2019年10月16日水曜日

夜遊びは大事


 夜のクラブ活動をサボっている。サボるという行為は良くないことだが、クラブ活動のサボりは私にとって良いことである。

散財しないわけだからお金が貯まってもいいはずだが、なぜかそうならない。謎である。たぶんウーバーイーツのせいである。そんなはずはないか。。。

とはいえ、クレジットカードの利用実績をチェックしたら、コンビニとウーバーイーツだけで月に10万以上使っていたことが判明してビビった。

反省である。大いなる無駄の中で暮らしているみたいだ。

さて、クラブ活動の話である。銀座の近くに引っ越してから足が遠くなった。銀座7丁目、8丁目界隈で夕飯を食べても、そのまま寄り道せずに帰宅することが増えた。



夕飯時にしっかり飲んだら満足してしまう。酒が弱くなったのだろうか。それならそれで健康には良いことである。

ただ、10年も前ならさんざん飲んだ後でもクラブ活動に励んでいた。コーラで休憩したり、梅昆布茶をすすりながらバカ話に花を咲かせた。

あの元気さが無くなったのなら残念なことではある。たかだか50代で老け込んでいるようではダメな気がする。

以前はアフターにも付き合うぐらい元気だった。店が終わったあとで綺麗どころを引き連れて食事や飲み直しに出かけていたわけだ。

同伴と違って、アフターは意外な展開!?になることも多かった。考えてみればそんな事件事故!は夜中の2時や3時、はたまた明け方に発生するわけだからタフじゃなければつとまらない。



あの頃は単純に家に帰りたくなかったのだろう。まあ言い訳半分ではあるが、そんな気分も影響していた。

非日常に身を置いて、刹那の海に溺れていたわけだ。うん、そう言うとなんだかちょっと格好いい気がする。

クラブ活動に限らず、夜遊びの心理には「帰りたくない」というワガママが付きものだ。尾崎豊だって家で勉強しないで「盗んだバイク」で走り出していたわけで、いくつになっても同じである。

今の私は気ままな一人暮らしを楽しんでいるから、すぐに家に帰りたくなっちゃう。ドテっとソファにふんぞりかえってAmazonプライムビデオを観ながらダラダラする時間が最高である。

でもそんなグータラな暮らしはもっと歳を取ってからでも出来る。家庭のしがらみで遊びに行きたくてもいけない友人の話を聞くと、友人の分までちゃんと夜遊びにも励まないといけないと反省したくなる。

12月初旬には毎年恒例のオジサマバンドライブを行う。いつも大勢の銀座のオネエサン、オニイサン達が賑やかしに来てくれるから、そろそろ“営業”も兼ねて飲み歩かなければいけない。

先日は馴染みのオネエサンの同伴に付き合った。ウーバーイーツを頼んでプライムビデオを見るのも楽しいが、同伴の席でバカ話をしながらウマいものを食べるのも結構楽しい。



ロングドレスは脚線美が見えないなどと文句をつけながらスカートめくりに精を出したり、日頃カタブツとして生きている?私にとっては、適度な刺激になった。

なんだか今日は自分自身を奮い立たせるような話になってしまったが、富豪を目指す中年男としては、銀座のネオン街をカッコつけて歩く時間も大切である。

頑張ってみようと思う。


2019年10月11日金曜日

肉食 魚食

欲求不満の日々である。悶え苦しむほど欲求不満だ。


アッチの話ではない。魚食にナーバスになっている日々がシンドイ。お寿司をドカドカ食べたい、しめ鯖もガツガツ食べたい。

多分そんなに気にする必要はないのだが、アニサキスアレルギーという悪魔の診断を食らってからビビリモードが続いている。

某SNSで見つけたアニサキスアレルギーで困っている人達のグループページに参加したのだが、皆さんの体験談やエピソードを読み過ぎて混乱中である。

結構シャレにならない事例を読み過ぎてしまったのがいけない。アレルギー反応は繰り返すと重くなることもあるらしいから影響されちゃって意気消沈状態である。

同じアレルギーでも強弱の差はかなりあるようで、お気の毒な人はラーメンや味噌汁の出汁、かまぼこ、はたまたドレッシング類でも反応しちゃうそうだ。

私の場合、1年に一度ぐらい青魚を食べたときにジンマシンが出るぐらいなので、神経質になる必要はない。はずだ。

問題はいつからアレルギー体質になっていたのかという点である。

仮にそれが5年前、いや3年前、いや去年からだったとしても、あまり気にする必要はないはずだ。

この9月前半までは週に一度は寿司屋で普通に食べまくっていたわけだから、ごくたまに反応しちゃう程度なら今まで通りのライフスタイルでいられる。

先日、仕事絡みの会食でコース料理の中にサバの押し寿司が2切れ入っていた。恐る恐る1切れだけ食べた。無事だった。

別な日、銀座の割烹料理屋の突出しにサンマの煮物が出てきた。丸のまま煮付けたヤツの胴体の一部分である。恐る恐る食べた。無事だった。

別な日、和食屋さんでこれまた突出しとして白身魚の刺身が二切れ出てきた。恐る恐る食べた。無事だった。

全然大丈夫じゃないか!!

でも、睡眠不足が続いているから、お寿司屋さんのノレンをまだくぐれていない。近日中に突撃してみようと思う。




というわけで、魚以外の食事が続いている。先日は銀座の「美らしゃぶ亭」で豚肉三昧。しゃぶしゃぶの他にシュウマイやウインナー、ラフテーなどを食べる。

別な日、銀座の小料理屋「おかやす」で豚肉豆腐とマカロニサラダをワンサカ食べた。マカロニサラダが味付けも良くアルデンテ状態が絶妙でお代わりしてしまった。




銀座のシッポリした小料理屋で一人黙々とマカロニサラダばかり食べる姿はちょっとヘンテコかもしれない。

でも、安い居酒屋で200円ぐらいで頼めるビチャビチャしたマカロニサラダより遙かにウマい。本気のマカロニサラダである。最高だった。

自宅では相変わらずウーバーイーツをガンガン頼んでいる。なか卯や松屋といったレギュラーの他、先日は「日本豚園」という店の豚丼を注文した。



クセになる味だった。茅場町「鳥徳」のきじ焼重と並んで、これから私にとってのヘビーローテーションになることが決定した。

なんだか肉ばかり食べる日々だ。それも豚ばかりだ。自分まで豚になっちゃいそうだ。真面目に魚食の道に戻らないと命にかかわるような気がしてきた。


2019年10月9日水曜日

私に電話してください



またひとつ歳を重ねた。オジサマ街道まっしぐらである。一応、高齢者ではなく中高年ではあるが、胸を張って中年といえるかは微妙だ。まさに高年である。更年期なのも仕方がない。

最近、若い人と話が通じないことが増えてきたのが面倒だ。ジェネレーションギャップである。400勝投手カネヤンのことだって若い人は知らない。私もさすがに現役時代は見ていないが、ロッテ監督時代に近鉄の外国人選手の顔面にキックを見舞わしたシーンは強烈に覚えている。

つい先日、高校生の娘があのポパイを知らないという驚くべき事態に遭遇した。「ほうれん草を食べたらポパイみたいになれるぞ」と諭した時に発覚した。



オリーブもブルートも当然知らない。♪ポパイ~ザ・セーラーマン~、フェッフェ~と必死に歌ってやったのに全然通じない。

育て方を間違ったのかと思ったぐらい私にとっては驚きである。ダンボとかムーミンとかプーさんは知っていたのにポパイは知らない。同じような知名度だと思うのだが謎である。

我々の世代が子どもの頃に自分達が生まれる遙か前の漫画「のらくろ」を楽しく読んだのとは大違いである。



懐古調になってしまうのだが、昔は自分より前の世代の関心事やハヤったことを知識として共有していた気がする。ヒット曲や社会現象などいろんな分野で話が通じた。

今の時代は、関心事や話題、趣味嗜好などが世代ごとに細分化されているから、社会の在り方が根本的に変わってきたのだろう。これもまた一種の分断社会である。

わがオジサマバンドは12月のライブに向けてせっせと練習を重ねているのだが、一部の曲に参加してくれるサポートメンバーは何と十代の若者である。

“あいみょん”ぐらいしか共通言語が無い?のだが、彼からすれば40歳ぐらい年上の人間と接することは宇宙人と付き合うような感覚なんだろうか。

先日も30代の知り合いに「太陽にほえろ」が通じなかった。石原裕次郎扮するボスは凄い貫禄だったのに当時はまだ30代後半だったという私の得意話がまるで通じなくて困った。

当然、山さんや長さんが40代そこそこだったという得意話第2弾も不発に終わってしまったわけだ。忸怩たる思いである。大げさか。

いまや「北の国から」の話も通じないし、「岸辺のアルバム」なんか50歳以上の人しか知らない。世の中の変化の速さを痛感する。

そう考えると、70代~80代の人達は私よりも遥かに若者と話が通じないわけだから、随分ともどかしい思いをしているのだろう。なんとなく気の毒である。

別に良し悪しを語っているつもりはないのだが、やはり「昔は良かった」的な方向になってしまう。そのこと自体が私の老化を表しているのだろう。

しょうがないから、スタイリーで身体を鍛えて、紅茶キノコで健康になって、純喫茶でインベーダーゲームに励んで、ビューティフルサンデーを口ずさんで開き直って生きていこうと思う。

ちなみにこれはスタイリーのCM。懐かしくて魂が震える。


実際に電話したもののCMのオジサンが出てこないとマジで怒った人達がいたらしい。のどかな時代の話である。





2019年10月7日月曜日

プライムビデオ中毒


Amazonプライムビデオにハマッている。もう3年ぐらい前から使っているのだが、ここ最近は日課のように深夜までテレビの前に陣取っている。

ネット環境のせいか、今の家に引っ越してきてからの方がサクサク反応してくれるので、中毒のようになってしまった。おかげで睡眠不足だ。



阿部寛主演の連ドラ「結婚できない男」も12話分を3日間で見終えた。もう13年も前のドラマだ。

10年以上経ってもまだ結婚できない状態を描いた新作が明日から始まるらしいので、ちょうどよい予習になった。

十数年前の放送当時もチラチラ見たが、改めて見返すと印象が違う。今の私にとっては身につまされるような部分もあって、やたらと真剣に見てしまった。

一人でいることを好み、偏屈で独善的な主人公の気持ちは私にはよくわかる。よくわかるからこそ素直にゲラゲラ笑えない。自分のバカっぽさを突きつけられているように感じた。

明日からの新作も必死になって見るつもりだ。ちなみに私は「結婚できない男」ではなく「結婚がうまくいかない男」である。あの主人公よりは社会性はある、と思う。



「ドクターズ 最強の名医」シリーズも短期間で全部見た。第3シリーズまである連ドラ全話の他に2本の単発スペシャルもすべて一気に見た。

医療モノが好きなわけではないのだが、何気なく見始めたら高嶋政伸の怪演ぶりにハマって引きずられちゃった感じである。

ウマいヘタという次元ではなく「怪演」というジャンルは中毒性がある。かつて佐野史郎が演じた「冬彦さん」あたりから怪演キャラが増えたのだろう。このドラマも沢村一樹演じる主人公より高嶋政伸のことばかり印象に残った。



こちらは8年前に放送されていた「陽はまた昇る」というドラマだ。プライムビデオの音声検索機能で「佐藤浩市」の主演作品を探していて見つけた。

俳優の名前で作品検索できるのは便利だ。「佐藤浩市」「三浦友和」「江口洋介」あたりで検索すると、割と骨太系の映画やビジネス系ドラマがたくさん出てくる。

もちろん「高倉健」「松方弘樹」といった探し方も出来る。中高年オヤジには有難い機能だ。

このドラマは警察学校の鬼教官と制度たちを描いたベタな作品だったが、“佐藤浩市モノ”が好きだから最後までしっかり見た。

先日、わざわざ映画館に行って中井喜一主演の「記憶にございません」を見てきた。私がひねくれ者なのか偏屈なのか、あまり面白いと思えなかったが、佐藤浩市が絶妙な味を出していたのでそれなりに楽しめた。

映画館の迫力も捨てがたいが、私の場合、アクションとか宇宙でドンパチとかそういう系の映画は見ないので、家でノンビリ大画面テレビと向き合っている方が快適だ。

小型のホームシアターセットを繋いであるからテレビにありがちな「音がショボい問題」も気にならない。

映画をじっくり見るのも楽しいが、連ドラをまとめて鑑賞する場合、1話が50分弱だからマメに区切りがつけられて何かとラクチンだ。

普通に社会で生きていれば、連ドラをリアルタイムで毎週見続けるなんて至難のワザである。頑張って見始めてもつまらない作品も多い。

その点、過去に放送された評判の良かったドラマや個人的に興味を持ったドラマをヒマな週末や夜中にぶっ続けで見るのは変な背徳感があって楽しい。オススメです。

2019年10月4日金曜日

志満金 喜代川 宮川本廛

アニサキスアレルギー宣告のせいで、ビビってしまってお寿司屋さんに足を運んでいない。もう3週間近く寿司断ちである。


こんなに間が空いたのは記憶に無い。ここ20年で初めてのことだ。今までほとんど問題なかったのだから今更そんなことをしても無意味だ。わかっているのだが、モチベーションが上がらない。

一応、内服薬も家にストックしたから、ちょっとジンマシンが出たって平気なはずだが、意外な自分の神経質ぶりに我ながら困っている。

で、肉ばかり食べるのもツラいからウナギ攻めの頻度が増えた。すっかり高値安定になってしまったウナギだが、エンゲル係数破たんオヤジだからしょっちゅう食べている。



たまに食べるからこそ感激する。ウナギってそういう要素がある。しょっちゅう食べてももちろんウマいが、最近は感激しなくなってしまった。バチが当たりそうな話である。

高校生の頃、渋谷センター街にあった大衆的な鰻屋さんで、細切れウナギが3つ4つだけ入っている安いウナ玉丼を頬張っていた日が懐かしい。

あの頃は、普通の鰻重を食べるオジサン達が羨ましくて、大人になったら飽きるほどウナギを喰いまくるぞと心に誓った。

いま、ウナギざんまいという目標は達成したわけだが、若い頃のウナギへの飢餓感が無性に愛おしく思える。タチの悪いワガママみたいな感覚だ。まあ、それも人間の業である。

なんだか大げさな話になってしまった。



これは神楽坂「志満金」の鰻重。てんこ盛りである。先日、娘から昼間に呼び出された時に御馳走させられた一品。

私は朝夜の二食生活だから、昼からこんな立派なのを食べるのは無理だ。もっと小さいやつにして、それも半分は娘にあげてしまった。

「ウナ玉丼」の頃には考えられない退化である。

もはや私にとってのウナギは、食事というより酒の相棒になってしまった感がある。それはそれで構わないのだが、ガッツガツ食べていた頃に比べて弱体化した自分がちょっと切ない。




茅場町と人形町の間ぐらいにある「喜代川」の白焼きとうざくだ。繁華街から離れた場所にポツンと佇む雰囲気のある店だから、シッポリとウナギ飲みを楽しむには良い店だと思う。

ウナギを味わう際は店の風情も無視できない。モダンな造り、オシャレなBGMなんか害にしかならない。



あの香りが漂ってくる場所はあくまで純日本的な空間に限る。その点、この店はイメージ通りの鰻屋さんだから心地良くホロ酔いになれる。

今の住まいに引っ越してから3か月が経ったが、徒歩で行ける便利な店が「宮川本廛」だ。築地と新富町の間ぐらいに位置している。

大箱だからウナギ以外のツマミも揃っている。「夜ウナギ」には嬉しい。先日頼んでみた焼鳥も美味しかった。



子持ち昆布や枝豆でスタートして、こんな焼鳥やら肝焼きを肴にグビグビ飲む。そしてノッソリと鰻重がやってくるーー。こんな素敵な展開は日本人にとってスペクタル極まりない世界である。

高い高いと言っても、得体の知れないフレンチのお仕着せコース料理にどうでもいいワインを頼むようなディナーよりはよっぽど安上がりである。何よりこっちのほうが気分が上がる。

まだまだ訪ねてみたい鰻屋さんはたくさんある。しばらくはアニサキスアレルギーでウジウジしたままになりそうだから、別次元の魚?であるウナギに頼って生きていこうと思う。

2019年10月2日水曜日

ムホムホ チョメチョメ


オノマトペという言葉をご存じだろうか。なんだか音の響きが呪いの言葉や新型の性病みたいである。尾野真千子の親戚みたいな感じもする。

「雨がザーザー」「雷がピカピカ」「怒りがメラメラ」といった擬音語のことオノマトペと言うそうだ。

オノマトペという用語自体が、「オナペット」とか「カトちゃんぺ」を思い起こさせる言葉だが、元はフランス語なんだとか。

日本語はこのオナペット、いやオノマトペが多いらしい。犬や猫のワンワン、ニャーニャーもそうだし、ドキドキする、ワクワクするなど頻繁に使われている。

ムシャムシャ食べる、ガンガン働く、ジンジン痛む、ピカピカに磨く等々、常日頃から何気なく使っている。テキトーというのか、感性が豊かと言うべきか、日本人の性質に合っているのだろう。

メキメキと上達する、お腹がペコペコ、胃がキリキリ。考えてみれば擬音語の部分だけを独立させてジッと見つめてみると、先人達の感性の凄さに恐れ入る。

メキメキ、ペコペコ、キリキリである。そこだけ切り取ると超絶的に意味不明だ。謎めいている。でも、上達、お腹、胃がくっつくだけで日本全国誰にでも通じる言葉として成立する。なんとも奥が深い。

笑い方を表す際も「ニコニコ」「ニヤニヤ」「ニタニタ」「ケタケタ」「ゲラゲラ」など実に多様なパターンが存在する。

泣く場面でも「しくしく」「めそめそ」「さめざめ」「めそめそ」「はらはら」「ぽろぽろ」など実に多様だ。

それぞれ使い分けることでニュアンスがしっかり変わるところが凄い。日本語の面白さを象徴する話だと思う。

雪がしんしん降り積もる。春の小川はさらさら行くよといった風流な響きのものもある。情緒の部分にも貢献しているから、オノマトペを安易な表現、テキトーな言い回しなどと評してしまうのは間違いだろう。

このブログでもしょっちゅうそんな言葉を使っている。「ぶりぶり飲んだ」「ワシワシ食べた」「疲れてデロデロだった」「暑すぎてゲロゲロ」「梅干しをグジャグジャ」等々、たいていは過剰なニュアンスを表すときに使っている感じだ。

同じ音の繰り返しだけではない。「ドッヒャー」「ビヨーン」「サクっと」「ベロリンチョ」「チャラい」「ションボリ」「ヘチャムクレ」など例をあげればキリがない。

ついでにいえば「ペチャパイ」「ツルッパゲ」あたりも擬音語だろう。好き嫌いは別として傑作だと思う。



その昔、今は亡き山城新伍が「チョメチョメ」という言葉をハヤらせたことがある。使い道は主にエロ系である。まだ子どもだった私には神秘的な響きに聞こえた。

その後、昭和50年代に欽ちゃん番組で人気だった少女が写真週刊誌に彼氏とのベッドイン写真をすっぱ抜かれた時に「ニャンニャン」という言葉が登場した。ずばりセックスの意味である。

「ニャンニャンする」「ニャンニャンしちゃった」みたいな言い回しが普通に広まったことを覚えている。

チョメチョメ、ニャンニャンの系譜につながる言葉として私が強く推しているのが「ムホムホ」である。

「ムホムホな展開に持ち込む」「ムホムホな関係になった」という使い方も出来るし、「脚線美にムホムホした」「ビキニ姿にムホムホ」みたいな使い方も出来る。

実に含蓄に富んだ素敵な言葉である。「全日本ムホムホ普及協会」でも設立したいぐらいだ。なかなか同調してくれる人がいないのが問題である。

日本語の奥深さを書き始めたつもりだったのに、結局は下ネタになってしまうのが私のスットコドッコイな特徴である。

ついでに私が大好きな擬音語を並べてみる。ギンギン、カチカチ、ペロペロ、パコパコ、そしてフサフサである。

2019年9月30日月曜日

ショックな診断


物心がついてきてから半世紀。気付けば随分と体質的なものが変わってきた。いまや新陳代謝も無くなり、呼吸しているだけで太るし、先日はついに眉毛に白髪を発見した。

あれほど好きだった焼肉屋のカルビも見るだけでゲンナリするようになった。その一方で昔は親の仇のように嫌っていたミョウガみたいな“草”を美味しく感じる。

変われば変わるものである。

女性の好みだって若い頃はちょっとムチムチしているぐらいの体型に惹かれたが、今では首筋のシュッとした細めの人に目が行く。

きっと子孫を残す本能が強かった頃は安産型みたいな体型に魅力を感じたのだろう。逆に言えばそれだけ生殖年齢から程遠い立場になったということでもある。

先日、馴染みのクリニックでアレルギー検査をしてもらったら意外な結果が出た。「アニサキスアレルギー」というシャレにならない診断である。



これまでアレルギーとは無縁の人生だったから結構ビックリした。おまけに意外に厄介なアレルギーだとか。

アニサキスに関しては10年前にこのブログでも取り上げた。読み返してみると当時は呑気な書きぶりだ。あの頃は良かったとしみじみ言いたくなる。


寄生虫が胃壁に噛みついて痛さにのたうち回るパターンは「アニサキス症」といって、アニサキスアレルギーとは別らしい。

生きているアニサキスなら、冷凍したり加熱すれば心配ないし、刺身だってよく嚙めば大丈夫である。

アレルギーの場合は、死んでいるアニサキスが体内に入っても、はたまたアニサキスの分泌物が付着している魚だろうと反応しちゃうそうだ。軽くジンマシンが出るぐらいなら構わないが、劇症化すればヤバいことになる。

アニサキスに縁がない完全養殖の魚にしても、エサに魚粉が使われていたら反応しちゃう可能性もあるらしい。人によってはカツオダシを摂取しただけでアレルギーが出ちゃうこともあるとか。なんとも厄介である。

私の場合、サバや貝のアレルギーはまったく無いのに、夜中に時々全身にジンマシンが出ることがあった。ここ数年の傾向なのだが、どうやらアニサキスアレルギーが原因だったみたいだ。

花粉症や甲殻類アレルギーみたいに、いわゆるコップの水が溢れてしまったのかも知れない。

シメサバは子どもの頃から大好きだったし、カツオのたたきにも目がない。イカのはらわたの刺身なんかも大好物だ。いよいよリミッターが振り切れてしまったのだろう。

なんとも切ない事態である。

アニサキスはどんな魚にも寄生するから、このアレルギーがある場合、極論すればサバやイカに限らず、魚介類なら何でもあたっちゃうリスクがあるという話である。

寿司好きの私にとっては悪魔の宣告だ。眉毛に白髪が混ざっているどころのショックではない。ライフスタイルに影響しかねないわけだ。

救いは常にアレルギー反応が出るわけではない点だ。平気なときは平気だから、今後いっさい青魚を食べられないわけではない。

アレルギー診断を下された日も、ヤケになってイワシのガリ巻きとカツオの刺身をしっかり食べてみた。結果はセーフだった。運が良かったのか、やたらと体調が良かったのか理由は不明だ。



とはいえ、そういう魚を食べる時の気分がもうダメである。これがキツい。何となくビビッているから心の底から楽しめない。悲しいったらありゃしない。

先日も「つばめグリル」でハンバーグの前にニシンの酢漬けを注文したのだが、結局一切れだけでやめてしまった。美味しかったのに寝不足だったからビビリモードになってしまった。

まだ悪魔の宣告を受けて間もないので余裕ぶっているが、今後ジワジワと私のライフスタイルに陰を落とすことになりそうだ。

ちなみに、いずれアッチが硬くならない日が来たら、きっと同じぐらいショックだと思う。

いや、さすがにそっちのほうが死ぬほど悲しいはずだから、それよりはマシだと自分に言い聞かせようと思う。