2023年6月16日金曜日

1・5倍の幸せ


突然だが幸せのキーワードは「15倍」にあると思う。「ちょっと多い」ではなく「しっかり多い」のが15倍である。ちょっととしっかりの差は大きい。

 

収入が15倍だったらかなり嬉しい。1.2倍だったらちょっとしか嬉しくない。牛丼の肉も同じだ。15倍だったら満足感は増す。23倍も嬉しいが、そうなると少しだけ罪悪感が頭をよぎる。

 


 

私はオッパイ星人ではなく、昔からお尻フェチなのだが、それでもいざ“試合”の際に相手のオッパイが普通より15倍だったらガン見する。結構嬉しい気分になる。そんなものだろう。

 

話を戻す。もう30年以上前になるが、スーパーカップの15倍シリーズが登場した時はちょっと感動した。シケシケな量のカップ麺が不満だったから救世主に思えた。

 

15倍幸福論に改めて気づいたのは「イクラの手巻き」がきっかけである。軍艦巻きのイクラの握りも幸せな味がするが、手巻きで食べると一層ハッピーになる。


お寿司屋さんに聞いたところ手巻き寿司は普通の握りの15倍相当だという。軍艦なら一口でなくなるが手巻きなら一口かじった後にもまだイクラもシャリも海苔も手元に残っているから改めて味わえる。これが幸せの源だろう。

                                                             




これが小肌の握りやかっぱ巻だったら話は変わる。キュウリなんかが15倍で出てきたらちょっとイヤだ。あくまでイクラやウニみたいなネタだと有難いが、大半の寿司ネタは普通サイズのほうが間違いない。

 

私がイクラやウニを愛しているからそういう感覚になるのかもしれない。人によっては中トロ15倍握りに感涙するかもしれないし、海鮮居酒屋あたりだと穴子一本握りみたいなビッグサイズも存在する。好きな人からすれば何でも15倍だと幸せになれるのだろう。

 



自宅で頻繁に冷やし中華やラーメンを食べる。たいていのチルド麺は一袋に麺が2玉だ。当然私は一気に2玉を茹でる。具がない時は2玉全部食べちゃうし、チャーシューが大量にある時などは15玉分を食べて残りは捨ててしまう。やはり1玉だとシャバダバな気分になる。

 

思えば世の中の麺類はそのすべてが「ちょっと足りない」を基本にしているのかと思う。カッコつけた蕎麦屋の本格蕎麦がチョこっと盛りなのは仕方ないが、カツ丼もあるような街場の蕎麦屋のもりそばにしても1人前は半人前でしかない。

 

その証拠にたいていの店がランチタイムにミニ天丼やいなり寿司なんかをサービスで付けてくる。麺量が少ないことを認めている証だろう。蕎麦を腹いっぱい食べたい時には1枚では絶対足りない。

 

パスタも同じ。高級イタリアンのコースで鼻くそ程度にチョこっと出てくるパスタは論外だが、普通にオーダーするパスタ一皿もたいていは大口開けて3回も頬張ればなくなってしまう量だ。

 

その昔、「カプリチョーザ」が若者の間で大人気になったのもそれまでは見かけなかった大盛りパスタが気兼ねなく食べられたことが唯一の理由である。

 

ラーメンも然りである。いつのまにか主流派のような顔をしている「つけ麺」は普通のラーメンより麺量を多めに設定している店が多い。人気が出たのはあくまで麺の量の多さなのかもしれない。

 

そう考えると現代日本では社会全体で「麺量が少ない問題」をじっと耐え忍んでいるような気がする。由々しき事態だと思う。

 

さてさて、私はペヤングが大好きだが、ナゼか時々無性に袋麺の焼きそばが食べたくなる。主にサッポロ一番の焼きそばを食べるのだが、最近は「15倍」に惹かれてこの「大盛り日清焼きそば」をまとめ買いしてある。

 


麺量は150グラムだからたいしたほどではない。普通の即席麺の中にも120グラムぐらいの商品もあるので正直もうちょっとだけ量を増やしてほしい。でも150グラムは袋麺業界ではかなり優秀と言えよう。このサイズがすべての袋麺における標準になって欲しいと切に願っている。

 

即席麺の焼きそばには具を一切入れないのが私流だ。大好きな豚肉はチルド麺には大量に入れるのだが、あのゲジゲジみたいな即席麺はそのままで味が完成しているからストレート?で味わう。だからこそ麺量にいつも不満を感じているのだろう。

 

相変わらず話がまとまらなくなってきた。「麺の量」について今後も社会学的見地から取材を続けようと思う。





2023年6月14日水曜日

ガヴィアル問題


家庭料理には縁が無くなってしまった分、出来合いの簡単調理モノみたいな安直な食べ物には詳しくなった。ここ30年ぐらいでコンビニの惣菜や冷凍食品、レトルト食品は随分進化した。今の時代に中高年が一人生活になっても昔ほどは困らないはずだ。

 

10年ほど前、何度目かの独身になった際にレトルトカレーの研究に励んだことがある。全国各地からご当地カレーなども取り寄せて自分好みのカレーを探した。マズいレトルト食品を食べると独り者の侘しさが強まるから頑張ってウマいものを探した。

 

12千円といったヘンテコなカレーまで試したが、結局気にいったのは23種類に絞られた。私は欧風カレーが好きなのでレギュラーとして採用されたのはそんな路線の商品ばかりである。

 

わが家の米に合わせるにはインドカレーやタイカレーだと違うし激辛カレーは基本的に苦手。日本の正しいカレーだと芋やニンジンが邪魔だから欧風カレー一択になるわけだ。

 

そのあたりの研究成果は6年ぐらい前にも書いた。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/100.html

 

6年前にも紹介している「ガヴィアル」のレトルトカレーが今でも私のお気に入りだ。神田神保町にある人気店の味を再現した商品である。わが家には常に最低でも3個は常備している。

 


 

最近、パッケージが変わったが味は依然と同じ。肝になっているのは原材料表示にも書かれている「砂糖」ではないかと私はにらんでいる。カレーとしての辛さの裏にほんのり甘さが感じられる。

 

神保町にはわりとちょくちょく出かける。わがオジサマバンドの練習拠点である音楽スタジオがあるので時期によっては月に23度と出向くこともある。いつもガヴィアルの前は素通りする。

 

いつも頭に浮かぶのは「本物のガヴィアルの味はレトルトとどのぐらい違うのだろう」という好奇心だ。いつも思っているのにナゼか今の今まで神保町の実店舗を訪ねたことがない。

 

食べたいような食べたくないような…という心境である。もし本物がレトルトの10倍美味しかったら私が愛するレトルトのことを一気に嫌いになりそうだし、その逆にお店のほうがマズいと感じたら自分の味覚に自信が持てなくなるような気がする。そんな複雑な気分でお店の前を素通りしていた。

 

そんなウジウジした気持ちのまま歳月が過ぎた「ガヴィアル問題」だが、先日ひょんなことで終止符を打つ時が来た。日本橋のコレド室町の中にガヴィアルの支店を見つけふらふらと入って念願の本物を食べた。私にとっては事件である。

 


本店ではなく支店、それも職場や家の近所だったから身構えずに吸い込まれてしまった感じである。ここ数年の葛藤は何だったんだと一人つぶやきながら期間限定だかの和牛がゴロゴロ乗ったカレーを注文してみた。

  

念願のガヴィアルのカレーをスプーンですくい全神経を集中させて味わってみた。ふむふむ、愛するレトルトとほぼ一緒である。単純明快にウマい。妙な安堵感に包まれて幸せな気分でムホムホと食べ進んだ。

 

特別に乗っかった和牛の存在など記憶にない。カレールーの味が知りたかったからたとえ具材がイセエビだろうがアワビだろうがきっと覚えていないだろう。だったら普通のカレーを頼むべきだった。和牛のために何百円か損した気分だ。

 




食べ終わって達成感に包まれるとともに別な疑問が頭をよぎった。「それならレトルトでいいんじゃないか」という元も子もない真理?である。カレーマニアみたいな繊細な味覚があれば別だが、私には実店舗もレトルトも大きな違いはなかった。

 

レトルトは確か350円ぐらいである。お店だと1800円だ。富豪ならそんなことを気にしてはいけないのだろうがこの差は結構大きい。

 

でもお店だったら当然に上げ膳据え膳だし、レトルトとして商品化されていないポークカレーやチーズカレー、エビカレーなども楽しめる。悩ましい話だ。新たなガヴィアル問題の勃発である。

 

こんなことで脳ミソをフルに使っているわけだから私の日常は実に平和である。





2023年6月12日月曜日

消費税の思い出

 

私が社会人になった頃、世の中は消費税騒動でガタガタしていた。もう35年も前の話だ。それまで売上税、一般消費税と立て続けに導入に失敗した自民党政権が満を持して用意したのが今に続く消費税だ。

 

反対運動は全国に広がりメディアも朝から晩まで消費税問題一色だった。「とにかく反対」を主張する土井たか子率いる社会党が勢力を伸ばし、マドンナ議員と称されたオバサン議員が大量に生まれたのもあの頃のことだ。

 

導入ありき、で制度設計された当初の消費税はそれはそれはヒドいものだった。お目こぼしのオンパレードで何とか企業や事業者からの反発を抑えようとユルユルの仕組みが講じられていた。

 

売上3千万円までは免税事業者になっただけでなく、売上5億円までの企業に対しては簡易課税制度という名の“預かった消費税は納めないでフトコロに入れちゃってOK”という措置が用意された。

 

消費者のオバサンたちは大反対したものの、企業経営者や事業者からは「お目こぼしもいろいろあるし、3%程度の税率なら仕方がない」という空気も広まった。

 



当時、駆け出し記者として霞が関をウロウロしていた私が印象的だったのは大蔵省幹部の「導入さえすれば後々どうにでも出来る」という言葉だ。

 

あれから35年が経った。税率は3%から5%、8%を経て現在の10%になった。当初の「お目こぼし制度」も気づけば壊滅状態。

 

もっとも、預り金である消費税で儲けちゃう“益税”という現象が放置されるのはマズいから正常に修正されて当然ではある。でも当初のあのハチャメチャぶりを思い返すと理屈も正義もあったもんじゃなかった当初の“アメ乱発”は“お上のズルさ”を表すいやらしいやり方だったと感じる。

 

その後、消費税はグングン成長?していく。当初は全税収に占める割合はヒトケタ程度だったが、35年後の今は全税収の3分の1が消費税になった。幼稚園児だったショウヘイ君が今の大スター・大谷翔平に進化したような激変ぶりである。

 

その昔、税収を支えるのは法人税や所得税というのが通り相場だったが今ではダントツで消費税が主役だ。「導入さえすれば何とでもなる」という当時の官僚の予言そのままである。

 

モノを買う現場でのコスト増ばかりが世間では話題になるが、事業者側の負担も厳しくなる一方だ。理屈では預り金である消費税を納めるだけという話になるが、実態は“第二法人税”みたいなもので納税に苦しむ企業や事業者は後を絶たない。

 

 

平たく言えば、「売上に乗せた消費税」から「経費にかかった消費税」を差し引いて納めるだけの仕組みだ。ただ、人件費などの経費にはそもそも消費税が課税されていない。つまり差し引ける「経費にかかった消費税」は限定的になるため、赤字企業だろうと消費税の納税は避けられないわけだ。

 

赤字の事業者であれば日々の資金繰りに苦労しているから消費税を含んだ収入もすぐに運転資金に消えてしまう。理屈では「消費税分は除けておくべき」と分かっていてもなかなかそうもいかないようで、実際に消費税の滞納は全税目の中でも突出して多くなっている。

 

35年前、マドンナ旋風を巻き起こして時の人になった土井たか子社会党委員長は、消費税に反対する理由として「ダメなものはダメ」という実にぶっ飛んだ発言をかまして話題になった。



 

当時、理念も理論もない実に乱暴かつテキトーな発言にも聞こえたが、現在の消費税をめぐる諸々を思うと、今になってあの時の土井発言に妙な説得力を感じる。

 

今日はなんだか小難しい話を書いてしまったが、言いたいことは一つ。ある意味で消費税が聖域視されている現状への不満だ。

 

税制改正論議で消費税減税が本格的に検討されたことはない。これって異常なことだ。法人税、所得税をはじめ他の税目は過去何度も増税と減税を繰り返してきた。消費税だけは議論イコール増税になっている。

 

そもそも「消費」に対して課税する制度である以上、消費動向に応じて柔軟に税率や減免措置が見直されて然るべきだが、そうした風潮はない。

 

政府の税制調査会では「すべての税に聖域を設けずに議論を」という意見が出ているが、例の防衛費大増強をはじめ何かと増税だけを念頭に置いているのが現実だ。聖域になっているのは「消費税は増税議論しかしない」という誤った慣習そのものだろう。

 

「議論イコール増税」という認識は大きな間違い。これだけは声を大にして主張したい。

 

 

 

 

2023年6月9日金曜日

銀座で晩酌


銀座でディナーという言葉にはどこか特別感がある。とはいえ、職場が近い私にとっては日常の晩酌の場が銀座になることも多い。いちいちハレの日で使うような店には行けない。

 

                  


  

ミシュランがどうだ、食べログがどうだといった特別な食事ではなく普通にちょっとウマいものを食べたい時にも銀座は便利だ。ジャンルを問わず何でも揃っている。女性連れで軽く夕飯を食べる際もいちいち高級レストランには行ってられないので、晩酌的に楽しめる店を選びがちだ。

 

晩酌オジサマとしてはジャンルに関係なくウマいものをちょこちょこ食べられる店が一番有難い。普通の居酒屋では退屈だが高級料理屋も面倒といったワガママに応えてくれる飲食店の多さも銀座の特徴だろう。

 

高級居酒屋という表現だとピンと来ない。“準料理屋”みたいなイメージだろうか。このブログでも何度か書いた「惣菜」などは和洋中にこだわらない小皿料理が楽しい。

 




上の画像は贅沢玉子なるネーミングの一品。簡潔に言えば茹で卵である。そこにウットリするようなトリュフソースをまとわせている。下はビーフンにカラスミをブリブリ混ぜた一品。卓越した技術が光る料理よりもこういうシンプルさが嬉しい時もある。

 

この店のコンセプトは「日常の料理を非日常に」である。核心を突いている。晩酌オジサマとしては日常の“ちょいプラスアルファ”ぐらいを楽しめる店が有難い。

 

先日、何年かぶりに訪ねた「まかない・きいち」もそんな店。奇をてらったメニューはないが、刺身、焼き物、揚げ物などすべてが高水準。クジラベーコンだって高級寿司屋が常連用に隠し持っているような上等なレベルのものが出てくる。

 

メニューに値段が書いていないのも銀座っぽい。ちょっとビビるのが正直なところだが、普通の居酒屋を選ばずにこの店に来たからには多少の出費は仕方ない。

 





シマアジのゴマ醤油和え、トウモロコシの天ぷら、茹でタンだ。どれも丁寧に仕上げられていて実に美味しい。画像は忘れたが、この店の名物でもあるメンチカツも旨味と甘味のバランスが絶妙で何個でも食べたくなる。

 

もともとこちらは「ちばき屋」という人気ラーメン店の店主が出した和食店なので、アレコレと食べた後に外せないのがラーメンである。醤油ラーメン、塩ラーメンも悪くないが「鯛そば」が絶品だ。

 

それまで食べてきた味の流れを壊さずに滋味深いスープに包まれた麺をズルズルと楽しめるのが最高だ。いつも晩酌の後にペヤングやマックを食べてしまい味の余韻を台無しにする私の悪いクセもこの店のシメを味わえば大丈夫である。

 



ハーフサイズで注文できるのも有難い。画像はハーフだ。鯛の旨味もしっかり感じられて“シメ業界におけるニッポン代表”みたいな印象だ。数年前には確か4分の1サイズも可能だったようだが現在はよく分からない。

 

晩酌タイムのシメは案外重要である。上にも書いたように私は晩酌の後にフィレオフィッシュやビッグマックを無性に食べたくなる変態男だから、なるべくなら晩酌の店でしっかりとしたものを食べるべきである。

 

ツマミを多めに食べちゃって炭水化物ナシの時間を過ごしがちなお寿司屋さんや焼鳥屋さんに行く時が要注意である。

 

最近でこそ寿司屋では頑張って握りを810貫ぐらいは食べるようになったが、数年前まではツマミや珍味ばかりで握りは34貫で終わってしまうこともあった。そうなると無事に自宅に帰り着いてもペヤングにお湯を注いでしまうことが多かった。いま必死に軌道修正中である。

 

焼鳥屋さんの場合もしっかり食べたつもりでもしょせんは小さい肉の串刺しばかりだ。後になって何となく満足感が足りない気持ちになりがちだ。

 



銀座にある「串銀座」にも時々足を運ぶのだが、最近は必ず「温玉そぼろ丼」をシメに頼むことにしている。温玉が驚天動地にウマいから幸せな気分になれる。

 

この店が使っている無敵のナンチャラ卵は色合い、味の濃さともに抜群だ。かつてはここの温玉だけを4回もオカワリしてそれを肴にずっと飲んでいたこともある。

 



そんな謎にウマい温玉がそぼろ丼にトッピングされているわけだからマズいはずがない。極上の親子丼にも惹かれるが温玉の魅力のせいでこればかり注文する。いつかこのそぼろ丼に温玉を3つほど乗せたバージョンを頼みたいのだが勇気がなくて言い出せずにいる。

 

いつか必ずトライしたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年6月7日水曜日

散歩の落とし穴

 

11万歩。健康のために歩こうと思ってもなかなか難しい。デスクワークの私にとっては平日はまず無理な相談である。タクシーに頻繁に乗ってしまうからヘタすると11000歩程度しか歩かない日もある。

 

週末はせっせと散歩に励むことが多いが、1万歩は簡単ではない。黙々と歩くだけだと67千歩程度で終わってしまう。調子が良い日なら昼の散歩と夕方~夜の散歩をダブルでこなすとようやく1万歩を超える。

 

最近は日本橋界隈をアテもなくさまようのだが、先日は小伝馬町の牢屋敷跡を訪ねてきた。ここ数年、時代小説をちょくよく読むのだが、小伝馬町の囚人をめぐる話がよく出てくる。

 

今年読んだ中で一番面白かった浅田次郎の「赤猫異聞」も江戸を襲った大火から逃げるために小伝馬町の牢屋敷から一時的に解き放たれた囚人達と看守役の侍の話だった。

 


                    



新富町、八丁堀エリアに住んでいた際も隅田川を渡って佃側にあった人足寄場跡あたりで往時に思いを馳せた。そちらはかの鬼平こと長谷川平蔵が設立に関わったとされる矯正作業施設だ。やはり時代小説にちょくちょく出てくる。

 

小伝馬町のほうは矯正施設ではなく純粋な牢屋敷だから斬首も行われた場所だ。近くにある寺の風情も何となく物寂しい。今はのどかな公園もかつては250年以上に渡って数十万人を収容したそうだから歴史の重さを感じる。

 

公園の端っこには吉田松陰終焉の地という碑もひっそりと置かれている。場所の性質上、有名な観光地というわけではないが歴史の一頁が生々しく感じられて“いにしえの江戸散歩”の穴場だと感じた。

 



銀座と直結する中央通り沿いは日本橋の今を感じるエリアだ。商業ビル「コレド」はいつの間にか増殖していた。神田寄りの「コレド室町テラス」あたりになると週末でも思ったほど人混みは無い。穴場だと思う。

 

銀座あたりだと道路沿いに歩くだけでいろんな店が目に入って飽きないが、日本橋はコレドのようなビルの中に入らないとどんな店があるのか分からない。

 

あてもなくブラブラとビル内散策をするのも楽しい。道路から見ているだけでは想像できないほど飲食店が溢れている。すべて地下で繋がっているから天気も気にならないのが有難い。

 




適当な店のイートインを利用して喉を潤したり、疲れた身体に糖分補給するのも簡単だ。先日も妙に斬新なメニューが揃ったジェラート屋でタンマリと甘いモノを補給した。せっかく歩き回ってカロリーを消費してもこういう行動が私のデブを維持する。

 

その場で食べるだけでなく、コレドのようなビルやデパ地下の小洒落た店を覗いているとムダな買い物をしてしまうのも困りものである。

 

わが家の冷蔵庫にいくらでもストックがあるのにウマそうなミルクジャムなどを見つけるとついつい買ってしまう。職場の近くの明治屋、家の近くの三越あたりは私にとっては鬼門みたいなものである。

 



ふと用も無いのに覗きに入ってしまい期間限定商品やらお取り寄せグルメ的なスイーツを見つけて手を出してしまう。他にも銀座、有楽町、日本橋界隈には各都道府県のアンテナショップが揃っているので。ナンチャラ餅だのナントカ饅頭といった名産を買いたくなってしまう。

 

本当にそれが現地の名産品で入手困難なのかは不明だが、きっと東京で簡単に買えるのだからたいしたものではないはずだ。分かっちゃいるのにそれっぽくディスプレイされていると食べたくなってしまう。

 

我ながら異常な食い意地だと感じる。前世はよほど食べるものに困窮して死んでいった人なのかと思ってしまう。家系的に糖尿の心配が無いことに感謝する日々である。

 

というわけで、健康になるはずの散歩も私にとっては自らを太らせる危ない行動になりつつある。

 

 

 

 

 

 

 

2023年6月5日月曜日

行列とトンカツの話

 

飲食店に行列する気持ちってどんな感じだろう。一組、二組程度ならともかく、お腹が空いているのに1020人の列に並ぶ心理がよく分からない。

 

飢餓感が煽られることでお目当てのモノがより美味しく感じるM的な志向だとしたら凄い。私にはマネできない。

 

行列に並ぶことは当然ながら立たされたままである。それだけで私には無理だ。意味なく立たされるのは高校生の頃までに充分経験した。

 

百歩譲ってそこじゃなきゃありつけないモノなら理解できる。でも、少し前のタピオカだったり昔の原宿のクレープだったり、イマドキのラーメンにしても5分も歩けば他の店で似たようなモノが食べられる。にもかかわらず大行列を受け入れるのが不思議だ。

 

そういえば30年前に一世を風靡した西麻布のアイスクリーム「ホブソンズ」は今もどっこい営業しているそうだ。当時のあの大行列はサクラを使った演出だったことが話題になったからとっくに閉店していると思い込んでいた。逆に今なら行ってみたい。

 

サクラの行列などという話を若い頃に知ってしまったから私は今も行列に妙な抵抗感があるのだろう。いや、単に体力、もしくは忍耐力がなさ過ぎるのが原因だと思う。

 



 ラーメン以外で最近よく目につくのが「閉じないカツ丼」を目当てにした行列だ。焼きカツ丼とも呼ばれ大層なブームになっている。画像は人気店「丸七」のホームページから拝借した。人気が定着するかどうかは分からないが、ブームはブーム、あくまで一過性だからいずれ落ち着くはずだ。

 

先日、いつも行列が絶えないそんなトンカツ屋さんに入ってみた。16時半頃だったのでまだ行列は出来ていなかった。日々大行列になる店のトンカツなら私だって食べたい。一時期は都内各地の名店にわざわざ通ったトンカツ好きの血が騒いだわけだ。

 

店の名前は日本橋の「一(はじめ)」。つい最近近くに2号店も出した人気店だ。皆さん、閉じないカツ丼を嬉しそうにかっこんでいる。幸せそうで良い眺めだ。私は閉じないカツ丼に興味がないので普通にトンカツ定食を食べることにする。

 


 

結構な値段のトンカツがラインナップされている。「高値のトンカツ」に妙に惹かれるのが昔から私の悪いクセだ。この日もメニューの中で一番エバっていた4千円近い値付けの一品を注文する。

 

宮崎のブランド豚・あじ豚の特上厚切りリブロースである。350グラムという表示にたじろいだが見て見ぬふりをする。本当は最上ヒレ肉、いわゆるシャトーブリアンの部位を使ったトンカツが食べたかったのだが、ナゼかメニューでは焼きカツ丼専用になっていたので断念。

 

肉厚だからか結構待たされた後に待望のリブローストンカツがやってきた。思ったほどデカくないので一安心。衣具合も良さそうだ。香りにウットリしながら食べ始めた。

 



感想としてはごく普通の厚切りトンカツだった。トンカツ特有の旨味をさほど感じない。普段の大行列を横目に見ていたせいで期待が大きくなり過ぎたのか。もう少し軽めに揚がっていたら印象も違ったのだがちょっと拍子抜け。

 

やはり周りの人がこぞって食べていた焼きカツ丼を頼むのが正解だったのかもしれない。悔しいから近いうちにシャトーブリアンの焼きカツ丼にトライしようと固く決意した。「閉じないカツ丼なんて気味悪いな」と気取っていた私の矜恃?はいとも簡単に崩れそうである。

 

カツ丼といえば蕎麦つゆ味がムンムン香る卵で閉じちゃったあのスタイルこそ基本だと思う。乱雑に散らかったタマネギのアクセント、卵の火加減が場所によって違うシッチャカメッチャカな組み合わせによって成立している。

 

だいたい衣のサクサク感を求める人はカツ丼を選ばない。具材達がカオスのように渾然一体となって汁だらけになったご飯をかっこむ所にこそ正義?がある。

 

と、そんな保守的な物言いで新参者である焼きカツ丼を認めていない頑固ジジイみたいな私だが、食べたことがないからそんなことを言えるわけで一度食べたらトリコになる可能性もある。

 

その時は平気で手のひら返しをしようと思う。

 

 

 

 

2023年6月2日金曜日

蛇の市本店、舟寿し、繁乃鮨


引っ越しすると近隣のお寿司屋さんを探索したくなる。新居に暮らし始めて半月ほど過ぎたが、既に何軒も訪ねてみた。日本橋ビギナーだからまだ分かったようなことは言えないが、徐々にこの街の特徴みたいな感じが掴めてきた。

 



ここ数年、客の都合に関係なくおまかせというスタイルで一人34万も取るような摩訶不思議な寿司屋が増殖中だが、私は間違ってもそういう店には行かない。好きなモノを自分のペースで楽しむのが寿司の基本だ。

 

3万も4万も出せばウマいのは当たり前だ。でも寿司ってそういう類いの食べ物ではない。そこそこワガママに飲み食いしてもその半額程度で充分にウマい寿司は堪能出来る。

 

さて、日本橋界隈のお店の話だ。探索し始めて感じたことは「まぐろの赤身がウマい」という点。やはり赤身は寿司の一丁目一番地だと思う。これが美味しければその他のネタも間違いない。

 

日本全国それこそ山の中の温泉宿ですらナントカの一つ覚えみたいにまぐろの刺身が出てくるが、味の無いシャバダバなヤツばかりである。寿司屋の世界でもトロには気を遣っても赤身をないがしろにしている店は少なくない。安定してウマい赤身を出すお寿司屋さんはそれだけで誠実な商売をしていると思う。

 

日本橋という土地柄は年齢層が高めの客を相手にしているせいか、赤身をはじめとする“王道ネタ”がキチンと美味しいのが特徴だろう。オジサマど真ん中の私にとっては有難い限りだ。

 

いわゆる「江戸前寿司」の本家だけに海老や穴子、コハダといった仕事を施してあるネタに抜かりがないところが嬉しい。生魚を乗っけただけのカジュアルなお店とは一線を画している。

 



 

赤身のヅケも当然のように用意されている。即興で作るヅケではなく、熱湯にくぐらせてから冷水でシメる湯霜造りだ。個人的に湯霜のヅケが常備されている店は無条件で好きになってしまう。

 

三越やコレド室町に近い場所にある「蛇の市本店」では赤身とトロに近いの部分の2種類のヅケが用意されていた。赤身ファンの私だがどちらもニンマリする美味しさだった。正しい寿司?を食べている感覚とでも言おうか。

 

この店では“おぼろ”も印象的だった。手がかかるから今時おぼろを使うお店は絶滅危惧種みたいなものだが、冒頭の画像の海老の握りやコハダに適度にまぶされていて味のコントラストが絶妙だった。

 


 

こちらのヅケは人形町寄りの静かな路地に佇む老舗「舟寿し」で出されたもの。これまたマグロの旨味が感じられてニンマリした。江戸の魚河岸はもともと日本橋にあった。気のせいか界隈のお寿司屋さんにはどこか江戸前の流儀のようなものがしっかり根付いている印象がある。

 

どの店で過ごしていても「さすが東京の寿司だね」と心の中でつぶやきたくなる場面がある。軽めの飲み食いだったら諭吉1枚とちょっとでこういうニクい寿司が堪能出来るから私としては大満足である。

 




 

穴子の安定的なウマさもこのエリアの特徴かもしれない。当然ながら冷えた作り置きをシャリに乗っけるようなパターンはない。ツメ、いわゆる甘ダレの味も甘ったるいだけではない。上から「蛇の市本店」、「舟寿し」、そして日本橋本町寄りの「繁乃鮨」の穴子だ。

 

繁乃鮨も一見敷居が高そうだが入ってしまえば心地よい空間でコスパも良かった。イクラが醤油漬けではなく塩イクラだった点も東京っぽさを感じさせる。私が子供の頃はイクラといえば塩が普通だった。いつの間にか主流になった醤油漬けも好きだが、塩イクラのウマさは独特だと思う。

 


 

私が量を食べられなくなったせいもあるのだが、今のところ訪ねてみたお店はどこもコスパの面でも納得だった。つくづく銀座の寿司屋に見習って欲しいと感じる。こっちが普通でアッチが異常だと再認識している。

 

名物みたいなウマいものもあった。インパクトのあるそういう一品に出会うとすぐにでもまた行きたくなる。実際に一週間も経たずに再訪して味わったのが次の二つ。

 




「舟寿し」の銀鱈粕漬けと「蛇の市本店」のたまご巻きである。粕漬けは大袈裟ではなく感動的な味わい。そこら辺?の西京焼きぐらいしか食べていない私にとって目ん玉が飛び出そうになった。熱燗と共に口にすると心底ニッポン人に生まれて良かったと叫びたくなった。

 

たまご巻きもその美味しさにムホムホした。もともと握りの最後は卵焼きをシャリ付きで食べるのが私の定番だ。甘めのタマゴがいわばデザート的な役割になる。このタマゴ巻きはゴマやゆず、大葉?などが渾然一体になっていて何個でも食べたくなる美味しさだった。

 

なんだかまとまりが無くなってきたが、まだ日本橋界隈を探査し始めたばかりである。メンドーだから納得できたお店に通いたい気持ちと、未知のウマいものを探し続けたい気持ちがせめぎ合っている。

 

実に平和な悩みである。これってとっても幸せなことだと思う。