更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ載せます。ストレスは万病の元だから関わる人にはつくづく気をつけたいと思う。
愉快な人
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
11月の1ヵ月でウーバーイーツの利用回数が25回、支払いも10万円を超えていた。我ながらビックリである。こういう無駄が多いからいつもピーピーしているのだろう。童話「アリとキリギリス」でいえばキリギリス間違いナシである。
食事のデリバリーだけでなく、日用品や食料品、雑貨をコンビニやスーパーから持ってきてもらうことも多いが、大半は“横着メシ”をデリバリーしてもらう。
最近のお気に入りが「餃子の王将」だ。ちっとも富豪っぽくないが、ヘタな高級料理店の料理よりも私を喜ばせてくれる。11月は5回以上頼んでしまった。
かに玉をしょっちゅう頼んでいる。もともと天津飯を注文した際に味付けが「甘酢」か「塩」か「京風」の3種類から選べることを知ったのがハマったきっかけだ。
かに玉は天津飯のご飯抜きだ。本当は天津飯をかっこみたいのだがデブ予防のために我慢して「かに玉(甘酢)」にしている。
天津飯は東京人にとっては由々しき問題を抱えている。甘酢味が絶滅危惧種みたいになっていることがそれだ。昭和の頃、町中華で出てくる天津飯は甘酢あんかけが定番だった。初めて食べた時に何とも言えない劇的かつ官能的な味わいに興奮した記憶がある。
私にとってはアノ甘酢味こそが天津飯そのものである。イマドキはナゼかダシ醤油あんが主流になっているが、個人的にはあれが苦手だ。甘酢味のつもりで注文したのに醤油味やら塩だれ味に当たると物凄く落胆しちゃう。
詳しいことは知らないが、もともと関西で天津飯といえば甘酢ではなく醬油ベースのあんで作られていたらしい。どうやら天津飯の世界も「西からの攻勢」にすっかりやられてしまったようだ。
ここ20~30年ぐらいで東京の味は随分と関西風の味付けにとって変わられてしまった。天津飯も例外ではないらしい。確かに妙にインパクトのある甘酢あんよりダシ醤油系のほうが味の収まりが良いのは理解できる。
でも、でもである。私にとってはダシ醤油の天津飯は面白いところが一つもない映画を観ちゃったような残念な気分になる。甘酢味だと全盛期のツービートの漫才を観たような痛快な気分になる。その違いは大きい。
そういう点で「餃子の王将」の天津飯、かに玉には感謝している。甘酢味を堂々と選べるのは私にとっては憩いそのものである。麻婆豆腐も日本風?で美味しいし、ホイコーローや酢豚あたりも昔ながらの町中華の王道みたいな感じで安定感がある。
揚げ麺の焼きそばも好きだ。麺とあんかけが別々に運ばれてくるのだが、あんかけがあり得ないほどテンコ盛りだ。麺は3分の1ぐらいで充分。
結果、揚げ麺が脇役みたいになり具材ばかり食べるからヘルシーな一品になる。私はこれにアホみたいにお酢をドバドバかけて食べるのが大好きだ。画像は揚げ麺を三分の一、あんかけを半分ぐらいだけ盛った状態。
「餃子の王将」の回し者みたいになってしまったが、ほぼ同じ名前?の関西系のチェーン店より私はこちらのほうが好きだ。あちらの天津飯は醤油ベースらしいので論外である。ファンの方、すいません!
中央区に住んでいるとウーバーで頼める飲食店は星の数ほどある。日本橋、銀座あたりの有名レストランもたくさんあるが、デリバリーを頼むのは定番のチェーン店が多い。包装や容器等々、手慣れた感じ、こなれた感じで安心できる。個人店だと時折とんでもない包装で料理がグチャグチャになっていることもある。
温め直しても楽しめるモノを選ぶのがデリバリーを考える上でのポイントだ。麺類はそもそも厳しいし、ドンブリ系でも汁を吸ったご飯は時間がたつとシャバダバだ。なか卯や松屋あたりだと具材とご飯が別盛りで来るものもあるから温め直しても美味しく食べられる。
週末の朝に食べたくなるドーナツもちょっとだけレンチンするだけで抜群に美味しくなる。ブラックコーヒーと合わせて少し暖めた甘々なドーナツを頬張るのは至福の時間だ。5万、10万の極上料理を食べることに比べても負けないぐらい幸せを感じる。
わが家からだと「クリスピークリームドーナツ」が最速で届くので主にそこを利用していたのだが、最近は「ミスタードーナッツ」に宗旨替えをした。単純にミスドのほうが美味しい。甘くないクリームシチューパイみたいなメニューもあるから使い勝手も良い。
60歳になって嬉々としてドーナツに感激しているのもヘンテコだが、味覚が年々子供帰りしている感じがするので今の私には欠かせない食べ物の一つだ。
本当は「ハリッツ」という知る人ぞ知るウマいドーナツ屋さんから運んできてもらいたいのだが、そこは昼近くにならないと開店しない。「ドーナツは朝飯」と決めている私とはタイミングが合わないのが残念だ。
いずれにせよ、レンチンしてコーティングが少し溶けちゃったドーナツで手がベトベトになってオタオタするのが今の私にとっては幸せな時間だ。
わがオヤジバンドの還暦記念ライブが無事終わった。2012年にバンド活動をヨチヨチ始めて十数年、我ながら随分とこなれてきた実感がある。
今年は16曲の演目のほか、小ネタもアレコレ入れて2時間半ほどのステージだった。例年より緊張せずに乗り切れたのには大きな理由がある。
我がバンドのライブの2週間前に友人が参加しているバンドの演奏を観に行った。会場はたまたま我々と同じライブハウス。何度も使っている場所だが客として訪ねたのは初めてだった。一緒に行ったバンド仲間と開演前から楽しく飲みながらもろもろ観察してみた。
そこで気づいたのだが、お客さんたちは酒を飲みながら気ままに好き勝手に過ごしている。プロの公演なら身構えてステージに集中するのだろうが、素人バンドのライブでは様子が違う。一緒に来た人同士で一種の飲み会的に利用している感じだ。
もちろん、演奏が始まればそっちに意識は向く。とはいえ気ままに向き合っている感じは変わらない。極端に言えば楽しく過ごしている場所でバンド演奏がBGMみたいな役割になっている感じとでも言おうか。
BGMみたいなどと言うとさすがに極端過ぎるが、少なくともプロの公演のように一音一音聞き逃すまいと真剣に没頭する感じとはちょっと違うのは確かだ。
なんてったって私自身がそんなノリで友人のライブを観ていた。ハマショー師匠のライブに行くのとは大違いである。でもそれが逆に楽しかった。なんとなくラフな感じで肩に力も入らず心地よく過ごせた。
会場の雰囲気がそうならば演者側として過剰に緊張するのはバカみたいである。気ままに楽しなきゃ損。当たり前の話だが、気づいたのはこの真理である。単純なことかもしれないが心からそう思えたことは大きな収穫だった。
例年、とくにオープニングからしばらくはムダに緊張しまくって頭の中が白くなるほどだったが、今年は違った。
共感性羞恥心という言葉もあるぐらいだから緊張感だって客席に伝染しちゃうはずだ。開き直って自分が楽しんだほうが会場も和む。そんな意識を今まで以上に強く持って当日を迎えることが出来た。
オープニングはロッキーのテーマ。我がバンドの腕っこきメンバーがカッチョよく奏でている途中でボクシンググローブを着けてステージに登場してみた。ウケ狙いというよりあくまで「そんなノリの集いですよ」というデモンストレーションである。カッコつけて登場するよりクダけた雰囲気が優先だ。
例年、一曲目の歌い出しに異常に緊張感を覚えるのだが、今年はインストゥルメンタルからのスタートだったからラクチンだった。おかげでМCの流れも順調で全体的にメンバーの演奏も大きなミスや破たんも皆無だった。
過剰な緊張感とオサラバできたことは還暦の効用もあるかもしれない。過剰に緊張することは自意識過剰が原因でもある。さすがにこの歳になれば「まあ、いいか」的な鈍感力が増してきた。もちろん人からどう見られているかは気になるが、以前ほど意識しなくなった。加齢バンザイ、華麗なる変身である。
歌詞を間違えた個所もいくつかあったが、適当な言葉を入れたり、別の部分の歌詞に逃げたりしてウマく凌げた。このあたりも経験の積み重ねによる“加齢力”である。
正直言うと、還暦記念ライブを節目に個人的にはバンド活動をやめようと考えていた。いろいろ思うところもあり、また、当初は3人だったメンバーが総勢11名という大所帯になってしまったことで諸々の不都合も感じるようになっていた。
もっと言えば、アコースティックギター2本だけの3人組からフルバンドに進化して広範囲のジャンルの楽曲をこなせるようになったことで“天井感”みたいな感覚も生まれた。すなわち、やり切った感じというか伸びしろが伸び切っちゃったような気持ちになっていた。
なんだかエラそうな書きぶりだ。いずれにせよ今回のライブ直前まではそんな気分だったが、無事に還暦記念ライブを終えた今になってムクムクと次への野望?を感じ始めている。
メンバー間でカドがたたない範囲で私が抱えていたストレスの部分を積極的に潰していこうと思っている。一昨年、昨年、今年とわがバンドのライブの盛り上がりはかなりのレベルになってきた。素人オヤジバンドにしては結構な水準にあると思う。
これをゼロにしちゃうのはさすがにもったいない。私が感じているストレスを潰すことで、今後、今よりも盛り上がるライブを実現させる自信もある。もちろん、他のメンバーが同意してくれればの話ではある。
バンド活動はもちろん趣味であり遊びだ。でも趣味や遊びだからこそ本気度をもっと高めたらますます面白くなる可能性はある。人生後半戦、せっかく続けてきた「得難い経験ができる遊び」だ。もっと気合を入れて向き合うのも悪くない。
伸びしろが伸び切っちゃったと書いたが、斜めや横にはまだまだ伸びしろは残っている。そんなことに気付いた今回のライブだった。
ご来場いただいた方々にはこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
気づけば11月も後半だ。秋の気配から一気に冬の空気が強まってきた。歳のせいか以前より冷え性になってきているのが困る。キックジムなどで以前よりは身体を動かすようになったが、それでも妙に足先が冷えることが多い。
寒さ対策というか、健康法の一つとして「三首」を暖めると良いという話を聞く。私も実践している。寝る時もハイネックのスウェットの他にレッグウォーマーや手首ウォーマーで完全武装することが増えた。ちょっと大袈裟だ。
どんなにフワフワで快適な素材の寝間着でも寝相の関係で、手首や足首はむき出しになって冷えることが多い。その改善策がこんな小道具で済ませられるなら手軽で有難い。おススメです。
お寿司屋さんに出かけても冬の味覚が増えてきた。食べ物で季節を感じるのは四季のある国ならではだ。技術の進歩などで年柄年中なんでも食べられる時代になったが、やはりその季節ならではの食べ物に遭遇すると気分も上がる。
この画像は新富町のお寿司屋さん「なか山」で出された牡蛎の生姜煮。素材の旨味プラス生姜の風味でジンワリと身体が温まる感覚があった。ウマ過ぎてオカワリした。
この日は白子ポン酢やら煮ハマグリを肴に焼酎のお湯割りを飲んだ。冬っぽい雰囲気バリバリだ。カワハギの肝合えも注文。肝系もこれからの季節の風物詩みたいなものだ。
コレステロール値が高い私にとって肝類は気を付けるべき食べ物だが、神経質になっても面白くない。食べたい時にはしっかり食べてしまう。我慢するストレスのほうがきっと身体を害すると信じている。
そういえば野球シーズンが終わってしまった寂寥感も私に冬を実感させる原因になっている。明治神宮大会が終わってしまった。大学の部は青学が2連覇。さすが“戦国・東都”のチャンピオンだ。
東京六大学代表の明治は初戦の延長タイブレークで無残に負けた。神宮大会は「東都VS東京六大学」が決勝で当たるように組み分けされている。にもかかわらずとっとと敗退したのは実に残念だった。
準決勝、決勝あたりは現地で観戦したかったのだが、都合がつかなかったので私が見たのは1回戦だけだった。登場したのは「東京農大北海道オホーツク」「佛教大学」「日本文理大」「立命館」。
普段は見る機会のない地方リーグの大学の試合を観戦するのは楽しい。選手たちが「憧れの神宮」でハツラツと動き回っている姿が良かった。
これで来年の春まで学生野球観戦という私の趣味は封印だ。実に寂しい。一応、来年のリーグ戦に向けて注目選手を絞った。彼らがこの冬のトレーニングを経てどのぐらい成長するかが楽しみだ。
話がとっ散らかる。
先日、ひょんなこととひょんなことが重なってかなり遅い時間に食事をする流れになった。銀座の近くにいたので店選びをいろいろ考えたのだが、コロナを機に閉店時間が早まったお店が意外に多い。思いつくのは酒中心のバーぐらい。
普通の和食っぽいものが食べたかったので、急遽、長い付き合いの銀座のママさんにLINEを送ってみた。するとほんの3分後には5,6軒の候補店を教えてくれた。
さすが夜の銀座のプロフェッショナルである。こういう点があの街のあの街ならではの空気にもつながっているのだろう。今更ながら感心した。細々ながら銀座通いは続けようと思う。
で、教わった店の中から一番近かった「花りん」に向かう。深夜0時近い時間だったが、各種のおばんざいやら炊き込みご飯が注文できたのが嬉しかった。
冬の話とはまるで関係のないオチになってしまった。まだまだ自分は元気なんだと主張したくなったみたいだ…。
わりと好き勝手に食べているわりには減らした体重がリバウンドしていない。結構なことだ。私の身長は180センチ弱で、今の体重は78キロ程度である。オーバー90だったことに比べれば大きな変化だ。
80キロを切ったことなどこの30年ぐらい無かった。自分としては画期的だが、ぐうたらな私がこのままで済むはずもない。キックボクシングジムに行くペースも以前より落ちてきた。そろそろ危ない。
好きなモノしか食べないのは相変わらずだが、近頃は同じ店ばかり行くパターンが定着してしまった。10年ぐらい前までは新たなお店開拓に励んでいたが、すっかりそういうことを楽しむエネルギーが無くなってしまった。
時々、初めて入った店でインチキみたいな事態に遭遇するとなおさら知った店ばかり行くようになる。こうやって自分の世界を狭めているのはもったいない。もっと頑張らねば。
焼肉屋さんの一押しが新富町にある「KAZU」という店だ。綺麗でもお洒落でもない。その逆だ。煙いし何となくベトついているし、目も痛くなる。間違っても女子との初デートに使う店ではない。
昭和の焼肉屋さんの多くがそんな感じだった。別に昭和レトロに惹かれてこの店に行くわけではなく、純粋に味付けやタレが美味しいから通ってしまう。
どちらかといえば焼肉が苦手になってしまった私だが、ここだけは自ら行きたくなる。正直、焼肉屋さんの味なんてどこもたいして違わないと思っていたのだが完全に間違いだと気づかせてくれる。
いつもここではナムルを私一人で2皿食べる。一緒に赤身系の肉をワシワシとがっつく。中年になってからすっかり苦手になってしまったカルビもこの店だと3~4切れは食べられる。タレに何か秘密?があるのだろうか。
焼肉ではないが、今年やたらと訪ねたのが赤坂にある「ハモニ食堂」だ。普通の焼肉メニューもあるが、いつもここではサムギョプサルをメインにチジミやプルコギなど一品料理をアレコレ注文する。
わがオヤジバンドが赤坂のスタジオを使うことが多かったので練習後に毎回のように出かけた。こういう店は大人数で行けば楽しい。いろんなものを味見できる。サムギョプサルは店の人がすべて調理してくれる。個人的にはここのカクテキが私のお気に入りだ。これまた無くなればお店の人が壺から出して切ってくれるのが良い。
先日も今週末のライブ本番前の最終練習の後に出かけた。マッコリまでぶりぶり飲んで酩酊した。今年に関して言えば、わがバンド活動を振り返るとついついこの店の味を思い出してしまう。
お次は銀座の小洒落た料理屋さん「惣菜」。遅くまで営業しているのが有難い。最近は夕飯が遅い時間になるとここに行く。
からすみビーフン、ウニとトリュフのグラタン、サワラの白味噌クリーム、カツ煮である。要はこういう気の利いたメニューが揃っている。和洋中なんでもアリだから使い勝手が良い。
値段はそこそこするが魚も肉も良質なものが出てくる。ワガママな中高年にとっては実に使い勝手が良い店だと思う。雑居ビルの上のほうにあってオコモリ感も味わえる。こういう系統のお店がポツポツあるところが銀座の便利な点だろう。
マメに夜のクラブ活動に励んでいた頃は、このテの知る人ぞ知る的なお店をオネエサンがたから随分と教わった。夜の部活の副産物は隠れたウマい店に詳しくなれることだった。開拓精神を復活させるにはクラブ活動に励むことが近道かもしれない。
ちなみに先日はシメのごはんに「ウニTKG」を頼んでみた。ふしだらな逸品である。こういうふしだらさこそオジサマ族に幸せをもたらす。
生卵をそのまま食べられる国に生まれたことは「国ガチャ」という意味では非常にラッキーだと思う。私にとってTKGの無い人生など考えられない。
そう書いているだけで食べたくなってきた。明日の朝もTKGを食べようと決意した次第である。
またまた更新できなかったので過去ネタを載せます。コスプレに関する話。これを書いた頃は何だか奥歯にものが挟まったよう書きぶりだが、今となってはソチラ方面にもちょっと詳しくなりつつある。
松下幸之助さんの「やってみなはれ精神」みたいなもので誰もが興味があれば隠さず楽しめばいいと思う。
誤解されそうだが、私がコスプレをするわけではない。フレンド達に無理やりヘンテコ衣装を渡して変身してもらうのが基本だ。
非日常的な時間の大事さは言うまでもない。そういう時に脳はやたらと動く。痴呆対策に有効だろう。どんなジャンルからのアプローチだろうと感性を刺激することは中高年にとって最優先事項だ。
と、自分のスットコドッコイな行いを正当化することばかり上手くなってきた今日この頃である。
最近のノンアルコールビールは昔に比べて格段に美味しくなった。出始めの頃はマズさにおののいたが、技術の進歩って凄いものだと思う。研究開発に励んだ人に感謝したい。
なんとなく「オールフリー」一辺倒だった我が家に新顔として参入して定着したのがオリオンビールが出している「クリアフリー」だ。9月に高校野球観戦のために沖縄に行った際に飲んだらやたらとウマかったのでケースで取り寄せている。
昼どきに入った沖縄そば屋で何となく注文したのだが、そばの美味しさよりもノンアルビールの爽やかさにおののいたほどだ。
物好きだから缶と瓶の両方を取り寄せてみた。現地で飲んだのが瓶だったので缶をイマイチ信用できずに瓶まで取り寄せるあたりが私のB型気質だと思う。
で、思い出補正のせいか、瓶のほうが美味しく感じたものの、缶だって全然問題なし。何がどう美味しいか上手く表現できないのだが、スッキリしていて後味がとにかく爽快な印象がある。
ノンアルもここまで進歩すると非常に使い勝手が良い。その後に運転予定がある時はもちろん、飲食後にアレコレこなしたい用事がある場合には実に重宝する。良い時代になったものだ。
強いて言えばどこのノンアルビールもミニサイズが充実していないのが課題だと思う。普通サイズの缶の他には250mlの缶は存在するが、より小さいサイズを出してほしい。「ちょっとだけ炭酸」って気分の時にあると重宝すると思う。
さてさて、自宅での飲料といえばウォーターサーバー問題は厄介だった。10年以上前からサントリーの天然水ウォーターサーバーを愛用していたのだが、昨年突然に今年11月まででサービスを終了するとの告知。事業徹底というシャバダバな話になった。
正直、ウォーターサーバーの良し悪しなどサッパリ分からないから大手のサントリーを選んだのに業務自体をやめちゃうという事態にはビックリ。一番そうならないだろうと思っていた業者だったのにさすがに驚いた。
大手イコール安心という思い込みは今の時代には通用しないみたいだ。大手には継続し続ける社会的使命があると勝手に思っていた私がバカなのだろうか。
10年以上当たり前のように使っていたモノがなくなるのは案外面倒だった。他のウォーターサーバーをアレコレ吟味する手間と時間はストレス以外の何物でもなかった。一度調べ始めたら私が見ているSNSは各社のウォーターサーバーの広告だらけになった。なんとも迷惑だった。
いろいろ無駄に迷い続けた結果、やはりまた「聞いたことがある社名」というだけで「ジャパネットたかた」のウォーターサーバーに乗り換えることにした。変えてから一か月ぐらいたつが特に問題はない。
使い勝手はサントリーよりも上だ。飲み終わった水ボトルの処分も前より楽チンになった。こちらのウォーターサーバーは水ボトルが利用に応じてイビツに縮こまっていく様子が丸見えで美観の面でシャバダバだ。
事前にそんな口コミを見ていたのでその部分を隠す目的のカバーを別料金で購入してみた。でも透明ケースだから見栄えの点ではビミョーなままだ。それでもカバーのせいで上にモノは載せられるし、1か月も経つと美観など気にならなくなる。イビツな水ボトルの姿もだんだん可愛く見えてきた。
サントリーの撤退で難民状態?の人にはオススメできると思う。
それにしても水にお金を払うようになったのはいつからだろう。昭和の後半に育った私の世代は普通に水道水をガブ飲みしていた。思い返せば水に対してウマいマズいという感覚自体が無かったのだろう。
今の水道水だって飲用可能だが、あえてそれをせずわざわざ天然水だと謳う水を買ってまで飲むのは贅沢な話ではある。きっと天然水ボトルに水道水が入っていても多くの人が気づかないだろう。私だって自信はない。
だいたい、その筋?の人の話では日本の天然水も最近では怪しい物質が混ざりまくっているという話もある。真偽はともかく大半の人がペットボトルに入っている水なら無条件に安心安全と信じているのは確かだろう。
ウダウダと書いたが、なんだかんだ言ってウォーターサーバーがあるとお茶やコーヒーを飲むのに非常に便利だ。おまけに朝と夜に何回にも分けてサプリや薬を飲む私としては手放せないライフラインみたいになっている。
娘との二人暮らしなのに「4人家族相当」の1か月あたりの水ボトル量では足りない感じだ。既にボトルの追加注文が当たり前になりつつある。
水分不足で尿路結石を体験しちゃった過去があるからそのぐらいでいいのかもしれない。
とかく人は自分と趣味嗜好や考え方が違う人を敬遠したがる。私は生のタラコに酢をぶりぶりかけて食べるのが好きだが、多くの人が呆れたような顔をする。
TKG一つとっても醤油と卵をあらかじめ混ぜ合わせてからご飯にかける人もいれば、ご飯とともに混ぜる人や混ぜない派の人もいる。意見が食い違うと自分の正しさを主張したがるのが人間の業である。
少数派か多数派かという問題もある。トンカツに醤油をかける人は少数派だ。もちろんソース派の私はそんな邪道ぶりをついつい非難してしまう。でも人の好みは千差万別だからそれはそれで理解を示さないと世界に平和はやってこない。
そういう観点からいうと俗にいう「変態」の人々のことが気になる。エロ方面における変態の話だ。無くて七癖とはよく言ったもので、誰もが“変態の芽”は心の片隅に持っているのが普通だ。
理性やら自制心、はたまた道徳心という余計な教えによって、頭に思い浮かべてもそれを実行しないだけという人が大半だろう。人生で一度も変態的行為をしなかった人でも妄想の世界ではロクでもないことを考えたことが100回はあるはずだ。
かくいう私はこれまでの人生でかなりの変態街道を歩いてきたほうかもしれない。詳細はさすがに書けないが、思い起こせば恥ずかしきことの数々…って感じである。とりあえず犯罪行為だけは避けてきた。当たり前か。
そんな私でも根っからの変態趣味を持っているかと聞かれれば答えはビミョーだ。好奇心とアマノジャク精神によって変態の真似事をしてきた側面もある。やや特殊なフェチ傾向はいろいろあるが、「この変態野郎!」と罵声を浴びるほどでもない。
せいぜい寝取られプレーが好きなぐらいだ。充分に変態か…。
変態か否かの分岐点はしょせんは多数派なのか少数派なのかに尽きる。この国の大昔のいわゆる衆道だって当時は変態行為とはみなされていなかった。貴族や武士社会では年長者が年若い男子を愛玩する風習が一般的だったわけだが、今の時代だったらバリバリの変態ジャンルに分類されてしまう。
すなわち変態の定義とは、その行為に励む人が多いか少ないかだけで決まってしまう。実にあやふやなものだ。
寝取られプレーにしても10人のうち6人ぐらいが共感してくれたらきっと普通のレジャー?として定着するはずだ。谷崎潤一郎あたりが文学という隠れ蓑を使ってその奥深さを世間に広めようと努力していたが、やはり多数派の保守的な秩序を壊すのは簡単ではない。
エロとは別だが、考えてみれば世界中の歴史上の偉人は突き詰めればその時代の常識を破壊した人である。すなわち当時は皆さん「変人」だったわけだ。エラくなった後でさんざん持ち上げられるが、最初は単なる異端だったのが実態だ。
そう考えると、いま変態プレーに励んでいる人もいつかはその行為が一般化して先駆者として評価される可能性はある。強引な論法だが、肩身の狭い変態さんたちもそう考えれば明るく生きていけるはずだ。
変態に限らず特殊なフェチの人にしても同じだろう。普通の男なら女性の胸や尻に性的興奮を覚えるわけだが、なかには足のかかと、膝や肘、はたまた血管などが興奮のターゲットだという奇特な人もいる。身体的部位に限らず、高学歴の人に無条件で萌える人や家庭持ちの相手じゃなきゃ興奮しないという精神的な倒錯傾向の人も少なくない。
きっと少数派のフェチは隠れキリシタンみたいな切ない心境で日々を生きているのだろう。お気の毒だと思う。フェチって本能的な嗜好である。いわば魂の叫びだ。それを大っぴらに語れない人たちで「全日本フェチ促進同盟」みたいな組織を作って多数派の人たちに対して一定の存在感を示すのも一考である。
もちろん、フェチの中には犯罪と同義語の怪しいものもあるからそういうのは除外だ。ちなみに私が所属?する「過去フェチ」などは実に安全な路線である。お相手の女性の過去のエロ体験をほじくり返すほど聞きまくって勝手に興奮するという平和なジャンルである。
想像、妄想の中で自分勝手に喜べるわけだから犯罪性のカケラも無い。ただ、このフェチは理解者が少ないのが困りものだ。とくに女性にはそういう属性はまず無いらしい。私が過去の体験談を熱心に聞かせても「そんな話、聞きたくないわよバカ」と叱れるのがオチである。
少数ながら理解してくれるのは男だけだ。不思議とその人たちは寝取られプレーへの関心や理解も深い。根っこが同じなのかもしれない。
なんだか話がまとまらなくなってきた。
間違いなく言えることは、世間の常識や秩序なんて誰が作ったか分からない曖昧なものであるということ。自分の変態性に自己嫌悪に陥る必要はない。あくまで少数派というだけだ。犯罪じゃないなら変態街道を信じて突き進めばいいと思う。
それにしても私はいったい誰に向かって力説しているのだろう。自分の歪んだ「癖」を正当化したくてアレコレ屁理屈を書き殴っているのが真相かもしれない。
気づいたら熱燗や焼酎のお湯割りばかり飲んでいる。ほんの1ヵ月前までは冷えたスイカジュースをグビグビ飲んでいたのに一気に変わった。今はスイカジュースをちっとも飲みたくない。コーンスープやら熱いココアが妙に愛おしい。
最近は倦怠感もなくなり体調はバッチリなのだが、なんとなく冷え性気味だ。体重を落としたせいだろうか。とくに足元が冷えることが増えた。加齢のせいかもしれない。血の巡りが昔より悪いのだろう。
季節の話に戻す。お寿司屋さんのツマミはどうしたって常温か冷たいものが多い。必然的に寒くなると酒は温めたくなる。季節の変化に合わせて酒や食の嗜好を変えられるのは日本人ならではの喜びだ。
松茸の土瓶蒸しは正直言って物凄くウマいかと言われればそんなことはない。シジミの味噌汁のほうがウマいと思う。比べる対象がヘンテコか…。土瓶蒸しは季節を楽しむためだけに存在するようなものだろう。暑い季節が過ぎ去った合図みたいなものだ。それもまた風流で結構だと思う。
これからの季節は白子も外せない。以前は尿酸値問題などで食べ過ぎないように気を付けていたが、いまは数値も基準内だし、毎日のように食べるわけではないから何も気にせず楽しめる。
人生60年にしてようやく「適量」という感覚が身についたのだとしたら随分とバカである。この半年、夜中に牛丼特盛りを食べることもなくなったし、お寿司屋さんの夕食の後にマックに行ってフィレオフィッシュを複数食べるという意味不明な行動も控えている。
適量で済ませられるようになると、ウニやイクラだってバンバン食べても平気な気がする。後ろめたさが無い。“後ろメタファー”を気にせずに済むと美味しさも格別だ。ウニをツマミで食べた後で他のモノを味わいつつ、握りでもウニをもらってムホムホしている。イクラもしかり。ツマミで食べてから後半ではシャリ付きで何度も食べちゃう。
好きなものだけ食べるという行為は考えてみれば贅沢の極みだ。子どもの頃、出前の寿司一人前が全部イクラだったら良かったのにと何度も思っていた。当時の不自由さを思い出すと好きなモノだけ食べても許されるのはオッサンとしての特権だ。
生まれ変わってもすぐにオッサンになりたい。なんならオッサンとして生まれてきたいぐらいである。
さて、胃も小さくなったみたいでドカ食いをしなくなったものの時にはガツンとしたものをしっかり食べたくなる。この部分は元気な男の子のなれの果てという自分のアイデンティティを忘れないために死ぬまで続けたい。
先日は、いまハヤりの閉じないカツ丼を食べたくなってウーバーで注文した。トンカツをダブルにしてみたのだが、アッという間に完食した。するする食べちゃったような感じだ。私の中にドカ食い魂はまだまだ健在のようでちょっと嬉しかった。
少し前には久しぶりにローリーズに出かけて肉をどっさり食べたのだが、コメやパンを食べなければ体重は増えないことを改めて実感した。コメを食べたい欲求は酒を飲むことでゴマカしたのだが、適度に酔っぱらったせいで結果的に満足できた。
やはり時には牛肉をガッツリ食べることも大事だ。なんとなくエネルギーが湧いてきたような気がした。メインの肉の前に食べたタルタルステーキもウマかったし、肉肉しい時間に身を置くことは体調管理の面でも意味があると思う。
単なる雑食日記になってしまったついでに雑食の極み?であるペヤングの話に移る。ここ1ヶ月しつこくヘンテコ系ペヤングを紹介してきたが、さすがに飽きてしまったので今日の2種類を紹介して終了したい。
「明太とんこつ味」と「やまとの味カレー」だ。明太とんこつ味は私好みではなかった。しょっぱい印象しかない。「味カレー」のほうは普通にウマかった。
このところの変化球ペヤング紹介ではカレー系の商品を2つ3つ取り上げたが、カレー系はすべて食べて損をしたような気分にはならない。万人受けする味に仕上げられていた。
ヘンテコペヤングを10種類ほど食べた結論としては「醤油系」はダメ、トマト系はビミョー、お吸い物っぽいダシ系はまあまあ、カレー系はウマい。
誰の参考になるかは分からないが一応そんな感じである。これを言っては身もふたもないが、普通のペヤングを黙って食べていれば間違いない。そんな結論になるように巧妙に仕掛けてきたマルカ食品に敬意を表したい。
15年ぐらい前にひょんなことから始めたのがバンド活動だ。音楽的素養はまるでない私がフロントマンとして歌っている。かなり長く続いたことに自分でも驚いている。
1年に1度のライブのために春ごろからちょこちょこ集まり練習を重ね、例年11月後半にプロが使う本格的なライブハウスで成果を披露している。今年も今がちょうど練習が厳しくなってくる時期だ。
当初はアコースティックギター2人と私の3人編成でチマチマやっていた。その後、サポートメンバーという名目でいろんな人が参加してくれて今では演目によっては11人編成で演奏する。
正直、行きつくところまで行きついた感覚もある。今回の還暦記念ライブを節目に今後も続けるとしたらどういう形で継続させるか思案中だ。
コロナで中止した回を除き13回ぐらいはステージで頑張った。これって意外に貴重な経験だ。独特の緊張感に包まれ普段は感じないアドレナリンをまざまざと体感し、順調に進んでいく時の高揚感や無事に終わった時の達成感。なかなか得難い体験だ。五感が冴えわたって五臓六腑が震える感覚とでも言おうか。ちょっと大げさか。
趣味の有難みってそれに没頭している時は他のことを忘れられる点だろう。限られた時間だとしても非日常の世界にワープできる。囲碁将棋だろうと料理だろうとレゴ作りだろうときっとみんな同じだ。なんならSМマニアやスカトロマニアの方々だって同じかもしれない。
私自身、60年も生きてきた中でいろんな趣味を経験してきた。長続きしなかったものもあればちっとも面白くなかったものもある。でも、そのすべてが今の自分にとって糧になっている気がする。人生の潤滑油として不可欠なことだから死ぬまで何らかの趣味は持っていたい。
ここ数年、ついついスマホとにらめっこしてどうでもいい動画なんかを眺めている時間が増えてしまった。これも一応没頭できるという点では全否定はできないが“趣味”と呼ぶにはちょっと頼りない。もうちょっと能動的な作業的要素が加われば話も変わるのだろう。
まあ、人それぞれ没頭したいことは様々だから他人がとやかく言っても始まらない。何でもいいから日常から切り離れた「没頭時間」を持つことは大事だ。
バンド活動の面白さは一から音を作り上げていく点に尽きるのだが、そんな真っ当な部分だけでなく「練習後の飲み」もまた醍醐味だ。若い頃に熱中した草野球と同じだ。野球も楽しかったが、むしろその後の飲み会にこそ面白さが詰まっていた。
もう何年もバンド活動を共にして音楽以外の深い話もする間柄になったメンバーもいるが、彼が普段どんな仕事に就いているのか知らない。一昔前、このブログで「無所属の時間」の大事さを口うるさく書いてきた私にとってはそういう関係性はある意味理想的だ。
会社名や所属する組織を前提に「どこそこの誰々さん」という定義付けが人付き合いには付きものだ。別にそれが悪いわけではないが、そういう冠を取っ払った「無所属の個人」として過ごす時間の有無が人としての“幅”を左右するような気がする。
ちなみにバンド練習が終わる時間が中途半端だと近隣で開いている飲み屋さんを見つけられないこともある。そんな時は通し営業のレストランを選んで乾杯タイムを過ごしてきた。
銀座エリアでは味噌カツの人気店「矢場とん」で何度かダラ飲みをした。飲み屋さんではないのでツマミっぽいものが少ないのだが、案外なんとかなるものである。
味噌カツや土手煮でビールやレモンサワーをぐびぐびしていれば充分楽しい。オヤジバンドの面々だから茶色いものしか無くてツラくなると「おかわり無料」の千切りキャベツを何度ももらって凌いだ。
赤坂では24時間営業の韓国料理店でサムギョプサルやプルコギで飲み、お茶の水のスタジオ練習の後はサイゼリアで飲んだ。「サイゼ飲み」の楽しさはバンド活動のおかげで経験できた。
ライブ本番まで練習も残り2回だ。当然、練習後の飲み会もまもなく終了する。何だか淋しい。
日本シリーズもドジャースも終了、大学野球もリーグ戦は終わり、明治神宮大会を残すのみだ。野球シーズンも終わっちゃうわけで、今年春から熱中してきたことがこの11月でことごとく終了しちゃう。
12月は抜け殻になっちゃいそうだ。仕方ないから温泉行脚でもしようかと思う。
で、またまた今日もペヤングの話。
今日は「甲子園カレー味」である。ヘンテコペヤングにはカレー系の商品がいくつもあるが、たいてい想像よりはウマい。カレー系の麺類が好きじゃない私が言うのだからマニアなら満足すると思う。
この甲子園カレーもちゃんと美味しかった。ソースは普通に黒い液体なのだが、混ぜるとカレー味になる。かやくに紅ショウガらしき物体が多めに混ざっているのがおそらく甲子園のカレーをイメージしているのだろう。