2011年11月14日月曜日

誉めるということ

「よく頑張った」、「当然のことだ」。同じ行為であっても評価する側の見方は分かれる。モノの見方、立ち位置によって評価ほど難しいものはない。

人事コンサルティングの現場では、無遅刻無欠勤を誉めることは間違いだというのが基本姿勢。あくまで「そうすることが当然だから」という視点だ。

もちろん、それも正論だろう。遅刻や欠勤が悪なのであって、それをしないのが普通だという理屈だ。

もちろん、この考え方だけで世の中が回るなら苦労は要らない。ケースバイケースで柔軟な対応も大事だ。評価される側に心がある以上、モチベーションは無視できない。

人の心の機微や情を無視できたら経営もきっと遙かに簡単になるのだろう。しがらみの無い外国人を突然連れてきて、ようやく再生するような大企業があるのがその証しだ。

いっそのこと、いよいよ退陣を決めた異才?ベルルスコーニに日本に来てもらってリーダーに据えたほうがマシじゃないか、などと暴論も言いたくなる

話がそれた。

「当たり前のことを誉める」という行為は、戦略的に目的を持って実行することで意味を持つ。当たり前のことを闇雲に誉めるだけでは単なるお人好しだ。

戦略的な目的、狙いとは何か。言うまでもなく更なる奮起と周囲への波及効果だ。

優良ドライバーを表彰する制度がある。警察署長がうやうやしく表彰してくれる。

安全運転はそれこそ当たり前だ。といって、それを「単なる義務だから」と軽んじることが出来るだろうか。当然だと一蹴されればモラルは低下する。

表彰された人は、まちがいなく身が引き締まる思いをし、更なる安全運転を誓う。周囲の人も表彰が仰々しければ仰々しいほど、賞賛の視線を送る。

国への最大の貢献である納税はどうだろう。真面目に高額納税を続ける行為を顕彰する制度はまったくない。その理由は「当然のことだから」。

こんなドライな考えの下で納税道義が高揚するはずはない。税金をごまかす行為には数々の厳罰が用意されているわけだから、対極にある尊い行為は賞賛されて然るべき。これまた当然のことだ。

高額納税者を讃えることは、至極まっとうな金持ち優遇策であり、将来の税源育成にもつながる。

こんな当たり前の考え方が欠落していることは非常に不自然だと思う。

戦前、わが国に存在したのが「貴族院議員制度」だ。爵位うんぬんだけでなく、高額納税者も議員に選ばれていた。

国の「会費」である税金を多く納めているわけだから「会の運営」にせっせと発言するのが当然という発想だ。

社会主義的思想が前面に出てきた民主党政権。年金制度改悪では、驚いたことに高所得者層に対して平気で月々5万円の負担増を求める一方で、将来給付される年金額は増やさないという、ボッタクリーバーもビックリなハチャメチャな政策を平気で通そうとしている。

人より頑張って稼いで、人より国に貢献している人への感謝すらなしに、ボッタくることだけを考える。お粗末極まりない。

その一方で、生活保護の支給対象者は過去最高をマーク。本当に困っている人を救うのは政治の大事な使命だが、パチンコ三昧の遊び人にまで生活保護が出ているのも一面の真実。

書いているだけで憂鬱になってきた。

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