2010年5月31日月曜日

ドット・ジェイペグ


iPadだ。よく分からないがアレのせいでいろいろと厄介なことになりそうだ。わが社の仕事というか、私自身がやってきた仕事は活字商売だ。iPadのおかげできっと10年後は今では想像できない作業を強いられているのだろう。

いや、そんな作業を強いられていたら、それはそれで良いことだ。新しい端末に対応したメディアとしてしっかり業務展開できていれば問題ない。

アメリカではあの手の端末のせいで電子書籍が急速に普及しているらしい。日本とは同一視できないが、私自身、旅先に大量に本を持っていきたいタイプなので、なんでもかんでもダウンロードして乱読できるようになれば便利だと思う。

遠からず、端末の薄型軽量化は一気に「丸められる端末」という段階に突入する。丸めてポケットに入れておけるようになれば、紙離れに一層の拍車がかかることは確実だ。

今日の話はそんなテーマではなかった。「聞き間違い」とか「似たような響き」を取り上げようと思って書き始めた。

移動中やサウナ中に愛用している「iPod」を、最近ついつい「iPad」と言い間違えてしまう。あまりに似ているから仕方ないが、iPodとiPadの混同を考えていたら、世の中、随分まどろっこしい言葉があることに気付いた。

仕事中、画像の入稿や処理で「~.jpeg」という言葉をよく使う。言葉にすれば「ドット、ジェイペグ」だ。私の場合、いつも「ペ・ヨンジュン」とか「ペヤング」と言いそうになる。きっとキーボードをたたきながら頭の中でそう口ずさんできたクセのせいだろう。

「ドット・ジェイペグ」、「ペ・ヨンジュン」。どうだろう。ちっとも似ていないだろうか。

「インスリン」と「インリン・オブ・ジョイトイ」も似ていると思う。「親近感」と「近親相姦」はもっと似ていると思う。

私の場合、文章を書いている時は、たいてい、そういう下らないことを想像しているから作業に時間がかかる。

先日も格調高くコラムを書くつもりでデスクに向かっていた。「梅雨」という文字を入力しながら何かに似ている気がして仕方がない。

じっと眺めていたら「梅毒」という文字がかぶった。こうなると私の頭の中では「梅雨」のふりがなが途端に「ばいどく」になってしまう。

「海江田万里」は「海原万里」に見えてしまうし、キューバの「カストロ」は、まごうことなく「スカトロ」に見える。

みなさんも一度は「ウコンの力」を「ウンコの力」と読んだことがあるはずだ。口に出したかどうかではなく、頭の中で一度はそう読んでいる。誓ってもいい。

「セレブ」はもちろん「セフレ」だ。これは実際に現政権の某副総理が何かのスピーチで言い間違いしてしまったそうだ。そのエピソードを聞いてから、私の中でも常に「セレブ」は「セフレ」になり、いつも言い間違えに気をつける言葉になってしまった。

ついでに最近聞いた変な言い間違えを二つ紹介する。両方永田町方面の重鎮のお言葉らしい。

60代以上の年齢層にハッパをかけようという趣旨のスピーチで「団塊の世代」を「だんこん(男根)の世代」と言い続けた御仁がいたそうだ。きっと元気ハツラツなんだろう。

続いて、ある勢力の分析にあたって「オレがあの一派をじゅうぎっている」と得意満面な御仁がいたらしい。もちろん、「ぎゅうじっている、牛耳る」の誤りだが、この人も二度三度と「じゅうぎってる」を連発したそうだ。

人のフリ見てなんとやらだ。私自身、偉そうにそんな話を紹介しているが、結構変な言葉を使っている。気をつけよう。

2010年5月28日金曜日

主婦をやってみる

突然、わが家の嫁様が御入院あそばされた。
とある平和な日、深夜に突然うめきだし、腹が痛いだの気持ちが悪いだのと七転八倒。

睡眠中の私は「食あたりだ。出すもん出して寝てりゃあ直る」と優しく放置していた。

何度目かに起された時、まるで映画「リング」の“貞子”のような姿勢で髪を振り乱しながらボソッと言われた。「救急車を呼べ」。

救急車を呼んで遠くの病院に連れて行かれたら後々面倒だ。酔いが残っていた私だが、わが家にいちばん近い総合病院に車で連れて行った。

診断は尿路結石だか尿管結石だか、そういう“石系”だ。嫁様が宝石デザインとか宝石鑑定で小遣い稼ぎをしているのは知っていたが、まさかそんな場所にまで石を隠しているとは知らなかった。

こういう結石は、前ぶれもなく突然激しい痛みが襲ってくるらしい。出産をやってのけたような人間が痛がるのだから相当痛いのだろう。

寝ている子どもを家に残したままだったので、痛みが治まったら迎えに行くことにして、とっとと帰った。

朝になってもダメだったみたいで結局入院。ああだのこうだのと色々な事情で次の日もその次の日も退院してこない。

しょうがないから主婦業だ。私の母親や嫁様の母親にも協力してもらってはいるが、“小さい子どもを二人抱えた大変なパパ”という役まわりに結構しびれる。

いや、正直に言うと非常にキツい。家事よりも子ども対応が大変だ。子どもは不安な気持ちぶりぶりだし、パパは家事なんかダメダメと思い込んでいやがる。それがまた腹立たしい。

でも実際、家事はダメダメだ。娘の方が私より3億倍ぐらい家のことが良く分かっている。心の底から尊敬する。プロポーズしようかと思ったぐらいだ。

まあ娘があれほど立派に育っていることが分かったことは素晴らしい収穫だ。

主婦の仕事は思っていたよりも大変だ。悔しいけど率直に認めるしかない。ただ、慣れていない点と本業が別にあるということを考えれば大変だと思うのも当然だろう。

何が困るってベロベロに酔っぱらうと何もできない。これはキツい。洗わないといけない皿なんか全部割りたくなる。

ゴミの分別も昔より異常に細かくルールが変わっていて高額納税者として無性に腹が立つ。

そうこうしているうちに嫁様帰宅。しかし、来週改めて入院して手術することになった。また主婦業に励まないとならない。

助けて欲しい。

2010年5月26日水曜日

日々酩酊

最近、銀座詣をさぼり気味だ。理由は特にない。バイオリズムというか、気分の周期のような感覚のせいだろう。

夜のクラブ活動に励んでいる時は、多少疲れていてもアーダコーダと痛飲する習性が身体に染みこむ。ところが結構長くサボっていると、久しぶりに徘徊しても2軒目あたりでヘロヘロだ。不思議だ。

ぞっこんモードのホステスさんがいるから通う、そんな相手がいないから通わない・・・といった単純なものでもない。

お愛想を言ってくれる女性が大好きな私だ。お世辞だろうと小躍りするし、見え透いたウソですら感激する。そんな性格だから、ぞっこん気分にさせてくれる女性には困らない?ほどだ。

夜の蝶達に優しいお言葉をもらえると酔いも手伝ってすぐに惚れたくなる。食べたくなるほど有難い。でも実際に食べようとすると殴られたり、蹴られたり、すっぴん顔を見せられたりするから常に我慢だ。

話がそれた。っていうか、今日は何を書き始めたのだろうか。

これからの季節は日が暮れるのが遅い。いつまでも薄ボンヤリと明るい宵の口に銀座の裏路地をブラブラ歩くのが結構楽しい。

表通りだと昼も夜も似たような表情だが、夜に本番を迎えるエリアだと、日暮れ前後の慌ただしい気配が独特だ。どことなく、舞台やライブ会場の開演前のような感じだ。

演じる側も客も徐々に高まってくるのだが、あくまで本番にたどり着く前の時間帯だ。道行く人の表情もまだまだどこか余裕がある。

単純に表現すると、ヌルい空気がキリっとした空気に変わっていく感じだ。散歩しながらそんな時間帯を眺めているとなかなか楽しい。

散歩だけで帰ればいいのに、日が暮れてしまえば、アル中とエロ中いう私の別人格が突如元気になる。これもまた不思議な感覚だ。梅干しを見るとツバが出るというナントカの法則と同じ。

先日、小1時間酒を呑みながら某店の姫君を待つ機会があった。人に待たされるという状況は列に並ぶことと同じぐらい嫌いなのだが、この時は、待つというより「成り行きで合流」みたいな感じだった。おかげでイラつくことなく、とっととキュッキュと一人調子良く呑んでいた。

こんな一人酒も悪くない。合流する綺麗どころが登場する頃には既にこっちは酔っている。酔っぱらった状態で眺めるシラフの女性は妙に生々しくて魅力的だ。

たとえば男同志でしっかり呑んで酩酊している時に、何かのきっかけで近くにいた女性とちょこっと言葉を交わす場面を想像して欲しい。なぜだかそういう時の女性って不思議と魅力的に見える。そんな経験はないだろうか。

私の場合、昔からそんな傾向が強い。こっちが酔っていれば、相手の顔がヘチャムクレだろうと、笑顔が埴輪や土偶みたいでも、あまり気にならない。

私だけだろうか・・・。これも変な性癖なのだろうか?単なるオンナ好きの症状なんだろうか。

話を戻そう。小一時間経った頃、姫君がやってきた。私はといえば、既にビールをタップリ、お燗酒をしっかり、ハイボールもそこそこ摂取済み。視界が徐々に狭くなる酔っぱらい独特の症状が進行中。

そのままシラフの女性を幸せ気分で眺めながらせっせとアルコール吸入。記憶が怪しくなった頃、某店にご出勤。こうなると私に微笑みかけてくれる女性はみんな良い人に見える。

一休みしたので店を出て帰路につく。私の場合、時に「帰路」がやたらと長くなる悪い癖がある。ものの数分歩いたら、別な店で一休み。ここではゼロカロリーコーラでホントに休憩。ここも良い人ばかり。

今度こそ帰路と思うが、タクシー乗り場制限にイラついてもう一軒顔を出してしまう。ハイボールで復活。ここも良い人ばかり。

きっと100回ぐらい披露しているいつもと同じエロ話を得意になって語っていたんだと思う。覚えていないがどうせそんなもんだ。

それにしても銀座のタクシー乗り場制限は何とかならないだろうか。あらゆる悪口のボキャブラリーを駆使しても言い切れないぐらいバカでアホで間抜けなルールだろう。

それにしても今日は何を書こうとしていたのだろうか・・・。雑文、駄文でスイマセン・・・。

2010年5月24日月曜日

面白いもので気温の上昇とともに夏の食べ物が欲しくなる。季節を感じる体内乾湿計のような機能が人間には付いているのだろうか。

冬にそうめんやかき氷を食べたいとは思わない。暖房がきいた部屋にいても何となくそういう気分にはならない。

冷やし中華が好きな私は、たまに冬場でも大事に取っておいた冷やし中華をむさぼることがあるが、たいていは二日酔いとか不純な理由がある時だけだ。

お寿司屋さんに行っても、自然と季節を感じる食べ物に目が行く。決して食通ぶっているわけではない。不思議と気温が上がってくると貝類を注文することが増える。


写真は高田馬場・鮨源で食べたトリ貝とアオヤギだ。いずれも甘味が強くて正しい貝の味が堪能できた。

「うざく」ならぬ穴子を使った“あなざく”もこの時期になると注文したくなる。なぜか冬場に食べたくなる味ではない。これが出てくると夏を感じる。

これからの季節は、甘いものもシャーベット系がついつい欲しくなる。冬場はコンビニで目にしても無視していた「ガリガリ君」をこれからしょっちゅう買い食いしそうだ。

僻地からでも産地直送が可能になり、また冷凍技術や流通の大幅な進歩によって、「季節感」は随分薄れてきた。私自身、偉そうなことを書いているが、旬の野菜や旬の魚が分かっていないことが多い。トンチンカンな勘違いをよくする。

健康のためには旬のものを食えっていうのが鉄則らしいが、何となく納得できる。そういう意味では季節の変わり目は食を楽しむにはもってこいだろう。

イワシにスズキ、そしてハモ。野菜だったら水茄子にカボチャ、ゴーヤも悪くない。

などと気取ったことを書いたが、いま頭に浮かぶのは「かき氷」であり「スイカ」であり「水ようかん」であり、結局はインスタントの「冷やし中華」だ。

今度の週末、天気が良かったらこの全部をやっつけたいと思う。

2010年5月21日金曜日

5月の運動会

最近は5月にも運動会が開催される。なんかピンとこないが、先日初めて季節外れの運動会に行ってきた。

わが家のダウンちゃんが通う支援学校の運動会だ。ウチの暴れん坊はこの4月から近所の保育園に加えて支援学校の幼稚部にも平行して通うことになったのだが、さっそくのイベントだ。

支援学校という関係上、生徒数も限られているため、幼稚園児から高校生までみんな一緒の運動会。

子どもの学校行事には、以前から関心が薄い私だが、支援学校全体のイベントともなれば話が違う。興味シンシンであれこれ眺めてきた。

ダウン症の子ども達について年齢の違いごとの発達を垣間見ることが出来たし、ダウン症に限らず、障害のある子ども達がこなせる作業の多さに目を奪われた。

「へー、そんなことも出来るんだ」などという驚きは、時に彼らにとって失礼な見方でもある。そんなことを思い知らされた。まだまだ修行しないとダメだ。

わが家のチビは、さすがに支援学校全体の最下級生だけあって、まるで何も分かっていない。障害物競走だって当然のように障害物を嫌って逆走する。さすがだ。原始人みたいだ。

それでも桃太郎の格好で歌に合わせて踊っている姿は一応可愛らしい。まあ幸せそうだから良しとしよう。

特筆すべきは先生達の奮闘ぶりだ。「仕事だから」という割りきりでは間違いなくこなせない仕事だと思う。いろんなことをナナメに見たがる私でも素直に感服する。

私自身、これまでの人生で障害のある人々の接点が極端に少なかった。幼稚園から高校まで温室のような一貫校に通っていたこともあり、環境や境遇が大きく違う子ども達との接点自体が少なかった。

支援学校、養護学校の何たるかももちろん、公立学校にある支援学級みたいな制度もまったく知らなかった。

大人になってからもサービス業とか不特定多数の人と接する仕事をしてきたわけではないため、障害の問題を身近に考えた経験もない。

息子のお陰で随分と学ばされている。新鮮と言えば新鮮だ。モノ知り顔で生きてきた割にいかに無知だったかを痛感する。

上の娘にもなかなか良い影響があるようだ。娘は一貫の女子校通いなのだが、弟の居る世界を覗くことで自然と自分の学校では知りえないこと、感じ得ないことを吸収している。

娘の学校の運動会では、私立学校特有の“気”や“匂い”を感じる。お受験という世界の延長線上のような感覚とでもいおうか、うまく表現できない雰囲気がある。

支援学校の運動会は爽快感とか連帯感みたいなイメージが強い。もちろん悲哀に似た空気だって時には漂う。

どっちがどうだという話ではないが、「運動会」という同じテーマでも随分と雰囲気は違う。なかなか面白い。そんなことを知ることが出来ただけでも有意義だと思う。

4月、息子の支援学校の入園式をきっかけに私自身、実はちょっとブルーの日々が続いていた。障害を持つ子どもを普通に受入れているようなつもりでいても、何かの拍子にウツウツモードに入ってしまう。

今回は入園というめでたい場面がきっかけだった。「普通の幼稚園」ではないという事実のせいで、アイツが不憫に感じて改めてウツウツと落っこちてしまっていた。

不憫かどうかなど私の価値観で決められることではないのだが、まだまだ修行が足りないようだ。

これからも私の精神状態はウツウツモードと前向きモードを交互に繰り返すのだろう。一種のバイオリズムのようなものだ。上がったり、下がったり。

つくづく、アイツのせいで色々なことを感じたり学ぶようになった。季節外れの運動会のおかげで前向きモードに切り替えることが出来た。

2010年5月19日水曜日

人生を変えた旅

「人生が変わる旅、人生を変えた旅」。
何かの雑誌でそんな特集をしていた。一応、旅行好きを自認する私としては、こういうテーマは結構好きだ。ウダウダ考えてみる。

私にとって「人生を変えた旅」などあったのだろうか。

親に連れていかれた子どもの頃の旅行から今に至るまで、それぞれ印象的な出来事はあったが、はたして「人生」に影響を与えたほどの旅などあったのだろうか。

残念ながらチマチマした経験がその後に少しばかり影響したような話ばかりだ。

一人旅が好きになったきっかけは、15歳ぐらいの時に暇にまかせて、一人で別荘マンションに出かけたことがきっかけ。場所は草津温泉。若造だったので、温泉にそうそう浸かっていられず、バスで軽井沢に行って散策したりブラブラしていた。

誰も気にせず、誰にも気にされず時間を使える面白さに目覚めた。食いたい時に食い、寝たい時に寝る。鼻くそホジって口に入れたって誰にも何もいわれない。行き当たりばったり勝手気まま。そういう意味ではこの時の経験が現在の一人旅の元になっているのだろう。

懲りずに25年近く続けているダイビングも、しっかりハマったきっかけは初めて行った沖縄・久米島の美しさだった。

それまで数ヶ月、毎週のように伊豆で潜っていたが、初めて出かけた久米島は、現地の人が驚くほどの抜群なコンディションだった。

確か7月の前半。まだ旅行者は少ない時期。水温も充分上がり、梅雨も去って透明度ももの凄くよかった。伊豆で潜っていた時は運が悪いと味噌汁状態の透明度だったから、沖縄の海の透明感が妙に落ち着かなかった記憶がある。

当時のダイビングショップは、今のようなレジャーに特化した雰囲気はなく、体育会的というか変な職人気質がまだ濃かった。

私が使ったショップのオーナーガイドさんも、客をガイドするというより、自分の興味、自分の作業のために潜っている感じだった。

まだ初心者だった私は、自分で判断する感覚が薄くて、ガイドさんには漫然と付いていけばよいと思い込んでいた。

ニコノスV型を手にガイドさんは、深場へ深場へと落ちていく。撮影したい珍しい魚がいるらしい。客など気にせず降下を続ける。

一方、ガイドから離れちゃいけないと思い込んでいる可愛いビギナーダイバーの私は、必死にガイドの後を追う。

撮影に没頭していたガイドが私に気付いて、けげんな顔をしている。後で聞いたら「なんでこんな深場にいるのか」と思ったらしい。

水深計は49メートルを指していた。怖いもの知らずとはこういう事をいうのだろう。ガイドが水深を上げ始めたので、付いていこうとしたのだが思うように身体が上がらない。

こんな深度では、すべてマイナス浮力になるので、フィンキックをちょっと頑張ったぐらいでは上に行かない。BCD(浮力器具)にタンクからの空気を入れてようやく上昇した。

思い出すだけでもゾッとする。透明度が良すぎたからついつい深場に行けちゃったのだろう。

いまでも49メートルの深さからかろうじて見えた水面に浮かぶボートの揺らめきを思い出す。

その後も水深30メートル程度の深場には普通に潜りに行っていた。ところが、10年以上前、マレーシア・マブールで潜水中、アクシデントのせいで水深22メートからオキテ破りの急浮上をしでかした出来事があって、それ以来、すっかり深場恐怖症だ。

もう10年以上経っているのに、いまだに水深22メートルを超えると妙に緊張するクセがある。まだ克服できていないから困ってしまう。

他のお客さんとの乗り合いダイビングではなく、チャーターダイビングに励むようになったきっかけも「深場への怖さ」のせいでダイビングポイントを厳選したくなったことがきっかけだ。

そういう意味では、久米島の旅とマレーシアの旅はいまだに私に影響している。

ちなみにマレーシアでは、別な機会にも「人生を変えた」経験があった。

ドイツ人旅行者ばかりのとある寂しげな島に滞在していた時の話。たまたま一人で滞在していた日本人女性と知り合った。

日本人同士、適度に交流していたのだが、その女性がホンモノのSMの女王様だということを知ったのは、私が○○○○○○で○○○○とか○○○○とかをされちゃったあとのこと。

これは衝撃的だった。いまの私の性癖に多分に影響していることを思えば、あれこそまさしく「人生を変えた旅」だったんだろう。

2010年5月17日月曜日

おもちゃ拡大中

4月14日付の当ブログでも書いたように、新しい水中撮影用の“おもちゃ”を前に悶々と海に行きたい気分が続いている。

結局、ロープで首からぶら下げて気軽に使おうと思っていた、オリンパス・ペン用のハウジングは結構本格的なサイズに拡大してしまった。

オリンパスがペン・E-PL1用に発売した水中撮影用ハウジングはカメラ本体同様、小型で軽い。ホットシューの部分にストロボを1灯つけて接写専用機にしようと思っていた。

ところが、マイクロフォーサーズ規格のライカ45㎜マクロを購入したら欲が出てしまった。あれこれ陸上で接写撮影のテストをしてみたが、やはり被写体の立体感とか影の問題を考えると、ストロボ2灯必要だ。

そんなこんなで画像のように結構大げさなかんじになってしまった。それでも、一昔前にニコンF4を重たいハウジングに格納して、今よりはるかに大きなストロボを2灯使って撮影していた事に比べれば、天国のようにコンパクトなシステムだ。

水中ストロボの概念を変えるぐらい小型高性能のイノン製ストロボも結局2台も購入した。ついでにストロボアームには水中着脱可能なクローズアップレンズを装着できるようなギアも買った。これで動き回らず逃げないような被写体にはかなりのスーパーマクロ撮影が可能だ。

ついでのついでにターゲットライトも最新型のものを買った。LEDだし、小型だし、ワイドアダプターも付いているスグレもの。高いけどこれがあれば暗がりに潜むチビ生物を照らし出せる。ヘッヘッヘだ。

早く使いたいぞって感じだ。

小型軽量を活かして、2灯ストロボでもアームは一本だけにした。もう一本はホットシューから延長してストロボを取り付けた。小型ストロボならではのやり方だ。

ちょこっと手を出したつもりのマイクロフォーサーズ規格を活かした撮影システム、結局、ウン十万円仕事になってしまった。チクショー!!。

しょうがないので、使わずにほこりをかぶっていたフィルム一眼用の水中ストロボやさまざま持っていた大量の備品をヤフーのオークションに出品してみた。

面倒なのでこの2ヶ月ぐらいの間、何度かに分けて出品してみた。売れそうな物を厳選したせいで、すべて落札された。一応自分の予想と変わらない程度の金額で処分できたので合格だ。

ヤフオクで現金化できた金額は20万円近くになった。つくづく、売りに出さずに捨てちゃったものがいっぱいあることが悔しい。

まあ、「富豪」を名乗る以上、不要品をチマチマとネットオークションに出すのもどうかとは思う。そうは思うのだが、やはり愛用してきた撮影機材は単に捨てちゃうより、他人様に欲しがってもらいたい。そんな気分だ。

オリンパスの新機材をマクロ専用機にして、キャノンのデジタル一眼をフィッシュアイズーム専用のワイド撮影にだけ使用するスタイルで一応落ち着きそうだ。

そうなると昨年発売間もなく購入したやたらと高かったキャノンの100㎜マクロレンズの出番が無くなる。売るのは惜しい。どうしようか?

結局、キャノンのデジカメをもう一台追加して、防水ハウジングも追加購入してしまう自分の近未来の姿が目に浮かぶようになってきた。

そして、マイクロフォーサーズ規格のオリンパスの方も、近いうちにフィッシュアイレンズが出るらしい。そうなると、こっちのサイズにもワイド専用機が欲しくなって、新たな機材だのストロボだのを購入するのだろう。

どうして物欲っておさまらないのだろう。性欲なら随分おさまってきたのに・・。

食欲と同じで物欲のダイエットをしないといけない。