2017年3月3日金曜日

女性の図太さ 工作員


今日は雛祭り。女性にまつわる話を書く。

男より女のほうが図太い。とりあえず断言しておく。おそらく大半の人が賛同してくれるはずだ。

パっと見は男がドカンとした感じで、女はクニャっとした感じである。一般的には、男のほうが強そうで女のほうが弱いイメージだ。

実際には平均寿命は10歳近く違うし、赤ちゃんの頃だって女の子のほうが丈夫なケースが多い。根本的に強い生きものだから、図太さという点でも男より上だ。

強がっていても男はヘタレた部分が多い。繊細といえば聞こえはいいが、打たれ弱いしクヨクヨするし神経質だ。女性のほうがはるかに大らかだ。


20歳ぐらい年上の上司を自ら誘惑して不倫関係になった女性の話を聞いた。誘惑しようと思ったきっかけは「上司が使えないから」だとか。

つまり、自分が思うように仕事を進めたいから肉体関係を武器に上司を手玉に取ったのだという。確信犯である。

その女性は新しい企画開発に励んでいるそうで、仕事をうまく進めるために次なるターゲットとして社長さんに狙いを定めたらしい。素晴らしい図太さである。

別な女性から聞いた話だが、こちらもなかなかエゲツない。

上司と不倫関係を続ける一方で婚活に励み、ようやく結婚相手を見つけた。そして自分の披露宴の際に不倫相手だった上司にスピーチを依頼したんだとか。

最後に上司と関係を持ったのは披露宴の数日前だったらしい。いやはや実に肝っ玉が据わった女性だ。

世の中には想像以上にそんな話が転がっている。ダンナのお兄さんと密かに関係を持っている人やご近所のお年寄りとフシダラな状態にある専業主婦の話も聞いたことがある。

アダルトビデオも真っ青なムホムホな世界がアチコチで繰り広げられている。

萌える。

いや、萌えてばかりもいられない。女性陣の図太さは、そういう話に関してボロを出さない点である。「私は清楚です」みたいな顔してシレっと隠し通している。そこが凄い。

男の場合、詰めが甘いのか、根本的にマヌケなのか、そうした怪しげな話はすぐにバレる。ちょろっと追及されるだけで目が泳いじゃって挙動不審になって言葉もたどたどしくなる。

余裕綽々な様子を見せる女性とは大違いだ。表面的にはキャアキャア、キーキーわめいたりするのが女性の特徴だが、根っ子の図太さは男とは比べられない。

私の思い過ごしだろうか。いや、そんなはずはあるまい。

ここで書いてきたような女性陣の図太い武勇伝を寝物語で聞かされたりすると、世の中に潜むダークサイドを覗いちゃったような気分になる。

「別れさせ屋」の工作員をやっていたという女性にいろいろ聞かせてもらったことがある。

依頼主は離婚したい主婦。ダンナに女性を接近させて、鼻の下を伸ばしたダンナがその女性とネンゴロになったら証拠写真などを突きつけて有利な条件で離婚交渉を進めるという話。

“ツツモタセ”の応用系、未来形みたいな話である。私が聞いた工作員の場合、ターゲットのダンナが通っているスポーツクラブに潜り込んで、会員同士として接近し、徐々に関係が深まるように画策したんだとか。

そんな商売がフツーに成り立っていることが恐ろしい。

結婚相手としてふさわしいかどうかを見極めるために「工作員」が使われることもあるらしい。

つまり、恋人がいるのに近づいてくる女性にホイホイ乗っかっちゃう男かどうかを試すために工作員の女性がさりげなく仕掛けるんだとか。

そんなのに引っかかって「アンタは浮気体質だ。信用ならない」などと言われても堪ったものではない。

「来る者拒まず」が信条?の私だったらイチコロである。いとも簡単に落とし穴に落ちるだろう。まあ、それが健全な肉食男としての当たり前の感覚だと思う。

つくづく、自分自身の離婚協議中にそんなワナが仕掛けられなかったことに安堵する。バカな私のことだから、仕掛けられたら大損害を被ったはずだ。

家庭不和を抱えていたり、離婚協議中の男性はくれぐれも女性からのアプローチには神経を尖らせたほうがいい。

近づいてくる女性は“手練れ”である。不自然に逆ナンパみたいなことをするわけではなく、偶然を装ってさりげなく近づいてくるらしい。

「女性のほうから誘ってくる」。これ自体が、もう絶対にヤバいパターンだと警戒するしかないのだろう。

自分がモテる男だと錯覚しないことが何より大事である!

そうはいっても、男から誘ったかのように上手に仕向けるのが女性という魔物の得意戦術である。

男が自分の力で口説き落としたと思っていても、実際は女性のペースに呑まれているのが男のサガだ。

まあ、アーだコーだとビビってばかりでも仕方がない。もちろん、すべての女性が腹黒いわけではない。真面目でおしとやかで尊敬に値する女性のほうが断然多い。と信じている。

もろもろの注意事項を頭に入れて男道を歩んでいくしかない。

2017年3月1日水曜日

バニーガールが大好きだ


バニーガールが大好きだ。ホントに好きだ。どうしたもんだろう。

先日、バニーちゃんがいっぱいいる店に行く機会があった。ムホムホ爆発だった。

どんな顔の女性達がいたのかちっとも覚えていない。赤や青や紫や白やピンクのバニーちゃんの衣装しか記憶に無い。


あの衣装は世界文化遺産だと思う。考案した人にはノーベル賞をあげてもいい。世の男性陣を幸福にしてくれる近現代最高の発明だと思う。

バニーちゃんの店の後に銀座のクラブに流れたのだが、バニーちゃんが一人もいないからドンヨリしてしまった。ヒドい話である。私の目と脳は実に単純に出来ているのだろう。

露出の面で言えば間違いなくビキニの水着や普通のランジェリーのほうが上だ。でも、バニースタイルのほうが8億倍ぐらいグッとくる。実に不思議だ。

私も年齢相応に様々な経験を重ねてきたから、親しくなった女性にバニーの衣装を着てもらったことは何度もある。しかし、通販で売っていた衣装は何となくチンケで興ざめ。やはり安物を買ってはいけない。

あの衣装はパーフェクトに決めないとダメである。まるで意味のないカフスをしないだけでヌルい感じになるし、絶対に網タイツじゃないと合わない。普通のストッキングでは違う雰囲気になっちゃう。

色気をアップさせようとガーターストッキングを合わせている画像がネット上に出回っていたが、あれもダメ。やはり腰まで覆うようなアミアミこそが太股の外側からヒップラインへの曲線を美しく見せる。


Amazonで売っていたバニー衣装の画像を拝借した。衣装だけみると素っ気ないがこれが全部揃っていないとダメである。どれか一つ欠けても0点だ。

そして大事なのがハイヒールである。室内でのプライベート鑑賞会?だろうとハイヒールは必需品である。

以前、ここで書いたことがあるが、私のバニーガール好きは子供時代に溯る。小学校6年生ぐらいの頃に祖父に連れて行かれたプレイボーイクラブがきっかけだ。

六本木のロアビルにあったゴージャスな空間でお尻プリプリのバニー姉さん達がうろうろしていた。鼻血ブー状態である。

ファミリーイベント的な催しに連れて行かれたのだが、そんな微笑ましい記憶は一切無い。ただただブッ飛んだ。

峰不二子やキューティーハニーにドギマギしていた頃に目に飛び込んできたのがバニーガールである。ただただアワアワした。

不二子ちゃんやハニーはアニメだったのにバニーちゃんは「実写版」である。リアル過ぎるにもほどがある。

子供のくせに禁断の姿を目に焼き付けてしまった私は、あの「半ケツ網タイツ」の衝撃が大き過ぎて、その後の人生をオッパイ星人ではなくお尻フェチ男として歩むことになった。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2015/02/blog-post_20.html

Tバックが好きになったのだって、今は亡き飯島愛のおかげというより、幼い日に見たバニーの衣装が多分に影響しているのかもしれない。

あの衣装の場合、どう頑張ったってTバックを着用するしかない。そんな妄想が私の性癖?に大きく影響を与えたわけだ。


いい歳して旅先でコッソリこんな写真を撮影しちゃうのも、すべては子供の頃の衝撃のバニー体験のせいである。私が悪いわけではない。

それにしても、つくづく不思議なのが男の感覚だ。ハダカより中途半端な露出のほうが刺激的に感じてしまう。私だけではないはずだ。

人間以外の動物にそんな趣味があると聞いたことはない。サルだってトラだってカエルだってそんな趣味はない。だいたい皆さん真っ裸である。

大脳がもたらした神秘なのだろう。アダムとイブが禁断の果実を食べてしまったことを境に葉っぱで局部を隠すようになったのが人間のエロの出発点である。

葉っぱの派生系がTバックであり、その延長線上にバニーちゃんの衣装があるわけだ。

まあ、なんでもいいけどバニーガールが大好きだ。それがすべてである。

2017年2月27日月曜日

郷愁散歩


慢性的に運動不足だから暇な日はなるべく散歩に出る。家の近所はさんざん歩いて飽きてしまったので、見知らぬ場所まで出向いてウロウロキョロキョロ散歩に励む。

休みの日の繁華街は鬼混みだから避けたい。私にとって休日散歩の定番だった浅草も最近は観光客で凄い人出だ。おまけにディープな路地も再開発されて綺麗になっちゃったから魅力が薄れた。

私が散歩したくなる場所は「昭和っぽい匂いがするところ」である。昭和っぽさの定義は曖昧だが、端的に言うと、地に足が着いた地元密着型の商店街が元気な場所だ。

流行とか洒落っ気に関係の無い街を歩くのが妙に楽しい。ドテラを羽織ったオッチャンが鼻歌を歌いながら錆びた自転車にまたがっているような光景に萌える。


昔懐かしいレトロ看板がありそうな街だとなお嬉しい。この画像、ヤフオクから拝借したのだが、結構な値段で取引されているようで驚いた。全国の過疎地域を回って収集したら小遣い稼ぎになるかもしれない。

昭和っぽい街の代名詞である谷中、千駄木、根津あたりの谷根千エリアも好きだが、最近は小洒落た店も増えてきた。アマノジャク気質の私としては、観光客向けのあざとさというか、媚びたような感じが苦手なので、より「剥き出しの昭和っぽさ」を探したくなる。

先日ふらっと訪ねたのが十条である。その昔、「帝京高校VS朝鮮高校」の血みどろの抗争が繰り広げられたエリアである。高校生の頃に足を踏み入れたら生きて帰れなかったはずだ。

などと書くと住んでいる人に怒られそうだが、住んだら何かと快適そうな街だと思った。商店街は元気があるし、昔ながらの東京らしさが漂っていた。



野菜コロッケが30円、焼鳥1本50円である。食べたいとは思わないが、こういう店がある街は信用したくなる。地に足が着いている感じ。アコギな商売はすぐに淘汰されそうだ。

「鳥獣店」も“いとをかし”だ。昔はどこの街にもこんな店を見かけた。地元の小学生が日参している感じにホッコリする。

昔ながらの個人商店が元気な街は、どこも均一化されてしまった大都会の繁華街よりも面白い。ついついどうでもいい買物をしてしまう。


物凄く暖かい靴下だと言われて買ったのだが、単にウェットスーツ生地で作られた靴下だった。蒸れる。

この日は他にも大きめなラーメンどんぶりやXXLサイズの1000円のスウェットなんかも衝動買い。平和である。

十条の後は板橋区の大山に向かう。ここも地域密着型の商店街が活気に満ちていることで有名だ。

こうした街にはどこも「我が道を行く」みたいな空気が流れているのが良い。流行なんか知りませ~んって感じである。独自の文化圏を作っているかのような雰囲気がある。

外向きの東京の顔が巨大ターミナルタウンやお洒落なエリアだとしたら、古くからのディープな?街は、土着的東京といいたくなるような気配が濃厚だ。

私自身、根っからの東京人だから、子供の頃に目にしていた光景がそのまま残っているような古い街の古い路地を散策すると何とも言えない郷愁にかられるのだと思う。


そんな散歩の後はディープな酒場で決まりである。土地勘のない街で垢抜けない大衆酒場にふらっと入る時の変な緊張感が好きだ。アウェーである。

ウマいマズいとは別次元の魔界っぽさを楽しむ。黒ホッピーにモツ焼きが定番だ。画像のメンチカツ、よく見ると衣がまるっきり剥がれちゃっている。

そんな雑な感じがいい。常連さんからのギロっとした目線を感じるアウェーな店で、ホッピー片手に雑な感じの食べ物を頬張る。

Mな私にとっての憩いの時間だ。

2017年2月24日金曜日

家電の話 バーミキュラ

中学生の頃に買ってもらったズボンプレッサーである。40年近く使っているのに現役バリバリだ。

いまや懐かしきナショナルのロゴが時代を感じさせる。昭和感プンプンだ。いたいけな少年の頃の制服から現在のオッサンスーツまでお世話になっている。

複雑な構造ではないからかもしれないが、一度も調子悪くなったことがない。日本の家電製品の優秀さを実感する。

世界に冠たる「日本製」は壊れないのが当たり前だった。今も日本製への信頼度は世界水準だが、それでも最近は何となく頼りなく感じることも増えた。

先日、スマホを機種交換したのだが、4日目に初期不良が出て改めて新品に交換された。結構メンドーな作業だった各種の設定や登録をやり直すはめになって激しくムカついた。

初期不良という言葉がいつのまにか当然のように使われている気がする。昭和の頃にはそんな傾向は無かったように思うのだが、私の勘違いだろうか。

家庭人?だった頃、国内有名メーカーの冷蔵庫がわずか3年程度で壊れたことがあった。補償期間が過ぎていることをタテにヌルい対応をするメーカーに元嫁が激怒。さんざん毒づいたら新品が送られてきたことがあった。

モンスターだ、クレイマーだといった話はさておき、日本製の信頼を元に購入した商品が通常の使用状態なのにコロっと壊れることが問題だと思う。

最近でも洗濯乾燥機が3年程度でおかしくなった。毒づいてくれる係はいないので買い換えた。なんだかな~って感じである。

トンチンカンな推測かもしれないが、パソコンが世の中に普及した頃から、なんとなく電化製品の信頼度が落ちてきたように感じる。

すなわち、いとも簡単に動かなくなったり挙動不審に陥るパソコンのあのいい加減さが、家電全体に蔓延しちゃったかのような気がする。

パソコンが頼りないのは今や当たり前みたいで、使う側も「そんなもんだ」「そういうもんだ」「仕方がない」という諦めが普通になっている。

パソコンの延長であるスマホも似たようなもの。比べること自体がナンセンスなのかもしれないが、昭和の日本製家電製品のほうが遙かに安定感があった。

今の家電製品の肩を持つとしたら、平成以降のいわゆる失われた20年の間に、闇雲な安値競争が激化したことも影響しているかもしれない。

昔のほうが家電製品は高価だし貴重だった。先進的なCDコンポなんて15万円ぐらいの値付けだった。今はそのぐらいの金額で大画面テレビが買えちゃう。

極論すれば、家宝みたいに扱われた昔の家電製品と、消耗品となった現在の家電製品の違いなのだろう。

などと、知識も無い素人が分かったような評論もどきを書いても始まらない。

今日、書きたかった家電の話は「バーミキュラ・ライスポット」である。

ドラキュラみたいな名前だが、炊飯器である。名古屋のメーカーが開発したスグレモノらしい。以前、テレビでは品薄でなかなか手に入らないと言っていた。


知り合いが買ったそうで、なかなか満足しているそうだ。コメの粒感と甘味が際立つとか。

がぜん欲しくなった。ふるさと納税の返礼品にこれを用意している自治体を探してみたが、さすがに品薄商品らしく、そんな気の利いた自治体は無かった。

身銭を切って買うしかない。まあそれが当たり前だが、なんだかんだで10万円ぐらいする。エセ富豪としては衝動買いする根性がない。悩み中だ。

いつまで悩むのだろうか。

2017年2月22日水曜日

占いの沼にはまる


時々訪ねる謎の占い師(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/02/blog-post_4.html)に妙なことを言われた。その人から見ると、私は自分の考えに蓋をしがちだとか。自分を押し殺していて気の毒に見えるらしい。

そんなことを言われると、さも忍耐力に秀でた立派な人物みたいだが、絶対に違うと思う。

そりゃあヤボにならない程度にやせ我慢をすることはあるがその程度である。好き勝手に行動しているから、これ以上アッケラカンとしたら単なる傍若無人オヤジになってしまう。

他にも「いろいろと取り繕っている」とか言われてしまった。散々である。確かに誰もがエエカッコしい精神があるから、取り繕う場面は結構あるはずだ。

何事も取り繕わずに生きている人などいるのだろうか。程度の差こそあれ、誰だって似たようなものだろう。

占いで厄介なのは、いわゆるプラセボ効果だ。端的にいえば思い込みである。それっぽいことを言われたせいで、そんなものだと思い込んでしまう弊害である。

自分にとって良い話なら結構なことだが、ネガティブな話を聞かされて極端に気に病んでしまうのは危なっかしい。

変な宗教にハマる心理と同様だ。過度に依存しちゃうとドツボにはまる。

私自身、占いやカウンセリング的なものに対しては「いいとこ取り」で済ますように意識している。それでもネガティブな話を聞かされれば気になってしまう。

この日、占い師さんと話した内容の多くが、子供に関すること。おそらく、子供と接する上で絡まざるを得ない元嫁に対するストレスを単純に指摘されたのだろう。

元嫁に対する私のビビリ体質は確かに問題である。言われてみれば、こちらの意思はオモテに出さないし、子供とうまく関わるためにアレコレと取り繕ったりもする。

ご苦労なことである。その点に関しては占い師さんの言う通りである。まあ、こればかりは子供を人質に取られているようなものだからある程度は仕方がない。

自分を押し殺して、あれこれ取り繕うという私の努力?の甲斐あって、子供とは非常に良い関係が築けているわけだから、それなりに我慢は必要だろう。

そんな話よりも、今の私にとっては隠居の家相(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/08/blog-post_31.html)から脱出することのほうが大事である。

隠居の家相だと、活力も湧かないしグダグダドンヨリしちゃう。随分前に言われたのだが、それこそプロセボ効果が悪く作用しないようにあまり気にしないように過ごしていた。

でも、どうにも「御託宣」を信じちゃうような暮らしぶりが続いている。隠居っぽい日々が染みついてちっともアクティブじゃなくなってきたから自分なりに現状打破の必要性を感じている。

で、タイミングを見て引っ越そうと考えているのだが、せっかくだから絶好の方位を選んでみたい気持ちが強い。それで活気が満ちてきたらラッキーだし、グダグダが直らなければ占いの呪縛から決別するきっかけにもなる。

聞くところによると、ある時期にある方向に引っ越せば、運気の上で非常に良いらしい。そうはいっても、そうタイミング良く希望の物件が見つかるとも限らない。

「最高」の方位じゃなくても、「まあまあ」の方位は無いのかと尋ねたら、一応、それもあるらしい。「最高」と「まあまあ」の違いはちっとも分からないが、「悪くない」のならどっちでも良い。

どっちにしても、方位なんかを気にし始めてしまったことが面倒でしょうがない。運勢だの方位だの聞かなきゃ聞かないで何も困らないわけだから、今現在、そういうことに左右されていない人は足を踏み入れない方がいいと思います。

2017年2月20日月曜日

ビリヤニの躍進


冬は太る。イヤになる。もともと太いのだからデブの二乗だ。やはり今の季節は動物の本能として栄養を身体に貯めやすいのだろう。


タルタルソースてんこ盛りのたこ焼きを食べているような自制心の無い人間。それが私の現実である。

たこ焼きはさておき、私のデブっぷりを支えているのが「ご飯が大好きだ!」という50有余年に渡って一貫している嗜好である。

コメを食べない民族に生まれなかったことを神に感謝したくなるほどコメが好きだ。

朝食をパンで済ますことはない。ご飯である。今日も朝からふるさと納税でゲットしたウナギと熱々ご飯を食べた。

昨日の朝もふるさと納税で手に入れた赤城牛ビーフカレーとやらを大盛りご飯のともにした。

酔っ払った後のシメもラーメンより牛丼派である。死ぬ前に最後に食べたい食事は卵かけご飯だと思っている。



丸の内にあるパレスホテルの名物・シーフードピラフと銀座・維新號で食べた海苔エビチャーハンである。ピラフだろうとチャーハンだろうとコメが主役だからワンサカ食べたくなる。

確信的なデブだ。

硬めに炊いたコメがとくに好きだ。雑炊やおじやも嫌いではないが、そっち系?だったら芯が残っているようなアルデンテっぽいリゾットのほうが好きだ。


鉄板焼きに行っても撮影したくなるのは肉よりも最後に出てくるガーリックライスの麗しき姿だったりする。


こちらは先日北海道に行った際に空港で食べた豚丼である。東京には豚丼専門店が少ないことが昔から気にいらない。思い切って副業として豚丼屋を開きたいぐらいだ。

海外に行っても、必ずコメが食べたくなるから滞在先近くの和食屋か中華料理屋を欠かさずチェックする。

イタリアならリゾット、スペインならパエリアがあるから安心だ。昨年行ったイギリス・ロンドンではインド料理屋でコメを食べていた。コメ文化を誇るアジア各国では問題なし。

ヨソの国のコメはパサパサだと文句を言う人も多いが、私にとっては柔らかく炊かれたコメよりむしろ嬉しい。

インドネシアのナシゴレン、タイのカオパなどは滞在中何度も飽きずに食べる。途中であれこれと調味料を足したりして「味変」が楽しめるのも楽しい。

そんなインターナショナル・コメ愛好家として喜ばしいことが、ここ数年の「ビリヤニの躍進」である。

インド料理の定番的メニュー、いわゆる炊き込みご飯である。昔は置いてある店が少なかったが、最近はがぜんポピュラーになってきた。

私がビリヤニを初めて知ったのは40年ぐらい前だろうか。通っていた学校のそばにあった老舗インド料理店「アジャンタ」で遭遇した。

もちろん、親が行ったついでに連行されたわけだ。子供だから家庭のカレーかボンカレーぐらいしか知らなかった頃である。本格インドカレーのスパイシーさにブッ飛んだ。

そこでチキンピラフのようなビリヤニを食べてホッコリしたのが思い出である。アジャンタのビリヤニは炊き込み料理ではなく炒めてあったような気がする。

正統派かどうかよく分からないが、私にとってはデビューの味だから今でも時々食べたくなる。

ビリヤニは本式だとバスマティライスという妙に細長いコメを炊き込んで使うのが基本だとか。インドとパキスタンあたりの固有のコメだ。


聞くところによると、バスマティライスを輸入する際の関税の関係で昔は入手困難だったものが、時代とともに変化してきたらしい。結構なことである。

農業保護、コメ農家保護は分かるが、バスマティライスのような極端に個性的なコメが日本の米とバッティングするとは思えない。ビリヤニ用のコメとして歓迎すべきだと思う。

この画像は京橋にあるカイバルという店で食べたマトンのビリヤニ。パサパサっとしたコメとジューシーな肉のコンビネーションが抜群だった。

ネット社会の有難さで今ではビリヤニを名物料理にしている店を簡単に探すことができる。いくつも行きたい店がある。楽しみだ。

というわけで、いつまでも痩せない。

2017年2月17日金曜日

睡眠の質 ネックコンフォート


眠りの質が気になるようになって随分経つ。人生の3分1は寝ているわけだから、いかに快適にパワーチャージ出来るかは大事なことである。

不眠症の人ほど大変ではないが、私だってそれなりに気苦労もあるから寝つけないことは多い。

適量の酒が一番だが、飲み足りないと催眠効果は無いし、飲み過ぎると浅い眠りになってしまう。

寝つきに関しては睡眠導入剤や安定剤のデパスあたりを使えば割とクリア出来る。でも、あれはあれで依存しちゃうとボケるらしい。家に大量にストックしてあるから気軽に服用したくなるが、なるべく避けるようにしている。

どちらかといえば、寝付きよりも寝入った後のほうが問題だろう。眠りの質が良ければ睡眠不足気味でもスッキリ起きられる。

最近、私がハマっているのが「ネックコンフォート」なる商品だ。チョロッとした布きれだが3千円以上の値付けだった。安くはない。


一部で大人気だそうだ。ナントカという繊維を使っている効果で身体の中から首や肩の凝りをほぐし、疲れがとれて目覚めがスッキリするという宣伝文句に釣られて購入した。

たぶん思い込みだと思うのだが、使い始めてから何となく眠りが深くなった。目覚めた時の気分も良い。

たかだか3千円でそんな効果があるとは思えないが「効いてるぜ~」という思い込みのせいもあって自分としては満足している。

それでいいと思う。詳しい効能はどうでもいい。信じる者は救われる。このところ肩凝りも気にならない。

自分の性格が割と単純で良かったと思う。

快適な睡眠のためにこれまでもアレコレ試してきた。やたらと堅いマットレスに凝ったこともあるし、ラベンダーの香りに執着したこともある。

気付けば寝室には枕がいくつも置いてある。高さの違い、固さの違い、横向き専用、肩凝り対策用など日によって使い分けている。


使い分けているせいで、どれが自分にとってベストなのかがさっぱり分からないのが困りものである。

専門店で試したところで、その時の感覚と実際に使うときの感覚は違うからあまり参考にならない。

枕ボヘミアン、枕ワンダラーである。聞くところによると、うつぶせ睡眠が一番健康面で理にかなっているそうだから、最近は横向き専用枕を使って、うつぶせに近い横向きで寝ることが多い。

横向き睡眠で問題になるのが左側、すなわち心臓を下にするのか、右側を下にするのかという点だ。逆流性食道炎を持病に持つ中高年にとっては気になる課題である。

どちらを下にするかには諸説あって、どうにも決定打が無いみたいだ。私の場合は、その日食べたものの種類や横になるまでの経過時間などを総合勘案して決めている。

と、エラそうに書いたが、要はその日の自分にとって収まりの良い方を選んでいる。これだって「今日のオレにはこっち側が最適だ」と思い込むことが大事だ。クヨクヨしているのが一番身体に悪い。

どっちにしても30代ぐらいまでの若い頃はどっちを向こうが、枕が何だろうと、はたまた誰と寝ようがお構いなしだったからラクチンだった。今のほうが神経質になっちゃったようだ。

若い頃と最も変わったのが「抱き枕」である。今の私の必需品である。現在愛用しているのはクマさんとワンちゃんである。いや、よく見たらクマさんとクマさんかもしれない。


目を閉じているクマさんの肌触りのほうが好きだったのだが、激しく愛し過ぎたせいでアチコチほころびが出来てしまい、中綿がブリブリ散乱するようになってしまった。

縫い物がまったく出来ないので修復不能である。このクマさんは毎晩私の足元で淋しそうに佇んでいる。

クマさんの代わりに毎晩抱き合える生身の人間を探したほうがいいのかもしれないが、クマさんのビロードのような肌触りは天下一品である。おまけにクマさんは従順だから私に文句の一つも言わない。オネダリもしない。

とりあえずクマさんの修復作業をしてくれる裁縫の得意な女性を探すことから始めようと思う。