久しぶりに歌舞伎を見に行った。浅草で先週まで行われていた新春歌舞伎だ。毎年恒例のこの公演は若手役者の登竜門と言われているらしい。市川染五郎や中村橋之助が中心だったが私のお目当ては中村玉太郎。友人の息子だ。
玉太郎クンとは以前、旧友の飲み会で一緒になったことがあった。オッサンだらけの集いに参加すること自体、若者として立派な心がけ?である。感じの良い好青年だったので新春歌舞伎に抜擢されたのならナマ観劇しないとなるまいと一人ノコノコと平日の午前中に出かけた。
玉太郎クンがいじらしい娘役を担当する演目とひょうきん者に扮した演目を観た。若手歌舞伎役者ばかりの舞台だからフレッシュな感じが良かった。皆さん平成生まれの役者である。そうなるとこちらはもう親の目線である。
熟練歌舞伎役者の醸し出す空気とは確実に違うのだが、イキの良さというか必死に頑張っている姿勢がストレートに伝わってきて観ていて気持ち良い時間だった。
歌舞伎鑑賞といえば若い頃はただただ退屈だったが、この歳になると独特な空気感を心地よく感じるようになるから不思議だ。日本人としてのDNAのなせるワザなのだろうか。
とはいえ、“推し”の役者がいてこそ観劇を楽しめることを改めて感じた。玉太郎クンが出ていない場面が長々と続くと眠くなってしまう。実際に何度かウトウトした。
でも、ウトウトする感じこそがひょっとしたら伝統芸能を鑑賞するキモなのかもしれない。セリフ回しや所作、三味線の音色のどれをとってもゆったりしている。せわしなくセカセカした今の時代にあっては非日常のリズムが流れている空間に身を置くことは贅沢な時間だ。
その空気感が心地よいからウトウトしてしまうわけで、そんな境地にいることがまさに「いとをかし」である。「歌舞伎って眠くなっちゃうから苦手」みたいな声は多いが、逆にそれを堪能すればいいのだと思う。
伝統芸能を敷居が高い高尚なモノみたいに捉えるのはそもそも間違いだろう。肩肘張らずに思い思いの感覚で楽しむのが正解だ。
それにしても気づいたら自分の子ども世代が世の中でブイブイいわせていることが感慨深い。時の流れの速さを痛感する。還暦間近だから当たり前だが、“旧人類”というジャンルに自分がいることにちょっとアワアワしてしまう。
思い起こせば甲子園で奮闘する高校球児がいつのまにか年下になってから、事あるごとに自分のいるポジションというか、年代的に社会の中のどのあたりに位置しているのかを気にかけるようになった。
その後、プロ野球の監督に年下がちらほら見受けられるようになったあたりから加速度的に人生後半戦がズンズンと進んだ。ナントカ大臣に就任する国会議員がフツーに年下になってきた。総理大臣はまだ年上ばかりなのが救い?かもしれない。
なんだかヘンテコな話になってしまった。
20年ぐらい前には縁あって能や狂言もナマ鑑賞する機会が何度もあった。あの頃はただ退屈で苦痛だったが、今の歳だったら当時より楽しい時間が過ごせるような気もする。そういう意味では加齢は悪くない。悪くないどころか案外楽しい。
若い頃に苦手だったことやものに抵抗がなくなるのが歳を重ねることの強みだ。囲碁将棋や盆栽なんかにこれから興味が湧いてくるのだろうか。浪曲や人形浄瑠璃みたいなものまで実際に観に行ったらハマる可能性があるのだろうか。
だとしたら嬉しいような切ないような不思議な気持ちになる。
まあ、いい年して若い女性のお尻を追っかけるよりもそっちのほうが建設的?かもしれない。いやいや、老け込まないためにソッチも大事だ。
「不惑」を迎えてから20年ぐらい経つのに惑いの日々である。
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