2011年6月17日金曜日

プルメリア 

女性の美は花や蝶に例えられるが、男を例える表現はあるのだろうか。考えてみたが思い浮かばない。

強いて言えば「虫」か。アリとかハタラキバチとか、交尾の最中にメスに喰われちゃうカマキリとか。

森高千里が昔「ハエ男」という歌を熱唱していたし、しょせん男の例えは虫なんだろうか。

生き物の本能として、女性を追っかけ回す役割だから、美しく例えてはもらえない。少し切ない。

「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」

美女を表現する言葉だが、はたしてボタンの花って綺麗だろうか。なんかドテッとしている。アグラかいて座っているお婆さんみたいなイメージがある。蓮の花のほうが気品がある。開いたばかりのみずみずしさ、美しさのほうがシュッとしている。

ユリの花も個人的に苦手。あの匂いがイヤだ。あの匂いは「香り」とは書けない。「匂い」というより「臭い」だ。呑みすぎて気持ち悪い時にキツイ香水の香りを嗅がされるような不快感がある。

シャクヤクの花も考えてみたらよく知らない。一度しか見たことがない。確かに美しいのだが、あまり馴染みがないのでピンとこない。

というわけで、私にとっては上記の花の例えは残念ながら共感できない。もっと的確な例え花があるはずだ。

ところで、花の名前に詳しい男性はオシャレだと思う。最近そう思う。私はちっとも詳しくない。母親が昔、趣味が高じてアートフラワーの先生をしていたので、随分と生花、造花に囲まれて暮らしたはずなのだが、ちっとも興味がなかった。惜しいことをした。

それでも好きな花はいくつかある。カメラを持っていればついついシャッターを切る。


これはバリ島のホテルのプールに浮かべたプルメリア。南国の代表的な花だ。バリでは「フランジパニ」と呼ばれ、あちらこちらに飾られている。私の好きな花のひとつ。

甘い香りが強すぎない。まわりの空気を邪魔せずにほんのり香る感じがいじらしい。白い色合いも優しく深みがあって、南国の花特有のうるさい存在感とは違う。華やかなだけど派手すぎず、主張しすぎない存在感が実に魅力的。


これが実際に咲いている姿だ。ポワンとして愛らしい。風が吹くとはらっと花が落ちる。微妙な色のグラデーションとトゲトゲしていない穏やかな風情が素晴らしい。誠実そうで真摯な感じとでも言おうか。いつもそばに置いておきたい。


一部では「くちなし」と同類のような扱われ方もされている。違う品種だろうが、確かに似ている。正確なことは知らないが、昭和の女性が「くちなし」で、平成の女性が「プルメリア」と考えればいいだろう(滅茶苦茶な分類だ)。

懐かしの昭和歌謡「くちなしの花」で描かれる女性は寂しく不幸な感じで、熱唱する渡哲也に捨てられた情景が確かにピンと来る。

プルメリアはもう少し快活な感じだ。「捨てられた女」というより、「健康的に恋する女」とでも言おうか。

くちなしもプルメリアも出しゃばった感じがしない点では確かに似ている。さりげない雰囲気は、ひまわりとかハイビスカスとは全然違う。ハイビスカスなんて花弁をあんなに突き立てちゃう姿が下品だ。

プルメリアの花言葉は「気品」。さすがだ。近所に咲いていないのが悲しいが、南国に行ったらもっとじっくり眺めていたいし、撮影しまくってみたい。

そのほかに私が好きな花は「梅」「水仙」「螢袋」あたりだ。プルメリア以外では、どちらかといえば和花が好きなようで、派手派手しくない「シュッとした感じ」に惹かれる。

やきもの収集に熱心だった頃は、備前や唐津、丹波、信楽、美濃とった窯場にしょっちゅう旅をした。ぐい呑み、徳利に飽きたらず、花入れや一輪挿しにビビビっとなってしまったことも何度かある。

そうした花器には和花がピッタリだ。花を愛でるというより陶器を眺めたいばかりに花を買ったりした。

そう書くと風流人みたいだが、和花の枝モノなんかはブリブリ虫がはい出てきて、何度も死にそうになった。

やはりガラにもないことをすると痛い目に遭う。

話を戻す。花の話。

梅は実に気の毒だ。桜と同じく一年に一度わずかな時期だけ美しい姿を見せるのだが、脇役イメージを脱却できない。

せっかく短い命を咲かせても、桜と違ってめったに足元で酒盛りなんかしてもらえない。テレビの夜桜中継みたいなショーアップもない。梅干しばかり連想される。

梅林の名所にはそこそこ人は来てくれるが、お爺さんお婆さんばかり。若い人がデートスポットに選んでくれない。

桜のこれみよがしな感じより、ずっと情緒があると思うのだが、いかがだろうか。

アマノジャクを極めたい私としては、桜より断然「梅派」であり続けようと思う。梅の花言葉は、高潔とか上品とか忍耐らしい。さすがだ、梅。

螢袋は、それこそ名前からして風流の極み。垂れ下がった深い傘状というか袋状の花弁が謙虚な雰囲気。中に迷い込んだ蛍の光で袋状の花がボンヤリ灯る情景が眼に浮かぶ。

実際に螢をとっ捕まえて実験したいのだが、いまだに成功していない。LEDの人工ホタルでも買ってきて試してみようか思案中。螢がいなくても頭を下げたしおらしい姿が可愛い花ではある。

今日は、風流なテーマを取り上げようと書き始めたのだが、ちっともそういう雰囲気にならない。

結局、偉そうに女性の美を花に例えてみても、しょせん男は花におびき寄せられる虫みたいなもの。切ないけど現実だ。

おだてられて調子に乗った虫は、せっせせっせと花にご奉仕。食物連鎖の底辺みたいだが、男の習性はそれを喜びに感じちゃうから不思議だ。

一応、分別ヅラして生きている私だが、色気のある男になるためには「蜜を求めてさまよう虫」だということを自覚しないといけないのだろう。

シャクヤクやボタン、ユリあたりを選り好みしている場合ではない。菊だろうがコケだろうが気にせず突進する根性が必要だ。

いや、やっぱり、菊やコケはイヤだ。節操なさ過ぎだ。

プルメリアだろう。やっぱり。

立てば華やぐプルメリア、座れば可憐な水仙で、寄り添う姿は梅の花、憂いた姿は螢袋、ベッドに入れば薔薇になる――。

こういう女性を追っかけねば!

相変わらず煩悩の塊みたいだ。そんなことで良いのだろうか。

それで良い。そんな私だ。

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