチャーハンではなかった。

最近仕入れた情報によると、有楽町や新橋にはチャーハンがウマい町中華の店が多いらしい。まだまだ探検を続けないといけないようだ。

2020年7月8日水曜日

大らかに暮らしたい


盛り上がりのないまま都知事選が終わった。誰がどう考えても分かる結果になったが、最近、選挙の際に飛び交うヘンテコなフレーズ?に違和感がある。



「投票に行かないやつには政治を批判する資格はない」。もっともらしく聞こえるが、トンチンカンだろう。

もちろん、貴重な権利を行使することは大事だが、あえて言わせてもらえば棄権も意思だ。投票に行かなかったから政治や政策を語る資格がないなんて幼稚な論法だろう。

マスク警察、自粛警察といった言葉が今年のハヤリ言葉みたいになっているが、選挙の際にそんなことを声高に言う人々は、まさに“選挙警察”である。

批判を承知で言わせてもらえば、政策を語ったり批判する資格がないのは、税金をロクに納めていない人であって、投票に行ったかどうかで判断される話ではないと思う。

なんだか、最近はナントカ警察みたいな風潮が強まっている。SNSの普及によって誰もがいろんな場面で発信できることは良いことだが、なんでもかんでも同調圧力に繋がっていくような空気は気持ち悪い。

世の中には適度な大らかさは必要だ。ギスギスした押しつけこそ正義みたいな空気では世の中が殺伐とする。

人は人。当たり前だが、そういう視点が大事だ。ヨソの人のことを気にする人が多過ぎるのだろう。

SNS文化の普及で、リア充アピール合戦が盛んになったことの副作用なんだろうか。結局、嫉妬やネタミみたいなネガティブな空気がどんよりと世の中を覆っている。

若者ならいざ知らず、いい年した大人であれば、自分は自分、人は人という達観は必要だ。そんな当たり前のことを強く言いたくなるぐらい今の世間はヘンテコな監視社会みたいである。

誰が浮気したとか誰がマスクをしていなかっただの、そんなことを寄ってたかって叩きまくることは正義でも何でもない。ただのウップンばらしだ。

まあ、今さら私がそんな正論を書いたところで仕方が無いが、「大らかさ」を忘れちゃうと世の中がトゲトゲしくなるのは間違いない。

一応、私自身も大らかさを心がけるように暮らしている。それが時に緊張感の欠如につながって失敗もするが、トンガってキーキーした気分で暮らしているより遙かにマシだと思う。

先日、出かける際に雨なのに傘を忘れたと思い、目の前のコンビニで傘を買った。受け取って広げようとしたら、持参していた傘を腕にぶら下げていたことに気付いた。



結果、二刀流の完成である。バカ丸出しである。いや、バカというより大らかさの証である。いや、やはり単なるバカかもしれない。

一ヶ月ぐらい前に肺のCT検査を受けた。胃カメラ、大腸カメラとともに年に一度はチェックしている。喫煙者のタシナミである。



と言いながら、肝心の結果を聞いていないことにさっき気付いた。検査を受けただけで満足してしまったらしい。

バカである。いや、これも大らかさの証だと思い込むことにしよう。いや、やっぱりただのバカである。

ガンが見つかっていたらシャレにならない。早めにちゃんと結果を聞きに行こうと思う。

自分で書いていて気付いたが、こういうドジは大らかとは違う次元のような気がする・・・。

2020年7月6日月曜日

「すし処・築地」の居心地



 最近訪ねるようになったお寿司屋さんが築地の聖路加ガーデン近くにある「すし処築地」。築地といっても賑わっているエリアではなく明石町にポツンと佇む店。

ウチから徒歩圏なのが便利だから、この2ヶ月たらずの間に56回は出かけた。母校のネットワークで後輩が営む店だと知って訪ねてみたのがきっかけだ。

後輩といっても17コも下だから接点はまるで無い。でも小、中、高の一貫校だったから共通する知人や話題も多い。行くたびに先輩ヅラをして快適に過ごしている。



この画像からも分かるように一品メニューが数多く用意されているのが特徴だ。寿司割烹という趣である。一人ふらっと晩酌ついでに寄りたくなる。

後輩クンは主にフロアを担当しており、つけ場には二人のベテラン職人さんが構える。

空間にゆとりのある落ち着いた風情の店だから大人がゆったり過ごすには良いお店だと思う。

変に緊張させるような格式張った感じはなく、かといって安っぽい雰囲気でもない。用途や人数に応じて便利に利用できる店だろう。

職人さん達はさすが熟練の仕事ぶりで、その日のオススメをいろいろと美味しく食べさせてくれる。



ある日の一コマだ。カツオとイワシとアナゴである。イワシの生はあまり好きではないのだが、こちらは“仕事系”だ。立て塩と酢締めの加減が絶妙だった。アナゴの刺身もなかなか食べる機会が無いので酒が進んだ。

魚へのちょっとした仕事の施し方やこだわりが、これ見よがしではない程度に垣間見えるのがニクい。

赤身のヅケも常時あるし、私の大好物である茹で海老もバッチリだ。ちなみに最近は茹で海老の美味しさ次第でお寿司屋さんの好き嫌いを決めるようになってしまった。

ただ、ちゃんとした店は茹で海老がウマいのは当たり前だから困ってしまう。どの店のことも好きになってしまう・・・。



これは別な日。刺身の他にハタハタの焼き物、煮穴子の炙ったヤツである。どれも手抜かり無く美味しい。いつも置かれているジュンサイもナゼか昔からジュンサイが好きな私を和ませる。

他にも、タラコを半生で炙ってもらったり、ツブ貝を甘じょっぱく煮たヤツなどが私の酔っ払い度を加速させる。

友人との会食でも2回ほど使わせてもらった。いずれも4人での集まりだったのだが、“ディスタンスOK!”って言いたくなるほどゆったりスペースを使わせてもらった。



予算を決めてコース料理を組んでもらえばいいのに、わがままな私は最初から最後まで好きなものを注文させてもらった。たまたま混んでなかった日だから許してもらおう。

でも本来、お寿司屋さんの良さは、好きなものを好きなタイミングで好きなだけ食べられる点だ。そういう寿司本来の楽しみを堪能できる店だと思う。

もちろん、後輩のお店だから贔屓バリバリで書いているのは確かだ。でも、仮にそういう事情が無かったとしても、きっと私はこの店にちょこちょこ行くと思う。

肝心の値段のほうもリーズナブルだ。4人での会食の際も皆で恐縮した。先輩ズラして酔っ払っている私の威圧?の効果だとしたら心苦しい。

「丁度いい」。この表現がしっくりくる店だと思う。


2020年7月3日金曜日

ベッド敬語


日本語の難しさは今更言うまでもない。半世紀以上も生きてきたのに知らないことは膨大にある。

「了解しました」「承知しました」の使い方などは、職場にうるさいオッサン先輩がいれば若者でもすぐに覚える。ネットの世界でずいぶん解説されている。

私はもともと大らかな人間?だから若い人が変な敬語を使っても腹は立たない。とはいえ、その若者の教養や知識レベルは自ずと判断してしまう。

敬語の良さは人との距離感を適度にコントロールしてくれる点だろう。親しい間柄でも適度に敬語を混ぜることで節度が生まれる。

相手が年下だと分かった途端に闇雲に乱暴な口調で話し始めるオッサンは多い。ああいうのは苦手だ。20才や30才も年下だろうと適度に敬語を混ぜるほうが正しい。人としてのセンス、品格に関わると思う。

品格などとエラそうなことを書いたが、今日書きたかったのは「ベッド敬語」である。ワイ談だ。ベッド方言とともに世の男達を煩悩の海に沈める言葉の魔術についである。

たいていの男はベッド敬語にイチコロである。根っからM気質の一部の男性は別だが、普通は悶絶する。

「気持ちいいわよ」「気持ちいいです」、「好きにして」「好きにしてください」、「こんなになってる」「こんなになってます」。

いかがだろう。敬語になることで何とも悩ましい響きになる。そう感じるのは私だけだろうか。いや、そんなはずはない。

こんなことは若い頃には気付かなかった。若い頃は猪突猛進だから、こういう人生の機微を感じるアンテナが働いていなかったのだろう。

オジサンになると機微だけを意識して過ごすようになるから、こういうヘンテコなことにやたらと敏感になるのかもしれない。



濃厚接触は世界的に制限されちゃったから、すっかりムホホな展開に心躍らせる機会もなくなった。

それでも今だに「良かったわ」ではなく「良かったです」と言われたいし、「凄かったわ」ではなく「凄かったです」と言われることを夢見て生きている。マヌケである。

ベッド敬語に萌え萌え気分になるのは、男性特有の征服欲と関係があるのだろう。男はいつだって攻略したい側だ。敬語の響きに攻略成功を実感するのかも知れない。

古来、攻略される側の女性にとっても少なからずベッド敬語には意味があるようだ。

受け身が基本という特性上、女性のほうが男性よりもM性は強いらしい。そのせいで、女性としてもベッド敬語を意識して使うことで自らの興奮度が上がるという側面もあるみたいだ。

本当だったらとてもステキな話である!

ギャップ萌えという言葉があるが、ベッド敬語もある意味でそんな要素がある。

ムホホな場面になっていること自体、お互い、鎧甲を脱ぎ捨てているわけだ。素の状態と言える。スッポンポンの素である。意味不明だ。

いわば究極の親しさである。本能のぶつけ合いみたいな状況になっているのに、敬語というヨソヨソしい響きがトッピングされると途端に淫靡な空気が流れる。まさにギャップ萌えだ。

だいたい、AVの世界やイメクラみたいな世界では敬語を前提としたシチェーションが設定されやすい。

社長と秘書、先生と生徒、嫁と義父、はたまた万引きを見つかった若奥様と店長などなど、どうしたって敬語が大事な要素になっている。

東京生まれ東京育ちの私は、ベッド敬語とともにベッド方言も大好きである。「アカン」「いけずやわ~」などと言われたら倒れそうになる。

ベッド敬語に加えてベッド方言を上手に使いこなす色っぽい女性。今の私にとっては女神みたいなものだ。頑張って探してみたい。いや、コロナが収まらないとそうもいかない。

なんともメンドーな世の中になったものである。

今日は前回に続いて下ネタに終始してしまった。世の中が窮屈になったから下ネタでも書かないとやってられない気分である。

いや、ただの欲求不満なんだろう。

2020年7月1日水曜日

新しい“性”活様式


新しい生活様式に自分は合わせているのだろうか。何だかピンとこない。一応ちゃんとマスクもするし、手洗いも真面目にしている。

宴会もなくなったし、混雑した場所にも近寄らなくなった。そんな程度だが、以前と大きく変わったような感覚は無い。

でも考えてみればコロナ以前はマスクもしなかったし、手洗いもテキトーだった。大賑わいの飲食店にも出かけていた。比べてみれば大きな変化なのかも知れない。

こうやって無意識のうちに行動パターンは変わるのだろう。

銀座のクラブにももう半年は行っていない。行かないことが普通になってきた。何だか切ないが、そうやって着々と生活パターンは変化していくわけだ。

イタリア人でさえ今はハグをしなくなったそうだ。親しい仲でも肘と肘を合わせるヒジタッチぐらいで済ませているらしい。

敵はウイルスだから人と人が接触しない限り安全だ。というわけで、ちょっと飛躍し過ぎだとは思うが、世界中で少子化を危惧する声があるとか。

もっとも、コロナでやることがないから家でセックスに励んでベビーブームが来るという声もある。どっちもあり得そうな気がする。

パートナーがいる人は結構だが、そうじゃない人には大変な時代である。異性との接触が出来ないわけだから生き物の本能としてキツい話だ。

実際に欧米では、保険当局がコロナ時代のセックスについて大真面目にさまざまなアドバイスを発表している。

原則は「やりたければ決まったパートナーとだけ」である。言われてみれば正論だ。コロナに関係なく建前上はそうでなきゃいけないのだが、世の中そう簡単ではない。

煩悩王・渡部や原田龍二師匠みたいな人たちは世の中に大勢いるわけだから、そうした種族?の人々にとっては暗黒の時代である。私だってツラい(ウソです)。

笑ってはいけないのだが、各国の保健当局のガイドラインの中には「マスクをつけたままする」という項目もあるそうだ。飛沫が飛びやすいから「あえぎ声は我慢する」というのもある。

新しい生活様式というより、不思議な生活様式と言いたくなる。覆面プレイのススメである。でも予防医学的にはごくごく真っ当な指摘なんだろう。



ニューヨーク市では「安全なセックスのガイドライン」なるものが交付されているそうで、キモになっているのが「少し変態になれ」という提案だ。

Zoomなどを使ったオンラインでの行為、壁のような道具で仕切ったうえでの行為などが推奨されている。なんとも凄い話だ。

そんなことを公共機関が“お触れ”として出しちゃうってことは、黙々とそれに従う市民もいるということだろう。

セックスのやり方までお上の指示を仰ぐ時代が到来したみたいでブキミではある。

最近、お笑い芸人がZoomでの会話相手の前でアソコ丸出しでセルフプレイに励んだことが暴露された。

まさに時代の最先端だ。いつの日かそんなことで叩かれたのが不思議に思われるぐらい、そういうプレイが普通になるのかもしれない。

「壁のような道具で仕切っての行為」は、昔からアダルト動画の世界では珍しくない。壁の穴からニョキッっと突き出たアレがあーしてこ-してみたいな路線だ。

他にも扉に挟まって身動きできなくなった女性を後ろからあーしてこーしてみたいな作品も結構たくさんある。

あのようなちょっと笑える系のアダルト動画の世界に、新しい“性”活用式のヒントはいっぱいあるような気がする。

そういえば、サランラップ越しにチューしたりこすったりするシリーズもあった。このご時世では実に示唆にとんだやり方である。

感染予防の観点からこれからも真面目にせっせと観ることにしよう。

ちなみに昭和のシュールな風俗「のぞき部屋」では客がいる小部屋の壁の一部の丸い穴が開いており、その穴を使ってあーしてこーしてというサービスがあった。

あのテのサービスがこれから大ブームになる可能性はある。なんだかギャグみたいだが、ウィルスとの戦いが長期化したり、新種のウイルスが登場し続ければ、そんな不思議なプレイがごくごく普通のことになるかもしれない。

「セックス方面」は人間の根源的な欲求だから、ウイルスと共生する社会になれば、当然ソッチ系の技術や商品にも革命が起きるはずだ。

コンドームは日本製が最高品質を誇るから、いずれウイルスに負けない「全身コンドーム」みたいな画期的な商品が生まれるかも知れない。

まあ、全身をコンドームで覆うのも大袈裟だから、顔面全部と肝心な部分だけで感染対策にはなる。

顔面コンドーム。実にブキミだが、ちょっと体験してみたい。