某銀座の某六丁目にある老舗のクラブ「M」。銀座でも一、二を争う知名度を誇る店だ。先日、出版されたばかりの開業40周年記念本をいただいた。
あの街で一流と言われ続けて40年。凄いことだと思う。銀座の端っこで飲むようになって20年弱の私なんぞは、あの街ではヒヨッコだ。でも、だからこそ40年の重みを感じる。
その本は、数十人もの各界著名人からの寄稿が中心。オーナーママの手になる文章は全体の一部に過ぎないあたりが、あの店の上品で控えめな感じを象徴している。
財界のお偉方、文壇の重鎮、文化芸術分野の著名人などなど寄稿している面々は誰もがその名を知っている人ばかり。改めて「M」が銀座でも一流と称されている実態が垣間見えた。
実は私の「銀座デビュー」は幸か不幸かこの店だった。人に連れられてクラブ活動に加わることはあったが、自発的に銀座の店に行ったのは「M」が最初。それまで六本木ではクラブ活動に励んだことはあったが、銀座は場違いだと思って敬遠していた。
初めて訪ねた「M」には銀座っぽさがプンプンしていて、まだ30歳前後だった私は大いにたじろいだ。そのかなわない感じ、背伸びしたって届きそうもない感じに妙にワクワクした記憶がある。
それから20年近くが経つのだが、とにかく不思議なのは、店の空気が変わっていないことだろう。「M」独特の雰囲気、空気感はずっと安定している。栄枯盛衰激しい銀座の街では奇跡的なことだと思う。
それこそ、10年、15年前に私と馴染みだったホステスさんがタイムスリップして働いていてもちっとも違和感を感じないはずだ。並大抵の経営努力では、あのようにカラーを持続し続けることは大変だと思う。
これ見よがしにガハハハ大騒ぎして金満ぶりをひけらかしているオヤジもいないし、エロ大魔王になって下品な空気を巻き散らかすオヤジもいない。
かといって、客が堅苦しく飲んでいるわけではなく、どこかポワンとリラックスした空気が流れている。
銀座のクラブと称する店は無数に存在するし、私自身、結構な数の店を見てきたが、「M」の快適で上質な品の良さは他の店では味わえない。
いろいろなクラブに行っても「ふるさと」である「M」を比較対象にしちゃうから、ついつい辛口評価をしたくなってしまう。これって結構不幸なことだ。
でも、多くの店でガハハハ金満あからさま親父とかドスケベ下品親父に少なからず遭遇しちゃうと「M」の穏やかで凛とした空気が恋しくなる。
というか、「M」以外では、私自体がドスケベ下品太郎に成り下がっているのかもしれない。そういう意味では、「M」は「正しい銀座のスマートな客」でいられるためのリハビリ場所としての機能もあるのだろう。
もともとふらっと立ち寄ったことがきっかけだから、高名なママさんとは会釈を交わすぐらいでじっくり話をしたこともないが、ガンガン自分が目立つことで店のカラーを演出している多くの銀座ママさん達とは違う不思議な空気を醸しだしている。
あのさりげない感じに、お客さん達は安心感を覚えるのだろうか。日本人が好む美徳というか、精神世界に通じる何かがあるのだと思う。
私もいっぱしの大人である。自分の飲み方が人様にはどう映っているかは分らないが、少なくとも無粋に見られないように最低限のカッコ付けは心掛けている。それも「M」で無意識のうちに学んだものだと思う。
銀座は男の教科書だという言葉がある。イロモノみたいな店が増殖してしまった今、銀座らしさを色濃く残すあの店が「初体験相手」だった私は、そういう意味では幸運だったのだろう。
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