2013年3月15日金曜日

小休止してます


実は今週いっぱいフィリピンに滞在しています。潜水旅行中なので更新はお休みします。

一応、過去モノをいくつか紹介したいともいます。



着衣とエロス





海老蔵に税金





2013年3月13日水曜日

巻き物


お寿司屋さんの花形はどう考えても「握り」だ。珍味をつまんでばかりの私でも悩まずそう思う。腕の良いプロの握りは見た目も美しく、口の中で広がる喜びも抜群だ。まさに日本の文化遺産である。

「握り」と言っても今日は巻き物の話。シャリの上に魚が抱きついて?いる見目麗しい握り寿司とは違い、「巻き物」は独特の存在感がある。でも、巻き物の位置付けは少し微妙だ。

握りが主役だから脇役なのだろうか。ただの脇役と呼ぶには失礼だ。大御所というか、黒幕みたいな感じもする。

巻き物の基本は、カッパ巻きに鉄火巻きだ。盛り込み1人前の握りの世界では、さほど有難がられずに脇役に甘んじている。しかし、高級寿司屋のカウンターでは「ネギトロ巻き」だとか「トロタク巻き」となって一気にエラソーにしている。

なんとなく、巻き物は普通の握りより下に見られがちだが、あれだって素人が作ろうとしても綺麗に形作ることは難しい。立派な職人技である。

それ以前に、かっぱや鉄火以外にも選択肢が実に幅広く、アイディア次第でさまざまな美味しい寿司が誕生する。

もともと「巻きもの」といえば、古来、日本人が書をしたためる際に用いた様式である。そう考えると実に奥ゆかしい。実に優美だ。ちょっと大袈裟だ。

日本が独立を果たしたかつてのワシントン講和会議でのこと。当時の吉田茂首相が巻紙に書いた文書をパラパラと広げながらスピーチをしたところ、諸外国の代表団からは「トイレットペーパーのようだ」と驚かれたそうだ。

そりゃあ、外国のじぇんとるめんには分かるめえ。あれこそが日本が誇る惻隠の情みたいなもんだってんだ。

意味不明でスイマセン。

巻紙の文書がパラリパラリと少しづつその全貌を表わしていくように、「全部見せない」ということが、一種の日本人の美的感覚だと思う。

少し強引だが、寿司の世界における巻き物も同じだ。なんといっても全体を横から見れば海苔の黒一色である。実にぶっきらぼうである。

武士道みたいだ。よく分からないが。

でも、中身が見えないあの楚々とした?感じが何とも洒脱な雰囲気を醸し出している。秘密が隠されているようなワクワク感がある。

アメリカあたりからの逆輸入寿司の世界では、海苔を内側にした裏巻きが珍しくない。裏巻きの場合、中に巻かれているキュウリとか葉っぱをわざわざグワーンとシャリの外に飛び出させて派手にしている。見栄っ張りが着飾っているみたいだ。

あれは日本的ではない。地味であることを良しとする凛としたヤマトゴコロの対極にある巻き物だと思う。よく分からない分析でスイマセン。

個人的に好きな巻き物は色々ある。握りでトロを食べないくせに、たくあんとセットになったトロタク巻きは好きだし、時には禁断の?ウニ巻きも食べたりする。

かんぴょうにワサビを泣くほど効かせた巻き物も好きだし、梅干しにシソとキュウリを組み合わせたヘルシーな巻き物も好きだ。


この画像は、高田馬場・鮨源で注文した「アナなら巻き」だ。一番上の画像は「スーパーかっぱ」である。

穴子と奈良漬けというフムフムなるほどという組み合わせで巻いてもらう一品は食感も楽しく食べ応えがある。穴子とキュウリの穴きゅう巻きの応用みたいなものだ。甘ダレのツメをチョこっとにしてもらうことがポイント。

スーパーかっぱ巻きは、普通のカッパ巻きに異常な量のすりゴマを入れてもらうだけの一品。作ってくれる職人さんが首をひねってイヤな顔するぐらい大量のゴマを入れてもらうことがポイント。

自動擂り下ろし機があるお店じゃないと無理な注文だが、あくまでキュウリが脇役でゴマを大スター級の主役にすることがカギだ。

多すぎるゴマのせいで口の中でモゴモゴするぐらいが私の好みだ。醤油にピトッとつけるだけで醤油小皿に粉砕状態のゴマが広がる。素敵な光景だ。

いずれにせよ、一般的に知られている巻き物を少しばかり応用しただけだ。とはいえ、その応用が、知らなかった味、気付かなかった味と出会わせてくれる。

なかなか奥が深い。今後も探究を続けたい。

2013年3月11日月曜日

バンド再始動


あれから半年が過ぎた。ライブハウスで人様の前で歌うという一大事からもう半年だ。

昨年の9月、ひょんなことで小学校時代からの旧友とアコースティックバンドを作って、小一時間のライブをやってみた。

どえらい緊張ぶりはこのブログにも書いたが、人間の図々しさは年齢とともに無敵になるようで、懲りずに次回に向けて動き出した。

久々にメンバー3人で集まって練習というか、謀議に精を出した。前回の反省もそこそこに次はどんな隠し芸をやるか、いやどんな曲を選ぶか、ギターを手に検討を開始。

私は歌う係なので、演奏のことを考えずに好き勝手にあれをやろう、これをやろうと叫ぶばかりである。ギターの二人は、私の提案曲を演奏という観点から吟味する。

なかなか面白い。こんな時間が妙に楽しい。もっと言えば、その後の酒の時間がまた楽しい。

今更ながら「音楽」という言葉を作った人のセンスに脱帽する。実に楽しい。音楽の持つ力は想像以上だ。うまく表現できないが、聞き手それぞれの五感がそれぞれの思いや状態と混ざり合って情操面にダイレクトに響く。

去年の夏、ライブに向けて練習を重ねながら、私自身、随分救われた気がする。厄介事を抱えてウジウジしていた気分が、演奏、歌をすり合わせて仕上げていく作業のおかげで大いに解放された。

あの頃のウジウジ気分が無くなった今、次回に向けてただ純粋に楽しんでやろうと企んでいる。

同級生3人だから、ワガママ言い放題になりそうなものだが、そこはいっぱしの大人である。古い付き合いだが、常に親密な付き合いをしていたほどでもないから適度な遠慮なんかもあって、実に紳士的?に作業を進める。

憂歌団とか押尾コータローあたりのディープな楽曲の話になる一方で、万人受けする選曲は昭和歌謡だろうなどといった建設的?な議論が続く。

私などは押尾コータローと「押尾学」の違いが分からないぐらいだから、時にギタリスト2名の会話についていけない。

でも、二人の話す技術面の話題にフムフム神妙な顔で聞き入るだけで、いっぱしのミュージシャン気分が味わえて楽しい。

まあ、そんな大層なものではなく、前回のミーティングでは、結局3人とも森高千里が好きだという真理にたどりついたことが最大の収穫だったのだろう。

結論としては「江口洋介がうらやましい」。そういうことである。

次回のライブは6月頃の予定だ。まだ3カ月あるので、私も一曲ぐらいハーモニカを必死になって特訓しようか。それとも縦笛、リコーダーぐらい頑張ってみようか。

せいぜいトライアングルをチーンとならすぐらいが限界かもしれない。

今日はメンバーの一人がYouTubeにアップした昨年のスタジオ練習の時の音源をアップしてみる。

臆面もなくこういうものをブログに載せてしまう図々しさがミュージシャン?には必要である・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=kywmjaYDiYU

2013年3月8日金曜日

老いてこそ


10年ぐらい前、石原慎太郎の「老いてこそ人生」なる本がベストセラーになった。

当時、石原さんがある種の「旬」だったこともあって、多くの中高年が嬉しそうに読んでいたことを覚えている。

当時、30代の私にとっては、まるで興味のない話だったわけだが、あれから10年が過ぎ、古本屋で100円で売っていたから買ってしまった。

どう逆立ちしても「中高年」という枠に位置する私だが、さすがに「老い」というジャンルにくくられるほどではない。

本を読んで、ちっとも共感しなかったことがその証拠だ。共感というか、実感しなかったのだろう。ホッとした。

石原さんの自慢話ばかりで辟易としたが、とくに参考になる部分もなかったことが妙に嬉しい。「まだ若いんだな、オレって・・・」とニヒルにポーズをつけたくなったほどだ。

いや、まてよ。石原さんはもう80歳を超えている。10年前、すなわち当時70歳を過ぎた人の話に共感しないのは当たり前だ。あくまで「70歳よりは若い」というだけだ。

結局、クソ面白くもないそんな事実だけが私に突きつけられた。

最近、健康器具を買ったり、サプリを吟味したり、牛肉が食えなくなったり、夜中にトイレのために起きるのが標準になっただけでも、10年前より確実に老化が進行中だ。

アンチエイジングという考え方はあまり好きではない。何だか自分が生きてきた時間を否定しているように聞こえる。

年齢相応が一番よろしい。妙に若作りしている今売れっ子のお医者さんを頻繁にテレビで見かけるが、人造人間みたいで不気味だ。

美魔女とかいう名称で妖怪みたいな年齢不詳の女性がヨイショされているが、あれもまた気色悪い。申し訳ないけど、極端な若作りを見ると「この人、アホなんだろうか」と思う。

年相応に滲み出る渋味のカケラも感じさせない「痛々しい若さ」は、その人自身に人としての奥行きや深みが無いのではと勘ぐりたくなる。一概には言えないが、多くがそうなんだろう。

年を重ねてから大事になるのは「人相」だと思う。人相といっても抽象的だが、そこそこの年齢になれば男も女も人間性が顔に出る。社会の風潮として、パッと見の印象だけでなく、もっと人相の良し悪しに重きを置くべきだと思う。

なんか年寄りの小言みたいな話になってしまった。

ちなみに、冒頭で紹介した本の中で印象的な言葉があったので紹介したい。著者の言葉ではなく、外国の詩人や作家の言葉だそうだ。

●「老年の悲劇は、彼が老いているというところにはなく、まだ若いと思っているところにある」

●「周りから『お若く見えますね』と言われるようになったら、あなたはもう若くないのだ」

最初の言葉はともかく、2番目は中年にとっても妙にうなずける言葉だ。

自慢じゃないが、私だって、時々他人様から「若いですね」と言われる。正直、そう言われるのが好きではない。カッコつけや謙遜ではなく、以前から一貫してそう思っている。

幼く見られているというか、中身がともなっていないと思われている気がする。気にしすぎだろうか。ただのお世辞なんだから素直に喜べばいいのだろうか。

悩ましい問題である。

さて結論に移ろう。

3月から私の人生は新しいステージ?に移行した。ちょっと大袈裟な言い方だが、そういう言い方が的確だろう。

まだまだ新しい世界を覗きたいし、やったことのないことに挑戦したいし、女性のお尻も追っかけたいし、ウジウジドキドキもしたい。

ちょっと考えが若すぎるだろうか。


2013年3月6日水曜日

グローブ


WBC3連覇を目指すサムライ・ジャパン。メジャーリーガー抜きのチーム編成だけに、日本野球の底力を世界に見せつけて欲しいものだ。

先日、新大久保の豚カルビ屋でグビグビ飲んでいた時のこと、店にあるテレビで1次リーグの日本戦が放映されていた。

試合は日本が先制点を奪う。良い気分で豚カルビを頬ばる。ところが、日本リードを確認した店員が、あろうことかチャンネルを変えてしまった。韓国の音楽番組か何かを流し始めた。

なんともオヨヨな話である。“らしい”というか、実に分かりやすい「嫌日感情」を垣間見た気がする。

ちなみに、ソウル市内にある日本料理屋で、店内のテレビで韓国戦が流れていたとする。韓国がリードした時点で、これみよがしにチャンネルを変えることなど考えられない。常識的に理解不能である。

まあ、好きこのんでわざわざ新大久保の韓国料理屋に出かけていった私が間抜けだったのだろう。自業自得である。もっと、「君子」として生きていかねばなるまい。

どうでもいい話を書いてしまった。

野球がテーマだった。


ある雑誌を眺めていたら、びっくり仰天のアイテムを見つけた。「150万円のグローブ」である。エルメス製だとか。何を考えているのだろう。きっと悪ふざけだ。

でも笑えた。でもちょっと欲しい。いや、やっぱりいらない。

実に男心をくすぐるグローブである。

男、いや男の子にとってグローブには特別な思い入れがある。自分の原点というか、遠い日の純な心を思い出すアイテムだ。

私が初めてグローブを買ってもらったのは小学校4年生の時。杉並区・荻窪の駅そばのスポーツ用品店で、ミズノ製の茶色の少年用グローブが2400円だったことを覚えている。

まだ幼い手にはズッシリくる重み、革の匂いを今でも思い出す。それこそ抱いて寝た。
革を柔らかくするオイルを塗りたくって、その香りにも陶然とした。

その後、小学校高学年になり、野球部に入った時には、大ファンだった巨人の高田選手のマネをして、ミズノ製ワールドウィン(赤色カップ)の「高田モデル」を手に入れて、これまた抱いて寝た。


グローブの親指と人差し指の間のポケット部分が十字型にデザインされた実に美麗なデザイン、濃いめのブルーがこれまた超絶的にオッシャレ~な一品だった。

軟式野球の少年が、硬式用の大人が使う「高田モデル」を愛用したわけだから、革は固いし、サイズは合わないし、正直、非常に使いづらかった記憶がある。

高田モデルのせいもあって、グローブといえば、「ミズノ・ワールドウィン」が絶対だと信じて疑わなかった。巨人で言えば、セカンド・土井の小型の渋いグローブもミズノだったし、エース堀内もミズノのコンサバ系を使用していた。

その後、スッタモンダで怪物・江川が巨人に入団したあたりからグローブ業界?にも変化が見え始めた。

少年の目からすると謎めいた存在だった江川だが、彼が手にしていたグローブがまたナゾだった。


どこか見覚えのあるマリファナマークのようなロゴ。よく見れば「アディダス」である。野球用具のことならオタクレベルで詳しかった少年の目には衝撃的だった。

当時、アディダスの野球用品など存在していなかった。きっと話題の江川に使用させて、アディダスが市場に殴り込みをかけ始めた頃だったのだろう。

「ナゾの怪物・江川が使うナゾのグローブ」。アマノジャクの芽が出始めていた私だ。ミズノ・ワールドウィン一辺倒の野球少年界?に背を向けるかのように、さっそくアディダスのグローブを手に入れて悦に入っていた。

愛用していた高田モデルは、友人にあげてしまったのだが、その後、30ウン年も経った今でも、その友人は高田モデルを大事に保存しているらしい。正直言うと、高値でもいいから買い戻したいと思っている。


高校、大学と野球とは無関係に過ごしていたが、大人になってから一時期、草野球に熱中した。

いざ、昔のグローブを使おうとしても、革の匂いとは異質のカビの匂いが耐えられず、そこらへんのホームセンターでどうでもいい安物のグローブを買った。

ところが、草野球といえども、いざマウンドに立ってみるとダサいグローブを使っている自分がどうにも許せない気分になってしまって、結局買い直した。

ハワイに旅行した際、野球用品店を見つけて購入したもので「ローリングス」の本格派だ。

子どもの頃、メジャーリーガー、いや、当時は「大リーガー」と呼ぶのが普通だったのだが、秋頃に物見遊山でやってくる親善野球の大リーガーが愛用していたのがローリングスのグラブだった。

30歳を過ぎた大人になってから始めて手にした本場アメリカのローリングス。大人なのに結構興奮した。やっぱり抱いて寝た。

そんな本格的なグローブが必要ないようなレベルの草野球だったが、気持ちはいつも「大リーガー」だった。

ああ、いつかまた野球がやりたい。

でも、いまさらやったところで複雑骨折か、心不全になりそうだから無理だろう。

そういうことだ。

2013年3月4日月曜日

麺バンザイ


「タンスイカブラー」として生きている割には、このブログで書いてきたのはコメ方面ばかりだ。炭水化物の雄である「麺」のことを忘れてはなるまい。

昭和のジャイアンツ、右のエースが堀内なら左のエースは高橋一三だった。私にとってコメが堀内なら、麺は高橋一三だ。意味不明でスイマセン。

お育ちがすこぶる良いせいで私は猫舌である。ラーメンとかうどんとか、熱いからフーフーしないといけない。そのうち、麺がノビてしまう。

コメだろうと麺だろうと、硬めが好きなので、子どもの頃、すぐにノビてしまう麺類は好きでは無かった。

高校生の頃、放課後に悪友達と立ち寄った神楽坂のラーメン屋「天下一」でも、猫舌ボーイだった私は「スタミナ飯のピーマン抜き」とか「チャーハン」専門だった。

そんな理由もあって、どちらかといえば熱い汁に沈んでいない麺のほうが好きだ。この年になってもその傾向は変わらない。

ラーメン専門店に行くことはほとんどない。いろんな料理が揃っている中華料理屋でも、シメはラーメンではなく焼きそばだ。


この写真は銀座・維新號の名物焼きそば。両面がパリッと焼いてあって、五目餡の具は中に挟み込んである。麺と麺で具をサンドイッチしている感じで、焼きそばラバーにはなかなか魅力的な一品だった。それにしてもこの店の責任者である母校の後輩は、なかなかの二枚目だから腹が立つ。

話がそれた。

韓国料理屋に行っても、冷麺とビビン麺がメニューにあれば、ついつい後者を頼む。冷麺は文字通り熱くないのに、なぜか汁のない麺に惹かれる。

という論理的思考?を持つ私だからスパゲッッティに代表されるパスタは大好物である。近年、市民権を得てきたスープパスタなどはお呼びでない。あくまで「スパゲッティ」と呼びたくなるアノ状態が前提である。

だいぶ前にイタリアに旅した際、朝、昼、晩とパスタばかり食べていた。朝からパスタを出す店など無かったが、泊まったホテルの近くのカフェが、いつ作ったのか分からないレンジでチンする油の浮いたスパゲッティを朝から用意してくれた。ウマくもないのに毎朝食べた。

夜は夜で、メインもデザートもいらないからパスタを3つ食わせろと非常識な注文をして店の人に呆れられたりした。

和食屋に来た外国人が「他のものはいらないから刺身ばっかり持ってこい」と言うようなものだ。国際的恥さらしだが、私にとっては大満足の思い出である。

ミートソースだろうが、カルボナーラだろうが、イタリア語のなんちゃらソースだろうが、先日自分で作ってみた特製からすみパスタだろうが、全部大好きだ。

子どもの頃、母親が作ってくれたスパゲッティの類も大好きだった。昭和40年ぐらいから当時希少だったイタリア料理屋に通っていたらしい母親のおかげで、割と早いうちからアレコレとパスタ料理を食べさせてもらった記憶がある。

たらこスパなどは実に官能的だった。いまだに私をトリコにする「魚卵」と「麺」のコラボである。家庭料理だから、たらこの投入量も物凄く、あの塩辛さが今思い出せば東京人の味覚だったのかなと思う。

中年になった私がいそいそとカラスミパスタを自作している姿を、天国の母はどんな思いで見ているのだろう。

などと書くと、ちょっと素敵な文章だが、まだまだ元気バリバリで過ごしている母親が読んだら叱られそうだから冗談はテキトーにしておく。

さて麺の話だ。うどんに蕎麦、きしめんに冷や麦、そうめん、ペヤングに至るまで、嫌いなものは一切無い。何百年、何千年も前から世界各地でそれぞれの風土に見合った麺料理を生み出してきた先人の努力が心底有難い。

世界中の麺料理が気軽に食べられる時代に生まれたことは幸せなことだと思う。


この写真は、芝大門にある「おでん国見」で食べた焼きそばだ。この店は旧友が経営する店。沖縄料理もアレコレ揃えていて楽しくグビグビとウマい酒が飲める。焼きそばに使う麺も沖縄そばだ。ソースがしっかり絡んでウマい。

油しっかり、味付けも濃いめでオジイサンになったら遠慮しそうな味ではあるが、ホロ酔いオヤジが小腹を満たすには絶妙の味だ。

もう20年ぐらい前になるが、沖縄から帰京する際の機内食で「沖縄そばの麺を使った冷やし中華風の麺料理」を食べたことが物凄く印象に残っている。

当時、沖縄そばは熱いスープとともに味わうどんぶり麺ばかりで、独特のアノ麺を使った焼きそばとか冷やし中華は珍しかった。機内食の「冷やし沖縄そば」は胡麻ダレ風味で味付けされ、私の脳天を直撃するほどウマかった。

その後、似たような麺料理に出会っていないので、いつか沖縄各地を放浪して、あの味を探してみようと思っている。

そんな話を書いていたら「冷やし中華」が無性に食べたくなった。あんなウマいものが季節限定商品だという事実が昔から許せないし、不思議で仕方がない。

ざる蕎麦とか冷やし系のうどんは通年あるのに冷やし中華だけが秋の到来とともに雲隠れする。一体ナゼなんだろう。

例年、秋が近づくと賞味期限の長いインスタントの冷やし中華を大量に買い占め、冬になってもウッシッシな気分で食べるのが私の変態趣味のひとつである。

ところが、昨年の秋口は何かとバタバタしていたせいで大量買いを忘れてしまった。もう随分長い間、愛しの冷やし中華を食べていない。そろそろ禁断症状が出てきた。

そんなことを書きながら、ネットで調べてみたら、今の時期でも冷やし中華は通販で簡単に調達できるみたいだ。バンザイである。ネット社会、デジタル化の波は、私の「変態趣味」を「日常の平凡なこと」に変えてくれるほど便利だ。

今日は、今まで食べた各地の麺料理の話を書こうと思ったが、ちっとも予定通りにならなかった。

まあいいか。


2013年3月1日金曜日

サプリ男


最近、このブログで内向きなことばかり書いている気がする。「オレだってナイーブなんだぜ」と主張しているみたいで気持ち悪いからいい加減にしようと思う。

実際には、明日の朝飯を何にしようかとか、もうすぐ出かける潜水旅行での撮影のこととか、WBC三連覇のこととか、テレビ東京の大江アナが見られなくなることとか、壇蜜のことぐらいしか考えていない。

いや、もうひとつあった。「健康問題」である。

以前にこのブログで書いたが、「草笛光子が頑張っている足腰を鍛えるヘコヘコマシーン」を購入して以来、一応、サボらず続けている。

使い始めて2週間ぐらいだが、気のせいか、少し足腰が元気になったように思う。信号が赤信号に変わりそうで焦ってダッシュした時、「オレって為末?」と思うほど足が軽く感じたから少しは効果があるのだろう。

で、今更ながら「健康」という言葉が妙に気になるようになってきた。食事も好き放題、酒も飲む、タバコも吸うから、まずはそのあたりの基本姿勢を考え直さねばならないのだが、それはイヤだ。

しょせん、その程度である。

そうは言っても、気づけば青汁をグビグビ飲むようになって、肝機能を良くする薬や黒酢の錠剤も飲み、ビタミンCのサプリや亜鉛のサプリも飲むようになった。シジミエキスも飲んでるし、ついでに言えば薄毛予防薬も飲んでいる。

それ以外にも、持病の逆流性食道炎のための薬や、クセ?で飲んでいる太田胃散とか改源とか葛根湯なんかも合わせると、なんだか「薬物中毒」みたいだ。

そろそろ飲み合わせとやらに気をつけなければいけないのだろうか。なんだか面倒だ。

先日も、新たに「プロポリス」の錠剤を注文してしまった。それも「毎月お届けコース」である。これを選ぶと1回あたりの単価が結構安くなるから、ついつい定期コースに申し込んでしまう。

う~ん。多すぎないだろうか。錯乱した人みたいにも思える。これらに加えて、時には睡眠導入剤や安定剤も飲むことがある。「ヤク中」オヤジみたいだ。

それにしても、サプリの広告は実に上手に出来ている。薬事法の関係で、ストレートに効能なんかうたえないのに買う側はすっかり引寄せられる。

目に良いといわれるサプリだって、「楽しそうな読書」を描いたほのぼのとしたイラストで消費者を刺激する。寝る前の読書で目がかすむ人には妙に説得力がある。

デザインの力だと思うし、その工夫が売れ行きを左右するのだろう。まさにインパクト勝負の世界なんだと思う。

サプリの不気味さ?は、効能を実感できない点だ。疑ったらキリがない。それぞれの単価は低くても毎月のことだし、種類が増えれば年間予算額は相当なものだ。おまけに安い商品より高い商品のほうが効きが良さそうな変なイメージがあるから、ついつい散財につながる。

年間ウン万円、ウン十万円が意味のない出費だったら痛すぎる。吉原で風呂に入ったほうがよほど健康になれそうだ。

信じるものは救われる。そんな世界なのだろうか。

その昔、晩年の祖父が何かの手術を受けた際に、血管が物凄く丈夫なことを医師に驚かれたことがある。原因は長年愛飲していた「ソーヤレシチン」とかいう変な粉末の効能だったそうだ。

そういう話を聞くと、私のサプリ放浪も意味があることだと思いたい。

さて、結論に移ろう。

なんだかんだ言って、健康でいるためのコツはただ一つ。

楽しいことに囲まれて愉快な気分で過ごす。

それだけだ。

そんなことは百も承知だ。だからそれを心掛けるしかない。

だいたい、いつまでも寒いのが問題だ。いい加減にして欲しい。「冬期うつ」という症状があるそうだが、何となく理解できる。

暖かくなったらバリバリ愉快に過ごそうと思う。