まだ今年が始まったばかりだが、年末の流行語大賞にノミネート確実なのが「上納」だろう。言うまでもなくフジテレビの問題をきっかけに飛び交うようになった言葉だ
それにしてもここまで一気に逆風が吹きまくることはフジテレビも想定外だったはずだ。今の時代の「風」の強さというか猛烈な速さには目を見張るものがある。
今回の事件は時代が変化する速度がかつてないほど速くなったことと、世代間格差の急速な広がりを象徴する話だと感じる。
世代間格差はいつの時代にも存在した。至極当たり前の話だが、今の社会は変革スピードが昔とはまるで違う。ほんの20年ぐらいで別な世界になってしまうぐらいの勢いだ。
当然、世代の違いによる「ズレ」も昔とは違う。急激かつ想像以上に大きくなる一方だ。フジテレビの一連の問題をめぐる動きも「ズレの大きさ」を甘く見ていたことが元凶だろう。
社長会見のトンチンカンぶりにしても「その場しのぎ」「お茶を濁す」ことで騒ぎが収まるのを待つ感覚自体が昭和のおおらかさ、ぬるさをガッツリ味わってきたことの副作用だと思う。
バブル時代には社会に勢いがあった反面、面倒なことを先送りしたり、いい加減なやりっ放しや後になってからの辻褄合わなど“テキトー”に物事を済ますという悪弊も珍しくなかった。
過程がどうあれ、勝てば官軍みたいな空気が支配的だった時代だから、そんなテキトーぶりも最後はなあなあで済まされていた。良く言えばおおらか、悪く言えばズサンな空気が確実に存在していた。
フジテレビといえばバブルの頃にイケイケドンドンで知られていた。社会のキーワードだった「軽薄」を体現するようなハッチャケぶりを支えていたのが世代的に今の上層部の面々だ。
今回の一件は、尋常じゃない性被害を社員が受けたことを放置していたということ。このズサンな体質は会社上層部の認識のズレそのものだろう。栄光の時代の反作用が今になって顕在化してきたとみるのが妥当だ。
加害者が人気タレントというだけで思考停止に陥り「この世界にいたらそんなこともある」という、いわば間違った「なあなあ精神」で正常な判断ができなくなったのだろう。
当たり前だが、CMスポンサーも次々にサジを投げた以上、身売りなり解体という選択しかないと思うがどうなんだろう。
フジテレビに限らず、一般の企業にとっても似たような病巣は存在するはずだ。少なからず上層部の世代が昭和世代である以上、今の若者との距離感は想像以上に開いている。単にジェネレーションギャップと言っても過去に言われてきたそれとはギャップの幅自体が比べ物にならないぐらい大きい。
大企業から中小企業まですべての職場に共通する話だと思う。どこかの新聞で社長以外はAIしか働いていないという会社を紹介していたが、世代の全く違う人間が複合的に働く職場よりそんなドライな環境のほうが当たり前になる時代が迫っているようだ。
話をちょっと変える。
昔の若者のほうが上の世代の考えに無条件に染まるケースが多かったと思う。背伸びしたくて必死に上の世代に話を合わせたり、仕事のできる先輩のカーボンコピーになろうと努力したり、自分を捨ててまでその職場に染まろうとしていた傾向が強かった。
上司に接待の場に同行したら奴隷のようにかしづいて馬鹿なことをさせられ、それを当然のことと捉えながらそんなバカげた行為に没頭することが社会に適応することだと信じた。丁稚奉公や徒弟制度の名残りみたいな意識がそういう空気の根っこにあったのだろう。
エコノミックアニマルという言葉が生まれた戦後の高度成長期から何十年にもわたってずっとそんな盲従型会社人間こそサラリーマンの基本みたいな意識が根付いていた。もっと言えばそこで行われていたことへの善悪の判断すら麻痺する勢いだった。
その後、個人の尊重や多様化などの言葉が広まり、働き方改革なる言葉も一般化した。それにつれて「社畜」なる言葉も生まれた。この言葉が昭和の頃には無かったという事実がある意味で興味深い。
極めて劣悪なポジションだということを暗に伝える言い回しだが、昭和の頃まではサラリーマン自身に社畜という意識が無かったからそんな言葉も無かったのだろう。すなわち、どんな状況やポジションでもそれを当然と受け止める一種の思考停止状態の人が圧倒的に多かったわけだ。
ワークライフバランスという言葉だって近年になって出てきた言葉だ。逆に言えばそれまでの社会にはそんな発想を許さない空気があったわけだ。
おまけに「◯☓ハラスメント」に細心の注意を払わなければならない時代になり旧世代は四苦八苦の状態だ。結果、若いサラリーマンの意識は昔とは比較にならないほど激変した。ひょっとしたら明治維新でサムライがいなくなっちゃったぐらいの激しい変わりようかもしれない。
それを昭和の空気に浸かった50代60代以上の会社上層部は今ひとつピンと来ていないのが今の時代の問題点だろう。もちろん、上層部のオジサン、オジイサン達も頭では一応理解しているものの、変化を身にしみて実感しているかと言えばビミョーなところだ。人間の原体験や成功体験は簡単に覆せるものではない。
なんだか堅苦しい話に終始してしまった。自分自身も社会の変化に何とか対応しないと単なる化石になっちゃうから気をつけないといけない。
今回の一件におけるフジテレビのお粗末体質は世の中すべてのオジ世代にとって教科書にすべき問題だと感じる次第です。