2023年8月18日金曜日

洋食探検


明日地球が滅亡するとしたら最後に食べたいものは何か。私の答えはトンカツである。

 

トンカツはさも日本料理みたいな雰囲気だが、元を正せばいわゆる「ニッポンの洋食」の代表メニューだ。西洋料理を日本式にアレンジして進化した食べ物がトンカツだ。

 

ニッポンの洋食といえばオムライス、ハヤシライスを始めデミグラスソース系、ベシャメルソース系の逸品達が顔を揃える。揚げ物はポークカツレツ、ビーフカツレツ、メンチカツ、クリームコロッケ、エビフライ等々。全て私の大好物だらけだ。

 

洋食大好きオヤジとして今まで随分と名店と言われる店を訪ねてきた。20代の頃はデートといえば麻布のグリル満天星ばかりだったし、亡き祖父が好きだった根岸の香味屋にも片道1時間かけて行った。赤坂・津つ井のステーキ丼を予算が足りなくて断念したこともあった。

 

30代、40代も過ぎアッという間に50代になったが今も洋食を愛する気持ちは普遍だ。銀座日本橋界隈の「みかわや」「資生堂パーラー」「南蛮銀圓亭」「煉瓦亭」、「スイス」、「たいめいけん」、浅草の「グリルグランド」「よしかみ」「ぱいち」、上野湯島の「さくらい」「黒船亭」や、他にもいろんな店でドカ食いを続けてきた。

 

やはりそれなりの名の遠った店ならハズレはない。上に列挙したお店の中には強烈なインパクトがあったところもあれば、まあまあのところもあったが、どの店も総じて満足感に浸れる。

 

これは私の持論なのだが、ニッポンの洋食と呼ばれる老舗の名店が出す料理は「東京の郷土料理」だと感じる。文明開化で必至に西洋のマネをしていた時代、首都である東京がハイカラな洋食を磨き上げていったのは間違いない。

 

ついつい行ったことがあるお店を訪ねがちだが、まだまだ未開拓のお店も多い。先日ようやく訪ねてみたのが人形町にある「芳味亭」だ。こちらも古くから有名な洋食の老舗だ。

 




何年か前に建て替えたという店内はなかなか素敵な居心地の良い空間だった。堅苦しいほどではなく適度に重厚感もあって接待やデートにも使えそうだ。

 

アレコレ食べてみたのだが全体に丁寧に仕上げられている印象。価格的にカジュアル路線の洋食屋さんだともろもろ雑な感じが残念だが、こちらは丁寧さがウリだと感じた。

 





コース料理といくつか単品も注文したのだが、すべて標準以上の味わい。洋食マニアなら納得の味が揃っていた。個人的にはもう少しメニューにバリエーションを求めたいところだが、よほどの大食漢じゃない限り問題はないレベルだ。

 

昔から気になっていたお店なのにナゼか縁がなくて今になって初訪問したわけだが、気付けば自宅から徒歩で行ける距離である。今後はマメに通ってみたいと思った。

 

別な日、これまた以前から気になっていた日本橋の「レストラン東洋」に行ってみた。こちらは大衆路線の昔ながらの気軽なレストランという雰囲気。昭和を感じさせる入口前のショーケースがオジサマ心をくすぐる。

 



夜は居酒屋的に運営しているようで、悪くいえば「洋食屋の迷走」とも言えるが、肩肘張らずに酒を飲みながら洋食を突っつくという憩いの時間が過ごせる。

 

店内の風景は昭和のデパートのレストランみたいなベタな感じ。中高年以降の人なら落ち着く雰囲気かもしれない。

 

もろキュウ、梅水晶、もずく酢や塩辛といった居酒屋定番メニューも用意されている。もはや洋食屋さんとは呼べない迷走ぶりだが、それはそれで酒を飲みたい気分なら有難い迷走である。居酒屋の定番つまみでグビグビ飲んでから王道の洋食メニューを頼めちゃうわけだから割り切ってしまえばかなり楽しい店だと思う。

 





ポーク、サーモン、海老のフライ盛り合わせ、ドイツ風ライス、謎の焼きそばである。フライ盛り合わせは揚げ加減もキチンとしていて何よりタルタルソースの量と味が洋食屋の矜持を示しているようで良かった。

 

ドイツ風ライスという謎の食べ物は、いわばデミソースたっぷりのオムライスである。意味不明なネーミングが最高である。謎の焼きそばはその名も「スパゲッティー焼きそば」である。パスタ麺で作る焼きそばである。ヤケっぱちみたいな一品だが案外ウマかった。

 

他にもハヤシライスやシチューやグラタンなど定番洋食メニューが揃っているわけだから、梅水晶と冷奴で酒を飲んでからそうした洋食メニューでシメるという有りそうで無い宴が楽しめるわけだ。

 

それぞれの食べ物がちゃんとした味わいだからこういう迷走も悪くない。職場からも遠くないし、こちらもリピートしたくなる。シャレた店が増殖している日本橋にあって中高年男性にはオアシスみたいな場所だと感じた。

 

 

 

 

 

2023年8月16日水曜日

内視鏡マニア?


今年はナゼか内視鏡検査ばかりしている。もはや趣味みたいな状況だ。先月は以前から課題?になっているすい臓のチェックのために超音波内視鏡を突っ込まれ、今月は半年前にちょっと引っかかった胃のポリープの状況を調べるために胃カメラを突っ込まれた。

 

すい臓問題は、今年の春に「のう胞」、すなわちデキモノの生体検査のために入院するハメになった。この時は超音波内視鏡で胃を経由してすい臓をまさぐって癌性のモノではないことが判明したが、今回は経過観察的に改めて検査を受けてきた。

 

私は内視鏡検査マニア?みたいである。15年ぐらい前から胃と大腸の内視鏡検査を頻繁に受けてきたからカメラを体内に突っ込まれることは慣れっこである。変な話だが検査前にはワクワクするほど大好きな時間である。

 

というのもいつも胃と大腸を診てもらうクリニックでは強力鎮静剤のような薬物でコテっと寝かされているうちに検査は終了。その後は全身が弛緩するせいで肩こりは取れるし、しばらくフワフワしていられるので一種の快楽が味わえる。何よりクスリで落ちていく寸前のクラクラする感じが実に気持ち良い。

 

すい臓問題は別なお医者さんにかかっているのだが、今年の1月に初めて超音波内視鏡で胃を経由してすい臓を調べるという体験をした。こちらもちゃんと鎮静剤を使ってカメラを突っ込むと聞いたので、今までの“快楽内視鏡”と同じワクワクしながら検査に臨んだ。

 



しかし、薬物の種類が違ったのかうっすら意識がある状態でカメラを突っ込まれた。“完落ち”しないままの内視鏡は人生初だったので結構シンドイ思いをした。オエオエモードだ。内視鏡歴15年以上で初めて世間一般で言われているツラさを体験したわけだ。

 

その検査で問題があったので春に生体検査を受けたわけだが、この時はお医者さんに執拗に「ちゃんと落としてくれ」と要求したおかげで無事に完落ち。しかし、朝の検査だったのに夜まで猛烈な睡魔が続いて難儀した。

 

で、すい臓の経過を診るための先月の検査である。過去2回のビミョーな薬物の効き目を参考にちょうど良い加減で薬物を使ってもらうはずだったのにまたもや完落ち出来ずに終わった。どうもこっちのお医者さんとは相性が悪いみたいだ。

 

この日も検査前に薬物をうたれたのだが、ちっとも効いている感覚がないまま検査が始まった。ちゃんと意識があるのに普通の胃カメラより太い超音波内視鏡がグイグイ入ってきた。悶絶の一言だった。

 

オエオエヒーヒー言いながら何とか検査は終了。その後は休憩スペースで一時間近く横になっていないといけないのだが、ナゼかこのタイミングで強烈に眠気がやってきた。意味不明である。クスリが効くタイミングが違う。つくづく相性が悪い。というか、胃と大腸の際の“快楽内視鏡”で使う薬物とこちらの薬物は種類が違うのだろう。

 

知り合いの看護師さんに効いたら寝落ちさせる薬物にもさまざまな種類があって、普通のやつの他に麻薬、劇薬など段階があるらしい。効き目が強いやつになればなるほど管理面でも物凄い厳重さが必要になるらしい。

 

そういえば、胃と大腸の内視鏡検査をしてもらう馴染みのお医者さんに検査の時にいつも完落ちする例の快楽薬をちょっと分けてくれとお願いしたことがある。ところが、病院内で落として破損しただけでもどこかに届出するぐらい管理が厳しいからダメと言われた。

 

ひょっとすると私が大好きなあの薬物は麻薬劇薬系の凄いやつで、すい臓検査の時のクスリはごく一般的なヌルい鎮静剤なのかもしれない。由々しき事態である。

 

で、恐怖のオエオエ内視鏡検査を受けた10日後ぐらいに胃の検査のために“快楽薬物”のほうのクリニックに出かけた。半年前に引っかかったポリープの成長具合?の確認である。

 



まさかこちらではオエオエモードにはならないだろうと検査台に横になる。ゆるゆると注射器で私の好きな劇薬?が注入される。お医者さんとの無駄話も成り立たないぐらい早めに天井がぐるぐる回り始めた。

 

「これだよこれ!来たよ来たよ~!」とつぶやきながらコテっと完落ち。気づいたら誰もいない検査室に一人。まるで記憶なし。フワフワした状態で目覚めた。こっそりと無臭の電子タバコ「プルームテック」をふかしながら陶然としたひと時を過ごした。

 

その後、肝心のポリープの状況について説明を受けたがフワフワしていたのであまり覚えていない。たぶん大丈夫だろう。

 

やはり私はこちらの内視鏡検査が大好きである。

 

 

 

 

 

 

2023年8月14日月曜日

おみやげ

                    


 先日、草津温泉に2泊で出かけてきた。毎年恒例の「元家族旅行」である。高校2年になるダウン症の息子にとっては一年に一度の大イベントだから甘々父ちゃんとしては奮戦する機会でもある。

 

いまやスネ毛が私よりも濃い息子だが、知能的には小学校低学年レベルである。ここぞとばかりに私にべったりだ。散歩したり温泉やプールに入ったりして過ごした。寝る時までもそばにくっついてくる。

 

5年ほど前にもこの「元家族旅行」の意義について書いた。(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/08/blog-post_13.html)。私にとっても毎年の課題になっている。

 

離婚して10年以上が過ぎたがこういうパターンの付き合い方は珍しいのだろう。まあヨソと比べる必要はないがこれはこれで悪くない。親っぽいことが出来た。

 


 

草津はとにかく温泉の泉質がバツグンである。日本全国の温泉地と比べても別格だと思う。それよりも何より夏場のこの時期は涼しいのが有難い。東京の猛暑に比べてあちらは昼でも高くても25度程度、朝夕は薄手の上着を羽織りたいぐらいの温度だったからエアコンいらずで過ごせた。

 

さて、今さら「元家族旅行」の意味などを書いたところで仕方ないので今日は旅の土産について取り上げる。普通の人より10倍か20倍ぐらい旅をしてきた我が人生において、旅の最大の楽しみは「無事に家に帰り着くこと」だと感じる。

 

元も子もない結論だが、どんなに最高の旅だったとしても家に帰り着いた瞬間のホッとした心地良い気分は類まれな感覚だと思う。ひょっとするとあの気持ちを味わうために旅に出かけるのかもしれない。

 

さてさて、旅にはお土産が付き物である。人に配るものはさておき、自分用のみやげをアレコレ選ぶ楽しさも旅行の楽しみの一つだ。たとえ現地の地名だけが書かれた安い使い捨てライターでも使う際にはその土地のことを思い出す。

 

Tシャツも買い続けてきた。潜水旅行ばかり出かけていた頃は当然ながら暑い場所ばかりだったから、みやげというより現地で必要な着替えとして買い続けた。人生において旅先で買ったTシャツは2~300枚にはなるのではなかろうか。今はその10分の1も残ってはない。

 

20年前にバリ島で買ったTシャツを今も寝間着に使うことがある。当然ヨレヨレだ。ナゼか生地感が柔らかくて妙に気に入って穴が空いているのに捨てられない。でも、時おり当時の旅を思い出して悦に入っている。

 

カリブ海の方で買ったチェ・ゲバラが葉巻を咥えたカッチョいいTシャツは娘に奪われてしまったのだが、娘がオーバーサイズ的にそれを着ている姿を見るたびに現地でのアレコレが思い出される。

 

7~8年前から始めたのがマグネット集めだ。マグネットなら何でも良いわけではない。現地の名物料理がモチーフになっているものに絞って買うようにしている。わが家の冷蔵庫にペタペタ貼り付けている。

 


 

食べ物のマグネットに絞っているから探すのが結構大変でもある。先日のタイ旅行でもなかなか見つからず苦労した。あきらめかけていた旅の後半でカオマンガイやガパオライスのマグネットを見つけて狂喜乱舞した。きっと探す楽しみと見つけた時の喜びが私の旅の目的の一つになっているのだろう。

 

集め始めたのがわりと最近なのが悔やまれる。マグネット集めを始める前のほうが頻繁に海外旅行に出かけていたからもっと早く始めていれば、それこそ全世界の奇天烈マグネットが我が家の台所に所狭しと並んでいたはずだ。

 

スペインのパエリヤ、フランスのワインやクロワッサン、ドイツのビールやソーセージ、台湾の小籠包など実際に現地で食べたわけだから、その気になってマグネットを見ると旅の思い出に浸れる。国内バージョンも函館のイクラ丼や福岡の豚骨ラーメンなどはブツとして可愛いからラインナップに加えている。

 

今後どんどん増えていけばそれだけ旅を重ねられるという意味である。私にとってはコレクションを増やすことは元気で順調に生きていることの証にもなる。いわばマグネットを増やすことがちょっとした人生の目標みたいになっているわけだ。

 

ところで草津温泉には名物の食べ物はない。強いていえば温泉まんじゅうだがそんなマグネットなど見たことがない。そうなると食い意地がはった私はどうでもいい食べ物を土産に買ってしまうのが常だ。

 

草津にはウン十年通っているから今さら蕎麦だの山菜だのには興味がない。今回入手したのはあんずジャムと謎のミルクジャムっぽい商品である。

 



びっくりするようなウマいものに遭遇することなど無いと知っているのに旅先だとこういうものが欲しくなる。普通に美味しかったのだがわざわざ我が家の冷蔵庫を大混雑させるほどの価値があったかはビミョーである。

 

 

 

 

 

 

 

2023年8月9日水曜日

アーカイブです

 

今日は更新が追いつかなかったので過去ネタを一つ載せます。暑いからバカみたいなネタにしました。


セックスと刷り込み

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/05/blog-post_20.html






2023年8月7日月曜日

蝉しぐれ

 

夏真っ盛りの風物詩といえば蝉しぐれだ。ジージー、ミンミンと響く鳴き声を騒々しいと捉えるより情緒と受け止めるのが大人の嗜みだと思う。夕暮れ時のヒグラシの音色は自然界の音の中でも最も情緒あふれる珠玉の響きだと感じる。

 

いつの頃から蝉しぐれに強く郷愁を感じるようになった。子供の頃には無かった感覚だ。いまや桜を見るのと同じような気持ちで蝉しぐれの中に身を置いている。「あと何回この音色を聞いていられるのかなあ」という老境みたいな気持ちになる。

 

蝉しぐれという言葉もまた魅力的だ。漢字で書けば蝉時雨だ。時雨とは通り雨のようにパラパラと降る雨を意味する。セミの鳴き声に包まれる時の表現として実に美しい。

 

土の中で長い年月を過ごし、ようやく地上に出ても短い日数で死んでいくセミの姿に昔から日本人は“もののあわれ”や命のはかなさを投影してきた。音色の美しさも一瞬の輝きに過ぎないわけで、そこに尊さを見出すところは日本人の国民性とも言える。

 



と、なんだか仰々しく書いてみたが、セミに関するウンチクはワイ談にも応用出来るので、私自身、飲み屋などでセミ談義に花を咲かせることは多い。

 

何といっても鳴くのがオスだけだという現実の切なさが良い。ミンミン、ジージー、カナカナなどそれぞれの音色は交尾相手を求めるオスの叫びである。いわば「やらせてくれ~!」と主張し続けているわけだ。

 

数年もの間、静かに土の中を這いずり回り、成虫になってやっと地上に出ても一週間とも言われる短い余生をひたすら「やらせてくれ~!」と叫び続けるわけだ。切ない。実に切ない。同じ男として深いシンパシーを覚えずにはいられない。

 

考えてみれば、鳴いているセミは晩年期である。若々しかった頃の姿ではない。人間に例えるなら中高年というか老年である。にもかかわらず交尾のことだけを考えて余生を過ごしている。身につまされる話ではないだろうか…。

 

人生の後半になってセックスのことだけを考えるなんて「紀州のドンファン」もビックリのエネルギッシュさである。ある意味うらやましい。男なら見習わないといけない姿勢だろう。

 

平均寿命までまだまだ随分と時間が残されているはずの50代、60代の男性ならば人生の教訓はセミから学ぶべきなんじゃないかとさえ思う。

 

「しずけさや岩にしみいる蝉の声」。日本人なら誰もが知っている俳句である。松尾芭蕉が晩年に詠んだものだ。芭蕉先生も人生後半戦のもどかしい気持ちをセミを通じて痛感していたのかも知れない。

 

蝉しぐれに郷愁を感じるのは誰もが持っている夏そのものへの強い印象も影響している。四季の中でも一番エネルギッシュな季節が夏だ。人生を四季に例えるならば夏は多感な青年期にあたる。

 

井上陽水の名曲「少年時代」にしても晩夏の頃を情感たっぷりに描いているように誰もが甘酸っぱい記憶といえば夏を舞台にしている。

 

風鈴の響き、蚊取り線香の香り、はたまた甲子園のサイレンの音色、かき氷にスイカ…。風物詩も思い返せばキュンとくる情景がいくつも浮かぶ。それらの情景のBGMといえばどうしたって蝉しぐれになる。

 

誰もが持つ「いつかの夏」への思い入れは蝉しぐれと切り離しては考えられない。だから歳を重ねるごとにセミの鳴き声に対して一種独特な愛惜の念を感じるのだと思う。

 

このブログも15年ぐらい書き続けてきたが、夏も盛りになると毎年のように蝉しぐれについて書いてしまう。別に新しい発見など無いのだがそれでもなにか書きたくなる。

 

来年も再来年もその先も平穏無事に蝉しぐれの話を凝りずに書いていられるように過ごしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

2023年8月4日金曜日

渋いすき焼き、モダンなすき焼き


暑いから鍋物など見向きもしたくないが、案外食べてしまえば幸せになれる。気付けば身体は冷房のせいで変な冷え方をしているから健康面ではアリだと思う。

 

というわけで、今日は最近食べた趣のまったく異なる2種類のすき焼きについて書く。相変わらず話の舞台は中央区である。

 

一軒目のすき焼きは人形町の「大和」という店。基礎知識はまったく無いまま通りすがりに入ってみた。入ってみてビックリ。私好みだった。渋さ満点の昭和感漂う店の雰囲気にまずは感動。

 



畳に座って鍋を突くなんて正しいオジサマ族の見本である。牛、豚がメインのようだが、この日はさくら鍋を選ぶ。夏バテ対策には馬肉で力をつけたい。


鍋の前に軽く馬刺しで一献。これがまた赤身の刺し身だったから嬉しかった。脂の旨味も捨てがたいが、夏場は何でもかんでもサッパリが恋しい。

 




で、鍋登場。割下の他に味噌も用意される。江東区森下にある老舗「みの家」みたいな感じだが、あちらのように「賑わう宴」という風情ではなくノホホンとした空気感で居心地が良い。フラっと通りすがりに馬肉を突っつくみたいな小粋でユルい感じだ。

 

刺し身で食べるような鮮度の良い馬肉をレア気味に仕上げて味わう。ヘルシーな気分になるし実際に食べた後のお腹の感じが楽ちんなのも馬肉の魅力だ。

 



仕上げには何の変哲もないうどんで決まりだ。場肉の旨味を吸った割下と生卵の残り汁で味わう。マズいはずがない。オーソドックスで単純明快な美味しさに満足した。

 

別な日、今度は京橋にある「婆裟羅(ばさら)」でトマトすき焼きを味わった。こちらは渋さとは対極のイマドキの高級和風モダンなしつらえのお店だ。

 

肉自体はオーソドックスな牛肉だが、トマトを上手にすき焼き味で食べさせるのがウリである。お店の人が全部やってくれるのでラクチンだ。

 



 メインのすき焼きの前にはウマいものがちょっとづつ箱に敷き詰められた八寸が出てくる。正直、この宝箱?さえあればオジサマ族は肉を食べなくても満足できちゃうレベル。どれもウマいし、アルコールとともにちびちび突ついていればお腹も落ち着いてくる。

 

肉ももちろん美味しいがトマトやタマネギが実に味わい深い。子供の頃にこんな味を知ったら野菜嫌いにならなかったと思う。ちなみに春菊とか白菜とか余計な野菜を使わないのがこの店の嬉しいポイントだ。

 



何年か前にこの店に始めて行った際に衝撃だったのがすき焼きの後に出てくるパスタである。これもまたお店の人が作ってくれる。すき焼きという食べ物の進化系を強烈に実感した記憶がある。

 

この日も当然のようにトマトやタマネギ、牛肉の旨味を吸収した割下をベースにしたトマト味の平打ち麺がシメとして出てきた。思わず笑ってしまうほどウマい。

 



賑やかに盛られた八寸を突っついて程よく酩酊気味になり、美味しいトマトすき焼きで充分に満腹になったとしてもこのパスタは絶対に手を出さずにはいられない。いや、完食せずにはいられない悪魔的な美味である。

 

大げさに言えば日本料理の象徴みたいなすき焼きがイタリアンの象徴であるパスタを仲間に入れちゃうわけだから日本人の美食追求への貪欲さを体現した逸品だと感じる。

 

というわけで、オーソドックスな渋いすき焼きもモダンに進化するすき焼きも甲乙つけがたいというのが本日の結論。

 

 

 

2023年8月2日水曜日

ノーパン

                                                            


 「ミニスカートでノーバン投球」。ネットニュースなどでよく見かける表現だ。アイドルや女優の始球式ではもはや定番用語である。

 

言うまでもなくノーバンとはノーバウンドのことだが、“ノーパン”という目の錯覚を狙ったあざとい表現として定着している。

 

ノーバウンドで投げた、パンツを履かないで投げた、では随分と雰囲気が違う。普通に考えれば下半身丸出しで始球式をやるはずはない。目を引く見出しを付けたい編集者の確信犯的な企みである。

 

ノーパン。実に良い響きだ。崇高というか神々しい印象がある。どことなくロマンも感じる。そう思っているのは私だけだろうか。

 

本日のこのブログの見出しはノーバンではない。ノーパンである。目の錯覚ではない。モノホンである。何だか書いているだけで嬉しい!

 

おまけに冒頭のミニスカ画像である。今日はエロ話を書き進んでいく感じだが、実はぜんぜん違う話題を書く。スケベな話を期待した人には心から謝りたいと思う。

 

何はさておきノーパンである。私はノーパンが大好きだ。といっても女性の話ではない。デートの相手にノーパンで来てもらったとかの話でもない。とりあえず今日は私自身の話である。すいません。

 

下着を履かないで過ごすのは実に快適だ。さすがにスーツを着て仕事をしている時にノーパンというわけにはいかない。基本的には家でくつろいでいる時に限られる。

 

下着の締めつけ感ほど鬱陶しいものはない。中年になって腹回りがだらしなくなるに連れ、あのゴムの締め付けがたまらなく不快になる。

 

私の部屋着や寝間着は常にダラダラのテロテロである。よく分からない表現だが、要はオーバーサイズで柔らかい生地を好むという意味だ。身長180センチ弱、体重80数キロの私の場合、普段のTシャツやポロシャツはXLだが、寝間着用のTシャツなどは3Lや4Lだ。

 

5歩や10歩動いたらズリ落ちてくるような短パンやスウェットが理想である。郷ひろみが着るようなピタったとした服は昼だろうと夜だろうと苦手だ。

 

せっかくダラダラテロテロの部屋着や寝間着を愛用しても肝心の下着がピシっとしていては台無しである。すべてがユルユルにならないとリラックスは出来ない。理想はノーパンでいることだ。

 

実際に以前は家ではノーパンで過ごしていたのだが、今は年頃の娘と同居していることもあって一応下着は常時着用している。それだけではない。加齢とともにいろいろな“キレ”が悪くなってきたから安易にノーパンで過ごすと思わぬ“事故”につながりかねないので安全のためにも下着は着用している。

 

私が着用するのはいわゆるボクサーパンツだ。ブリーフは何だか恥ずかしいし、トランクスはスボンを履く際に裾が持ち上がって気持ち悪いのでもう何十年もボクサータイプである。

 

で、肝心のサイズ感である。普段はXLで問題はないが、家でくつろいだり寝る際には巨大サイズが必要になる。市販品で3Lや4Lを見つけるのは案外厄介だから結局はネットに頼ってデカパンを購入する。

 

ところが3L表示なのに一般的なXLと変わらないようなシャバダバな商品も多い。仕方なく余裕をもって4Lや5Lを買ってしまう。洗濯乾燥機で縮むリスクも考慮すると、そんなお相撲さんサイズを選ぶことになる。

 

時にはサイズ表記にウソがなく乾燥機でも縮まない良品?に出会うこともある。そうなるとユルユルなだけでなく丈も長めだ。鏡に写った自分の着用姿の奇天烈さにズッコケたくなる。

 

色は黒やグレーなどの無地が中心だから問題になるのが昼間に履くパンツと寝る時のパンツの区別だ。使い分けは私の日常生活において重要な問題である。

 

一応、家専用のユルユルお相撲さんパンツのままスーツを着たって何も支障はない。でも私だって現役男子である。時にはムホムホな展開を迎えることもある。女子の前で服を脱ぎ捨てた際に奇天烈パンツだったら大変である。下半身丸出しで街を歩くよりも恥ずかしい。

 

同じメーカーの同じ色のパンツでもXLと4Lが混在しているから家用のデカパンにはラベルあたりに油性マジックで印を付けている。子供の頃の持ち物に何でもかんでも名前を書かされた時のようだ。印を見るたび何となくシュールな気分になる。

 

今日は私の奇天烈パンツ姿の画像を載せようかと思ったのだが、理性が勝ってヤメにした。その代わりにノーパン姿でも披露しようかと一瞬脳裏をよぎったのだが、それこそ公害みたいなものだから自主規制する。