着衣とエロス
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜が原則だが、週2回しか更新できないことが増えている。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
お寿司屋さんの花形はどう考えても「握り」だ。珍味をつまんでばかりの私でも悩まずそう思う。腕の良いプロの握りは見た目も美しく、口の中で広がる喜びも抜群だ。まさに日本の文化遺産である。
「握り」と言っても今日は巻き物の話。シャリの上に魚が抱きついて?いる見目麗しい握り寿司とは違い、「巻き物」は独特の存在感がある。でも、巻き物の位置付けは少し微妙だ。
握りが主役だから脇役なのだろうか。ただの脇役と呼ぶには失礼だ。大御所というか、黒幕みたいな感じもする。
巻き物の基本は、カッパ巻きに鉄火巻きだ。盛り込み1人前の握りの世界では、さほど有難がられずに脇役に甘んじている。しかし、高級寿司屋のカウンターでは「ネギトロ巻き」だとか「トロタク巻き」となって一気にエラソーにしている。
なんとなく、巻き物は普通の握りより下に見られがちだが、あれだって素人が作ろうとしても綺麗に形作ることは難しい。立派な職人技である。
それ以前に、かっぱや鉄火以外にも選択肢が実に幅広く、アイディア次第でさまざまな美味しい寿司が誕生する。
もともと「巻きもの」といえば、古来、日本人が書をしたためる際に用いた様式である。そう考えると実に奥ゆかしい。実に優美だ。ちょっと大袈裟だ。
日本が独立を果たしたかつてのワシントン講和会議でのこと。当時の吉田茂首相が巻紙に書いた文書をパラパラと広げながらスピーチをしたところ、諸外国の代表団からは「トイレットペーパーのようだ」と驚かれたそうだ。
そりゃあ、外国のじぇんとるめんには分かるめえ。あれこそが日本が誇る惻隠の情みたいなもんだってんだ。
意味不明でスイマセン。
巻紙の文書がパラリパラリと少しづつその全貌を表わしていくように、「全部見せない」ということが、一種の日本人の美的感覚だと思う。
少し強引だが、寿司の世界における巻き物も同じだ。なんといっても全体を横から見れば海苔の黒一色である。実にぶっきらぼうである。
武士道みたいだ。よく分からないが。
でも、中身が見えないあの楚々とした?感じが何とも洒脱な雰囲気を醸し出している。秘密が隠されているようなワクワク感がある。
アメリカあたりからの逆輸入寿司の世界では、海苔を内側にした裏巻きが珍しくない。裏巻きの場合、中に巻かれているキュウリとか葉っぱをわざわざグワーンとシャリの外に飛び出させて派手にしている。見栄っ張りが着飾っているみたいだ。
あれは日本的ではない。地味であることを良しとする凛としたヤマトゴコロの対極にある巻き物だと思う。よく分からない分析でスイマセン。
個人的に好きな巻き物は色々ある。握りでトロを食べないくせに、たくあんとセットになったトロタク巻きは好きだし、時には禁断の?ウニ巻きも食べたりする。
かんぴょうにワサビを泣くほど効かせた巻き物も好きだし、梅干しにシソとキュウリを組み合わせたヘルシーな巻き物も好きだ。
10年ぐらい前、石原慎太郎の「老いてこそ人生」なる本がベストセラーになった。
当時、石原さんがある種の「旬」だったこともあって、多くの中高年が嬉しそうに読んでいたことを覚えている。
当時、30代の私にとっては、まるで興味のない話だったわけだが、あれから10年が過ぎ、古本屋で100円で売っていたから買ってしまった。
どう逆立ちしても「中高年」という枠に位置する私だが、さすがに「老い」というジャンルにくくられるほどではない。
本を読んで、ちっとも共感しなかったことがその証拠だ。共感というか、実感しなかったのだろう。ホッとした。
石原さんの自慢話ばかりで辟易としたが、とくに参考になる部分もなかったことが妙に嬉しい。「まだ若いんだな、オレって・・・」とニヒルにポーズをつけたくなったほどだ。
いや、まてよ。石原さんはもう80歳を超えている。10年前、すなわち当時70歳を過ぎた人の話に共感しないのは当たり前だ。あくまで「70歳よりは若い」というだけだ。
結局、クソ面白くもないそんな事実だけが私に突きつけられた。
最近、健康器具を買ったり、サプリを吟味したり、牛肉が食えなくなったり、夜中にトイレのために起きるのが標準になっただけでも、10年前より確実に老化が進行中だ。
アンチエイジングという考え方はあまり好きではない。何だか自分が生きてきた時間を否定しているように聞こえる。
年齢相応が一番よろしい。妙に若作りしている今売れっ子のお医者さんを頻繁にテレビで見かけるが、人造人間みたいで不気味だ。
美魔女とかいう名称で妖怪みたいな年齢不詳の女性がヨイショされているが、あれもまた気色悪い。申し訳ないけど、極端な若作りを見ると「この人、アホなんだろうか」と思う。
年相応に滲み出る渋味のカケラも感じさせない「痛々しい若さ」は、その人自身に人としての奥行きや深みが無いのではと勘ぐりたくなる。一概には言えないが、多くがそうなんだろう。
年を重ねてから大事になるのは「人相」だと思う。人相といっても抽象的だが、そこそこの年齢になれば男も女も人間性が顔に出る。社会の風潮として、パッと見の印象だけでなく、もっと人相の良し悪しに重きを置くべきだと思う。
なんか年寄りの小言みたいな話になってしまった。
ちなみに、冒頭で紹介した本の中で印象的な言葉があったので紹介したい。著者の言葉ではなく、外国の詩人や作家の言葉だそうだ。
●「老年の悲劇は、彼が老いているというところにはなく、まだ若いと思っているところにある」
●「周りから『お若く見えますね』と言われるようになったら、あなたはもう若くないのだ」
最初の言葉はともかく、2番目は中年にとっても妙にうなずける言葉だ。
自慢じゃないが、私だって、時々他人様から「若いですね」と言われる。正直、そう言われるのが好きではない。カッコつけや謙遜ではなく、以前から一貫してそう思っている。
幼く見られているというか、中身がともなっていないと思われている気がする。気にしすぎだろうか。ただのお世辞なんだから素直に喜べばいいのだろうか。
悩ましい問題である。
さて結論に移ろう。
3月から私の人生は新しいステージ?に移行した。ちょっと大袈裟な言い方だが、そういう言い方が的確だろう。
まだまだ新しい世界を覗きたいし、やったことのないことに挑戦したいし、女性のお尻も追っかけたいし、ウジウジドキドキもしたい。
ちょっと考えが若すぎるだろうか。
WBC3連覇を目指すサムライ・ジャパン。メジャーリーガー抜きのチーム編成だけに、日本野球の底力を世界に見せつけて欲しいものだ。
先日、新大久保の豚カルビ屋でグビグビ飲んでいた時のこと、店にあるテレビで1次リーグの日本戦が放映されていた。
試合は日本が先制点を奪う。良い気分で豚カルビを頬ばる。ところが、日本リードを確認した店員が、あろうことかチャンネルを変えてしまった。韓国の音楽番組か何かを流し始めた。
なんともオヨヨな話である。“らしい”というか、実に分かりやすい「嫌日感情」を垣間見た気がする。
ちなみに、ソウル市内にある日本料理屋で、店内のテレビで韓国戦が流れていたとする。韓国がリードした時点で、これみよがしにチャンネルを変えることなど考えられない。常識的に理解不能である。
まあ、好きこのんでわざわざ新大久保の韓国料理屋に出かけていった私が間抜けだったのだろう。自業自得である。もっと、「君子」として生きていかねばなるまい。
どうでもいい話を書いてしまった。
野球がテーマだった。
最近、このブログで内向きなことばかり書いている気がする。「オレだってナイーブなんだぜ」と主張しているみたいで気持ち悪いからいい加減にしようと思う。
実際には、明日の朝飯を何にしようかとか、もうすぐ出かける潜水旅行での撮影のこととか、WBC三連覇のこととか、テレビ東京の大江アナが見られなくなることとか、壇蜜のことぐらいしか考えていない。
いや、もうひとつあった。「健康問題」である。
以前にこのブログで書いたが、「草笛光子が頑張っている足腰を鍛えるヘコヘコマシーン」を購入して以来、一応、サボらず続けている。
使い始めて2週間ぐらいだが、気のせいか、少し足腰が元気になったように思う。信号が赤信号に変わりそうで焦ってダッシュした時、「オレって為末?」と思うほど足が軽く感じたから少しは効果があるのだろう。
で、今更ながら「健康」という言葉が妙に気になるようになってきた。食事も好き放題、酒も飲む、タバコも吸うから、まずはそのあたりの基本姿勢を考え直さねばならないのだが、それはイヤだ。
しょせん、その程度である。
そうは言っても、気づけば青汁をグビグビ飲むようになって、肝機能を良くする薬や黒酢の錠剤も飲み、ビタミンCのサプリや亜鉛のサプリも飲むようになった。シジミエキスも飲んでるし、ついでに言えば薄毛予防薬も飲んでいる。
それ以外にも、持病の逆流性食道炎のための薬や、クセ?で飲んでいる太田胃散とか改源とか葛根湯なんかも合わせると、なんだか「薬物中毒」みたいだ。
そろそろ飲み合わせとやらに気をつけなければいけないのだろうか。なんだか面倒だ。
先日も、新たに「プロポリス」の錠剤を注文してしまった。それも「毎月お届けコース」である。これを選ぶと1回あたりの単価が結構安くなるから、ついつい定期コースに申し込んでしまう。
う~ん。多すぎないだろうか。錯乱した人みたいにも思える。これらに加えて、時には睡眠導入剤や安定剤も飲むことがある。「ヤク中」オヤジみたいだ。
それにしても、サプリの広告は実に上手に出来ている。薬事法の関係で、ストレートに効能なんかうたえないのに買う側はすっかり引寄せられる。
目に良いといわれるサプリだって、「楽しそうな読書」を描いたほのぼのとしたイラストで消費者を刺激する。寝る前の読書で目がかすむ人には妙に説得力がある。
デザインの力だと思うし、その工夫が売れ行きを左右するのだろう。まさにインパクト勝負の世界なんだと思う。
サプリの不気味さ?は、効能を実感できない点だ。疑ったらキリがない。それぞれの単価は低くても毎月のことだし、種類が増えれば年間予算額は相当なものだ。おまけに安い商品より高い商品のほうが効きが良さそうな変なイメージがあるから、ついつい散財につながる。
年間ウン万円、ウン十万円が意味のない出費だったら痛すぎる。吉原で風呂に入ったほうがよほど健康になれそうだ。
信じるものは救われる。そんな世界なのだろうか。
その昔、晩年の祖父が何かの手術を受けた際に、血管が物凄く丈夫なことを医師に驚かれたことがある。原因は長年愛飲していた「ソーヤレシチン」とかいう変な粉末の効能だったそうだ。
そういう話を聞くと、私のサプリ放浪も意味があることだと思いたい。
さて、結論に移ろう。
なんだかんだ言って、健康でいるためのコツはただ一つ。
楽しいことに囲まれて愉快な気分で過ごす。
それだけだ。
そんなことは百も承知だ。だからそれを心掛けるしかない。
だいたい、いつまでも寒いのが問題だ。いい加減にして欲しい。「冬期うつ」という症状があるそうだが、何となく理解できる。
暖かくなったらバリバリ愉快に過ごそうと思う。