2023年7月12日水曜日

音楽をやっている人


昔から「音楽をやっている人」にちょっと憧れていた。子供の頃から音楽の授業は苦手で、たて笛みたいなヤツもちっとも上手く吹けなかった。幼い頃にピアノを習わされたが1日でやめちゃったし、あくまで音楽は聴くことが専門だった。

 

ピアノやギターを演奏できる人はカッチョいい。ラッパを吹ける人もカッチョいい。ドラムを叩ける人なんか神様のように思える。若い頃から来世では音楽を奏でる人に生まれたいととずっと思っていた。

 

そんな私もひょんなことからバンド活動に首を突っ込んで10年以上が過ぎた。気付けば一応「音楽をやっている人」になっている。我ながらビックリである。

 


 

先日、わがオジサマバンドの今年初の全体練習があった。新たに腕っこきのパーカッションの人を加えて11月末のライブに向けて再始動である。

 

ライブでの演目候補も絞られつつある。一応課題曲はメンバーで共有していたが、全員揃うのは今年始めて。この日はまだ“ヨチヨチ演奏”だろうと思っていたのだが、意外にもレベルの高い仕上がりぶりに驚いた。

 

私はバンドのメインボーカルというか、フロントマンである。そんな私が一番準備不足だった。大いに反省しないといけない。

 


 

仕上がりの良いメンバーの演奏に感心しながら、その中に加わってアーダコーダ言っている自分を俯瞰して眺めてみたら私もちゃっかり「音楽をやっている人」である。何だか妙に嬉しい気分になった。

 

バンド活動に首を突っ込んだのは2012年のことだ。当時はギター2名とボーカルの私による3人編成のアコギバンドだった。初めてのライブはいくつかのバンドとの競演、いわゆる対バン形式で6曲ぐらい披露した。

 

あの日のド緊張は今も鮮明に思い出す。心臓が口から飛び出そうな感覚を初めて味わった。一応、テレビやラジオでしゃべったり数百人の聴衆を前に講演をしたり、それなりの経験はあったのだが人様の前で「音楽をやっている人」になるのはまったく別の感覚だった。

 

10年以上たった今も激しく緊張する。でも中年男の図々しさが年々強まってきたので以前よりは成長したはずだ。初ライブの翌年からワンマンライブを続けるようになった。気付けばバンド編成もだいぶ変わった。今年の演目はアコースティック路線が少なくなってフルバンド編成の楽曲が中心になる。

 

年々、前の年とは変わった雰囲気を出そうと試行錯誤を続けている。それが結果的に自分たちのハードルを上げてしまい中々大変である。でもその大変さの中にこそ面白さも潜んでいるのだろう。

 

バンド活動を初めて少し経った頃、楽器に無縁の人生を歩んできた私もギターに手を出した。ちゃんと教室にも通ってみた。もっと真面目に取り組めば今頃はちょっとした腕前になったはずだが、結果は簡単なストロークが出来る程度で止まっている。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/08/never-too-late.html

 

もっとも私が目指したギターのレベルはそこだったので一応目標は達成したことになる。でも腕っこきのバンドメンバー達を見ると私のギターはライブ本番では“ボリュームゼロ”で弾くのが礼儀だ。やはり目標は高く設定しないとダメだ。その点はさすがに来世で頑張ろうと思う。

 

とかく素人バンドはマスターベーション的な退屈なライブをやりがちだが、わがバンドはお客様ありきで楽しい時間を作ることを第一の課題にしている。しっかり小ネタも作り込むし全体の進行や構成も結構練りまくる。MC台本もちゃんと仕上げて本番に臨む。

 



その点については楽器に無縁で聴く側専門だった私の腕の見せ所である。口幅ったいが演出家的な目線で演目構成や進行をシビアに考える。狙い通りに盛り上がって、仕方なく義理で来てくれたお客様にも喜んでもらえば結構な達成感が味わえる。

 

そんな達成感には一種の麻薬のような中毒性があるので毎年続けていられるのだと思う。

 

それにしてもこの歳になって音楽活動という趣味を持てたことはラッキーだと思う。何となく続けているうちに老後の趣味?に繋がりそうだから、やはり日頃から何事にも好奇心を持って接することは大事だと痛感する。

 

今年のライブでは私がリードボーカルを務めるのは全部の半分程度になる予定だ。以前は大半の演目を歌っていたから随分と謙虚?になった感じだが、それも演出家!としての構成上の判断である。

 

そんなエラそうなことを書いてしまうこと自体が「音楽をやっている人」みたいで何だか嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年7月10日月曜日

ジャンク魂


「マックなんか食べるんですか」。そんなことを言われることがある。このブログを読んでくださっている皆様なら私がマックも吉野家もペヤングも好きなことをご存知だろうが、日頃、スカシた姿しか見せていない人からはジャンクフードに無縁な高尚な?人間だと勘違いされる。

 

ウッシシである。人間はしょせん見栄を張って生きている。上品な方向に錯覚してもらうのは悪くない。私は昭和40年代に生まれた男の子の成れの果てである。ジャンクフード隆盛期に育ったからあの悪魔的、中毒的なウマさのトリコである。

 

マックのフィレオフィッシュの下のパンとダブルチーズバーガーの上のパンを外して合体させる「フィレオダブチ」を満面の笑顔で頬張ると心の底から幸せを感じる。

 

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/10/blog-post_13.html

 

寿司通を気取って昆布締めの加減がどうだの煮蛤のツメがあーだのと語りたがる一方で、結局はジャンクフードを口に入れた瞬間の攻撃的な美味しさを楽しむことは捨てられない。

 

世間体だの人の視線だの自尊心だの大人の矜持みたいな余計なものが無ければ、むしろジャンクフードだけ食べて生きていきたいと思うほどだ。

 



先日、ウーバーで「スパゲッティーのパンチョ」からミートソースとナポリタンをデリバリーしてもらった。パスタ業界におけるジャンクの雄?である。“パスタ”でもなく“スパゲティ”でもなく“スパゲッティー”という店名にジャンクの心意気を感じる。

 

本場イタリアにパスタを食べるだけに旅行したこともある私である。ジェノベーゼのためにジェノバに行き、ボロネーゼのためにボローニャに行き、ローマならではの本場のカルボナーラを味わい、トスカーナ地方ではポルチーニのパスタを食べまくった。

 

いっぱしのウンチクも語れるが、「パンチョ」のスパゲッティーはあくまでニッポンの麺料理である。イタリアのパスタと同列に語るのは野暮の極みだ。昭和の少年たちが旨を熱くしたニッポンのスパゲッティー様である。

 

空腹だったから単純にウマかった。「これでいいのかもしれない」と一人つぶやいたほどだ。時々自分でそれっぽいパスタを作るのだが、イタリアンに寄せようとする無駄な努力のせいで中途半端な仕上がりになることもある。

 

そう遠からずにオジサマからオジイチャマというステージに昇格する私だ。パスタやスパゲティは卒業して「スパゲッティー」へと原点回帰してもいい頃なのかもしれない。

 



マックも好きだが、バーガーキングも大好きだ。こちらもウーバーで注文する。私の食べ方はフシダラ過ぎるので店では食べられない。石が飛んでくるか出禁になると思う。

 

バーガーキングのウリは迫力のサイズである。マックより遥かにデカい。ワッパーというシリーズはいつも私のジャンク魂と少年の心を呼び起こす。

 

しかし、ワッパーシリーズには結構な種類があって欲張りな私は3つぐらいは味わいたくなる。かといってあのサイズを何個も完食するのは無理だ。必然的にパンの大半を捨てるという暴挙に出る。

 



パンが口に入らないように変な口の開けかたをして中身だけをかじる。うまく説明できないがそのせいでいつも顔面がソースまみれになる。時々ちょっとだけパンもかじってみる。ハンバーガーに関してはパンは脇役だ。いつもパンはほんの少しだけで充分だと痛感する。

 

とにかく人様には見せられない姿だ。家でしか出来ない食べ方である。同居する娘にも見せられないので一人の時だけの秘やかな楽しみである。

 

罰当たりな食べ方だとわかって入るが、パンを抜くとカロリー的にもかなり救われるはずだ。デリバリーのLサイズのデカいピザだって生地をまったく食べずに具とチーズだけをフォークで剥がして食べればペロッと一人で食べ切れてしまう。

 

間違いなく罰当たりではあるが体重管理という点では案外悪くない。SDGsだとかフードロス問題などを考えればヒドい話だが、体重が増えまくって私が排出する二酸化炭素が増えてしまうのも地球には良くない。

 

せめて残したパンやピザ生地をムダにしない活用法を検討しようと思う。

 

 

 

 

 

2023年7月7日金曜日

大谷さん




何事においても「慣れ」って厄介なものである。大谷翔平の異次元の活躍に対しても世間にはどこか「慣れ」を感じる。驚天動地そのものの存在なのに、今や物凄いことが普通に捉えられていないだろうか。

 

あの活躍ぶりは歴史そのものである。数十年後の子供に「大谷のプレーを毎日のようにテレビで見ていたよ」と言えることはビートルズの武道館公演を見に行ったのと同じぐらい貴重なことだと思う。

 



この画像は8年前に東京ドームで撮影した若き日の大谷翔平サマである。まだまだ線が細い。この頃は野球ファン達からは特別な関心を持たれていたが、今のような偉業を残すことを予想した人はいなかった。

 

だいたい、高校から日ハムに入団した当初は彼が挑む二刀流には批判のほうが強かった。それこそノムさん、張さんあたりの大御所がこぞって「プロをナメるな」といった発言をしていた。

 

強引にメジャー行きを果たしたかつての野茂英雄投手への異常なまでのバッシングがその後の活躍によってモノの見事に封印されたのと同じような経緯がある。

 

大谷さんがメジャーリーグに渡ったのは2018年。最初の2年間は眼を見張るような活躍とまではいかなかった。メジャー3年目はコロナのせいで短縮シーズンとなったが、おそらくこのコロナ休暇みたいな時間が彼を一皮剥かせる結果になったと私は睨んでいる。

 

二刀流が本格的に花開いたのはコロナ短縮シーズン翌年の2021年だ。実質的に大活躍するようになってから今年で3年目である。当初はケガもあったりして彼の技量には懐疑的な見方も多かった。それを払拭して今ではアメリカ野球界だけでなく全米スポーツ界の顔になりつつある。

 

地元密着が特徴的なメジャーリーグの世界で敵地での試合でも大歓声を浴びる選手は大谷さんぐらいだろう。純粋に見ていたくなるあのプレースタイルはどのような褒め言葉をもってしても足りない。

 

見る側として彼の活躍に慣れてしまうことは実にもったいないことだと思う。バンバン三振を取ってホームランもバカスカ打つ姿は世界遺産と呼ぶべき貴重な存在だと声を大にして言いたい。

 



WBC優勝までの軌跡を追ったドキュメント映画「憧れを超えた侍たち」のAmazon primeビデオでの配信が人気だ。私も公開初日に観た。野球が好きで良かったと思わせてくれる作品だった。鳥肌モノだった。

 

骨折をおして出場を続けた源田の根性、佐々木朗希の涙など試合の裏側に迫る内容に見入ったが、印象的だったのは準決勝のメキシコ戦での大谷さんの様子だ。

 

同点に追いつくもまたメキシコに引き離された試合終盤、意気消沈気味のベンチで大谷さんはひとり元気に仲間を鼓舞していた。悲壮感というより楽しそうに周りをもり立てる姿は、彼が普通の人とは違う傑物であることを改めて証明していた。

 

普通なら慌てる、あせる、ドンヨリするような展開の中でむしろその状況を楽しんでいるかのような姿に驚いた。他の選手とは別のステージに立っているスーパースターならではの空気感だと感じた。

 

そして追い詰められた9回の攻撃で先頭バッターとして打席に入った大谷さんは、いとも簡単(かのように)に二塁打を打ち、ベース上から味方ベンチの士気を煽りまくる。その流れで一気に逆転勝利につながったのは御存知の通り。

 

ドキュメント映画では感動の優勝が描かれた後、エンドロールが流れ終わってからの最後のオチも大谷さんの一言だ。それもまたスーパースターならではだろう。とにかく「憧れを超えた侍たち」は名作だと思う。

 



脱三振率、被打率ともにリーグトップレベルで160キロを超える直球と数々の変化球を操る剛腕投手である。それだけでも凄いのに打者としてはダントツのホームラン王である。おまけに塁に出れば果敢に盗塁も決める。三塁打の数もリーグトップだ。なんじゃそれ!としか言えない。

 

おまけに試合中の態度や振る舞いも非の打ち所がない。ファンにも優しい。言うまでもなくルックスまで素晴らしい。同じに日本人として誇らしいことこの上ない。

 

大谷さんの姿は漫画で描いたとしても現実離れし過ぎていて共感されないと思う。いわば「作り話を超えちゃった人」である。もはや旧時代のベーブ・ルースとの比較も意味がないレベルに達している。

 

仮にケガなどの理由で今のような活躍が長く続かなかったとする。それでも彼が歴史上の人物であることは揺るがない。たとえこの3年だけの成績だけでも今後彼と同じような活躍をする選手は現れないと思う。


もっと言えばこの3年の活躍だけで文句なしに野球殿堂入りに値するし、毎年議論されるMVP争いについても、彼はすでに別枠で扱うレベルの選手だと思う。誰がどれだけホームランを打っても誰がどれだけ三振を取ろうともその両方を同じような次元でやってのけるのは大谷さんだけである。

 

最近インスタグラムやFacebookのリール動画をランダムで観ていると大谷さんネタばかり流れてくる。試合以外でのお茶目な様子や振る舞いを目にするたびにホッコリする。

 

それにしても外にいる間の一挙手一投足がどこかの誰かのスマホで常に撮影され瞬時に世界に向けて公開されているわけだから何とも大変だと思う。アホヅラして鼻くそホジって口に入れちゃうようなことは間違ってもできない。ちょっと気の毒である。

 

まもなく行われるオールスター戦でも大谷選手は注目のマトだ。活躍すればもちろん嬉しいが、もし全然ダメだったとしてもそれはそれで彼も人間だったと思えてホっとするかもしれない。

 



通訳の一平さんも相変わらずちょっとヌボーっとした雰囲気が実にいい。大谷さんの身代わりでホームランパフォーマンスをやらされたシーンは最高だった。ナゼか萌え~という気分になった。

 

そんなオチでごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

2023年7月5日水曜日

ひと昔前から

 

このブログを長く続けてきたおかげで自分の過去の行動をすぐに調べることができる。昔の旅やウマい店にいつ頃から出かけていたのか等々、行動履歴が把握できて案外便利だ。

 

何となく足を運んでいるお店も気付けば10年以上前から通っていることを知って勝手に感心したり感慨にふける?ことも出来る。

 

特定のお店に10年以上も通うことは考えようによっては幸せなことだ。安心してウマいものにありつける。自分が元気でいることも大事だが、お店が無くなってしまえば元も子もない。老舗の有難さは得難いものがある。

 


 

日本橋本町にあるウナギの「大江戸」。最初に訪ねたのは15年ぐらい前になるだろうか。このブログにも10年以上前から登場している。この10年で随分と値上がりしてしまったがこればかりは環境の変化だから仕方ない。

 

東京に美味しい鰻屋さんはたくさんある。ウナギスト!である私もアチコチ食べ歩いたが、何となく「大江戸」が一番シックリくる。運良く最近は日本橋の住人になったので、頑張れば自宅から歩いていけるようになったのが嬉しい。

 

数々のウナギの名店に出かけたが、意外に居心地が悪い店が少なくない。個人的に気に入らないのがツマミメニューが一切無いようなストイック?な店だ。

 

白焼きや鰻重が出てくるまで一時間ほど待たされるのは構わないが、ツマミが皆無の店だと一気に苦痛の時間に変わる。「黙って待ってろ。それこそが鰻の名店の証である」みたいなノリは嬉しくない。

 

ウナギ以外にやたらとメニューがいっぱいある邪道系?だと肝心のウナギが美味しくないパターンだからそれはそれで困る。あくまでウナギ自体は専門店ならではの水準を求めたい。

 

適度にツマミもある鰻屋さんのウナギが90点、いや85点だったとする。ツマミが無いストイック系鰻専門店のウナギの味が100点満点だったとしても私は前者を選ぶ。居心地や気分も味を左右すると思う。

 

そういう点で「大江戸」は優秀な店だろう。ウナギの美味しさは充分に高いレベルなのに気の利いたツマミも揃っている。個人的に理想に近いパターンだ。

 





ひと昔以上も前に初めてこの店を訪ねた際に感動したのが「あん肝の山椒煮」だ。山椒煮というより甘露煮と呼びたくなる甘さだが、一年中食べられるし、妙に濃い味付けも私好み。今までもこれを注文しなかったことは一度もない。酒のアテに最高だ。

 

子持ち昆布も味付けが濃い。この「濃さ」こそが東京の老舗の特徴だろう。焼きカラスミも今の季節でも食べられるのが有難い。季節感うんぬんより酒のアテとしてのウマさのほうが価値がある。

 



白焼きが冷めないようにお湯を張った器に盛られているのもこの店の特徴だ。初めて来た際にちょっと感動したことを思い出す。一連のこんなツマミを肴に一献傾けながら鰻重を待つ時間は幸せの一言である。

 

肝心の鰻重だが、何段階か用意されている中から真ん中以上のものを頼めば間違いない。あまり小ぶりだと痩せたウナギにあたることもあるからケチってはいけない。量が多いという理由で上位ランクの鰻重を敬遠するならご飯を極少で頼めばいい。

 





以前は一番上のランクの「極上」を好んで食べた私だが、ここ1~2年でさすがに食べられなくなった。実に残念だが、上から3番目ぐらいの鰻重でも結構なボリュームがあるので今ではそのあたりを「ご飯少なめ」で注文する。画像二番目の鰻重は土曜限定のいかだ、三番目の鰻重が極上である。

 

時折、同行させた若者に極上を食べさせてみるが、ペロっとたいらげる姿に昔の自分の面影を見る思いがする。そんな展開も同じ店に10年以上前から通っていればこそだろう。いとをかしである。

 

ちなみにこの店の極上鰻重は私が通い始めた当初は6千円だったのだが、その後少しづつ値上げが続き最近になってついに1万円の大台になってしまった。加齢のせいで量的に食べられなくなったことも悪いことではない。

 

このところネットなどで評判の鰻屋さんのいくつかはウナギを蒸さない「直焼き」をウリにしている。いわば関西風である。うどんに天ぷら、おでん等々、いつの間にか関西風の路線に関東風が駆逐されてしまった昨今、「ウナギよ、お前もか…」とつぶやきたくなる。

 

しっかり蒸すことでフジャッとした?食感になる東京のウナギを愛する私としては「大江戸」のような老舗の鰻専門店には今後も頑張ってほしいと思う。

 

 

 

 

 

2023年7月3日月曜日

王道のかき氷


かき氷ブームと言われるようになって久しい。半世紀以上生きてきたから様々な「◯☓ブーム」を体験してきたが、かき氷は古典的な食べ物である。ブームという表現を使うまでもない。「暑くなったらかき氷」が夏の風物詩である。

 

ちなみにブームといわれるようなかき氷は昔とは一線を画した進化系かき氷である。珍しいクリームソースみたいな味付けで仕上げる“映え系”のことを指す。

 

昭和の頃のあのベタなかき氷は今や絶滅危惧種だ。舌が青くなったり赤くなったりした人工着色料ブリブリのシロップを使ったかき氷は今や少数派だ。コーラ味のかき氷が最先端に感じた私のような古い人間には驚異の進化である。

 

Z世代の娘としょちゅう出かける私は進化系かき氷を食べる機会が多い。オジサマ世代にしては恵まれている。食べるたびに衝撃を受けるからボケ防止にも役立っているはずだ。

 


なかでも唖然としたのが上野にある「くろぎ」のかき氷である。値段にも唖然としたが味にもビックリした。近所だったら頻繁に食べに行くと思う。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/07/blog-post.html

 

みたらしミルクという名前だったか、とにかく濃厚なクリームがふわふわの氷と絶妙にマッチして想像以上の美味しさにしばし悶絶した。こんなシロモノが登場したら古典的なかき氷の立場がなくなると変な心配をしたほどである。

 

今年も暑くなってきたからかき氷に引き寄せられることが増えてきた。先日は日本橋にある和菓子の老舗「鶴屋吉信」のカフェで「いちご甘酒氷」なる一品を食べた。

 



ふわふわ氷に独特な甘酒風味のシロップがかかっている。昔気質の私としては昭和の「いちごミルク」を想像していたから甘酒感の強いシロップにちょっと拍子抜けした。通常の「あずき」か「宇治金時」のほうが老舗和菓子店の力量が堪能できたような気がした。

 

でもこういう大人向けのかき氷が世の中に浸透するのは結構なことだと思う。パフェをオジサマが一人ニンマリ食べているのはちょっと気持ち悪いが、かき氷なら何となくサマになるように思うのは私だけだろうか。

 

別な日、散歩ついでに門前仲町の人気甘味処である「いり江」に立ち寄った。この店のあんこの美味しさは絶品だ。時々こしあんやつぶあんだけをテイクアウトすることもある。

 

暑い日だったので娘とともに冷やししること氷あずきミルクをシェアすることにした。この店でかき氷を食べるのは初めてだったのでワクワクしながら味わってみた。

 


悶絶した。大げさなようだがその表現が一番シックリくる。数々の進化系かき氷を食べてきた親子揃って悶絶するほどの美味しさだった。まさに「コレだよコレ!」としか言いようがない完成された味だった。

 

練乳の加減、氷の食感、ふんだんに投入されているあんこの量などトータルで文句のつけようがなかった。王道の一品と呼ぶにふさわしい素晴らしさだった。

 



しばし娘とかき氷について語り合う。練乳とあずきという何の特徴もない基本形でここまでの完成度に辿り着いていることに親子揃ってただただ感服。コケおどし?のようなソースで仕上げる進化系イマドキかき氷がニセモノに感じちゃうほどの圧倒的な力量を見せつけられた感じ。

 

例えるなら横綱・北の湖の寄り切りか、千代の富士の上手投げ、はたまた王貞治の高い放物線を描くホームランかのような完璧さだった。

 

おまけに値段も手頃だ。800円か900円である。進化系かき氷の中には2千円、3千円の値付けをしているところもある。そんな風潮に背を向けてあくまで質実剛健に王道を守っている感じがただただ素晴らしい。

 

日本中でかき氷を食べ歩いたわけではないのでエラそうなことは言えないが、半世紀以上かき氷を食べ続けてきた中でも文句なしの第一位である。いわば日本一である。ついでに言ってしまえば世界一じゃなかろうか。

 

ご近所の方だけでなくちょっと遠くからでもわざわざ食べに行く価値のあるかき氷だと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みたらしムルク 黒蜜きなこ いちご甘酒氷 宇治金時

2023年6月30日金曜日

俺のラーメン


ラーメンを熱く語る人は多い。そんなラーメン論を必死に語る人々をついディスってしまうこともある私だが、本当は私だってラーメンを熱く語りたい。でもこれがなかなか難しい。卒倒するほどウマいラーメンを食べたことがない。

 

ネットで評判の名店みたいな店で食べてもしっくりこない。ヘタするとヘンテコな味付けにイラつく。とはいえサッポロ一番は大好きだから意味不明だ。ラーメンに関しては“味音痴”なのが私の実態である。

 

先日、人気店だと聞いてコレド室町にある「麦苗」というラーメン屋さんに入ってみた。化学調味料不使用で素材にこだわった店だとか。

 




一言で表すなら綺麗なラーメンだった。美味しいか否かと聞かれたら美味しいと答える。でも私にとっては何かが違う。「これじゃないんだよな~」である。私がラーメンに求めているのはパンチとか味の強さみたいな上品とは対極のジャンク的な要素だと痛感した。

 

とはいえ、激辛だとかやたらとしょっぱい家系と呼ばれるラーメンは苦手だ。あれは大人が口にする食べ物ではないと思う。「蒙古タンメン中本」をいつもベタ褒めする娘の気持ちは全く理解できない。

 

パンチが効いて味も強くて、かといってしょっぱすぎず辛すぎずとなると、どんな路線が向いているのだろう。東京人だから醤油ラーメンが基本だと信じてはいるが、あれはあれで面白み?に欠ける感じもする。

 

味噌ラーメンが一番好きなのだが、京橋にある人気店「ど・みそ」の味噌ラーメンはクドすぎてまったく美味しく感じなかった。

 

昭和の頃に食べた名も無いそこらへんのラーメン屋の普通の味噌ラーメンが恋しいのだが、それを必死に探すほどラーメンにこだわりがないからなかなか思ったような味に出会わない。

 



昨年、一昨年と食べに行った札幌「みそ吟」の味噌ラーメンは個人的には完璧だと感じたが東京には支店がない。せめて自分の行動範囲ぐらいではウマい味噌ラーメンを探してみようと思っている。

 

先日、水天宮にある「しばらく」という店で豚骨ラーメンを食べた。ヘタな豚骨ラーメン屋だと不気味な匂いが漂ってきて不快だが、こちらは爽やか系で良かった。豚骨ラーメンはナゼかチャーシューが薄切りなのが気に入らないが、スープもちょうどいい加減の味わいで私には珍しく再訪したくなるラーメンだった。

 




とはいえ、よく考えたらチャーシューと紅生姜を味わった印象が中心である。もしその2つが無かったら美味しいと思えたかどうかはビミョーだ。結局私はチャーシューだけを目的にラーメンを食べている可能性がある。

 

わが家からほど近い距離に「駄目な隣人」という名の有名ラーメン店がある。いつも行列ができているので気になっていた。ある日、ウーバーイーツで10分程度で運んできてくれることを知ったので注文してみた。

 

もちろん、出前で食べただけで評価してはいけないのだが、わが家に届いたつけ麺は麺が固まっちゃってタレの味もとくに感心するほどでもなく半分も食べずに捨ててしまった。お店で食べたらもっとマトモだろうが果たして並んでまで食べたい味なのだろうか。

 

そもそも「つけ麺」という存在が何となくシックリこない。昔の人間だからだろうか、どことなく中途半端な印象が消えない。

 

その昔、東池袋で一世を風靡した大勝軒のつけ麺を初めて食べた時に「ウマいのかマズいのかどっちとも言えない不思議な味」に違和感を覚えた原体験が今もつけ麺を前にすると甦ってしまう。

 




こちらはアチコチで見かける「東京油組」というチェーン店の油そばである。つけ麺の応用系というか変形みたいな食べ物である。以前、娘に連れられて恐る恐る食べてみたのが初体験だった。

 

名称のイメージよりはあっさりしているし、香港あたりの汁なしあえ麺的な料理の一種みたいな感じだ。個人的にはつけ麺よりはシックリくる。半熟卵を混ぜたら結構ウットリする味になる。

 

かといって頻繁に食べたいかと言われたらノーだ。先日食べたのも過去10年で3回目である。思い込みのせいか、食べ終わった後に「ケッタイなものを食べちゃったな」という保守系古典オヤジ特有の感想がついつい頭をよぎってしまう。

 

つけ麺、まぜ麺それぞれのファンの人には申しわけないのだが、そっち系のラーメンをシャバダバだと思ってしまう決定的な要因は温度だと思う。熱いのか冷たいのかハッキリせず中途半端に「ヌルい」感じが何となく嬉しくない。

 

私は猫舌のくせにヌルい感じをつい否定したくなる。「ラーメンって熱くてハフハフだろ?」という先入観が邪魔をしてそうじゃないラーメンを色眼鏡で見てしまうようだ。

 




何だかんだ言って、しょっちゅう食べてもいいと思えるのは喜多方ラーメン「坂内」のヤケっぱちみたいなチャーシュー麺と、ソーキをぶりぶり追加した沖縄そばぐらいである。沖縄そばはラーメンとは呼ばないか…。

 

結局、麺より豚肉をどっさり食べたいというのが私にとってのラーメン道みたいだ。ラーメンを真摯に研究している人には何とも申しわけないズレまくった結論になってしまった。

 

 

 

 

2023年6月28日水曜日

ヒレかロースか


「ヒレかロースか」。トンカツを考える際、この問題は避けて通れない。日本人なら誰もが一度は悩むテーマだ。

 

一般的に認識されているのは「ロースはジューシー、ヒレはサッパリ」である。それ自体はおおむね正しいが厳密にいえば間違いだ。ロースがパサパサのこともあればヒレがジューシーなこともある。

 

マニアックなほどではないが昔からトンカツが大好きで名店巡りも随分こなしてきた私も「ヒレかロースか」に対する答えはない。今でも悩む。

 

ごく乱暴に言い切るならば「店のレベルによる」というのが結論だ。こだわりの店とかではないごく普通のトンカツ屋さんならロースを選ぶのが無難。ヒレはサッパリどころかパサついていることが多い。

 

テキトーな店のトンカツは総じて揚げ過ぎる傾向がある。豚肉にはよく火を通すというセオリー通りである。ロースの場合、揚げ過ぎてパサついた肉の残念な食感や味は端っこに付いている脂身が誤魔化してくれる。ヒレだとその役割を果たす脂身がないからダメダメになる。

 

かといって、とかく不人気のヒレを見放してはいけない!!。店によっては断然ヒレのほうがウマいケースも珍しくない。そういう路線の店なら私は迷わずヒレを選ぶ。でもその店がそういう路線かどうかは一見では分からないのがトンカツ探検の難しいところである。

 

もっと言うなら「そういう路線」のトンカツ屋さんのロースには注意も必要だ。最上級の店の最上級のメニューを頼んでもヘタするとゲンナリしかねない。

 

こだわりの「そういう路線」のトンカツ屋さんには、「極上」「別格」「特上」などと名付けられた通常のロースカツとは別のロースカツが用意されていることがある。当然、値段も通常のロースカツより高い。

 

ところが、そういう特別クラスのロースカツはその多くが脂身の量が多めでオジサマ向けではない。普通のロースカツは端っこに脂身がついているだけだが、特別クラスの場合は全体にまんべんなく脂身が入っていることが多い。

 

もちろん、好みの問題だから一概に良し悪しは決められない。豚肉の脂身を何より愛している人なら満遍なく脂が混ざったトンカツに感激するのかもしれない。でも私にはキツい。

 

こういう贅沢な問題に直面してしまう上等なトンカツ屋さんの場合、逆にヒレがすこぶる美味しいという方程式も成り立つ。ヒレの場合には通常のヒレより上位に位置する「極上ヒレ」や「特上ヒレ」は言葉通りで非常にウマい。

 




東銀座にある「はせ川」の極上ロースと最上級のヒレ(メニュー表記はシャトンブリアン)の比較画像だ。ロースの脂身は中高年にとっては罰ゲームに近い。一切れ目は美味しく食べるのだが後が続かない。それに比べてヒレの素晴らしさは筆舌に尽くしがたいレベルだ。ヒレはパサパサという思い込みは吹っ飛ぶ。

 

こういう路線の店では、ロースはあえて最上位路線を選ばずベーシックなロースカツにすれば無難に美味しいトンカツが味わえる。

 



こちらは日本橋の「あげづき」の最上位のヒレと普通のロースだ。ロースのほうも最上位を選ぼうと思ったのだが、お店の人からの忠告もあってロースはあえてベーシックなものを選んだ。これは正解だった。

 

ロースも標準以上にウマかったが、最上級ヒレがとてつもなく美味しかった。上に載せた「はせ川」のシャトンブリアンも素晴らしいのだが量的に不満がある。「あげづき」の特上ヒレカツは衣にやや難点があったが量的にも優秀ですぐにでもまた食べたい。

 

いうまでもなくトンカツは揚げ加減も大事な要素だ。とくにヒレの場合、ちょっとした下限でシットリに仕上がるかパサパサになるかが分かれる。

 



こちらは銀座の人気店「梅林」の黒豚ロースカツ。普通に美味しかったがちょっと火が通り過ぎか。端っこに脂身が付く教科書的なロースカツなのだが、揚げ時間が数十秒違えば印象も変わるのだと思う。

 

他にもいくつか参考画像を載せてみる。揚げ加減はもちろん、衣の加減、肉と脂身のバランスなど自分好みのトンカツに巡り合うのは案外大変なことだと痛感する。

 





上から銀座の「あんず」の特上ロース、人形町「かつ好」の別格ロースと別格ヒレである。やはりロースの最上位クラスは脂身が多すぎて中高年向きではない。ヒレに関してもほんのり中心部がピンク色ぐらいが私の好みなのでこの画像の一品は少し惜しい感じだった。

 

今日もいったい誰の参考になるのか分からない話をつらつらと書いてみたが、茶色いトンカツの画像を寄せ集めていたせいで今日も明日もあさってもトンカツを食べたい気分になっている。