2013年1月16日水曜日

熱病はじまる

B型の人間は凝り性だと良く言われる。それなりに当たっていると思う。私の場合、凝り性というか、興味のないことには一切関知しない偏った感覚で生きている。


熱しやすく冷めやすい面もあって、ある時、急に何かに没頭し始める傾向がある。

水中写真を撮り始めてから気付けば25年以上になる。もっとも、すべて独学であり、コンスタントに寒い海にでも潜りに行くようなマメさはない。キャリアから言えば超ベテランだろうが、実質的にはヘッポコだ。

でも、周期的に俄然、会心の作品を撮影しようと熱くなり出すタイミングがある。

どうやら、このところそのタイミングに入り始めたらしい。過去に撮影した画像を眺めては「南国行きたい病」がふつふつ沸騰し始めてしまった。

ここ数年、水中撮影に出かけても昔ほどには変質者的執着心が湧いてこない。サラッと撮影してそこそこの満足感で良しとしている気がする。

20代や30代半ばに撮影したお気に入りの画像を見ているとつくづくそう思う。

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これらの画像は20代から30代の頃、一生懸命にフィルムカメラで撮影した。この頃は、撮影枚数の制限があるせいで一枚一枚シャッターを丁寧に押していたように思う。

一番上のアジの群れは、我ながらフィッシュアイレンズ(魚眼)を効果的に使えていると思う。群れの動きや群れの大きさを写し込むためには、相当神経を使ってファインダーを覗いていたはずだ。

ニコンの一眼レフを水中撮影用ハウジングの格納して使っていたから1回の潜水でカメラ1台で最大36枚しかシャッターはきれなかった。撮り放題のデジカメを使う今とは、おのず集中力が違っていたのだと思う。

3枚目の貝殻に隠れているカエルウオの写真もお気に入りだ。こんな顔でもこちらを威嚇しているのだが、どことなく歌っているようにも見える。

普通はただの穴やすき間から顔を出す魚なのだが、この時は、たまたま貝殻に身を潜めたので、じっくり丁寧に撮影した覚えがある。




美しく群れている魚を撮影するのも好きだった。今では砂地に這いつくばってヘンテコな小魚の顔のアップとかを狙う癖がついてしまったが、やはり海の雄大さを感じさせるワイド写真は単純明快に気持ちがよい。

上の2枚はバラクーダの群れ。オニカマスだ。マレーシアのシパダン島で名物の「バラクーダ玉」に遭遇した時に撮影した。接近撮影するダイバーを入れて群れの迫力を写した1枚と、群れにぶつかるぐらいの距離で撮った1枚。

水中写真は、マクロ、すなわち接写レンズを使った近接撮影を好む人が多い。海の透明度や被写体に関わらず、比較的、手軽に綺麗に撮れるのが理由だ。

私自身、マクロ撮影も好きだが、もともとはワイド系の写真に憧れて水中写真を始めた。海に潜らない人でも水中環境の神秘さを感じられるような写真が撮りたかったからだが、ワイド撮影は思った以上に難しいのが難点。

レンズの画角が狭ければ広がりのある画像は写せない。魚眼レンズなら画角は180度だ。これだけ広範囲に被写体をカバーするレンズだと、ちょっと構図の向きがずれただけで自分の足とか身体の一部が写り込んでしまうし、メインの被写体にぶつかるぐらい近づかないとボンヤリと間延びした画像になってしまう。



この2枚もそんな苦労?のうえの作品。ピンクのソフトコーラル、プルメリアの花びらともにレンズを覆う半ドーム状の防水ポートにくっつくぐらい近づけている。冒頭で紹介したアジの群れの写真も同様だ。

ドーム状のポートの厚みというか、奥行きは10センチ弱だから、レンズから被写体までは10センチほどの距離になる。

被写体からほんの4050センチ離れれば、対象物は随分向こうの方に写っている感じになる。今日の画像の一番上から2枚目もその典型例だ。太陽光に照らされて浅瀬を泳ぐ魚は、こう見えてもカメラから4050センチぐらいの距離。手を伸ばせば触れるぐらい近いのだが、こんな雰囲気になる。

いわば、被写体が大きくて、その上でかなり接近できないと使いにくいレンズだ。


ということで、この15メートルぐらいあったデカい海亀はキスするぐらいの距離で撮影。シャッターをきったあと、ヤツは案の定、私のカメラとぶつかった。私の大事な大事なドームポートが傷物になったのではないかと大いに焦った懐かしい思い出がある。

なんだかんだ言いながら小さい魚をマクロレンズで接写できた時の快感も捨てがたい。全長数センチのハゼなんかを逃がさないようにソロリソロリ近づいて瞬殺ならぬ瞬撮できた時は思わずガッツポーズである。

フィルム撮影の頃は、旅から帰って現像に出してみないと出来映えがまるで分からないから、常に撮影旅行中は不安でいっぱいだった。あの感覚が妙に懐かしい。

今では撮影したその場で、それこそ水中で撮影結果が確認できるわけだから、便利な反面、ドキドキ感がない。ワビサビにかけるというか、何とも贅沢だが、面白味がないのも事実だ。






懐古趣味ではないが、フィルム時代に撮ったお気に入りの画像を見ると、最近の自分の不甲斐なさが許せなくなってきた。

この春にも東南アジア遠征を決行しよう。あの頃を思い出しながら邪念抜きに水中撮影に没頭してみようと思う。

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