食の趣味が原始的になりつつある。こだわりが無くなったのか、ベタな食べ物を楽しむという新たなこだわりなのか、最近は凝ったモノを食べる機会が激減した。
いま一番食べたいものは何かと言われたら、子どもの時に食べていた「家のおにぎり」かもしれない。グルメを必死に追究してきたわけではないが、年相応にいろんな料理を食べてきた結論がそこだと思うと何だか面白い。
富豪記者を名乗っているくせに牛丼やハンバーガーだけで楽しく行きていけそうだ。それはそれで問題である。好奇心や向上心、開拓心みたいなものがユルユルになってきているのなら老け込む前兆だから要注意だ。まあいいか。
とはいえ、牛丼屋さんの安直メシを食べる際も「富豪精神」を保つために贅沢食いは実践している。先日も牛丼の松屋からデリバリーでアレコレ持ってきてもらったのだが、私が食べたものは還暦を迎える大人の食べかたとしては異常だった。
牛カルビ肉にキムチが乗った「キムカル丼」の特盛りを基本に、単品で「厚切り豚カルビ焼肉」の肉2倍盛りも一気に食べた。ウーバーだったからこの2品で3400円ぐらいである。松屋の一人メシの値段としては大富豪級である。
それにしても牛丼屋さんのアノ安っぽい肉だと脂の部分もペロペロ食べられちゃうのはナゼだろう。牛丼なら煮込まれて出がらしみたいだから理解できるが、焼肉系メニューのカルビと称する肉を食べてもさほど重たく感じない。
一般的な焼肉屋さんのカルビは今は一枚も食べたくないのに牛丼屋の肉には特殊な秘密でもあるのだろうか。それとも根本的に私の味覚がヘンテコなんだろうか。謎である。
別な日、中央区某所の高級焼肉屋に出かけたのだが、脂身をムシャムシャ頬張る連れの女子を見ているだけで胸焼けしそうな気分になった。私は自分専用の赤身肉を一人前だけ手元にキープして過ごしたのだが、ちびちび酒を飲んでカクテキをボリボリ食べるのがメインだった。
安っぽい牛肉ならガンガン食べられるのに高級和牛となると途端に遠慮したくなるわけだからカッチョ悪い話である。一応、私はお坊ちゃん育ちである。子供の頃から高級肉を食べさせてくれた親に申しわけない気分になる。
ちょっと話がそれた。食の趣味が原始的になっていることが今日のテーマだった。原始的というと極端な表現みたいだが、平たく言えば「分かりやすいベタな食べ物」だろうか。
そんな食べ物が揃うのが居酒屋のシメに食べる炭水化物メニューだ。焼きおにぎり、焼きうどんといった何の変哲もない一品たちが妙に美味しい。以前はツマミを大量に食べることが多かったが、ここ数年はシメの炭水化物メニューをアレコレ頼むのが習慣化してきた。
新橋あたりで人気の居酒屋グループ「魚金」で食べた焼きそばとエビチャーハンである。画像を見るだけですぐにでもまた食べたくなる。ちゃっちゃか作ってパっと出てきたような気軽な感じが嬉しい。
考えてみれば「分かりやすいベタな食べ物」の定義、いや魅力は「ちゃっちゃか作ってパっと出てくる」ことに尽きるのだろう。ラーメンやカレーの専門店だって実はその部分が人気を支えている。
実際に私は混んでもいないラーメン屋さんで10分〜15分ぐらい経ってもラーメンが出てこないと、たとえ食券を購入済みでも食べずに帰ってしまうことがある。単なるワガママと言われればそれまでだが「ちゃっちゃか作ってパっと出てくる」感じを求めている以上、ダラダラ待たされるのは騙されたみたいな気がする。
カフェではなくあくまで喫茶店という風情が素敵だ。タバコも吸える名店である。オムライスだけでなくナポリタンも人気だ。このブログでも前に紹介したことがある。https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/07/blog-post_10.html
オムライスとナポリタンの影に隠れたような存在がピラフである。エビピラフでもチキンピラフでもない。単なる「ピラフ」という素っ気ないメニュー表記にシビれる。
ピラフは本来は生米から炊くのが基本だが、単なる炒めメシを洋風の味付けにすればピラフと呼ぶことが一般的だ。「喫茶店メシ」に対してピラフ論をウダウダ書くのも野暮だからそこはどうでもいい。ちゃっちゃか作ってパっと出てきたピラフを幸せな気分で食べた。
ウマいかマズいかというワクを超越した「究極の普通」みたいな味だった。こういう食べ物はそれでいいのだと感じた。喫茶店でピラフを食べるというベタな感じが好ましい気分の日もある。
人気のオムライスやナポリタンをさておいて謎めいたピラフを頼んじゃう。そんな〝こだわりの男〟を演じる自分に酔いしれる時間である。
ただのバカかもしれない⋯。
今日は何が書きたかったのかよく分からなくなってしまった。
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