2017年2月15日水曜日

バーで見る夢


先日、クレジットカードの明細を眺めていたら、銀座あたりの飲食よりも出前サイトやふるさと納税のために使っている方が多かった。ちっともアクティブではない。由々しき問題である。

で、とある日、引きこもり改善のために我が身にムチ打って?銀座に出かけた。珍しくアフターでハッスルというアクティブな時間を過ごした。

最近ちょっとサボり気味のクラブ活動だが、酔っ払い具合、はたまた満腹度合いによっても自分のノリは変わる。

この日はデロデロではなかったので、久しぶりに綺麗どころを2名引き連れて6丁目のバーに行く。

「Coffee Bar K」という店。食べ物メニューも豊富で雰囲気もなかなか良い感じである。銀座っぽいこなれた店だ。


カウンター席がいっぱいだったのでテーブル席で飲み直し。バカの一つ覚えのようにマッカランのロックを頼む。

バーに行くといつもこれ。こういう場合、カッコつけてシングルモルトの通っぽい銘柄なんかを頼んじゃうと、バーテンさんにウイスキーが大好きな客だと勘違いされる恐れがある。

後から珍しい銘柄や貴重な逸品をアレコレ勧められて調子に乗って飲みまくると会計が凄いことになる。

ウイスキーの味の違いなど大して分からない私にとってそういう事態は悲劇である。

だからマッカランの「無難でありがちな感じ」に頼る。二杯目以降も「おんなじヤツ」と言い続ける。あとはグラスに鎮座する真ん丸の氷をカラコロと鳴らして渋い大人を演じていればいい。

昭和の頃、「オールドの水割り」さえ頼んでいればすべてが丸く収まったような感覚だろうか。

意味不明でスイマセン。

ホントは甘いカクテルをグビグビ飲みたい。とくに夜も遅い時間になるとイチゴとかキウイとかそんなプリティー路線の果物系カクテルが飲みたくなる。

自意識過剰と言われたらそれまでだが、さすがにダンディー路線を目指す紳士ぶったオジサマとしては、こっちをさりげなく観察しているバーテンさんに「イチゴっぽいショートカクテル。フローズンでお願いね」とは言えない。

いつも死ぬほど我慢している。物凄く欲求不満なままマッカランを舐めている。それが実態だ。

連れの女性が注文したそうしたカクテルを一口飲ませてもらうたびに羨ましさで身体が震える。一口と言いながら一気に飲み干したくなる。

普通の人は女性連れで深夜にバーに出かけた場合、その後の女性との展開を夢に見る。私の場合、女性が飲んでいる甘いカクテルを一気飲みする夢を見る。

さて、欲求不満話が長くなった。「Coffee Bar K」の話に戻る。

カツサンドが絶品だという評判に間違いはなかった。ただ、カツサンドがウマいバーは銀座にいくつもある。というわけで、私が感動したのは「フィッシュサンド」である。自称日本一だそうだ。


冒頭の画像がカツサンドとフィッシュサンドの組み合わせだ。こちらは「宇宙一」らしい。メニューでそう宣言したくなる気持ちも理解できる。タルタルソースが大好きな私にとって顔がほころびっ放しになるような味だった。

というわけで、たまにはアフターでワイワイ飲み直すのも悪くない。すっかりそんな元気さを失っていた私には良い刺激になった。

この日、我々の目の前のテーブル席ではゴッついオッサンが若い女性とさかんにチュッチュしていた。素直にそんなオッサンを見習おうと思えたから、まだまだ私は現役である。

2017年2月13日月曜日

怖かったこと


私は結構な怖がりである。高いところも怖いし狭いところも怖い。飛行機も怖いし、新幹線もシートベルトが無いことが怖い。

で、今日は怖かった話を書いてみる。お化け方面の怖い話は思い出すだけでチビりそうになるので除外する。


先日、下の息子が通っている支援学校がロケ地になったEテレの番組を見た。子供向けのキャラクターものだったのだが、悪者が登場した時の子ども達の怖がり方が面白かった。

わが息子などは腰を抜かしてヘナヘナ座り込んでこの世の終わりのような顔でビビっていた。親の私ですら見たことのない表情だ。ヤツには悪いが腹を抱えて笑ってしまった。

「親の心、子知らず」の逆パターンである。そう考えると私が幼かった頃の数々の恐怖体験も親から見れば抱腹絶倒だったのだろう。ちょっと悔しい。

私にとって強烈な印象だったのが「デカい鬼太郎」である。子供向けのイベントに連れて行かれた私が目にしたのは大柄の男が鬼太郎の顔部分のハリボテだけをかぶった異様な姿だった。


ネットで拾ったこの画像だと顔部分だけではなく全体が着ぐるみ状態である。とりあえずバランスが良い。さすが現代である。

私の体験は昭和40年代である。まだまだ大ざっぱで雑な時代だったのだろう。かぶっていたのは頭の部分だけ。

いわば異常に顔のデカいやたらと大柄な鬼太郎である。おまけに剥き出しの生足はスネ毛ボーボーだった。

オッサン丸出しである。

怖いったらありゃしない。だいたい当時の私はアニメの鬼太郎しか知らない。実写版的なリアルな鬼太郎など恐怖の対象でしかない。記念撮影するのも腰がひけた。ただただ恐怖体験だった。

日本中にゆるキャラが増殖して観光地で見かける着ぐるみの中にはブサイクなやつも多い。時々、小さい子がそんな着ぐるみに近づかれて恐怖におののいている姿を見かけるが、私にはあの心理がよく分かる。きっと中年になっても心の傷は消えないはずだ。

着ぐるみのインチキぶりを知ってしまった私は、その数年後、メカゴジラに殴られるという恐怖体験も味わった。

当時、ロボット漫画が人気だったことに安易に便乗して作られたのがメカゴジラである。


この時も何かのイベント会場である。メカゴジラの登場を待ちきれなかった私は、ウロチョロしているうちに着ぐるみを準備している場所に侵入してしまった。

私が見たのは上半身がムサくるしい男、下半身がメカゴジラというシュールな姿である。分かりやすく言えば人魚みたいな状態である。

要するに今から上半身部分をかぶろうとしているオッサンの着替えシーンを覗いてしまったわけである。

怒られて慌ててその場から離れたのだが、少し経ってメカゴジラが出てきた際にコツンと頭を叩かれた。

オッサンは軽く叩いたつもりだったのだろうが、硬くて重いメカゴジラの腕である。やたらと痛くて涙目になるほど怖かったことを覚えている。

なんだかアレコレ書こうと思っていたのに着ぐるみの話だけで随分と長くなってしまった。

他にもいろいろある。小学生の時に満員電車の中で見知らぬオッサンにツバを吐かれた事件は今も鮮明に覚えているし、中学生の時に友人数人でイキがってたら3~40人の中国人学生に囲まれて死ぬかと思ったことを思い出すと今も髪の毛が逆立つ。

はたまた大学生の頃に渋滞していた高速で軽く接触しちゃった車から大仏みたいな髪型の物凄くイカついその筋の人が出てきた話も涙なくしては語れない。

思い出したら結構いろいろ出てくる。

それでも大人になってからはそうしたハードボイルド系の怖い事件にあまり遭遇していない。ラッキーだと思う。女性問題や家庭問題など違った意味の「怖い話」はいくつもあったのだが、歳を取るにつれ、そういう怖い話は上手に記憶から消し去るようになった。

今後もつつがなく平穏無事に生きていきたいものだ。



2017年2月10日金曜日

お酌問題


お酌。日本人にとっては一種のビジネスマナーだから厄介である。当然、私も若い頃はせっせと目上の人にお酌をした。


この歳になれば当然のようにお酌をされる機会が増えたが、どうにもあれが苦手だ。気ぜわしいし面倒だ。

お酌されるまでわざわざ待っているエラそうなオッサンがいるが、あれって何なんだろう。

「手酌は出世しない」を真に受けて我慢しているのだろうか。だとしたらバカだ。あれはお酌をされるような立派な人になりましょうという趣旨である。お酌されるのを待っているようでは立派ではない。

もちろん、酒席によっては私だってお酌をしたり受けたりと忙しく頑張る時もある。正直ウザい時間だが、あれはあれで文化的なモノだから仕方がない。

先日、仕事関係の知り合いが生ビールのウマい店でわざわざ瓶ビールを注文。理由を尋ねたら「お酌をするため」と言われてビックリした。それが常識になっている世界というか業界があるらしい。意味不明だ。

プライベートでは間違いなく手酌のほうがいい。たとえ相手が気を許した女性だろうと愛しい娘だろうと、お酌をされるのは苦手だ。

最初の一杯なら挨拶のようなものだから気にしないが、2杯目以降はこちらからしっかり断る。しらけない程度にお酌が苦手だと伝えておく。

お酌されてもぶっきらぼうに無反応でいられるほど図々しければいいのだが、私のように几帳面で繊細で気弱な男としてはそうはいかない。

お酌される都度、グラスや盃に手を添える。いちいち有り難うと言ったり、お礼っぽい仕草を返したりする。なんとも煩わしい。相手にお酌を仕返すのを忘れてアセアセした気分になるのもイヤだ。

要はワガママなんだろう。でもプライベートで酒を飲んでいるときに気疲れするのはゴメンだ。酒は飲むものであって飲まされるものではない。


女性がいる酒場での水割りがまた厄介である。さすがに自分で作るわけにもいかないからお任せするが、二口、三口飲んだぐらいでとっとと作り直そうとする。

間が持たないヘタれたホステスさんだと、マドラーを握りしめて待ち構えている感じだ。いちいち濃くなったり薄くなったりしてダメ。

メンドーだから「飲みきりで」と伝えておいても30分も経ったらそんなこと忘れてせっせと作り始めるスットコドッコイもいる。

ついでに言うと、そういう酒場でのタバコ着火問題も変な習慣だと思う。タバコの火を人に点けてもらう姿は美しいものではない。カッチョ悪い。

赤ら顔のオッサンが咥えたタバコをぐいっとホステスさんに差し向けてわざわざ火をせがむ姿を見るにつれ、同じことをしてもらっている自分がちょっと情けなくなる。

ヤクザじゃあるまいし、あれを当たり前に思う感覚はどうなんだろう。間違ってもスマートではない。ヤボだ。

愛煙家である私としては自分のタバコぐらい自分で火を点けたいのだが、それを実践すると店の人からやんわり注意されることがある。

要は席に着いているホステスさんが仕事していないと見なされちゃうわけだ。いたいけな女性陣が私のワガママのせいで叱られるのは気の毒である。だから自分で火が点けられない。なんかバカみたいな話だ。

ちなみに以前、ぶっとい葉巻を咥えたままホステスさんにマッチで火を点けさせているシャバダバなオッサンを目撃したことがある。

葉巻の着火はタバコのように簡単ではないのが特徴だ。じっくりと火を点けること自体が楽しみや嗜みの一部でもある。普通は人から火を点けてもらうという発想にはならない。あり得ない光景だ。

長年にわたって培われた夜の街のタバコ着火システム?がもたらしたヘンテコな光景だったのだろう。

なんだか今日はエラそうに書き殴ってしまった。さも神経質そうな書きぶりだが、実際には私自身、お酌もされるし、タバコに火を点けてもらう。

お断りしたいけど、断固拒否するほど偏屈じゃないし、そんな我を通すような硬骨漢にもなれない。なんとも中途半端である。もっと修行に励もう。

2017年2月8日水曜日

登別で雪見風呂

ときどき雪景色が見たくなる。雪国に暮らす人には申し訳ない話だが、旅行気分で眺める分には素直に美しい。

というわけで、先週末、登別に行ってきた。ただただ温泉に浸かる小旅行である。

週末はグダグダと何もしないで過ごしていることが多い。引きこもり改善策には旅に出るのが手っ取り早い。


思いつきで北海道旅行などというと富豪みたいだが、実際には節約旅行である。マイルが貯まりまくっているから飛行機はタダだ。

ついでにいえば、箱根や湯河原あたりに比べて北海道の宿の相場はお手軽だ。お手軽価格でも物凄い規模の大浴場があったりする。

今回は登別温泉の総本家的な宿である第一滝本館に泊まった。登別の源泉のほとんどを引いている物凄い規模の大浴場を持つ宿だ。泉質が異なる7種類ぐらいの湯が24時間楽しめる。


若い頃から温泉が好きだったから、北海道から沖縄まで結構アチコチに出かけた。お湯の質でいえば個人的には草津か登別が最高だと思う。

草津には個人的な思い入れがある(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html)から、それを差し引けば登別がナンバー1かもしれない。

そう思えるのも第一滝本館のような圧倒的スケールの大浴場を持つ宿がいくつもあることが原因だろう。

こじんまりした宿でマッタリ過ごすのも素敵だが、ドッヒャ~っと圧倒されるような巨大浴場を楽しむのも異次元体験的な面白さがある。

4~5年ぶりで訪ねた登別もご多分に漏れず中国人旅行者の波は訪れていた。春節が終わったタイミングだったのに中国人だらけ。宿の人に聞いたら最近は8割ぐらいが中国やアジア系の外国人だとか。下の画像は地獄谷。人の少ない瞬間を狙って撮影したが、日本人はまったくといっていいほど見かけなかった。


さて、宿の話である。大浴場がとことんデカいおかげで、大陸の人達の賑やかさもさほど気にならない。ハシャぐ親子連れを一度だけやんわり?一喝しただけで済んだ。

大浴場には20カ所近くも浴槽があるので、常にどこかひとつぐらいは無人の浴槽がある。おかげで宿全体の騒がしさの割にはマッタリできた。

夕飯無しの予約だったから夜は近くの居酒屋でお決まりの肴をつまみにグビグビ。イクラにウニ、ホッケの塩焼き、アサリ酒蒸しである。




宿でどうでもいい定食を食べるのもイヤだし、間違いなく異様な喧騒状態のバイキングなんてもっとイヤだ。そんなワガママな人だったら「近隣居酒屋メシ」のほうがオススメだ。

居酒屋にも中国人や台湾人が結構いる。若い頃からしょっちゅう来ていた北海道だが、既に時代はまったく変わったみたいだ。で、仕方なく海外からの客人達のオーダーを手助けするなど、にわか親善につとめる。

メニューにあった「鹿肉」を尋ねられたが英語が出てこない。映画「ディアハンター」も見たくせに何故か“バンビ”とか言ってしまう。バカだ。仕方なく身振り手振りで鹿のマネをする。マヌケだ。でも全然通じない。

その後、相手がスマホで鹿の画像を出してきて「コレか?」と尋ねる。チクショー、その手があったか。変なカッコせずに画像を見せれば良かったと悔やむ。

ホロ酔いになって氷点下の温泉街をぶらぶらと宿に戻る。凍り付いた路面をヨタヨタ歩くのも旅情が感じられて悪くない。


ラーメン屋のノレンが目に入れば悩まず突入する。即断即決で味噌ラーメンである。酔っ払っているから当然チャーシューも追加だ。

これを幸福と呼ばずして何と言おう。温泉でノボせた身体を居酒屋で鎮めて酩酊気分でラーメンである。バチがあたりそうだ。

たまたまこの週末は年に一度の「湯まつり」が行われていた。いろいろ催しがあったようだが、ハイライトがお湯の掛け合いである。

氷点下の寒空の下、ふんどし一丁の地元の男達が熱い温泉をかけ合う。宿のすぐ目の前の公園が会場である。


近くで見ようと思っていたのだが、宿のエレベーターホールから遠目に見えたから結局外に出ずに観戦。相変わらずなんでもかんでも横着してしまう。

次回の小旅行はもう少しアクティブに過ごしてみようと思う。

2017年2月6日月曜日

松本清張の唇


寝る前の読書が欠かせない習慣になってきた。などと書くと高尚な感じだが、スマホやパソコンの画面を見ていると寝付きが悪くなるので、いわば睡眠導入剤代わりに本を読む。

昨年ぐらいからハマっているのが松本清張である。今更ながら松本清張だ。今の歳になったから面白さを痛感するのかもしれない。


私の記憶では松本清張といえば「チョイ役のオッサン」である。自身の作品がドラマや映画化される際に通行人などのチョイ役でしょっちゅう出演していた。

今をときめく石原さとみや昭和の歌姫・山口百恵など「タラコ唇の有名人」の元祖である。いかりや長介もそっち系だ。

独特の風貌のせいか、チョイ役として画面に映ると妙にインパクトがあった。巨匠、文豪的なイメージよりも「意外にひょうきんそうなオッチャン」だと思っていた。

そんな清張センセイの作品は、煩悩や業みたいな人間の弱さというか面白みのある部分を浮き彫りにしている。読み終わるたびにタメ息が出る。

もともと私はサスペンス系の小説は好きではない。殺人だの推理だのそういう内容にリアリティーを感じないから物語に入り込めないのだが、松本清張モノだとドップリとはまる。

出てくる人物は平凡な人ばかり。いわば誰にでも起こりえそうな紙一重みたいな設定が特徴的だと思う。妙に現実的で怖い。

リアルな恐怖だ。お化け的な恐さとは違う恐さである。息苦しくなる恐さとでも言おうか。どんなに善人だろうと心に闇はあるわけで、そんな“ヒダ”みたいな部分が掘り下げられている。

「中条きよし」ではなく「三浦友和」に演じてもらいたいような作品が多い。よく分からない例えでスイマセン。

なんだか書きぶりが抽象的になってしまった。大人の男だったら誰が読んでも面白く感じるのは間違いない。


モノグサな私は短編専門である。短編集が山ほど発売されているから片っ端から読んでいる。ストーリーだけでなく情景描写もいい。昭和の香りが色濃いからノスタルジーに浸れる。

ちょっと話はそれるが、私が浜田省吾師匠の次ぐらいに敬愛する「みうらじゅん」師匠が「寅さん」に関するインタビューで素晴らしい理論を披露していた。


いわく「男の人生なんて寅さんか松本清張モノの人生ですよ!」。非常に示唆に富んだ素晴らしい考察である。

寅さんの超絶的な純粋さと、清張モノに出てくる男達の心の闇やゲスな部分について、フツーの人間はコンプレックスのような感情とともに惹かれていくという趣旨だ。その通りである。

煩悩や業に悩まされ続けている私としては、時に共感し、時に武者震いしながら清張モノを読みふけっている。

夜も更けてきた頃、本を閉じ、灯りを消し、えも言われぬ哀感に包まれながら眠りに落ちるのが習慣になってきた。Mっ気まる出しである。

松本清張モノを読みふけるためだけに北の方に旅に出たいと考えている。

相変わらず自分の思考回路の単純さに呆れる。


2017年2月3日金曜日

鶏肉バンザイ


最近は肉といえば豚ばかり食べていた。私が最も敬愛するはずの鶏肉よりも豚肉を身体が欲していたみたいだ。

時々、自炊するときも豚肉の炒め物ばかり作ったし、外食もトンカツとモツ焼屋に出没することが多かった。

ビタミンなんちゃらが不足したのか本能的に豚にハマっていたが、ここ半月ばかりは立て続けに鶏ばかり食べている。鶏復活だ。酉年のせいだろうか。


鶏肉がウマい店ならレバは外せない。この画像はその名も「レバ炙りポン酢」。10年以上前から私を魅了する逸品だ。豊島区某所の焼鳥屋さんの名物である。

以前は西武線東長崎駅近くに構えていたが、最近になって一駅分ぐらい離れた住宅街に移転した。移転前の店には10年ぐらい前によく通った。レバばかり食べて尿酸値が常に高かった頃だ。

私にとっては「レバ屋」である。レバ刺しもレバフライも常備する店なのだが、ほんの少し炙ったレバをポン酢とネギでムホムホ食べるのが私の一番のお気に入りだ。



こちらはササミチーズフライにササミキムチである。論評不要である。ウマい。こんな肴を相手に芋焼酎のお湯割をすすっていると何だかファイトが湧いてくる。

1本5~600円もする高級焼鳥屋の鶏肉も確かにウマいのだが、そっち系の店は総じて上品路線だから、この店のようなアバンギャルドなメニューが無いのが大きな問題である。

話は変わって、冬の鶏肉料理の王道が水炊きだろう。個人的には新宿にある「玄海」の水炊きが好きだ。なんてったって野菜が一切入っていない。最高だ。白濁スープと鶏肉のぶつ切りだけ。新宿方面に足が遠のいているから随分ご無沙汰状態である。

で、水炊きが食べたくなった某日、銀座にある「比内亭」なるお店に行ってみた。初めて訪ねる店だ。白濁スープを頭に描いていた私の前に現れたのは薬膳スープである。


ちょっと微妙な気分になる。野菜もドッサリ。ハッキリ言って拷問されている感じだ。おそらく女性客をターゲットにしている店なのだろう。

鍋が用意される前にレバ刺しやレバ炭火焼きで酒を飲んでホゲホゲした気分になっていたのだが、運ばれてきた鍋の具材とスープを見て少しドンヨリする。


薬膳がどういうものだか興味はないのだが、変な匂い、変な苦みといったネガティブイメージしかない。

恐る恐る鍋のスープを飲んでみた。なんだか得体の知れない味だった。ションボリしかけていたのだが、その後、野菜や肉をドッサリ入れてしばらく経ったら嬉しい誤算。

具材の旨味が加わって抜群に美味しくなった。スープだけを延々すすっていたいほどウマい。身体がホッコリする滋味だ。

食わず嫌いは損だと改めて思う。でも、クセになる味かと言われたらビミョーだ。野菜が多すぎる。あれを水炊きとは呼びたくない。


こちらは池袋の鶏匠庵という店で出てきた親子丼である。ルミネの食堂街に構える店だ。期待せずに食べたのだが意外なウマさにビックリした。

デパート食堂街みたいな場所に構える店をナメていたことを反省。ウマい店はウマい。この親子丼なら頻繁に食べに行きたくなる。

フワッと仕上がった親子丼に卵黄と照り焼きの鶏肉がトッピングされている。クドいほどの「これでもか!」って感じが鶏好きの心を揺さぶる。

鶏肉にこだわりのある店で出される卵は間違いなくウマい。そんな組み合わせで作られる親子丼はムホムホ叫びたくなるほどウマい。

鶏料理の到達点は親子丼。真理だろう。

2017年2月1日水曜日

うにスパゲッティー


このブログでは見栄を張ったような話ばかり書いているから、大衆酒場のウマい料理を論じることが少ない。


で、今日は大衆酒場の話。なんだかんだ行って大衆酒場でハムカツや赤いウインナーを食べているとハッピーになる。ちなみにこの画像はオニオンフライと黒ホッピー。

大衆酒場には様々なパターンがある。今の世の中、一番ポピュラーなのがチェーン展開する居酒屋だろう。ファミレスと同じで画一的に客をもてなす。

老若男女問わず安心して使えるから今や日本社会のライフラインのような存在だが、いっぱしの中高年紳士?にとっては面白みに欠ける。

独立独歩?の個性的な大衆酒場となると良し悪しの判断は難しい。食べ物がマズくても安く大量の酒が飲めれば幸せな人もいる。一方で、酒よりもその店ならではの名物料理が目当ての人もいる。

大酒飲みではない私としては、気の利いた食べ物が第一目的。モツ焼屋ならアッチ、焼鳥ならコッチなどと気分によって使い分ける。マカロニサラダのためだけ暖簾をくぐる店もある。

大衆酒場の食べ物は何となく社会的地位?が低い。グルメ評論的な取り上げられ方をすることは希だ。希だからこそ逆にビックリするほどウマいものが存在していることもある。

先日、お年寄りの人気タウン・巣鴨の大衆酒場で感激の一品に出会った。今年一番ウマかった食べ物かもしれない。

店の名は「千成」。大衆酒場業界?では知る人ぞ知る名店である。なんとも渋い風情、適度なドンヨリ感、過剰な愛想笑いなど望めないチョットだけ排他的な雰囲気が「いとをかし」の老舗だ。

池袋の「千登利」、大塚の「江戸一」など城西エリアのそれっぽい店が好きな人なら納得できそうな雰囲気の店である。

これまで何度か訪ねたことがあったのだが、人気メニューの「うにスパゲッティー」はかなりのボリュームとのことで未体験だった。

この日は珍しく同行者がいたおかげで念願の「うにスパ」を頬張ることが出来た。素直に感激した。


渋いラインナップのメニューの中で「スパゲッティー」というカタカナは異彩を放っていたのだが、食べてビックリ。実にまっとうな大衆酒場的風味そのものだった。

スパゲッティーのくせに日本酒や焼酎に最適な味付け。イタリア料理の店で出てくるウニ味のパスタとは異次元の食べ物だ。

おそらくダシや醬油が活躍しているのだろう。麺も硬めに茹で上がっている。キッチリ真面目にウマいものを作ろうという店の矜持が感じられる。

二種類のサイズの小さい方を頼んだ。2.5人前ぐらいの分量だったが、“タンスイカブラー”である私なら一人でペロッと食べられそうだ。今後、一人酒の際にも注文しそうで怖い。



ちなみにこちらは同じ日に食べた牛すじ煮込みと鴨の卵とじ。どちらも画像を見るだけでヨダレが出そうになる。

気骨のある大衆酒場の食べ物は、グルメ大国・飽食ニッポンの根底を支える文化遺産だと改めて感じた次第である。

ウマいものの定義はつくづく難しい。その時の自分の状況、TPO、同行者との関係性など余計な要素を全部取っ払って、単純にただ本能的にウマいものを求めたら、気の利いた大衆酒場の食べ物が意外にナンバー1なのかもしれない。