最近は5月にも運動会が開催される。なんかピンとこないが、先日初めて季節外れの運動会に行ってきた。
わが家のダウンちゃんが通う支援学校の運動会だ。ウチの暴れん坊はこの4月から近所の保育園に加えて支援学校の幼稚部にも平行して通うことになったのだが、さっそくのイベントだ。
支援学校という関係上、生徒数も限られているため、幼稚園児から高校生までみんな一緒の運動会。
子どもの学校行事には、以前から関心が薄い私だが、支援学校全体のイベントともなれば話が違う。興味シンシンであれこれ眺めてきた。
ダウン症の子ども達について年齢の違いごとの発達を垣間見ることが出来たし、ダウン症に限らず、障害のある子ども達がこなせる作業の多さに目を奪われた。
「へー、そんなことも出来るんだ」などという驚きは、時に彼らにとって失礼な見方でもある。そんなことを思い知らされた。まだまだ修行しないとダメだ。
わが家のチビは、さすがに支援学校全体の最下級生だけあって、まるで何も分かっていない。障害物競走だって当然のように障害物を嫌って逆走する。さすがだ。原始人みたいだ。
それでも桃太郎の格好で歌に合わせて踊っている姿は一応可愛らしい。まあ幸せそうだから良しとしよう。
特筆すべきは先生達の奮闘ぶりだ。「仕事だから」という割りきりでは間違いなくこなせない仕事だと思う。いろんなことをナナメに見たがる私でも素直に感服する。
私自身、これまでの人生で障害のある人々の接点が極端に少なかった。幼稚園から高校まで温室のような一貫校に通っていたこともあり、環境や境遇が大きく違う子ども達との接点自体が少なかった。
支援学校、養護学校の何たるかももちろん、公立学校にある支援学級みたいな制度もまったく知らなかった。
大人になってからもサービス業とか不特定多数の人と接する仕事をしてきたわけではないため、障害の問題を身近に考えた経験もない。
息子のお陰で随分と学ばされている。新鮮と言えば新鮮だ。モノ知り顔で生きてきた割にいかに無知だったかを痛感する。
上の娘にもなかなか良い影響があるようだ。娘は一貫の女子校通いなのだが、弟の居る世界を覗くことで自然と自分の学校では知りえないこと、感じ得ないことを吸収している。
娘の学校の運動会では、私立学校特有の“気”や“匂い”を感じる。お受験という世界の延長線上のような感覚とでもいおうか、うまく表現できない雰囲気がある。
支援学校の運動会は爽快感とか連帯感みたいなイメージが強い。もちろん悲哀に似た空気だって時には漂う。
どっちがどうだという話ではないが、「運動会」という同じテーマでも随分と雰囲気は違う。なかなか面白い。そんなことを知ることが出来ただけでも有意義だと思う。
4月、息子の支援学校の入園式をきっかけに私自身、実はちょっとブルーの日々が続いていた。障害を持つ子どもを普通に受入れているようなつもりでいても、何かの拍子にウツウツモードに入ってしまう。
今回は入園というめでたい場面がきっかけだった。「普通の幼稚園」ではないという事実のせいで、アイツが不憫に感じて改めてウツウツと落っこちてしまっていた。
不憫かどうかなど私の価値観で決められることではないのだが、まだまだ修行が足りないようだ。
これからも私の精神状態はウツウツモードと前向きモードを交互に繰り返すのだろう。一種のバイオリズムのようなものだ。上がったり、下がったり。
つくづく、アイツのせいで色々なことを感じたり学ぶようになった。季節外れの運動会のおかげで前向きモードに切り替えることが出来た。
2010年5月21日金曜日
5月の運動会
2010年5月19日水曜日
人生を変えた旅
「人生が変わる旅、人生を変えた旅」。
何かの雑誌でそんな特集をしていた。一応、旅行好きを自認する私としては、こういうテーマは結構好きだ。ウダウダ考えてみる。
私にとって「人生を変えた旅」などあったのだろうか。
親に連れていかれた子どもの頃の旅行から今に至るまで、それぞれ印象的な出来事はあったが、はたして「人生」に影響を与えたほどの旅などあったのだろうか。
残念ながらチマチマした経験がその後に少しばかり影響したような話ばかりだ。
一人旅が好きになったきっかけは、15歳ぐらいの時に暇にまかせて、一人で別荘マンションに出かけたことがきっかけ。場所は草津温泉。若造だったので、温泉にそうそう浸かっていられず、バスで軽井沢に行って散策したりブラブラしていた。
誰も気にせず、誰にも気にされず時間を使える面白さに目覚めた。食いたい時に食い、寝たい時に寝る。鼻くそホジって口に入れたって誰にも何もいわれない。行き当たりばったり勝手気まま。そういう意味ではこの時の経験が現在の一人旅の元になっているのだろう。
懲りずに25年近く続けているダイビングも、しっかりハマったきっかけは初めて行った沖縄・久米島の美しさだった。
それまで数ヶ月、毎週のように伊豆で潜っていたが、初めて出かけた久米島は、現地の人が驚くほどの抜群なコンディションだった。
確か7月の前半。まだ旅行者は少ない時期。水温も充分上がり、梅雨も去って透明度ももの凄くよかった。伊豆で潜っていた時は運が悪いと味噌汁状態の透明度だったから、沖縄の海の透明感が妙に落ち着かなかった記憶がある。
当時のダイビングショップは、今のようなレジャーに特化した雰囲気はなく、体育会的というか変な職人気質がまだ濃かった。
私が使ったショップのオーナーガイドさんも、客をガイドするというより、自分の興味、自分の作業のために潜っている感じだった。
まだ初心者だった私は、自分で判断する感覚が薄くて、ガイドさんには漫然と付いていけばよいと思い込んでいた。
ニコノスV型を手にガイドさんは、深場へ深場へと落ちていく。撮影したい珍しい魚がいるらしい。客など気にせず降下を続ける。
一方、ガイドから離れちゃいけないと思い込んでいる可愛いビギナーダイバーの私は、必死にガイドの後を追う。
撮影に没頭していたガイドが私に気付いて、けげんな顔をしている。後で聞いたら「なんでこんな深場にいるのか」と思ったらしい。
水深計は49メートルを指していた。怖いもの知らずとはこういう事をいうのだろう。ガイドが水深を上げ始めたので、付いていこうとしたのだが思うように身体が上がらない。
こんな深度では、すべてマイナス浮力になるので、フィンキックをちょっと頑張ったぐらいでは上に行かない。BCD(浮力器具)にタンクからの空気を入れてようやく上昇した。
思い出すだけでもゾッとする。透明度が良すぎたからついつい深場に行けちゃったのだろう。
いまでも49メートルの深さからかろうじて見えた水面に浮かぶボートの揺らめきを思い出す。
その後も水深30メートル程度の深場には普通に潜りに行っていた。ところが、10年以上前、マレーシア・マブールで潜水中、アクシデントのせいで水深22メートからオキテ破りの急浮上をしでかした出来事があって、それ以来、すっかり深場恐怖症だ。
もう10年以上経っているのに、いまだに水深22メートルを超えると妙に緊張するクセがある。まだ克服できていないから困ってしまう。
他のお客さんとの乗り合いダイビングではなく、チャーターダイビングに励むようになったきっかけも「深場への怖さ」のせいでダイビングポイントを厳選したくなったことがきっかけだ。
そういう意味では、久米島の旅とマレーシアの旅はいまだに私に影響している。
ちなみにマレーシアでは、別な機会にも「人生を変えた」経験があった。
ドイツ人旅行者ばかりのとある寂しげな島に滞在していた時の話。たまたま一人で滞在していた日本人女性と知り合った。
日本人同士、適度に交流していたのだが、その女性がホンモノのSMの女王様だということを知ったのは、私が○○○○○○で○○○○とか○○○○とかをされちゃったあとのこと。
これは衝撃的だった。いまの私の性癖に多分に影響していることを思えば、あれこそまさしく「人生を変えた旅」だったんだろう。
2010年5月17日月曜日
おもちゃ拡大中
4月14日付の当ブログでも書いたように、新しい水中撮影用の“おもちゃ”を前に悶々と海に行きたい気分が続いている。
結局、ロープで首からぶら下げて気軽に使おうと思っていた、オリンパス・ペン用のハウジングは結構本格的なサイズに拡大してしまった。
オリンパスがペン・E-PL1用に発売した水中撮影用ハウジングはカメラ本体同様、小型で軽い。ホットシューの部分にストロボを1灯つけて接写専用機にしようと思っていた。
ところが、マイクロフォーサーズ規格のライカ45㎜マクロを購入したら欲が出てしまった。あれこれ陸上で接写撮影のテストをしてみたが、やはり被写体の立体感とか影の問題を考えると、ストロボ2灯必要だ。
そんなこんなで画像のように結構大げさなかんじになってしまった。それでも、一昔前にニコンF4を重たいハウジングに格納して、今よりはるかに大きなストロボを2灯使って撮影していた事に比べれば、天国のようにコンパクトなシステムだ。
水中ストロボの概念を変えるぐらい小型高性能のイノン製ストロボも結局2台も購入した。ついでにストロボアームには水中着脱可能なクローズアップレンズを装着できるようなギアも買った。これで動き回らず逃げないような被写体にはかなりのスーパーマクロ撮影が可能だ。
ついでのついでにターゲットライトも最新型のものを買った。LEDだし、小型だし、ワイドアダプターも付いているスグレもの。高いけどこれがあれば暗がりに潜むチビ生物を照らし出せる。ヘッヘッヘだ。
早く使いたいぞって感じだ。
小型軽量を活かして、2灯ストロボでもアームは一本だけにした。もう一本はホットシューから延長してストロボを取り付けた。小型ストロボならではのやり方だ。
ちょこっと手を出したつもりのマイクロフォーサーズ規格を活かした撮影システム、結局、ウン十万円仕事になってしまった。チクショー!!。
しょうがないので、使わずにほこりをかぶっていたフィルム一眼用の水中ストロボやさまざま持っていた大量の備品をヤフーのオークションに出品してみた。
面倒なのでこの2ヶ月ぐらいの間、何度かに分けて出品してみた。売れそうな物を厳選したせいで、すべて落札された。一応自分の予想と変わらない程度の金額で処分できたので合格だ。
ヤフオクで現金化できた金額は20万円近くになった。つくづく、売りに出さずに捨てちゃったものがいっぱいあることが悔しい。
まあ、「富豪」を名乗る以上、不要品をチマチマとネットオークションに出すのもどうかとは思う。そうは思うのだが、やはり愛用してきた撮影機材は単に捨てちゃうより、他人様に欲しがってもらいたい。そんな気分だ。
オリンパスの新機材をマクロ専用機にして、キャノンのデジタル一眼をフィッシュアイズーム専用のワイド撮影にだけ使用するスタイルで一応落ち着きそうだ。
そうなると昨年発売間もなく購入したやたらと高かったキャノンの100㎜マクロレンズの出番が無くなる。売るのは惜しい。どうしようか?
結局、キャノンのデジカメをもう一台追加して、防水ハウジングも追加購入してしまう自分の近未来の姿が目に浮かぶようになってきた。
そして、マイクロフォーサーズ規格のオリンパスの方も、近いうちにフィッシュアイレンズが出るらしい。そうなると、こっちのサイズにもワイド専用機が欲しくなって、新たな機材だのストロボだのを購入するのだろう。
どうして物欲っておさまらないのだろう。性欲なら随分おさまってきたのに・・。
食欲と同じで物欲のダイエットをしないといけない。
2010年5月14日金曜日
モデル体験
こう見えても私にはモデル歴がある。一応事実だ。「使用前、使用後」とか「ヅラ方面」とかではない。雑誌のモデルだ。
もう四半世紀も前になるが、全国発売の雑誌に何度か出た。正直自慢ではない。恥ずかしい過去だ。
きっかけは某出版社の編集者と知り合ったこと。いつもエッチな写真集とかをタダでもらっていたのだが、ある時、気軽なアルバイトとして“モデルデビュー”を果たした。
スタジオに行ってみると普段選ばないような洋服が随分揃っていて、アレコレ試着させられた。ところが半分以上が私には小さい。当時の私は今よりはるかに細かった。ホンモノのモデルがいかに細め体型なのかを思い知らされた。
着られるものを何とか見繕って撮影した。ちょっとジャンプしたり、こっ恥ずかしいポーズをとらされた。
この日スタジオに友人を連れて行ったのだが、実は編集者の狙いは私ではなくその友人だった。
我が母校では有名な美男子3兄弟の末弟。兄二人は現役のトップモデルとして活躍していた。友人は兄とは違ってそちら方面とは無縁の男だったのだが、確かに美男子ではある。細いし・・。
何かの拍子で彼が私の友人だと知った編集者は言葉巧みに彼を引っ張り出すために、私にいろいろとエサをまく。柄にもない“モデルデビュー”も私を調子づかせる作戦だったわけだ。
その証拠に発売された雑誌では、私の友人は何カットも格好良く登場。肝心な私はどこを探しても出てこない。
いや、よくよく見ていたら私の顔写真が出ていた。なぜか小さい顔写真だけだ。おまけにファッションページではない。白黒のどうでもいい特集ページで読者コメントを語っている。
もちろん、喋った記憶はない。せっかく無理して履いた細身のパンツもシャツも映っちゃいない。わざとらしい笑顔が寂しげだ。なんとも腹立たしい。
さっそく編集者に対して怒ってみる。結構な金額のバイト代はもらっていたのだがそういう問題ではない。仁義の問題だ怒ってみた。結果、落ち目になったアイドルのヌード写真集をお詫びにもらった。
それでもブチブチ言ってたら、モデルとしての新たな仕事を回してもらうことになった。
これこそ恥ずかしい過去だ。
ティーン向け女性雑誌だったと思うが、「東京キススポット特集」というページだ。何のことはない。都内のアチコチに出かけてキスシーンを撮影するというバカみたいな企画だ。
どうでもいい感じの女の子が私の相棒だ。愛想の良いタイプではなく、楽しくない。でもキスシーンは必要だ。
キスしているフリとか真似事みたいなことはプロである私には出来ない。ちゃんと唇と唇をブチュっとくっつけないといけない。
頑張って随分ブチュ~を実践した。
1日で5~6カ所回った。不思議なもので3カ所目くらいからは人の目があっても平気でブチュ~が出来るようになる。
ついでにいえば、1カ所目のブチュ~で感じたドキドキ感みたいな純粋な気持ちも3カ所目あたりからは何も感じなくなる。
風俗嬢の気分が少しだけ分かった気がした。
公園のベンチにはじまって、原宿の街中、デパートのエスカレーター、電車の中、羽田空港などアチコチでチューをしまくった。
発売された雑誌はさすがに恥ずかしい出来だ。たまたま角度の関係で股間が膨らんでいるように見える写真が載っていたので、親しい友人は笑いすぎて死にそうになっていた。
私自身も死ぬほど笑った。
その後、もう少し真面目な企画ページでもヤラセカット写真のモデルを経験した。あれこそ若気の至りってやつだろう。
つくづく若さって凄い。恐ろしいぐらいだ。目先の変わったことなら何でも食いついていた。
ある意味、あの頃の無鉄砲さを見習わないといけない。
2010年5月12日水曜日
バーボンソーダ
私の弱点というか悪い部分なのだが、アマノジャク気質のせいもあって、めったに尊敬したくなる人に出会わない。
そんな私が無条件で尊敬していた人が急に亡くなった。65歳。今年の2月頃に体調を崩してからアッという間の出来事だった。
昨年暮れ、珍しいバーボンが手に入ったのでお歳暮代わりに贈らせてもらった。その際に電話で少し話をしたのが最後になってしまった。
ジャンルで言えば教育者だ。おまけに聖職者に近いポジション。そう書くとカタブツを連想するが、その人はどちらかといえばギャングみたいな見た目、着るものもお洒落だったし、話っぷりも豪快。
学問だけの頭でっかち的要素はまったくなく、人間としての魅力に溢れた傑物だった。
教育者だとか学者の話はたいていが眠いだけだが、その人の話は無条件に面白く、また説得力に富んでいた。含蓄に富んだ話がもう聞けないかと思うと実に残念。
若い頃は黒人社会の差別を研究テーマにした関係で、今よりはるかに差別色が濃かった黒人居住エリアに単身乗り込んで暮らしていたそうだ。
要は数十年前にそんなことをする気になるようなエネルギッシュな人だ。
儀礼的な接点があるだけだった私だが、3年ほど前から少しだけ踏み込んだお付き合いをしていただいた。
ダウン症の子どもを持ったことで混乱モードの最中にあった私に、突然連絡を下さったことがきっかけ。
立場や関係といった普通は意識するはずの垣根のようなものにまったく頓着せず、当然、ご自身には何もメリットなど無いのに、本心からの心強い助言を幾度に渡っていただいた。
あの頃の心理状態を思い返すと、とにかく心の底から有難かった。
見ようによってはコワモテの風貌なのだが、実に慈愛に満ちた精神の持主だったのだろう。私なんかイチコロだ。含蓄のある話がいくつも身体に染みた。
黒人社会経験のせいで、酒場でもバーボンを豪快にカッと煽る。一人の男としてもなかなか魅力的で、私が目指す60代の格好いい男性像は間違いなくその人のイメージで固まっている。今後もそれは不変だろう。
今年に入って2度ほど、近くに寄ったついでにその人の仕事場を覗いてみた。二度ともご不在だったのだが、そんな“ついで”ばかりで済ませていた自分の横着さに呆れる。
せっかく親しくしてもらったのだから、うっとうしいと思われるぐらい積極的にお付き合いさせてもらえば良かった。
本当に後悔先に立たずだ。
これから一体どれだけの後悔をしてしまうのだろうか。生きていくことイコール後悔そのものなのかもしれない。
悲しさよりも悔しさばかりが募る。もっともっと感服させてもらいたかった。お礼も何度だって言いたかった。今後の子どもの成長を報告したかった。
ここ半年ぐらいウイスキーの炭酸割りにはまっているのだが、今回の訃報に接してからはバーボンソーダばかりになった。
合掌
2010年5月10日月曜日
1コ上
「金のわらじを履いてでも探せ」と言われるのが1歳年上の女房殿だ。諸説あるみたいだが、昔と今では時代背景も違うし良く分からない。
私がもう一度結婚するにしても、いまさら1コ年上を探すのはゴメンだ。あくまで結婚年齢が幼かった大昔ならではの表現だろう。
私自身、幼い頃は「1コ上」には随分と縁があった。なんとも懐かしい思い出だ。
生まれて初めてデートという体験をしたのが中学2年生。小学校から男子校だったから遅い方なんだろうか。お相手は中学三年生。早稲田と高田馬場の中間にある女子校に通っていた。
行先は「としまえん」。実に微笑ましい。30年以上前の話だ。今ではとしまえんの温泉でうなっているだけの私だ。
としまえんのあとは電車で池袋に出て西武デパートのレストラン街でハンバーグを食べた記憶がある。世田谷方面に住む乗馬が趣味の女の子を池袋西武に連れて行くあたりがシュールだ。
その頃、週末にテニススクールに通っていた関係で、女子との接点が増え始めていたのだが、やはり中2の頃、四谷にある某女子校の学園祭に行ってドキドキした記憶がある。
これも1コ上の女の子だったのだが、フォークギターを抱えてちょっとしたコンサートをしていた。スポットライトを浴びて歌うそのコの姿が印象的だった。なんともカワイイ思い出だ。
こちらが中学3年生になると色気づきモードは全開状態になるのだが、このころも「1コ上」との縁が多かった。
初めてのムフフ体験は同学年のコが相手だったのだが、このコも何かの事情で年齢は1コ上だった。「1コ上」にこだわっていたわけではないのだが、そんな場面が多かった。
やはり中三の頃、友人達と「六本木のディスコ」に突撃したのだが、この時も1コ上の女の子達に引率してもらった。オリビアニュートンジョンの「ザナドゥ」が流れていた時代だ。
中学と高校だけ神奈川県の方に通わなければならない某女子大の付属校のコだったので、週末のハジケ方が激しかった。今思えば高校1年の女のコだ。派手な化粧に派手な服、オトナの目で見れば滑稽だったんだろう。
でも、得意になってスクウェアビルを案内してくれる彼女たちはカッコ良く見えた。15,6歳といえば何よりも背伸びしたい年頃だったので、化粧という反則技を持つ女子連中がうらやましかった。
高校1年の時、共通の友人が多かった関係で通学電車で言葉を交わす九段の某女子校の女の子がいた。このコも「1コ上」。高校2年生なのだが、なんか色気のあるコだった。ある日のこと、少し離れた距離にそのコがいた。電車が凄く混雑してお互い身動きとれずにいたのだが、何かを目で訴えている。
混雑がゆるんでから理由を聞いたら、なんと痴漢されていたらしい。目で必死に助けを求めたそうなのだが、私が気付かなかったことを怒っている。
一応、「今度見つけたらぶっ飛ばしてやるよ」と格好つけてみたものの、目の前のコが今まさに痴漢されていたという生々しい事実に妙に興奮。とことん想像してしまう。
“いま目の前にいるこのコは、痴漢のせいで中途半端に火照ってしまったはずだ・・・”
しょうもないエロマンガのような妄想が私の脳裏をよぎる。次の日からそのコに電車で会うたびに会話もうわの空。痴漢再登場をチョッピリ期待するアホな私。
今だったら再登場した痴漢を制止するどころか行為に参加してしまうだろう。
さてさてキリがない、そうだ「1コ上」の話だった。
もともと年上が好みという意識はなかったのだが、なぜだか若い頃親しくなった人は年上が多かった。
初めて結婚を意識したのは4コ上の女性だったのだが、さすがに適齢期が折り合わずに終了。
その後に知り合った女性と最初の結婚をするのだが、この人は「1コ上」だった。でも「1コ上」だったのにスグ終了。このあたりで私の“年上大会”は終わったようだ。
それにしても若い頃の年上指向は何だったんだろう。
Sだとばかり思っていたのに実はMだったみたいな感じだろうか。変な例えだが、そんなもんだろう(どんなもんだ?)。
結局、怒られたり、叱られるのが好きなのだろうか。
思えば家でも、そのほかの場所でも女性にいつも叱られているような気がする。
2010年5月7日金曜日
美食菜舘
酒を呑みたい、でも居酒屋に行く気分でもない。まっとうなレストランだとガンガン呑みにくい。さあ困った。
こういう時に活躍するのが中華料理だろう。もちろん、ただのラーメン屋とか福臨門とかの高級中華は別。適度なサイズ、適度な価格帯、豊富なメニューが揃う中華料理が使い勝手がいい。
中華料理自体が基本的に酒の肴に合う。日本酒との相性には無理があるものの、すっかり国民酒になった乙類焼酎やナントカサワーなどは中華料理との相性バッチリ。
ビールも当然OKだし、私が最近呑み続けているウイスキーの炭酸割りも中華系料理とマッチする。
料理を追求している店に対して、酒の相性ばかりで四の五の論評したら申し訳ない。かといってオトナの食事に酒は欠かせない。だからやっぱり楽しく呑む場所としての中華料理屋はアリだと思う。
こんなことを書きたくなったのは溜池山王にある「美食菜舘」で呑んだのがきっかけだ。
http://www.bishoku-saikan.jp/pc/
過去にこのブログに何度も登場した店だ。幼稚園時代からの同級生が経営している。極端に大衆路線ではなく、極端に高級路線でもない。店の大きさも適度なサイズで明るく綺麗。
女性同士のお客さんも多いらしい。確かにそういう使い方にも便利そうだ。
ディープな中華、スノッブな中華ではない。万人受けする感じだ。ガラス張りの厨房では中国から招いた料理人達が黙々と鍋をふる。
オーナーである我が同級生はホールを担当、ヒマな時は一緒に呑んでくれる。幼い頃、母校のチャペルのミサ係だった彼は、その栄誉ある神聖なポジションに似合わず結構な不良でいつも警察の厄介になっていた(ような気がする)。
ミサ係で不良とくれば、人脈は豊富だ(ちょっと強引か)。彼の店には母校に絡んだお客さんも多い。上下20~30学年ぐらいはカバーしているらしい。大したものだと思う。
私自身、旧友と集まるのはたいていこの店だ。正直少し飽きたが、じゃあどこで集うかと考えると結局この店になる。
場所は溜池山王駅のそば。駅から近いが、目抜き通りから少し入るので隠れ家的要素も少しある。別に隠れる必要もないのだが・・。
先日、ふらっとお邪魔した。一人だったのだが、バーのようなカウンターがあるので、どっかり座ってしばし呑む。小皿メニューから何品か注文。酒に合う。
麻婆春雨が妙に辛くてウマい。酒がびゅんびゅん進む。単純な表現だが在りそうで無い味。わがままついでに海老だけ茹でてもらって勝手にトッピングしてみる。これはこれでウマい。
カウンターもあれば、ちょうど良い大きさのテーブル個室もいくつかある。用途に応じて便利に使える。歩いて5分も行けばシュールでディープなカラオケスナックもある(それは関係ないか・・)。
ここのオーナー、このブログの愛読者でもある。だからこのブログを読んでいる人にはサービスもあるらしい。
確か今月中限定だったが、料理をオーダーする際に「富豪記者見ました」と伝えると「ふーん」とか「そうですか」と言ってくれるようです。
是非お出かけを!