「人生が変わる旅、人生を変えた旅」。
何かの雑誌でそんな特集をしていた。一応、旅行好きを自認する私としては、こういうテーマは結構好きだ。ウダウダ考えてみる。
私にとって「人生を変えた旅」などあったのだろうか。
親に連れていかれた子どもの頃の旅行から今に至るまで、それぞれ印象的な出来事はあったが、はたして「人生」に影響を与えたほどの旅などあったのだろうか。
残念ながらチマチマした経験がその後に少しばかり影響したような話ばかりだ。
一人旅が好きになったきっかけは、15歳ぐらいの時に暇にまかせて、一人で別荘マンションに出かけたことがきっかけ。場所は草津温泉。若造だったので、温泉にそうそう浸かっていられず、バスで軽井沢に行って散策したりブラブラしていた。
誰も気にせず、誰にも気にされず時間を使える面白さに目覚めた。食いたい時に食い、寝たい時に寝る。鼻くそホジって口に入れたって誰にも何もいわれない。行き当たりばったり勝手気まま。そういう意味ではこの時の経験が現在の一人旅の元になっているのだろう。
懲りずに25年近く続けているダイビングも、しっかりハマったきっかけは初めて行った沖縄・久米島の美しさだった。
それまで数ヶ月、毎週のように伊豆で潜っていたが、初めて出かけた久米島は、現地の人が驚くほどの抜群なコンディションだった。
確か7月の前半。まだ旅行者は少ない時期。水温も充分上がり、梅雨も去って透明度ももの凄くよかった。伊豆で潜っていた時は運が悪いと味噌汁状態の透明度だったから、沖縄の海の透明感が妙に落ち着かなかった記憶がある。
当時のダイビングショップは、今のようなレジャーに特化した雰囲気はなく、体育会的というか変な職人気質がまだ濃かった。
私が使ったショップのオーナーガイドさんも、客をガイドするというより、自分の興味、自分の作業のために潜っている感じだった。
まだ初心者だった私は、自分で判断する感覚が薄くて、ガイドさんには漫然と付いていけばよいと思い込んでいた。
ニコノスV型を手にガイドさんは、深場へ深場へと落ちていく。撮影したい珍しい魚がいるらしい。客など気にせず降下を続ける。
一方、ガイドから離れちゃいけないと思い込んでいる可愛いビギナーダイバーの私は、必死にガイドの後を追う。
撮影に没頭していたガイドが私に気付いて、けげんな顔をしている。後で聞いたら「なんでこんな深場にいるのか」と思ったらしい。
水深計は49メートルを指していた。怖いもの知らずとはこういう事をいうのだろう。ガイドが水深を上げ始めたので、付いていこうとしたのだが思うように身体が上がらない。
こんな深度では、すべてマイナス浮力になるので、フィンキックをちょっと頑張ったぐらいでは上に行かない。BCD(浮力器具)にタンクからの空気を入れてようやく上昇した。
思い出すだけでもゾッとする。透明度が良すぎたからついつい深場に行けちゃったのだろう。
いまでも49メートルの深さからかろうじて見えた水面に浮かぶボートの揺らめきを思い出す。
その後も水深30メートル程度の深場には普通に潜りに行っていた。ところが、10年以上前、マレーシア・マブールで潜水中、アクシデントのせいで水深22メートからオキテ破りの急浮上をしでかした出来事があって、それ以来、すっかり深場恐怖症だ。
もう10年以上経っているのに、いまだに水深22メートルを超えると妙に緊張するクセがある。まだ克服できていないから困ってしまう。
他のお客さんとの乗り合いダイビングではなく、チャーターダイビングに励むようになったきっかけも「深場への怖さ」のせいでダイビングポイントを厳選したくなったことがきっかけだ。
そういう意味では、久米島の旅とマレーシアの旅はいまだに私に影響している。
ちなみにマレーシアでは、別な機会にも「人生を変えた」経験があった。
ドイツ人旅行者ばかりのとある寂しげな島に滞在していた時の話。たまたま一人で滞在していた日本人女性と知り合った。
日本人同士、適度に交流していたのだが、その女性がホンモノのSMの女王様だということを知ったのは、私が○○○○○○で○○○○とか○○○○とかをされちゃったあとのこと。
これは衝撃的だった。いまの私の性癖に多分に影響していることを思えば、あれこそまさしく「人生を変えた旅」だったんだろう。
2010年5月19日水曜日
人生を変えた旅
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