2012年10月5日金曜日

人は見た目

秋冬物のスーツとワイシャツをいくつか発注してしまった。仕立屋さんの口八丁手八丁に引っかかってしまった。金欠なのに頭が痛い。分割で払おうっと。

ビジネスマンにとってスーツは必要経費だろう。仕方のない出費だ。何だかんだ言って人は見た目である。みすぼらしい恰好では自分が不利になるわけだ。

オシャレなオジサンになろうとは思わないし、人にそれを求めようとも思わない。衣装ばかり意識しているオジサンも何だかなあ~って感じだ。適度にキチッとビシッとしていれば充分だろう。

見た目で人を判断してはいけないが、やはり仕事で接する人達の身なりは自然と観察してしまう。高いかどうかではない。しっかりした人間かどうかを見極めたいだけだ。

ブランドもので全身着飾るような金満オッサンは好きではないが、それでも、みすぼらしい恰好で平気なオッサンよりは立派だ。

虚勢を張っている、見栄を張っているという見方も出来るが、逆に言えば、人様に自分をどう見せたいか、自分なりの命題をしっかり持っている。男であることを終了しちゃったようなオッサンよりエネルギーを感じる。

昔のオッサンは、近所に煙草を買いに行くにも着替えて出かけたという美談を聞いたことがある。

「ヨソイキ」という言葉もすっかり聞かれなくなったが、外と内の明確な違いが身なりの中にもしっかり存在していたのだろう。

私の祖父も晩年になっても「ヨソイキ」の概念をしっかり持っていた。近所に外食に行く時でも着替えていたし、いわゆる部屋着みたいな恰好で外に出ることはなかった。

家にいる時でもキチンとした身なりをしていた。祖父が50代ぐらいの頃は、家でも肌着一枚で過ごしていたこともあったが、60代以降は常にキチッとした恰好で過ごしていた記憶がある。あれはあれで意識と努力あってこそ出来たのだろう。

私などは、トレーナーやTシャツ、スウェットみたいな部屋着で平気で近所をうろつく。正しくないと分っているのだが、そのあたりは自分に甘すぎる。反省だ。

値段に関係なく、新調したものや大事にしているものを身に付けた時の気持ちが大事なんだろう。老若男女問わず身に覚えがあるはずだ。どことなくキリッとした気分になる。

キリッとした気分は、多分に表情とか身のこなしや、はたまた頭の回転にだって好影響を与えるように思う。

逆に言えば、みすぼらしい恰好だと無意識のうちに精彩を欠くことになり、本人の力をダウンさせてしまう。もったいない話だ。

その昔の松任谷由実の名曲「DESTINY」に印象的な歌詞がある。別れた男を見返すために、いつも着飾って頑張ってきた女の歌だ。

ふいに再会した時の心情を切なく歌う。


♪ どうしてなの 今日に限って 安いサンダルはいてた ♪


なんとも厳しい情景が眼に浮かぶ。チェっ、やっちまったぜ・・・という心の声まで聞こえそうだ。

その瞬間、その場面だけを見てしまった男は、「その後、ろくな生き方してないんだな~」と女の暮らしを想像してしまうかもしれない。

まあ、男なんてものは、いちいち女性の細かい身なりまで見ていないことが多いが、それも程度問題ではある。

人の印象なんて、場合によってはその一瞬で決まる。1回会っただけでも、その時の身なりは多分にその人のイメージを左右する。

一歩外に出るのなら誰に会うか分からないし、突然の交通事故なんかに遭ってしまってもステテコ姿だったら死ぬに死ねない。

安心して交通事故に遭えるように、身なりはキチンとしていようと思う。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ごもっともなご意見!
他人からどのように見られるかより、自分への気合ですね。
みすぼらしい格好では、心までみすぼらしくなります。
子供の頃、お袋からよく言われました。
外出時は、身なりを整えろと。
旅行や病院へ行くときは、下着も新しいものを身に付けろと。
私も近頃、犬の散歩や近所への買い物では、
ラフな姿で出かけるようになっていました。
反省です。

富豪記者 さんのコメント...

匿名様

自分への気合、まさしくそうですよね。

年齢とともに面倒になっちゃいますから要注意ですね!