実質的には引退していたがいよいよ完全決別の時が来てしまった。大学生の頃からの趣味だった潜水・水中撮影からの撤退である。ついに機材を売り払ったから本当に終了である。ちょっとだけ寂しい。
もっとも、最後に潜りに出かけたのは2018年である。フィリピンのボホール島に出かけたのが最後の潜水旅となった。
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実はその旅行の前年に引退を決めていた。その記念として今までで一番好きだった場所に出かけた。メキシコのコスメル島である。30年以上にわたって熱中した趣味だったから最後は大好きだった海で終えようという計画だった。
ところが、この時の楽しさが格別だった。綺麗な作品もたくさん撮れた。
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そのせいで改めて水中撮影への情熱が甦ってきて「大仁田厚」ばりに早々に引退を撤回した経緯がある。つまり50代前半の段階でほぼセミリタイア状態だったわけだ。
その後も撮影機材や潜水機材も重要なものは大事に保管して来たるべき次の機会をうかがっていた。しかし、前のように情熱は盛り上がらず、時折目にする高齢者の潜水事故のニュースに妙に納得しているうちに何年も経ってしまった。
で、ついにここに及んで撮影機材や潜水機材を売りに出すという思い切った行動に出た。機材が無くなってしまえばウジウジした未練ともオサラバである。セミリタイアという中途半端な状態ではなく完全に引退である。
ヤフオクなどで諸々の機材を売り払った。もちろんすべて中古であり10年以上前に購入したものが中心だ。もっと言えば最後に使ったのが5年以上前のモノである。それでも全部で数十万円になった。良いモノや渋いモノを揃えていた証である。
すべての処分が終わるまで自宅のアチコチに細かな機材やレンズ類などを散在させていたのでちょっとストレスだったが、それも一種の別れの儀式だと思い直して我慢した。
そりゃあ30年以上にわたって命がけで熱中した趣味である。マスクや足ヒレひとつとっても上質なものを使っていた。タンクに繋いで使用する呼吸機材「レギュレーター」もかなりの高級品だった。
撮影機材もカユいところに手が届くような細かな便利グッズ的小物を大量に持っていたので全部処分した。世の中には同好の士が思った以上に多いみたいで、ヒョイと捨てようと思っていたものにまで5千円や万単位の値がついた。
私が愛用した機材で後進の人たちが楽しみを広げてくれれば本望である。ちょっと大げさに言えば、私の命を守ってくれていた潜水機材が誰かの命を守るために再活用されるなら引退する身としてはちょっと嬉しい。
一応、動作確認のために格納していた箱から引っ張り出していろいろと点検したのだが、独特の機材の香りにふれてしばし郷愁に浸ったりもできた。嗅ぎ慣れた香りひとつで熱中していた頃の記憶がまざまざと甦ってきた。
メンテ用品の品揃えにも我ながら目をみはった。実に用意周到かつ完璧な小道具たちが用途ごとに分類されてチンマリといくつかのポーチに準備されていた。自分で用意したグッズなのに今更ながら感心してしまった。
私にもそんな几帳面で用意周到な部分があったんだとナゼか感心してしまった。やはり熱中する趣味を持つことはその人間の行動パターンさえ変える力があることを再認識した。
思い返してみると20年以上前のフィルムの時代の水中撮影という趣味はなかなかに厄介だった。デジタルに移行してからは労力が10分の1で済んでいたような気がする。
不思議なもので私の場合は面倒で仕方なかったフィルム時代からデジタル写真に移行したことが情熱を失っていくきっかけになったのも事実である。
簡単便利な変化に最初こそ感激したが、アナログ時代のアノ面倒な感じや思うようにいかないもどかしさの中で傑作写真をモノにすることに喜びを感じていたわけだ。
時代に置いてけぼりにされた初老男の嘆きに過ぎないかもしれないが、懐かしく思い返すのはアナログ時代の体験ばかりだ。若かった頃でもあるので貧乏旅行で世界中を旅した思い出と相まって私の心に強烈に刻まれている。
ついでに「撮影したい病」と題して過去に撮った水中写真を載せた数年前に書いた話を貼ってみる。そこに載せたのもフィルム時代の写真ばかりだった。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/09/blog-post_29.html
機材類を処分したことで完全引退したわけだが、ホッとする気持ちもある。さすがにウン十年もの間には結構コワい体験もした。今の年齢と体力で同じ状況に遭遇したら大げさではなく簡単に死んじゃってもおかしくない。
海で死ぬことがなくなった。これが結論でありそれに関してはホッとしている。人生後半戦ってこうやって取捨選択の「捨」が増えていくのだろう。何とも感慨深い。
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