2016年10月31日月曜日

尻カメラとドカ食い


自分のことをエラいなあ~と感じるのがこの季節である。10月生まれなので毎年この時期になると身体のアチコチを検査する。

無頼派を気取りたいくせに、自ら進んで口や尻にカメラを突っ込まれに行くのだから実にエラいと思う。大真面目ちゃんである。

胃や大腸の内視鏡検査というとさも大変そうだが、私が通っているクリニックは強力鎮静剤でコテっと寝かしてくれるから痛くも痒くもない。

それどころか、その鎮静剤が物凄く気持ちよくて毎年毎年検査前はウキウキしちゃうほどである。

注射されて2分もすればフワ~となって必死に抵抗してもフガフガ言いながらストンと落ちる。熟睡だ。

気付いた時には検査用の個室に私一人横たわっている。機材も撤収済みである。鎮静剤のせいでフワフワした気分のままボンヤリする。ホントに検査したのか?と思うほどあっけなく終了する。

毎年、胃カメラを突っ込む際には、まずは喉の周辺もしっかりチェックしろ、尻にカメラを突っ込む際には前立腺周辺も確認してくれなどとワガママを言わせてもらうので何かと安心である。

血液検査もやってもらい、ついでに肺のCT検査の予約代行もお願いする。今年は以前から存在する胆のうポリープの状況をチェックするため腹部のMRIも手配してもらった。

1週間ほど経ってからすべての結果を電話で解説してくれる。実に便利だ。でも、毎年サボらずにキチンと通っている私がとにかくエラいのは確かだ。

フワフワ気分のまま検査終了。手ぶらで帰るのも面白くないから寝付きが悪いときに愛用?している安定剤やら余計なクスリの処方箋ももらう。

この後が私にとってウヒョウヒョの時間である。例年、検査終了は午後早めの時間だ。朝早くから下剤を飲んで3時間ほどかけて腸をクリアにして検査に臨むから当然、朝飯は抜きである。

というわけで、「午後のドカ食い」というご褒美が検査日の恒例行事である。クリニックは銀座一丁目だから近隣のウマい店が私を呼んでいる。

いつもなら鎮静剤のフワフワが残った状態で生ビールをカ~と飲むのが定番なのだが、今年は大腸の小さいポリープを取られたので1日だけアルコール禁止を厳命されてしまった。


今年のご褒美ドカ食いは銀座「煉瓦亭」の「チキンライス大盛り」と「海老のコキール」である。以前ならこれに加えてクリームコロッケなんかも食べられたのだが、さすがに全身劣化中なので2品だけにした。

「大盛り」の嬉しさは最初の一口二口はもちろん、中盤戦まで残りの量のペース配分を一切考えることなくガッつけることである。それに尽きる。

大盛りの食べ物といえば、味は二の次で見た目の凄さだけがウリの店が多い。その手の店は学生向けだったりするのでダンディー系?中年紳士である私には居心地が悪い。

その点、大人の客が集う老舗洋食屋の正しい王道系チキンライスを大盛りバージョンにしてもらうのは何となく収まりが良い。気分がアガる。

検査後のドカ食いといえば、過去にはパレスホテルやグランドパレスといった「ピラフの殿堂」で大盛りピラフをガッついたこともある。

ホテルのピラフはそれなりの値段を取ることもあって普通サイズでも結構なボリュームがある。それをあえて大盛りにすることで「自ら積極的に健康管理しちゃってるもんね」へのご褒美にするわけだ。

普段は絶対に朝飯を抜かない。おまけに朝からヘビーに食べる習慣がある私にとって午後まで何も口にしないことは拷問に等しい。

そんな状況で頬張るチキンライスのウマさったらバンザイ三唱、マンセー!である。細かな味など二の次?だ。死ぬほど空腹で頬張るチキンライス&ホワイトソースこってりのコキールである。

この瞬間だけは毎週でも内視鏡検査を受けてもいいと思えるぐらい幸せである。

後日出かけたMRI検査は職場に近い池袋の検査専門クリニックだ。その日も朝飯抜き、昼前に終わる予定だったので何を食べようか悩みながら検査室へ。

CT検査は慣れているのだが、MRIをやる際のアノ狭い空間に閉じ込められる閉塞感が大嫌いである。頭の中で検査後には何をドカ食いしようか考えながら気を紛らわす。

以前、脳ドックの際に頭を全部器具で覆われた際に閉所恐怖症的にパニックになった悪夢が脳裏をよぎる。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/10/blog-post_11.html

この日の検査台は脳ドックほど閉塞感は無いのだが、それでも結構ヤバい感じである。腹部を固定されたついでに腕も軽く拘束されて狭いスペースで身動きできずに20分もの間、イヤな機械音に包まれる。

放っておくとパニックになりそうだから必死に食べ物のことを考える。しかし、しかし、ここは池袋である。検査が終わった後にいそいそ出かけたい店がない。ワクワクする店がまるで思い浮かばない。

大勝軒でチャーシュー麺を食べようか、デカ盛りナポリタン専門店に行こうか、ゴーゴーカレーでトッピングしまくろうか、浮かんでくるアイディアは、どれも「検査終了後のハレの気分」を飾るにはイマイチである。

池袋という街に恨めしい気分になっていたら検査が終わっていた。イライラしたおかげで閉所パニックにならずに済んだようだ。

やるじゃないか池袋!ありがとう池袋!である。

で、結局職場に戻って至近距離にある街場の中華定食屋に行く。「肉もやし焼きそば大盛り」を食べようと企んでいたのだが、たまたま我が社の幹部社員がランチ中だったので、見栄を張って、というか痩せ我慢して「並盛り」をオーダーしてしまった。

そんなところで「上品な副社長」のフリをしたところで何も意味はない。マヌケだ。大盛りを食べなかった欲求不満の渦の中で1日を過ごすことになった。バカである。

今日はちゃんと検査に出かけてエラいという自慢話を書きたかったのに、結局、ドカ食いの話が主題になってしまった。

食欲の秋である。

2016年10月28日金曜日

銀座 夜の蝶のセンス


電子メールが一般に普及したのは。ほんの20年ぐらい前のことだ。たった20年で連絡手段は大きく変わった。昭和の頃に若者だった人間にとっては隔世の感がある。

ネオン街のオネエさま方からの営業スタイルもメール時代になって大きく変わった。

昔は当然、電話か手紙。ケータイも普及していなかったから、営業電話も当然職場にかかってきた。頻繁に電話を取り次ぐ女性社員からイヤミを言われたことを思い出す。


あの頃のオネエさま方は今より大変だったと思う。今は狙いを定めたお客さんにメールで直接アハンとかウッフンなどと営業攻勢が出来るわけだからラクちんである。

相手の名前部分だけを変えた定型文の一斉送信みたいなメールを送ってくるセンスの無いホステスさんも増えた。あれはいかがなものだろう。

それ以外に自分の名前を書いてこないファンキーな営業メールも届く。一体誰なんだろう。何がしたいのだろう。ご苦労なことである。

一度か二度席に付いただけの見覚えのない女性から毎月定期的に送られてくる近況報告みたいな営業メールもある。

迷惑メールに指定してあるので邪魔にはならないのだが、月に1回は迷惑メールフォルダを点検するので、その手のヘンテコメールがいつまでも届いていることは分かる。

まあ、ある程度の期間ならともかく、2年3年、いや、それより前にチラっと同席しただけでそれっきりなのに、懲りもせず親しげな文面を送りつけてくる神経が不思議だ。

普通に仕事が出来るオネエさま達はさすがにそんなマヌケなことはしない。出過ぎず引っ込みすぎず、こちらのリズム?を勘案して適度な距離感を保って接してくれる。

男なんて単純な生き物なんだから、そんな調子で上手に持ち上げてくれたらチョロいものだと思う。私としては距離感を縮めたい衝動に駆られることもあるが、そこから先は“神のみぞ知る”である。

まあ、こちら側に都合が良いことばかり言うつもりはないが、あまりに低レベルの営業攻勢が多いと、ついつい若い人達の非常識ぶりに腹を立てたくなる。

偏屈オジサマとしての本領発揮?である。

銀座のホステスさん達を例に取ると、やはりマトモな人とダメな人との二極化は激しい。

夜の世界に限らずどこの世界でも同じだろう。銀座の場合、プロ意識の高い人が多い街だからダメダメな人のダメっぷりが目立つのかもしれない。

こちらも別に高尚な話をしにいくわけではない。だから夜の蝶達に難しい注文を付ける気はない。それでも、あまりにモノを知らない人に当たっちゃうとさすがにシラける。脱力感すら覚える。

気配りが出来ない人も困る。真剣さがあれば自然に気配りはできるはずだ。気が利かないということは真剣さが足りないのと同じ。これまたどこの世界のどんな場面にも当てはまる。

サービス業の総本山みたいな世界だから、ダメダメな人に遭遇しちゃうと、その店自体のイメージが悪くなって、結局は足が遠のく。

どんな世界にも通じる話だろう。極端にレベルが低い人材がいると、他の人の頑張りは帳消しになって結果的にその組織全体にダメージを与える。そんなものだと思う。

オネエさま達が接客のプロなら、こちらは接客されるプロ?である。長年のクラブ活動で女性陣からいろいろなことを学ばせてもらった。

センスの良い応対をされると素直に嬉しいし見習おうと思う。「袖振り合うも多生の縁」である。男女を問わず係わった人の気分が良くなることは誰にとっても喜びである。

地球上には73億人もの人がいる。その中で何かしらの接点があって言葉を交わすことは奇跡みたいな話だ。だったらお互い気分良く過ごしたいものだ。

なんだか今日は年寄りくさい持論に終始してしまった。

エラそうに評論家ヅラして接客センスだの何だのブツクサ言ってるようでは、私に春がやってくるはずもない。夜の街を舞台にしたスペクタルな色恋劇から縁遠くなるばかりである。

もっと本能のままに行動してオネエさま達に惑わされるべきだと改めて思う秋の夜である。

2016年10月26日水曜日

革命的にウマいコンビーフ


半世紀も生きてくると、さまざまなことを分かったつもりになる。私もそうだ。たいていのことは知ってるぜ的な傲慢な態度を取りがちである。

一種の老害かもしれない。

他人様の話を聞く際に、なんでもかんでも「そんなこと知ってるよ」みたいな態度をとる中高年は多い。ヤボだと思う。

「へー!そうなんだ!」と相づちをうつのか、「ああ、あれね」と冷めた口調で応じるかではその場の空気が大きく変わる。

受け答えの際にいちいち「でも」や「だって」と言いながら話し始めるダメなヤツと同じで、中途半端な知ったかぶりはかえってバカっぽい。

いっぱしの大人だったら、年下や若い人の話には「へー!そうなんだ!」と対応するぐらいがちょうど良い。相手が気分よく話せるように配慮するのがイキってものである。

おっといけない。何だか説教くさい書きぶりになってしまった。

今日のテーマは「分かったつもりでちっとも分かっていなかったこと」である。

ちょっと大げさだが、最近とある食べ物を知って目からウロコが3トンぐらいこぼれ落ちた。

コンビーフである。たかがコンビーフ、されどコンビーフである。

コンビーフと聞いて思い浮かぶのは「缶詰」や「非常食」である。へたすると「得体の知れない肉?」というイメージすらある。


私自身、わざわざ率先して食べた記憶はない。我が家のストック棚に並べたこともない。はっきり言えば興味がなかった。

そんな私の固定観念をコッパミジンに吹き飛ばしたのが「腰塚のコンビーフ」である。半信半疑で口にした瞬間、バク転しそうになるほどウマかった。

いままでこのコンビーフを知らなかったことを猛烈に後悔した。人生の10分の1ぐらい損していたような気持ちになった。

大げさだ・・・。

ネット通販やお取り寄せの世界では有名らしい。「腰塚」とは文京区千駄木にある精肉店である。

時々出かけるお寿司屋さんへの道すがらいつも客の姿が絶えない肉屋の前を素通りしていた。でも、そこに大人気商品が存在することは知らなかった。

谷中銀座の外れに「よみせ通り」という散歩が楽しい商店街がある。その一角に割と立派な店構えで「いろいろウマいもんありまっせ~」という雰囲気を漂わせているのが「腰塚」である。

精肉以外に自家製のハムやソーセージ、加工肉などのオリジナル商品がいろいろと揃っている。その中でも大人気なのがコンビーフだ。

缶詰ではなく、真空パックみたいな容器に入って400グラムで1600円ぐらいである。アホみたいに高くないのも魅力だ。1人だったら5回分は楽しめる。

この美味しさを文章で表現するのが実に難しい。端的に言うなら「今まで食べていたコンビーフは何だったんだ?」である。

腰塚のコンビーフは味わいが実に豊かだ。ウマ味たっぷり。サッパリしているわけではないが独特の脂感?がまた良い。ほぐし肉から滲んだ脂は容器をベトつかせるほどだが、決してクドくない。

脂っぽい牛肉が嫌いな私が言うんだからホントである。

そのまま食べて良し、フライパンで軽く火を通してもウマい。個人的には冷蔵庫から出してレンジで10秒か15秒ぐらいチンして「常温より少しだけヌルい」ぐらいで炊きたてご飯に載っけて食べるのがオススメだ。


ネット上では卵かけご飯とのコラボを勧める意見が多く、店のホームページでもこんな画像でアピールしている。

一応、私も試してみたが、卵黄との相性は悪くないものの、せっかくの味が曖昧になっちゃう印象があった。個人的にはそのまま食べるのが一番だと思う。

マメに料理する人なら楽しみ方は無限大だろう。ちなみに、小量のマヨネーズと醬油をチロっと垂らして食べるのも悪くなかった。

硬めに炊いた米と一緒にタマネギのみじん切りなんかを加えてコンビーフチャーハンを作ったら間違いなく悶絶するはずだ。

そんなものを作っちゃったら他に食べたいものがなくなって重度の引きこもりになりそうだから我慢している。

明日の朝も食べよう。

2016年10月24日月曜日

くだらない画像


携帯やスマホのカメラ機能が向上したせいで、なんでもかんでもパシャパシャ撮影する時代になった。アナログ人間である私ですらバス停の時刻表やネット上で使うさまざまなパスワードなどを画像保存している。

ブログを始めて10年近くになるので、割と頻繁に食べたものやちょっとした風景を撮影する。気付けばどうでもいい画像が溜まってしまう。

見返してみると「なぜこれを撮ったのか」的なヘンテコ画像が結構ある。

今日はいつも以上に「どうでもい話」です。怒らないでください。


岸部シローである。ブロマイド屋の店頭でオモチャにされている姿が実にシュールだった。

かなり昔の写真だが、若い人の中には知らない人もいるだろう。いろいろ大変だった人だ。知りたい人はWikipediaでどうぞ。


こちらは某所の銭湯に掲示されていた注意書きである。「極端に不潔」という言葉の定義が気になってナゼか撮影。

一体どれぐらい汚れていると該当しちゃうのだろう。それを誰がどうやって判定するのだろう。謎だ。

食べ物屋さんのメニューもよく見ると楽しい。アバンギャルドという表現が合っているかもしれない。意表を突いた言葉に驚くとつい撮影したくなる。


ビーフシチウにタンシチウである。シチューではない。「シチウ」だ。20回ぐらい口に出して発音してしまった。ポークチャップならぬ「ポークチャプ」もさりげなく紛れ込んでいて可愛い。


これは下町の商店街を散歩していた時に見かけた定食屋の店先の看板である。書体が実にステキだ。これぞ昭和の香りである。

はじめは「もやしいため」と「ハンバーグ」が同じ値段だという事実が妙に気になっていたのだが、それ以外にもこの狭い範囲に謎がいっぱいある。

「とんかつ並」の値段が決められないのはさておき、塩ジャケ、いや「塩サケ」は“時価”である。途端にこの店イチ押しの高級品に思えてくる。

ここの店主は濁点、すなわち音が濁るのが苦手らしい。「湯豆腐」「肉豆腐」はあくまで「湯トーフ」「肉トーフ」だし、極めつけは「ハムエックス」である。

ハムX!!って感じでヴィジュアル系バンドがポーズを決めそうな雰囲気が漂う。

そんなくだらないことを考えながら散歩するのが楽しい。


この画像はAmazonでお米を探していた時のもの。山形産の「つや姫」が私のお気に入りだ。小分けでパックされた商品を検索していたら、セクシー系DVDが表示された。クリックしたくなったが、閲覧履歴に残るのもシャクだから頑張ってスルーした。




どうでもいい画像ばかりでスイマセン。2枚目のマネキンはあまりにセクシーで撮影してしまった。3枚目はカラオケの画面。友人が歌っていた。私が選曲したわけではないことを力説しておきたい。


キリがないのでこの辺で打ち止めにします。

最後は私が勇気づけられた某居酒屋の安っぽいメニューである。

私の好きな赤いウインナーはどうやら「野菜」のカテゴリーに入るらしい。人工着色料がブリブリで身体に悪いと思っていたのだが間違いだったようだ。

少なくともこの店で食べる時には「野菜」である。気兼ねせずにいっぱい注文しようと思う。

2016年10月21日金曜日

銀座の夜の物語


このところ銀座のネタを書いていないとお叱りを受けたので今日は銀座の話である。6~8丁目界隈の夜の世界だ。

隠居の家相の家に住んでいるせいで?頻繁には出没しないが、相変わらず時々パトロール、いや、檀家まわりに出かける。

とはいえ、昔感じたワクワク感がどうも足りない。まあ、こちらが歳を重ねたから仕方ないことだろう。

夜のクラブ活動に関して30代の頃に感じた「アウェーな感じ」「神秘的な感じ」は若者にとってウキウキすることと同じ意味だった。


今では日本茶をすすりながら葉巻をふかす怪しい50代のオジサマになってしまった。気合いも入らないし、奮闘努力する機会もなくなってしまった。いかんいかん、もっと弾けないと老け込んでしまう。

若い頃、銀座で飲んでいる人々を観察するのが好きだった。人間ウォッチングである。カッチョいいオジサマを見れば憧れたし、ゲスなオヤジを見れば反面教師にした。

こちらが歳を重ねたせいもあるのだろうが、ここ数年、銀座のお客さん全体が若返ったように感じる。見習いたいようなシブいオジサマを見かけることが減った。

昔はやたらと雰囲気の濃い初老の面々が独特の存在感を放っていた。中年クラスは少数派だったような気がするが最近は薄い雰囲気?のオジサマ達が中心的な客層に見える。

昭和感がムンムンだった世界も様変わりしたのだろう。あの街独特の重厚感を感じさせる店も少なくなってきた。

夜の世界は時代を映す鏡だからそれも時流なんだろう。

なんだかシミったれた懐古調になってきたので軌道修正。

モテる。モテない。夜の世界の客も大きく二つに分かれる。当然、男だったらモテたい。ただ、モテたいのにモテない行動をとってしまうのも男の哀しいサガである。


私も一応「記者」を名乗っている以上、モテるオジサマの秘訣を長年にわたって取材?してきた。

秘訣といっても大したことはない。活字にしちゃえば簡単なことである。

威張らない
自慢しない
悪酔いしない
金払いが良い
触らない


実に単純である。でも、その単純なことがなかなか出来ないのが世の常である。

私の場合、威張るほどの凄い実績がないから威張らない。自慢するほどのネタがないから自慢もしない。酒が強くないから悪酔いもしない。ツケが嫌いで毎回カードを使うから支払いで揉めたこともない。そして根性がないから触らない。触れない。

ということはモテモテである!モテモテのはずだ!そう思い込むことにする・・・。

私のヘタレぶりはさておき、話を聞くにつれ、威張りちらすオッサンの多さに驚く。威張りちらしたあげく夜の蝶達にキツくあたりまくってグヘグヘ飲んでいる人が結構多い。

相手が強く出られない立場なのにエラそうに接するのはアホである。きっと昼の世界で誰かに威張りちらされてヘーコラしている反動なのだろう。

自慢タラタラもある意味侘びしい。「安倍晋三とメシ食ったことあるんだぞ」「オレの部下は2千人だぜ」「ファーストクラスしか乗ったことがないぞ」、はたまた「女房の妹の旦那の親戚が松本伊代だぞ」みたいな意味不明なモノまでさまざま。

あの心理は何なんだろう。「うわー凄いですね!」と言われたい一心なんだろうか。

昔、ある人から「銀座で飲んでるヤツの半分は自慢話を披露したいだけ」と聞いたことがある。あながちマト外れではない。

まあ、私の場合も「昔はモテたんだぞ」ぐらいの不毛な?話題を展開することがある。あれも自慢といえば自慢みたいなものだ。

中高年なら誰もが思い当たるだろうが、武勇伝にもならない程度の若い頃の話を“盛った”状態で得意になって語りたがる。あれも度が過ぎるとカッチョ悪い。

男ならたいてい虚勢を張りたい気持ち、自分を大きく見せたい心理があるものだが、いっぱしの年齢になってまでそんなことに躍起になるのは単なるヤボだ。

触る、触らないの話はごく当たり前の話だ。勇気と根性がない私だって、密室で二人きりなら触ろうと努力?する。あくまでTPOが大事である。

ちなみに、触る触らないとは別に口説く、口説かないとなると違った意味が出てくる。

ぐいぐい口説いてくる客。これって夜の蝶達にとっては案外ウケがいいらしい。そう書くと女性陣が口説かれたがっているようだが、そういう意味ではない。

要するに口説きモードになっている客ほど次につながりやすいという理屈である。

オネエサマ達からすれば扱いやすいという意味だ。思わせぶりな態度をされると舞い上がっちゃう男の習性を考えれば納得できる。

潤んだ瞳で見つめられて「社長さんのこと好きになっちゃいそうです!」とか言われたら、たいていの社長さんはハッスルしちゃう。

「好きになっちゃいそうです」という日本語は「今現在ちっとも好きではありません」という意味である。女性陣は決してウソはついていない。

それでも男は舞い上がる。「あのコ、オレに気があるんだな。グヘへ~」である。

そして夢見るオジサマ達は身だしなみを整え、加齢臭に気を配り、弱っていた気力を振り絞り、夜ごと夜の街に出ることでニッポン経済を支えているわけである。

2016年10月19日水曜日

ウナギスト、ウナガー いちのや


鰻を愛するウナギスト?ウナガー?として頻繁にあの香ばしい香りを求めてさまよっている。

さまようと言っても、たいていはお気に入りの店に行くのでなかなか新規開拓には至らない。

過去に何度もテキトーに入った店で討ち死にしている。人生後半戦だから確実にウマい店にしか行きたくない。

先日、久しぶりにオヨヨなウナギに遭遇した。旅先という油断のせいもあってか“プチ失敗”である。


デカい卵焼きを載せたウナ丼が名物という某所の老舗に行ってみた。雑誌に載っていた写真に惹かれたのがきっかけだ。

いまいちだった。個人的な感想なので異論もあるだろうが、考えてみれば中途半端である。蒲焼きと卵が喧嘩しちゃっている感じ。

ウナギをくるんだ「う巻き」は好きだが、この丼モノはどっちつかず。ウナギ自体がちゃんと調理されているのに淡い卵焼きの味が混ざって全体の味わいがボンヤリしちゃっている。

結局、私の好みは「普通」とか「王道」といったコンサバ路線なんだろう。

先日、ウマいと評判の鰻屋さんに連れていってもらった。私のウナギ偏愛ぶりを知っている人が強力に推薦してきたので期待に股間、いや胸を膨らませて訪ねた。

西麻布にある「いちのや」がその店。川越に本店を構える老舗である。西麻布交差点近くに構えるこの店は、割と席数も多く個室もカウンター席もあって使い勝手が良さそうだ。モダン過ぎない雰囲気も悪くない。


本格的なウナギを出す店にしては一品料理が多い。それを断罪するグルメ評論家もいるようだが、個人的にはこういう店が好きだ。

ウナギを待つ間に気の利いたツマミでチビチビ酒を飲める店のほうがウナギ以外なんにも無い殺伐とした店より良心的だと思う。


上モノの肝焼きである。メニューには肝焼きが2種類表示されている。高いほうは店で捌いたウナギの肝だとか。この日は在庫があったので迷わず頼む。

サイズ感、味わいともにバッチリだ。タレが甘すぎる印象があったが、それがこの店の路線なのだろう。



う巻きにうざく。いずれも丁寧に仕上げられていて美味しかった。白焼きもバッチグーだった。一品料理を数多く揃えている店だと肝心なウナギが雑なケースもあるが、この店はそういう心配がない。

酒もそれなりに揃っていて、「メシ鰻」だけでなく「酒・鰻」を存分に楽しめる店だと思う。ただ、アルコール類の値段設定はちょっとビミョーだった。


鰻重もふんわりウナギにニンマリできる。やはりちょっと甘めの味付けなので好みが別れるかもしれないが、ウナギ自体はキッチリ丁寧に仕上がっている。

私にとっては立地がちょっと問題である。若い頃は六本木界隈をぶりぶり闊歩していた私だが、今ではナゼか「西麻布」とか言われるとゾワゾワ?した気分になってしまう。

まったく意味のないヘンテコな固定観念なのだが、「鰻は古い街で食べたい」という呪縛にとらわれている。

結局、どうでもいい思い込みのせいで自分の行動範囲を狭くしているのだからマヌケである。

2016年10月17日月曜日

パレスホテルのマロンシャンテリー


流行の最先端やハヤリものにナゼか拒否感がある。偏屈と言われればそれまでだが、なんとなく踊らされているような居心地の悪さを感じる。

若い頃はそれなりに流行を追っかけた。着るものにしてもデートに使う店にしてもハヤリものに敏感だった。それが都会の人間にとって当然のことだと思っていた。

いま思えば滑稽だが、若さとはそういうものだろう。そのうち自分にとっての取捨選択が進んで好みや意識も固まってくる。

いい歳して流行を追いかけるのもどうかと思うが、それはそれで感性が柔軟な証しだから、ある意味立派なのかもしれない。私はイヤだが・・・。

若い頃、それなりに流行を気にしていたとはいえ、私にはアマノジャクなところがあるので、大ヒット映画「ET」を見たがる彼女を説き伏せて武田鉄矢主演の「刑事物語」を見ていた。

当時、アメリカ大リーグのチーム名の入ったテカテカ素材のスタジャンがハヤったのだが、王道のヤンキースやドジャースではなく、ピッツバーグ・パイレーツあたりのシュールな?やつをわざわざ探したりもした。

ワラビーのショートブーツが人気だと聞けば、一応は買ってみるものの、あえてウェスタンブーツばかり履いていた。

クルマに乗るようになっても「ソアラ」より「レパード」だったし、「パジェロ」より「サファリ」だったし、「ゴルフ」より「オペル」だったし、「ベンツ」より「ジャガー」だった。

ウィンドサーフィンが大ブームになった頃にダイビングを始め、仲間がゴルフに燃えている頃には、カヌーを買ってわざわざスクールにも通った。

カフェバーだの洒落たイタリアンだのカッチョイイ店にも行くには行ったが、勝負どころ?ではエスニックや天ぷら屋を目指した。

ティラミスやパンナコッタが突然流行して世の中が大騒ぎしていた時も、あえて老舗の甘味処で白玉ぜんざいを頬張ることに喜びを感じた。

まだオープンして間もなかったディズニーランドに行きたがるワンレンボディコンのオネエサンを浅草花やしきに連れていってブーブー文句を言われたこともある。

そんな日々を過ごし、気付けばトロより赤身を好み、鰻だったら蒲焼きより白焼きを好み、ロースカツよりヒレカツを愛する大人になった。

気ままな独り者として住む場所を探す際も青山六本木方面や恵比寿目黒方面には興味が湧かずに、麹町四ッ谷界隈に惹かれつつ、小石川あたりに腰を落ち着けて「谷根千」や「湯島」あたりを散歩することが妙に楽しい日々だ。

今後、どんなジイサンになっていくのか我ながら興味深い。

今日は書こうと思った話から大幅に脱線してしまった。いつものことだが・・・。

今日書きたかったのは丸の内のパレスホテルの話だ。カッチョイイ外資系ホテルが乱立しはじめた東京のホテルの中で、独特の存在感がある憩いの場所だと思う。

パレスホテルは昭和30年代の開業である。確かホテルオークラよりも古い。住所だって「丸の内1-1-1」である。王道である。そんなウンチクだけで私としては贔屓したくなる。

数年前に全面建て替えしてモダンになったが、とんがった感じではなく上質な落ち着き感が漂う。ハヤリものと一線を画すような雰囲気が好きで時々出かける。

ある日、15才の娘が物凄く落ち込んでいた時のこと。大人ならヤケ酒という対処法があるが、子どもなら「ヤケスイーツ」だろうと思ってパレスホテルに連れていった。


目的は名物のマロンシャンテリーである。いまどきのスイーツしか知らない娘のためにニッポン洋菓子の元祖とも言える絶品を食べさせようという素晴らしい親心である。

パティシエはもちろん、スイーツなどという呼称もなかった時代から燦然と輝く珠玉の一品である。

由緒だの伝統だの歴史とか言われるとすぐに降参してしまう私が世の中で一番ウマいと思う洋菓子である。大げさだ。

でも、間違いなく本場ウィーンで食べたザッハトルテより5億万倍ぐらいウマいのは確かだ。

娘も目を丸くしながら食べていた。思えば、ここ数年は娘が目を丸くするのを見たい一心でいろんなものを食べさせてきたような気がする。バカ親である。

落ち込んでいた娘の表情もそこそこ晴れやかになり、帰り道で立ち寄ったコンビニでも甘いものをいくつも買ってもたせた。

なんて素敵なパパなんだろう。誰も言ってくれないから自分で書いておく。

でも、スタイルを気にし始めている娘としては、父親からのウマいもの攻勢にビビることが増えてきた。私にとっては切ない話である。

「親の心子知らず」。そんな言葉が身に染みる秋である。