2025年11月12日水曜日

ノンアルビールと水問題


最近のノンアルコールビールは昔に比べて格段に美味しくなった。出始めの頃はマズさにおののいたが、技術の進歩って凄いものだと思う。研究開発に励んだ人に感謝したい。

 

なんとなく「オールフリー」一辺倒だった我が家に新顔として参入して定着したのがオリオンビールが出している「クリアフリー」だ。9月に高校野球観戦のために沖縄に行った際に飲んだらやたらとウマかったのでケースで取り寄せている。

 



昼どきに入った沖縄そば屋で何となく注文したのだが、そばの美味しさよりもノンアルビールの爽やかさにおののいたほどだ。

 

物好きだから缶と瓶の両方を取り寄せてみた。現地で飲んだのが瓶だったので缶をイマイチ信用できずに瓶まで取り寄せるあたりが私のB型気質だと思う。

 

で、思い出補正のせいか、瓶のほうが美味しく感じたものの、缶だって全然問題なし。何がどう美味しいか上手く表現できないのだが、スッキリしていて後味がとにかく爽快な印象がある。

 




ノンアルもここまで進歩すると非常に使い勝手が良い。その後に運転予定がある時はもちろん、飲食後にアレコレこなしたい用事がある場合には実に重宝する。良い時代になったものだ。


強いて言えばどこのノンアルビールもミニサイズが充実していないのが課題だと思う。普通サイズの缶の他には250mlの缶は存在するが、より小さいサイズを出してほしい。「ちょっとだけ炭酸」って気分の時にあると重宝すると思う。

 

さてさて、自宅での飲料といえばウォーターサーバー問題は厄介だった。10年以上前からサントリーの天然水ウォーターサーバーを愛用していたのだが、昨年突然に今年11月まででサービスを終了するとの告知。事業徹底というシャバダバな話になった。

 

正直、ウォーターサーバーの良し悪しなどサッパリ分からないから大手のサントリーを選んだのに業務自体をやめちゃうという事態にはビックリ。一番そうならないだろうと思っていた業者だったのにさすがに驚いた。

 

大手イコール安心という思い込みは今の時代には通用しないみたいだ。大手には継続し続ける社会的使命があると勝手に思っていた私がバカなのだろうか。

 

10年以上当たり前のように使っていたモノがなくなるのは案外面倒だった。他のウォーターサーバーをアレコレ吟味する手間と時間はストレス以外の何物でもなかった。一度調べ始めたら私が見ているSNSは各社のウォーターサーバーの広告だらけになった。なんとも迷惑だった。

 



いろいろ無駄に迷い続けた結果、やはりまた「聞いたことがある社名」というだけで「ジャパネットたかた」のウォーターサーバーに乗り換えることにした。変えてから一か月ぐらいたつが特に問題はない。

 

使い勝手はサントリーよりも上だ。飲み終わった水ボトルの処分も前より楽チンになった。こちらのウォーターサーバーは水ボトルが利用に応じてイビツに縮こまっていく様子が丸見えで美観の面でシャバダバだ。

 

事前にそんな口コミを見ていたのでその部分を隠す目的のカバーを別料金で購入してみた。でも透明ケースだから見栄えの点ではビミョーなままだ。それでもカバーのせいで上にモノは載せられるし、1か月も経つと美観など気にならなくなる。イビツな水ボトルの姿もだんだん可愛く見えてきた。

 




サントリーの撤退で難民状態?の人にはオススメできると思う。

 

それにしても水にお金を払うようになったのはいつからだろう。昭和の後半に育った私の世代は普通に水道水をガブ飲みしていた。思い返せば水に対してウマいマズいという感覚自体が無かったのだろう。

 

今の水道水だって飲用可能だが、あえてそれをせずわざわざ天然水だと謳う水を買ってまで飲むのは贅沢な話ではある。きっと天然水ボトルに水道水が入っていても多くの人が気づかないだろう。私だって自信はない。

 

だいたい、その筋?の人の話では日本の天然水も最近では怪しい物質が混ざりまくっているという話もある。真偽はともかく大半の人がペットボトルに入っている水なら無条件に安心安全と信じているのは確かだろう。

 

ウダウダと書いたが、なんだかんだ言ってウォーターサーバーがあるとお茶やコーヒーを飲むのに非常に便利だ。おまけに朝と夜に何回にも分けてサプリや薬を飲む私としては手放せないライフラインみたいになっている。

 

娘との二人暮らしなのに「4人家族相当」の1か月あたりの水ボトル量では足りない感じだ。既にボトルの追加注文が当たり前になりつつある。

 

水分不足で尿路結石を体験しちゃった過去があるからそのぐらいでいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

2025年11月10日月曜日

変態街道をゆく


とかく人は自分と趣味嗜好や考え方が違う人を敬遠したがる。私は生のタラコに酢をぶりぶりかけて食べるのが好きだが、多くの人が呆れたような顔をする。

 

TKG一つとっても醤油と卵をあらかじめ混ぜ合わせてからご飯にかける人もいれば、ご飯とともに混ぜる人や混ぜない派の人もいる。意見が食い違うと自分の正しさを主張したがるのが人間の業である。

 

少数派か多数派かという問題もある。トンカツに醤油をかける人は少数派だ。もちろんソース派の私はそんな邪道ぶりをついつい非難してしまう。でも人の好みは千差万別だからそれはそれで理解を示さないと世界に平和はやってこない。

 

そういう観点からいうと俗にいう「変態」の人々のことが気になる。エロ方面における変態の話だ。無くて七癖とはよく言ったもので、誰もが“変態の芽”は心の片隅に持っているのが普通だ。

 

理性やら自制心、はたまた道徳心という余計な教えによって、頭に思い浮かべてもそれを実行しないだけという人が大半だろう。人生で一度も変態的行為をしなかった人でも妄想の世界ではロクでもないことを考えたことが100回はあるはずだ。

 

かくいう私はこれまでの人生でかなりの変態街道を歩いてきたほうかもしれない。詳細はさすがに書けないが、思い起こせば恥ずかしきことの数々…って感じである。とりあえず犯罪行為だけは避けてきた。当たり前か。

 

そんな私でも根っからの変態趣味を持っているかと聞かれれば答えはビミョーだ。好奇心とアマノジャク精神によって変態の真似事をしてきた側面もある。やや特殊なフェチ傾向はいろいろあるが、「この変態野郎!」と罵声を浴びるほどでもない。

 

せいぜい寝取られプレーが好きなぐらいだ。充分に変態か…。

 

変態か否かの分岐点はしょせんは多数派なのか少数派なのかに尽きる。この国の大昔のいわゆる衆道だって当時は変態行為とはみなされていなかった。貴族や武士社会では年長者が年若い男子を愛玩する風習が一般的だったわけだが、今の時代だったらバリバリの変態ジャンルに分類されてしまう。

 

すなわち変態の定義とは、その行為に励む人が多いか少ないかだけで決まってしまう。実にあやふやなものだ。

 

寝取られプレーにしても10人のうち6人ぐらいが共感してくれたらきっと普通のレジャー?として定着するはずだ。谷崎潤一郎あたりが文学という隠れ蓑を使ってその奥深さを世間に広めようと努力していたが、やはり多数派の保守的な秩序を壊すのは簡単ではない。

 

エロとは別だが、考えてみれば世界中の歴史上の偉人は突き詰めればその時代の常識を破壊した人である。すなわち当時は皆さん「変人」だったわけだ。エラくなった後でさんざん持ち上げられるが、最初は単なる異端だったのが実態だ。

 

そう考えると、いま変態プレーに励んでいる人もいつかはその行為が一般化して先駆者として評価される可能性はある。強引な論法だが、肩身の狭い変態さんたちもそう考えれば明るく生きていけるはずだ。

 



変態に限らず特殊なフェチの人にしても同じだろう。普通の男なら女性の胸や尻に性的興奮を覚えるわけだが、なかには足のかかと、膝や肘、はたまた血管などが興奮のターゲットだという奇特な人もいる。身体的部位に限らず、高学歴の人に無条件で萌える人や家庭持ちの相手じゃなきゃ興奮しないという精神的な倒錯傾向の人も少なくない。

 

きっと少数派のフェチは隠れキリシタンみたいな切ない心境で日々を生きているのだろう。お気の毒だと思う。フェチって本能的な嗜好である。いわば魂の叫びだ。それを大っぴらに語れない人たちで「全日本フェチ促進同盟」みたいな組織を作って多数派の人たちに対して一定の存在感を示すのも一考である。

 

もちろん、フェチの中には犯罪と同義語の怪しいものもあるからそういうのは除外だ。ちなみに私が所属?する「過去フェチ」などは実に安全な路線である。お相手の女性の過去のエロ体験をほじくり返すほど聞きまくって勝手に興奮するという平和なジャンルである。

 



想像、妄想の中で自分勝手に喜べるわけだから犯罪性のカケラも無い。ただ、このフェチは理解者が少ないのが困りものだ。とくに女性にはそういう属性はまず無いらしい。私が過去の体験談を熱心に聞かせても「そんな話、聞きたくないわよバカ」と叱れるのがオチである。

 

少数ながら理解してくれるのは男だけだ。不思議とその人たちは寝取られプレーへの関心や理解も深い。根っこが同じなのかもしれない。

 

なんだか話がまとまらなくなってきた。

 

間違いなく言えることは、世間の常識や秩序なんて誰が作ったか分からない曖昧なものであるということ。自分の変態性に自己嫌悪に陥る必要はない。あくまで少数派というだけだ。犯罪じゃないなら変態街道を信じて突き進めばいいと思う。

 

それにしても私はいったい誰に向かって力説しているのだろう。自分の歪んだ「癖」を正当化したくてアレコレ屁理屈を書き殴っているのが真相かもしれない。

 

 

 

 

 

 

2025年11月7日金曜日

後ろメタファー


気づいたら熱燗や焼酎のお湯割りばかり飲んでいる。ほんの1ヵ月前までは冷えたスイカジュースをグビグビ飲んでいたのに一気に変わった。今はスイカジュースをちっとも飲みたくない。コーンスープやら熱いココアが妙に愛おしい。


最近は倦怠感もなくなり体調はバッチリなのだが、なんとなく冷え性気味だ。体重を落としたせいだろうか。とくに足元が冷えることが増えた。加齢のせいかもしれない。血の巡りが昔より悪いのだろう。

 

季節の話に戻す。お寿司屋さんのツマミはどうしたって常温か冷たいものが多い。必然的に寒くなると酒は温めたくなる。季節の変化に合わせて酒や食の嗜好を変えられるのは日本人ならではの喜びだ。

 


 

松茸の土瓶蒸しは正直言って物凄くウマいかと言われればそんなことはない。シジミの味噌汁のほうがウマいと思う。比べる対象がヘンテコか…。土瓶蒸しは季節を楽しむためだけに存在するようなものだろう。暑い季節が過ぎ去った合図みたいなものだ。それもまた風流で結構だと思う。

 

これからの季節は白子も外せない。以前は尿酸値問題などで食べ過ぎないように気を付けていたが、いまは数値も基準内だし、毎日のように食べるわけではないから何も気にせず楽しめる。

 



人生60年にしてようやく「適量」という感覚が身についたのだとしたら随分とバカである。この半年、夜中に牛丼特盛りを食べることもなくなったし、お寿司屋さんの夕食の後にマックに行ってフィレオフィッシュを複数食べるという意味不明な行動も控えている。

 

適量で済ませられるようになると、ウニやイクラだってバンバン食べても平気な気がする。後ろめたさが無い。“後ろメタファー”を気にせずに済むと美味しさも格別だ。ウニをツマミで食べた後で他のモノを味わいつつ、握りでもウニをもらってムホムホしている。イクラもしかり。ツマミで食べてから後半ではシャリ付きで何度も食べちゃう。

 




好きなものだけ食べるという行為は考えてみれば贅沢の極みだ。子どもの頃、出前の寿司一人前が全部イクラだったら良かったのにと何度も思っていた。当時の不自由さを思い出すと好きなモノだけ食べても許されるのはオッサンとしての特権だ。

 

生まれ変わってもすぐにオッサンになりたい。なんならオッサンとして生まれてきたいぐらいである。

 

さて、胃も小さくなったみたいでドカ食いをしなくなったものの時にはガツンとしたものをしっかり食べたくなる。この部分は元気な男の子のなれの果てという自分のアイデンティティを忘れないために死ぬまで続けたい。

 

先日は、いまハヤりの閉じないカツ丼を食べたくなってウーバーで注文した。トンカツをダブルにしてみたのだが、アッという間に完食した。するする食べちゃったような感じだ。私の中にドカ食い魂はまだまだ健在のようでちょっと嬉しかった。

 



 節制暮らしによって体重を15キロ落としたのだが、まだリバウンドはしていない。この2か月ほど多少の変動はあっても15キロ減になった体重を何となく維持している。

 

少し前には久しぶりにローリーズに出かけて肉をどっさり食べたのだが、コメやパンを食べなければ体重は増えないことを改めて実感した。コメを食べたい欲求は酒を飲むことでゴマカしたのだが、適度に酔っぱらったせいで結果的に満足できた。

 






やはり時には牛肉をガッツリ食べることも大事だ。なんとなくエネルギーが湧いてきたような気がした。メインの肉の前に食べたタルタルステーキもウマかったし、肉肉しい時間に身を置くことは体調管理の面でも意味があると思う。

 

単なる雑食日記になってしまったついでに雑食の極み?であるペヤングの話に移る。ここ1ヶ月しつこくヘンテコ系ペヤングを紹介してきたが、さすがに飽きてしまったので今日の2種類を紹介して終了したい。

 





「明太とんこつ味」と「やまとの味カレー」だ。明太とんこつ味は私好みではなかった。しょっぱい印象しかない。「味カレー」のほうは普通にウマかった。

 

このところの変化球ペヤング紹介ではカレー系の商品を23つ取り上げたが、カレー系はすべて食べて損をしたような気分にはならない。万人受けする味に仕上げられていた。

 

ヘンテコペヤングを10種類ほど食べた結論としては「醤油系」はダメ、トマト系はビミョー、お吸い物っぽいダシ系はまあまあ、カレー系はウマい。

 

誰の参考になるかは分からないが一応そんな感じである。これを言っては身もふたもないが、普通のペヤングを黙って食べていれば間違いない。そんな結論になるように巧妙に仕掛けてきたマルカ食品に敬意を表したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年11月5日水曜日

趣味に生きる


15年ぐらい前にひょんなことから始めたのがバンド活動だ。音楽的素養はまるでない私がフロントマンとして歌っている。かなり長く続いたことに自分でも驚いている。

 

1年に1度のライブのために春ごろからちょこちょこ集まり練習を重ね、例年11月後半にプロが使う本格的なライブハウスで成果を披露している。今年も今がちょうど練習が厳しくなってくる時期だ。

 

当初はアコースティックギター2人と私の3人編成でチマチマやっていた。その後、サポートメンバーという名目でいろんな人が参加してくれて今では演目によっては11人編成で演奏する。

 

正直、行きつくところまで行きついた感覚もある。今回の還暦記念ライブを節目に今後も続けるとしたらどういう形で継続させるか思案中だ。

 



コロナで中止した回を除き13回ぐらいはステージで頑張った。これって意外に貴重な経験だ。独特の緊張感に包まれ普段は感じないアドレナリンをまざまざと体感し、順調に進んでいく時の高揚感や無事に終わった時の達成感。なかなか得難い体験だ。五感が冴えわたって五臓六腑が震える感覚とでも言おうか。ちょっと大げさか。

 

趣味の有難みってそれに没頭している時は他のことを忘れられる点だろう。限られた時間だとしても非日常の世界にワープできる。囲碁将棋だろうと料理だろうとレゴ作りだろうときっとみんな同じだ。なんならSМマニアやスカトロマニアの方々だって同じかもしれない。

 

私自身、60年も生きてきた中でいろんな趣味を経験してきた。長続きしなかったものもあればちっとも面白くなかったものもある。でも、そのすべてが今の自分にとって糧になっている気がする。人生の潤滑油として不可欠なことだから死ぬまで何らかの趣味は持っていたい。

 

ここ数年、ついついスマホとにらめっこしてどうでもいい動画なんかを眺めている時間が増えてしまった。これも一応没頭できるという点では全否定はできないが“趣味”と呼ぶにはちょっと頼りない。もうちょっと能動的な作業的要素が加われば話も変わるのだろう。

 

まあ、人それぞれ没頭したいことは様々だから他人がとやかく言っても始まらない。何でもいいから日常から切り離れた「没頭時間」を持つことは大事だ。

 

バンド活動の面白さは一から音を作り上げていく点に尽きるのだが、そんな真っ当な部分だけでなく「練習後の飲み」もまた醍醐味だ。若い頃に熱中した草野球と同じだ。野球も楽しかったが、むしろその後の飲み会にこそ面白さが詰まっていた。

 



 バンド練習は主に週末に赤坂か銀座あたりの貸しスタジオを利用した。時には3時間休憩ナシでぶっ続けで頑張る。そうなると練習終了後の1杯目のビールが驚異的にウマい。仕事やシガラミとは無縁のバンド仲間とただただ楽しく飲む。これもまた貴重な時間だ。

 

もう何年もバンド活動を共にして音楽以外の深い話もする間柄になったメンバーもいるが、彼が普段どんな仕事に就いているのか知らない。一昔前、このブログで「無所属の時間」の大事さを口うるさく書いてきた私にとってはそういう関係性はある意味理想的だ。

 

会社名や所属する組織を前提に「どこそこの誰々さん」という定義付けが人付き合いには付きものだ。別にそれが悪いわけではないが、そういう冠を取っ払った「無所属の個人」として過ごす時間の有無が人としての“幅”を左右するような気がする。

 

ちなみにバンド練習が終わる時間が中途半端だと近隣で開いている飲み屋さんを見つけられないこともある。そんな時は通し営業のレストランを選んで乾杯タイムを過ごしてきた。

 




銀座エリアでは味噌カツの人気店「矢場とん」で何度かダラ飲みをした。飲み屋さんではないのでツマミっぽいものが少ないのだが、案外なんとかなるものである。

 

味噌カツや土手煮でビールやレモンサワーをぐびぐびしていれば充分楽しい。オヤジバンドの面々だから茶色いものしか無くてツラくなると「おかわり無料」の千切りキャベツを何度ももらって凌いだ。

 



赤坂では24時間営業の韓国料理店でサムギョプサルやプルコギで飲み、お茶の水のスタジオ練習の後はサイゼリアで飲んだ。「サイゼ飲み」の楽しさはバンド活動のおかげで経験できた。

 

ライブ本番まで練習も残り2回だ。当然、練習後の飲み会もまもなく終了する。何だか淋しい。

 

日本シリーズもドジャースも終了、大学野球もリーグ戦は終わり、明治神宮大会を残すのみだ。野球シーズンも終わっちゃうわけで、今年春から熱中してきたことがこの11月でことごとく終了しちゃう。

 

12月は抜け殻になっちゃいそうだ。仕方ないから温泉行脚でもしようかと思う。

 

 

で、またまた今日もペヤングの話。

 




今日は「甲子園カレー味」である。ヘンテコペヤングにはカレー系の商品がいくつもあるが、たいてい想像よりはウマい。カレー系の麺類が好きじゃない私が言うのだからマニアなら満足すると思う。

 

この甲子園カレーもちゃんと美味しかった。ソースは普通に黒い液体なのだが、混ぜるとカレー味になる。かやくに紅ショウガらしき物体が多めに混ざっているのがおそらく甲子園のカレーをイメージしているのだろう。





2025年10月31日金曜日

18年の日々


このブログを書き始めたのは2007年の10月からだ。気づけば18年も経った。我ながらビックリである。最初は職場のSEО対策の一助になればと考えたのだが、早いうちにそんな目的は忘れ去り、個人的な身辺日記に終始し始めた。

 

内容はともかく18年という歳月はかなりの時間だ。生まれた子が成人するほどの年月である。今から18年前だから42歳の頃に始めたわけだ。40代と50代という人生の円熟期?の日々をまるまるカバーしていたことになる。

 

18年前の私は普通の家庭人だった。当時子どもは6歳と1歳。イクメンみたいなことにも励んでいた頃だ。結婚は2回しかしていないから家庭人だったのは通算でも15年ぐらいか。それもまた人生経験になった。

 

それなりに頑張って父親役もこなした、その後は愛人も囲ったし離婚もしたし、優雅な独身貴族を謳歌もした。ナゼか今は娘と二人暮らしだから準家庭人みたいな日々である。

 

豊島区に構えた家は元嫁に差し上げてしまったから、その後は文京区内を転々とし、会社の移転に合わせるように中央区に引っ越し、中央区内でも今は3か所目だ。

 

18年前に今の暮らしはまったく想像できなかった。流転というほどではないがかなり環境は変わった。20年近い歳月は状況を大きく変えるものだと痛感する。

 

逆に言えばこの先の18年なんてもっと想像できない。平均寿命の観点から見れば18年後はまだ生きている可能性は高い。でも私自身は70代前半ぐらいでオサラバしちゃっても構わないと思っているので、もしそうなるのなら18年もの時間は残っていないことになる。

 

なかなかシュールな話だ。そう考えるといま生きている日々って凄く貴重だと思う。このブログを書き始めた時から今日まではアッという間だった。その程度のアッという間の時間がヘタするとこの先は残っていないわけだ。ちょっとゾワゾワしちゃう。

 

この18年、有難かったのはとくに大きな病気にならなかったことだ。コロナやインフルは風邪みたいなものだし、すい臓に時限爆弾があると医者に脅されてはいるが定期検査でとくに問題はない。

 

十数年前、歩けないほどの腰痛に難儀したこともあったが、あれも離婚前後のゴタゴタによるストレスが腰に来ただけの話だったのだろう。扁桃腺も年齢的に腫れまくる頻度は激減した。むしろ20代、30代よりも体調面では順調だったかもしれない。

 

サプリやら各種の薬は真面目に飲んでいたが、そのせいもあって健康に気をつけた食生活に努めたことはない。いわば好きなものしか口にしない半生だったのに60年も支障なく過ごせたわけだから幸せだ。そのツケがこの先に待っているとしたら怖い怖い。

 

男性機能もまったく問題ない。下世話な話にはなるが、この部分は案外重要だろう。男として現役を実感する時間ナシでは日常が味気ないものになるし、活気が湧いてこなくなる。

 



むしろ今では現役であることの確認のためだけに無理に頑張っている感じもある。正直に言えばメンドーでカッタルイなあなどと思いながらオネエサンがたとの“試合”に臨むこともある。我ながらバカだと思う。実にご苦労なことだ。

 

18年前はまだまだ水中撮影に必死になっていた頃だ。さすがにあのエネルギーは今はない。環境が環境だけにあの趣味は無理をすると命にかかわるから自分の体力に見切りをつけて引退した。でも学生時代から30年以上も夢中になれた趣味を持てただけでラッキーだった。

 

15年ほど前に始めたバンド活動は今も継続中だ。今年も11月後半にライブを予定している。練習も佳境に入ってきた。今年も今まで以上に盛り上がりそうな演目を用意している。

 

毎年100人以上のお客さんの前でシャウトしたりアホなМCで笑いを取ったりしているのだが、思えばこれだって18年前には想像していなかった姿だ。変われば変わるものだと痛感する。

 

18年前、自分がなりたかった60歳になれたかといえば答えはノーだ。全然ダメだった。でも人生ってそんなものだろう。とはいえ、この18年間に特別な後悔や無念さを感じているわけではない。もっと言うなら、たとえ18年前に戻ったとしても似たような日々を過ごすと思う。

 

さてさて、残りはあと何年残っているのだろう。一応そんな感覚にとらわれているが、きっと明日にはそんな感傷的な気持ちはどこかへ忘れてヌボーとした時間を過ごしているはずだ。

 

人生は成りゆき。今更ながらそんな言葉しか出てこない。それはそれで幸せなことだと思う。

 

 

さて、今日もペヤングの話です。

 





「岩井の胡麻油付き」という謎めいたペヤングだ。胡麻油のブランドなど私にはチンプンカンプンだが、きっと評判の良いものなのだろう。「ソース焼きそばに胡麻油」というだけでダメな味を想像したのだが、案外ウマかった。

 

ヘンテコペヤングの中でも「マヨツナ味」「世界の山ちゃんコショウ味」と並んで「むしろウマい」と言いたくなるシリーズだと思う。これもまたソースや胡麻油は7割かせいぜい8割だけ投入することがポイントだと思う。

 

ペヤングシリーズ、まだ続くので苦手な人はごめんなさい!






 

 

 

 

 

 

2025年10月29日水曜日

東京っぽさ

 更新が追いつかなったので過去ネタを載せます。「東京っぽさ」についての話。10年前はまだ平日の浅草は人混みも少なくノンビリしていたことを思い出す。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/01/blog-post_22.html





2025年10月27日月曜日

フレンチは苦手だけど

 

いい歳した男ならこだわりを持つべきだと長年このブログで書いてきた。一応いまもそう思う。何事においても自分の軸や芯みたいなものが無ければ頼りない。ただ流されているだけなのはシャバダバだろう。

 

とか言ってるくせに最近の私はかなりテキトーになってきた。いろんなことに執着心が無くなってきた。良し悪しは分からないが、それもそれでアリだと自己肯定している。

 

こだわりって時には単なる意固地や偏屈にも化けるから程度問題だ。考え方をしなやかに保つには「テキトー」もまた大事だ。高田純次師匠を尊敬する私としては自分の中の「こだわり男」と「テキトー男」をうまくコントロールしながら過ごしていこうと思う。

 

さて、前フリが長くなったが、こんなことを書くきっかけになったのが「コースのフレンチ」なる私が最も苦手とする料理を楽しく食べたことがきっかけだ。

 

とはいえ、肩が凝りそうな高級店ではない。銀座のママさんに連れて行かれた銀座7丁目の小洒落たカジュアルフレンチである。長い付き合いのママさんがご馳走すると言い張るので店選びを任せたらそんな店を指定してきた。

 

5年ぐらい前までの私なら他の店に変えてもらったはずだが、今はテキトー路線に傾きつつあるので素直に提案を受けてみた。

 

この半年、小麦の摂取を減らすためにパンをほとんど食べていなかったから久しぶりにバターを塗りたくったパンを求めていたのかも知れない。

 

お店の名前は「地球星」。雑居ビル4階に構える。カーテンの使い方が上手だから席によっては個室感覚にもアレンジできるようだ。食べ物はその日のコースのみ。ある意味潔い。

 

前菜、スープ、魚料理、肉料理にデザートだ。アルコール類は飲み放題のシステムで料理と合わせて何と一人8千円税込みである。スパークリングやら白赤のワインをぐびぐび飲みまくっても8千円である。気取った居酒屋で飲むより安く上がる。

 




飲み放題のアルコールには期待できないのが普通だが、この店ではグラスワインでも出てくる料理ごとに違う銘柄を選んでくれる。かなり気が利いていると思う。

 

料理も全体に優しい味付けで日本人が日本人向けに作った取っつきやすい味わいだった。ビックリするほどウマいわけではないが、すべて普通に美味しく食べられた。

 





おかわりできるホカホカでモッチリしたパンがまた良かった。トリュフバターを相棒にすれば延々と食べていられそうなほどだった。

 

銀座の一等地でこういう店は貴重だ。ワインの銘柄に何もこだわりがない私には便利な店だ。フレンチは重くて苦手だが、こちらの料理はフレンチ風家庭料理みたいなノリだったから何も問題なし。気軽に若い女子などを連れていくには悪くない。使い勝手は良さそうだ。だから結局支払いは私が済ませた。意味不明である。

 

ちなみに、誘われた時に「ウゲ~、フレンチなんかイヤだよ」と断ったらこういう店を知ることはなかったわけで、改めて偏屈なこだわりが強すぎると自分の世界を狭くするだけだと痛感した。

 

まるで意味は違うが「老いては子に従え」という格言をフッと思い出した。自我を抑えて年下の考えに沿ってみるのも偏屈ジジイ予防策として有効だと思う。

 

ちなみに我が師匠・高田純次先生は「老いても交尾したまえ」という格言を残している。どちらも本質を突いた素晴らしい言葉だ。胸に刻んで生きていこう。

 

 

というわけで、ここで本日のヘンテコペヤングに話を移す。

 



たらこ焼きそばである。この味を試すには「超大盛」というサイズしかないから仕方なくお湯をやたらと投入して作成。もちろん完食など無理だ。あくまでヘンテコペヤング研究が目的だから3分の2は捨てるハメになった。ごめんなさい。

 

たらこスパゲッティーが好きな私としてはかなり期待したのだが、あまりたらこ感は強くなく中途半端な味に感じた。ドデカサイスのカップ焼きそばを食べたい人はやはり普通のソース焼きそばを選ぶような気がする。

 



マズくはないけど印象に残らない。そんな感じ。大量のお湯を捨ててソースを混ぜ合わせて完成した時の量の多さにゲンナリしちゃったのが正直なところだ。40年前ならもっと興奮しながらむさぼった可能性は高い。


それにしても出来上がったペヤングの画像ほど「映え」ないものはない。パッと見はみんな同じだ。さすがペヤングである。




 

 

 

 

 

 

2025年10月24日金曜日

松茸ペヤング

 この半月ぐらい誕生日を言い訳に還暦祭りという趣旨で日々いろいろハシャいでいた。で、簡単に体調を崩した。さすがに還暦だけのことはある。実にだらしない。寄る年波には勝てないとはまさにこのことである。


普段より多めに遊び歩いたぐらいで熱を出しちゃうわけだから身体は正直だ。連日のように夜遊びしていた40代半ばまでが体力面では一つの境目だった気がする。そこから体力は落ちていく一方だ。もろもろ自覚しないといけない。


残念なことに中高の還暦記念同窓会も欠席した。たまたま会場が我が家から徒歩10分の距離という幸運に恵まれたにもかかわらず当日にキャンセルするハメになった。


100人近くが集まったようなので、おそらく半分ぐらいの面々とは残りの人生で顔を合わせる機会はないだろう。それもシャクなので幹事の方々にはゼヒ10年後にも記念同窓会を企画してもらいたい。


というわけで今日はペヤングの話だけ書く。さすがにとっくに飽きている。ペヤングは2ヶ月に1度ぐらい食べてこそウマいのだろう。それを言っちゃあオシマイか…。


このブログの末尾で毎回紹介しているペヤングはノーマルのペヤングではなくヘンテコ系だ。どれも個性的かつ方向性の違う味付けだ。それなのにナゼか「ペヤングはペヤング」という食後感は共通している。


わかりにくい表現かもしれないが、それこそがニッポンのジャンクフードの横綱・ペヤングが持つ魔法の力かもしれない。




今回、10種類ほどのヘンテコペヤングを取り寄せるきっかけになったのが「松茸ペヤング」である。発想が突き抜けている。善し悪しを語る以前にそんなものを商品化しようと考えた人を尊敬する。


定価でも1000円近くするらしいが、希少品だったようでネットではバカげた値段で売られている。私も2個セット3500円で買った。バカである。




乾燥松茸がかなり使われていたのが驚きだ。小袋を開けた途端にしっかり松茸の香りが広がる。どうやら本気で商品化されたようだ。


で、食べてみた。ペヤングというジャンクフードの王道を自己否定するかのような上品な味付けだ。ふむふむ、妙に美味しい。とはいえ、素直にウマいと喜べない自分もいる。


「ペヤングにそれは求めてないんだよなあ」。そんな言葉を口に出してしまう。普通のペヤングを愛して50年。私の中に染み付いたペヤングDNAのせいで、お吸い物のような優しい味わいの松茸ペヤングには違和感しか無い。




半世紀に及ぶ我がペヤングの記憶をすべて消し去って味わえば普通にウマいウマいとむさぼり食うのかもしれない。人間の味覚は実に厄介だと感じた。


いろいろ書いたが、この摩訶不思議ペヤングは名ばかりの松茸風味のインチキ食品とは違い、ちゃんと松茸を楽しめる真面目な商品であることは確かだ。


ヘンテコとか言って申しわけない気分だ。心からお詫びしたい。


でもやっぱりヘンテコだった。







2025年10月22日水曜日

寿司修行、5周目?


寿司の修行に長年励んだ。それこそ全国各地で修業した。客としての修行だ。30歳ぐらいの頃、将来、どんなお寿司屋さんに入っても悠然と構えていられるオヤジになろうと決意したのがきっかけだ。

 

修業時代は、時に笑われ、時に叱られ、時にはボッタくられてさまざまなことを学んだ。かなり詳しくなった。自分なりの“寿司ポリシー”も確立した。

 



それこそ3周、4周と修業を重ね、いまは5周目ぐらいだろうか。意味不明だがそんな感覚がある。5周目ともなると、かつてはクサしていた回転寿司の存在意義もよく分かるし、なんならファンになった。シャリにハンバーグが乗っていても構わないと思えるようになった。

 

回転寿司に限らず、カジュアル系の回っていないお寿司屋さんへの向き合い方もだいぶ変わった。かつては凛とした佇まいの個人店こそ正しい寿司屋であり私の修業の場だと思っていた。ちょっと偏っていたと思う。カジュアル系のお寿司屋さんにはそっちならでは良さがある。

 

一品料理も豊富で写真付きメニューがあるようなカジュアル系のお寿司屋さんはたいていが大箱系だ。職人さんとの距離が近過ぎないのも良い。

 

常連になった個人店だとどうでもいい世間話の一つもしなきゃというヘンテコなプレッシャーがかかる。お寿司そっちのけで同行者とバカ話するのも適度に控え気味だ。

 

その点、カジュアル店はカウンター居酒屋に近い感覚で過ごせる気安さが有難い。言葉は悪いが雑な気分のままでホゲホゲできる。これって案外大事な要素だ。

 

修業が長かった私は、それこそメニューも無くネタケースも表に出ていないような個人店で店主と向き合うのは得意だ。季節ごとの魚も分かるし、自分なりの組み立ても確立している。店主とのやり取りの中でウマいものを引き出したり、ワガママにならない範囲で気の利いたツマミを作ってもらって楽しく過ごす。

 

もちろん、それなりに気は使う。高級店ではちょっと背筋が伸びているだろうし、知ったかぶりにならない程度に上手にこちらの知識を混ぜながら「寿司に詳しい客」であることを何となくアピールしがち。大げさに言えば試合しているような感覚だ。

 

カジュアル系のお寿司屋さんではそういう要素は全部ナシだ。自分が作り上げてきた“寿司道”に完全に背を向けてあっけらかんと過ごせる。邪道メニューもバンバン食べる。サーモンだって普通に食べちゃう。

 




こちらはアチコチに店舗を持つ築地玉寿司の築地本店で頼んだ「塩辛手巻き」と「たらこマヨ手巻き」である。こういう“プチ邪道”ばかり頼んでしまう。またそういうズレた頼み方をしやすいのがカジュアル系のお店の有難さだ。

 

元をたどればお寿司屋さんは江戸時代のファストフードが出発点だ。カジュアル系のお店のほうが本来の流れを汲んでいるという解釈もできる。

 

支店をいくつも持つ大箱カジュアル系の店は、仕入れの点でのスケールメリットも強みだ。ネタの種類の多さは個人店の比ではない。高級個人店の“仕事系”にはもちろんかなわないようなモノもあるが総じてちゃんとしたネタが揃っている。

 



この画像はナマの穴子の炙り。巣立ちと塩で食べた。こういう面白いものも日替わりで用意されているのも楽しい。高級個人店でありがちな「こだわりの押し付け」みたいな要素も皆無だ。

 

カジュアル系と表現してみたが、好き勝手にさんざん食べてしっかり飲めばそこそこの値段にはなる。その点はさすがにお寿司屋さんというカテゴリーだ。それでも中途半端な高級寿司屋のお仕着せコースを食べさせられるより満足度は高い。

 

考えてみれば私の長年にわたる「修行の成果」をいかんなく発揮できるのはカジュアル系のお店かもしれない。なによりネタの種類が多く、こだわりの押し付けも無く、ワガママなオーダーも当然のように受けてくれる。基礎知識を備えていれば縦横無尽に寿司時間を楽しめる。

 

時には凛とした個人店でダンディーな寿司通オヤジを気取り、時にはカジュアル系の店でセオリー無視のガサツなオヤジに徹する…。修業5周目時点での私流寿司道の結論かもしれない。

 

 

で、話は変わる。今日も懲りずに恒例のヘンテコペヤングの紹介だ。

 

本日も二つ。まずは「ソースカツ丼やきそば」である。福井県にヨーロッパ軒のソースカツという名物があるらしいが、そことのコラボみたいだ。

 



ヘンテコペヤングのいくつかは「かやく」が後入れである。こちらもその一つ。小袋に入っていたのはミニチュアサイズのカツである。ちょっと笑える。ふやかした麵に付属のソースを混ぜ合わせてから最後にカツを乗せて完成だ。

 


 

感想はビミョー。ソースの味がかなり甘い。普通のペヤングもソース味だからそれとの差別化のためにソースの味を大幅に変えているのだろうが、ちょっと甘過ぎ。お子ちゃま向けという印象だ。

 

まあ、私の味覚もお子ちゃまとたいして変わらないが…。

 

お次は「海老つけ麺味」である。先日紹介した「醤油油そば」に似ていた。すなわちマズかった。ヌメッとしていた。つけ麺やら油そば系はどうも調子が悪いみたいだ。

 



中身の画像は取り忘れた。っていうかペヤングの中身の画像ってどれも似たり寄ったりで華々しい蓋のデザインに比べるとシャバダバなのがカワイイ。

 

ペヤングシリーズ、今後も続きます。ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

2025年10月20日月曜日

人形町雑食日記、ついでにペヤング


今の住まいから人形町は徒歩圏だ。東京の中でもとくに「東京っぽい」と言えるのがこの街だと思う。渋い店構えの老舗もたくさんあるし、イマドキのカフェもあちらこちらにある。散歩するのが楽しい街だ。

 

和菓子屋さんもやたらと多いので、すっかりスイーツオヤジになった私としては散歩のたびにアレコレ買ってしまう。10万円出したら12万円ぐらいに化けてくれた「中央区お買物券」をここぞとばかりに利用している。

 

今は娘と同居しているので週末などはよく二人で散歩しながら外食ばかりしている。近くに住むようになって3年ほど経ったがまだまだ開拓途上である。ねぎま鍋やすき焼き屋の有名店なども未踏である。

 

「ご近所メシ」は気軽な店に限る。サンダル履きで思い立ったら行けるようなお店が美味しかったら幸せだ。工事の騒音などで騒がしい都心部に住んでいるからそういう店がたくさん無いと面白くない。

 

以前からデリバリーで注文して気にいっていた中華料理屋さんに初めて行ってみた。人形町の交差点そばの「万葉軒」というお店だ。娘情報によると点心がウマかったそうだが、この日はいろんな一品料理を頼んでみた。

 


 

最初に食べた自家製チャーシューが私好みで一気にファンになった。中華料理屋さんのチャーシューはホントにピンキリで残念モードに陥ることも多い。香港でよく出てくるような窯焼きの蜜汁チャーシューが大好きな私にとって自宅から徒歩5分でウマいチャーシューにありつけるのは幸せだ。

 

卵の炒めモノも優しい味付けだったし、牛バラも香港にいるみたいな味で、温めた紹興酒との相性がバッチリだった。特大フカヒレ姿煮込みはサイスも味も期待したほどではなかったが、それ以外は美味しかった。穴場だと思う。

 

お次は「てんみ」という居酒屋さん。フレンチと和食のマリアージュを居酒屋価格でというウリの気軽な店だ。喫煙可能なのが私にとっては有難い。メニューも豊富で、突き出し代わりに出てきたトリュフ風味洋風茶碗蒸し?が妙に美味しくてバンザイ。

 


 

馬刺しもあれば、燻製料理もいろいろある。さっさと出てくるメニューの中にも半熟ウズラみたいなニクいメニューがある。牛ハンバーグもそこらへんの洋食屋さんよりウマかった。シメのトリュフTKGは誰もが幸せになる味だった。穴場だと思う。

 



「喫煙可能店はマズい居酒屋」みたいなイメージがある。実際にそれも一種の真理だろう。とはいえ、タバコが吸えるような今どきはガサツと呼ばれそうな店の中にも真っ当な食べ物、丁寧に仕上げた食べ物を提供するお店は結構存在する。

 

嫌煙ファッショに抵抗して相変わらず紙巻きたばこを愛している私にはそういう店はオアシスである。喫煙可能店を多くの人が否定するのも分からなくはないが、禁煙の店のほうがはるかに多いのが今の時代だ。だから否定派の人は四の五の言わずに禁煙の店に行ってくれればいいだけだと思う。

 

次のお店もタバコが吸えるから私にとっては憩いの場所だ。こちらは引っ越し当初から何度も訪ねている。「竹とんぼ」というちょっと洒落た居酒屋だ。気の利いた料理をいろいろ用意している。座席間隔も広めで居酒屋というジャンルにおいては上級路線だろう。

 



刺身や焼き魚もちゃんとしたものを使っているし、焼鳥や焼きとんもある。ナゼか私はこの店の酢だこが好きで必ず注文してしまう。この日は牛すじの煮込みやアサリの山椒煮や、太ったサンマの塩焼き、串ものを食べながら梅干しサワーで酩酊。ここも穴場だと思う。

 

全然話は違うが、人形町は結構な繁華街であり、江戸情緒っぽい雰囲気をウリにしている。訪れる人の年齢層もオトナ中心だ。そのわりに甘味処が「初音」という老舗一軒しか見当たらない。和菓子を売る店は多いのに実に不思議だ。

 

スイーツを提供するカフェは数えきれないほどあるのに、あんみつやお汁粉系の甘味処が決定的に足りない気がする。ちょっと風情がある甘味処をオープンしたら繁盛すること間違いナシだと感じる。本気で出店を考えてみようか…。

 

というわけで、本日もヘンテコなペヤングの紹介に移る。本日は2種類。まずは「贅沢焼きそば・蟹トマト味」だ。

 




やたらと種類が出ているヘンテコ系、いや、迷走系ペヤングを一気に大量に取り寄せたので、それぞれの単価はよく分からない。きっと「贅沢」をうたっている商品は値付けが高いのだろう。

 

ちなみに後日紹介する「松茸ペヤング」はネット界隈では一個1500円以上の値段で出回っている。私もそんな値段で買ってみた。かなりマヌケかもしれない。

 

で、蟹トマト味である。悪くない。案外ウマいという表現が適当だろうか。ご多分に漏れず付属のソースは78割しか投入しないことが条件である。一応蟹の身も入っているし、風味はしっかり蟹だ。

 

強いて言うなら「ペヤングにそれは求めていないぞ」と言いたくなる味でもある。何となく上品な雰囲気だからジャンクな気分の時にこれを食べてもピンとこないかもしれない。

 



 

お次のペヤングは「醤油油そば」である。感想は単純明快に「マズい」の一言である。どうマズいかは上手く説明できないから是非食べてみてほしい。何だかヌメっとしている。付属のソースを全量入れたらきっとあり得ないぐらいマズいと思う。

 

頑張って開発した人、ごめんなさい。でもマズかった…。

 

 ペヤングシリーズ、まだまだ続きます。