仕事で毎週コラムを書いているのだが、この時期は新年向けの内容になる。干支に絡んだネタを無理やり?アレコレ書くのだが、来年は丑年、すなわち牛である。
明治維新で肉食が奨励され、牛肉を食べることが文明開化の象徴になっていた話を書けば頭に浮かぶのはすき焼きだ。
とはいえ、頭には浮かんでも牛肉を食べたい気分にならない。加齢の証だ。
総理大臣を含めて8人の高齢者達がステーキ屋に集まって叱られていた。あの歳になってわざわざステーキを食べたがる元気さは大したもんだ。見習わないといけない。
先日はクエ鍋を食べに行った。ステーキを食えないオジサマ的には実に頃合いが良い。銀座にある土佐料理屋・祢保希である。
毎年、冬になると無性に食べたくなる。魚なのに煮込んでもバサバサにならない。個人的にはフグよりも好きだ。
この店、例年12月ともなれば大繁盛でなかなかフラッとは行けない。ところが、今は人出が減ったせいで空いていてビックリ。
正しく気をつけることはもちろん大事だが、せっかくだからいろんな店が空いている今の機会を有難く思ったほうが建設的だ。
別な日、日本橋にある鰻の老舗・大江戸を訪ねたときのこと。こちらも割合お客さんが少なく、肝焼きも普通に頼めた。
人気の鰻屋さんの場合、肝焼きは早い時間に売り切れていることが多い。その場で普通に頼めること自体が、今の飲食店を取り巻く環境を象徴しているような気がした。
白焼きをツマミに冷酒をカピカピ味わい、シメに鰻重を頬張るのは冬の楽しみである。いつの間にか鰻は夏の定番料理みたいに思われているが、本来は冬の食べ物だ。
ちなみに、このヤケクソみたいな鰻重は同行者が食べたもの。私は2,3年前からこのサイズが食べられなくなった。実に淋しい。
酔っていれば夜中にカップ焼きそばや牛丼特盛りを平気で食べられる胃袋を持っているのに、普通に食事している時は食べられる量が減ってきている。衰退である。
お寿司屋さんで焼き魚や揚げ物を頼むにしても、ついつい普通より小さいサイズにしてもらうか、量を減らしてもらう。
視力が衰えた、足腰が弱ってきた、物忘れが増えた、アッチの元気が足りなくなってきた等々、この10年ぐらい徐々に劣化を痛感している。
そんな全身衰退状態の中でも一番悲しく感じるのが食べる量が減ったことである。ウジウジした気分になる。
まあ私の歳で若い頃と同じように食べていたら単なるバケモノか単なるバカである。とはいえ生き物としての基本中の基本だけに、この部分の劣化はさすがに寂しい。
ちなみ今日はクリスマスである。これまた加齢を痛感する日だ。若い頃はあんなにワクワクしたのに、今では何も感慨はなく気忙しいだけの1日になった。
必死に部屋の天井や壁までキラキラと飾り付けして、彼女が来るのを待っていた情熱はどこに行ってしまったのだろう。
シャレたレストランをせっせと予約して、やたらと気取った格好でデートに励んだ情熱はどこに消えたのだろう。
もっとも、30年ぐらい前と同じことをしていたらマヌケだが、今は街のイルミネーションを見ても何も感じなくなった。
ほんの5年ぐらい前までは、ピカピカした街の賑わいをウザったく感じるぐらいのアマノジャク精神?はあった。今はそれすら感じない。
食欲に加えて感度も劣化しているのならマズい。ワクワクするような気持ちを無くしたら人生がつまらなくなる。
先日、3ヶ月ぶりに霊感占い師と1時間ばかり面談した。あれこれと言われた中で印象的だったのが「アナタは何を考えているかわからない」という点である。
霊感占い師にそう言われちゃうわけだからヘンテコな話だ。きっと何も考えてないのだろう。それはそれで結構なことだ。平和な証拠である。
とにかく年齢とともに劣化することは仕方がない。変にアンチエイジングとかに励むのは好きではない。とはいえ、自ら進んで老け込むのもゴメンだ。
気分だけはパリピを目指してアゲアゲで過ごしていきたい。ちょっと無理があるが。
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