「金のわらじを履いてでも探せ」と言われるのが1歳年上の女房殿だ。諸説あるみたいだが、昔と今では時代背景も違うし良く分からない。
私がもう一度結婚するにしても、いまさら1コ年上を探すのはゴメンだ。あくまで結婚年齢が幼かった大昔ならではの表現だろう。
私自身、幼い頃は「1コ上」には随分と縁があった。なんとも懐かしい思い出だ。
生まれて初めてデートという体験をしたのが中学2年生。小学校から男子校だったから遅い方なんだろうか。お相手は中学三年生。早稲田と高田馬場の中間にある女子校に通っていた。
行先は「としまえん」。実に微笑ましい。30年以上前の話だ。今ではとしまえんの温泉でうなっているだけの私だ。
としまえんのあとは電車で池袋に出て西武デパートのレストラン街でハンバーグを食べた記憶がある。世田谷方面に住む乗馬が趣味の女の子を池袋西武に連れて行くあたりがシュールだ。
その頃、週末にテニススクールに通っていた関係で、女子との接点が増え始めていたのだが、やはり中2の頃、四谷にある某女子校の学園祭に行ってドキドキした記憶がある。
これも1コ上の女の子だったのだが、フォークギターを抱えてちょっとしたコンサートをしていた。スポットライトを浴びて歌うそのコの姿が印象的だった。なんともカワイイ思い出だ。
こちらが中学3年生になると色気づきモードは全開状態になるのだが、このころも「1コ上」との縁が多かった。
初めてのムフフ体験は同学年のコが相手だったのだが、このコも何かの事情で年齢は1コ上だった。「1コ上」にこだわっていたわけではないのだが、そんな場面が多かった。
やはり中三の頃、友人達と「六本木のディスコ」に突撃したのだが、この時も1コ上の女の子達に引率してもらった。オリビアニュートンジョンの「ザナドゥ」が流れていた時代だ。
中学と高校だけ神奈川県の方に通わなければならない某女子大の付属校のコだったので、週末のハジケ方が激しかった。今思えば高校1年の女のコだ。派手な化粧に派手な服、オトナの目で見れば滑稽だったんだろう。
でも、得意になってスクウェアビルを案内してくれる彼女たちはカッコ良く見えた。15,6歳といえば何よりも背伸びしたい年頃だったので、化粧という反則技を持つ女子連中がうらやましかった。
高校1年の時、共通の友人が多かった関係で通学電車で言葉を交わす九段の某女子校の女の子がいた。このコも「1コ上」。高校2年生なのだが、なんか色気のあるコだった。ある日のこと、少し離れた距離にそのコがいた。電車が凄く混雑してお互い身動きとれずにいたのだが、何かを目で訴えている。
混雑がゆるんでから理由を聞いたら、なんと痴漢されていたらしい。目で必死に助けを求めたそうなのだが、私が気付かなかったことを怒っている。
一応、「今度見つけたらぶっ飛ばしてやるよ」と格好つけてみたものの、目の前のコが今まさに痴漢されていたという生々しい事実に妙に興奮。とことん想像してしまう。
“いま目の前にいるこのコは、痴漢のせいで中途半端に火照ってしまったはずだ・・・”
しょうもないエロマンガのような妄想が私の脳裏をよぎる。次の日からそのコに電車で会うたびに会話もうわの空。痴漢再登場をチョッピリ期待するアホな私。
今だったら再登場した痴漢を制止するどころか行為に参加してしまうだろう。
さてさてキリがない、そうだ「1コ上」の話だった。
もともと年上が好みという意識はなかったのだが、なぜだか若い頃親しくなった人は年上が多かった。
初めて結婚を意識したのは4コ上の女性だったのだが、さすがに適齢期が折り合わずに終了。
その後に知り合った女性と最初の結婚をするのだが、この人は「1コ上」だった。でも「1コ上」だったのにスグ終了。このあたりで私の“年上大会”は終わったようだ。
それにしても若い頃の年上指向は何だったんだろう。
Sだとばかり思っていたのに実はMだったみたいな感じだろうか。変な例えだが、そんなもんだろう(どんなもんだ?)。
結局、怒られたり、叱られるのが好きなのだろうか。
思えば家でも、そのほかの場所でも女性にいつも叱られているような気がする。
2010年5月10日月曜日
1コ上
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2 件のコメント:
私「中学と高校だけ神奈川県の方に通わなければならない某女子大の付属校のコ」でした。初めて行ったディスコはビブロス。富豪さんと一緒だったのは私の知ってるひとだったかも知れませんね!(笑)
悶々さんへ
一緒にいったご当人だったりして。
初めて行った店はkiss radioとかいう名前でした。
あの頃は、今の若者と違って、みんな似たようなカッコしておかしかったですね!
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