2013年2月25日月曜日

まどろみとセックス


春が近いからだろうか。眠くて眠くてしょうがない。ダルいとか倦怠感とも違うようで、ただただ眠い。

極端に睡眠不足でもないし、激しく飛び回ったり、激しく神経をすり減らすようなこともないのだが、無性に眠い。

まだまだバリバリに寒いのだが、身体は春を関知しているから「春暁モード」なのだろうか。それとも肝機能がいよいよヤバい状態になってきたのだろうか。

今もそうだが、若い頃は寝るのが大好きだった。大学生の頃など暇にまかせて10時間睡眠を標準にしていた。幸せだった。

今では、老化?のせいか、休日に寝たいだけ寝るぞと意気込んでも、せいぜい7~8時間でスッキリ目覚めてしまう。

それにしても、世の中に数多く存在する「快感」の中でも「まどろみ」ほど気持ちよいものはない。

「まどろみ」「うたたね」。言葉の響きも妙に素敵だ。こう綴っているだけで眠くなってくる。

まっすぐ帰宅して、まだ夜の早い時間にソファに座ってテレビに映る「壇蜜」を眺めながらウトウトする瞬間の何とも至福な感じ。

休日の午後、お茶をすすりながらソファに腰をおろし、テレビに映る「壇蜜」を眺めながらウトウトする感じも最高だ。

ほろ酔い気分で風呂に浸かり、持ち込んだ週刊誌をパラパラしながら「壇蜜」のグラビアあたりでウトウトしちゃう感じも素晴らしい。

壇蜜はさておき、まどろみの場面をアレコレ思い出すだけで気分がホッコリする。

夏の高原、ハンモックに身を投げ出して気付かぬままにウトウトする瞬間もいい、ビーチリゾートでデッキチェアに転がりながら波音を枕にまどろむのも素敵だ。

静かな温泉旅館で湯あたり気味の身体で、夕食の時間まで束の間ウトウトする感じも堪らない。

まあ、例を挙げればキリがない。

職場で時々、こっくりこっくりしてしまう瞬間がある。あれは良くない。身体は快感に打ち震えて?いるのだが、周囲に示しがつかないというか、気まずい感覚を脳が必死に主張してくるので、ちっとも楽しくない。

会議中の睡魔も同じ。ついでに言えば仕事上の面会相手があまりにクドクドとくだらない話をしている時の睡魔も困ってしまう。

眠くなる話をするほうが悪いのだが、一応、私のほうが悪いというのがそういう場合の社会常識である。困ったものだ。

眠らなくてもバリバリだったことで知られるナポレオンも、馬上でのうたたねの名人だったと聞いたことがある。

短時間のうたたねは、全身の緊張を緩めて血圧や脈拍にも好影響を与えるそうだ。いいことづくめである。

さてさて、崇高なるまどろみの瞬間に話を戻そう。

やはり、男にとって最も至福なまどろみは、フランスあたりで「小さな死」とも称される“男女交歓”直後のまどろみだろう。

「小さな死」などと聞くと縁起でもないように聞こえるが、言い得て妙である。完璧に落ちる感覚というか、無になる感覚をともなう。あのまどろみの素晴らしさだけで充分立派な“後戯”なんだと思う。

もっと言えば、あのまどろみによって男女のセックスの「質」とか「意味」が違ってくるのかもしれない。

変な言い方になるが、男は本能的にそういう行為が出来てしまう生き物である。相手構わずというと極端だが、女性よりは選り好みしないで関係を持ちたがる。

原始的かつ本能的なのかもしれないが、それでも行為の後の「小さな死」は限られた相手との間でだけ生じる現象だと思う。

俗に「カラダの相性」という言い方があるが、それともまた微妙に違うものだろう。

行為そのものが完璧?だったとしても、要は、その相手との行為の後に、完全に無になるようなまどろみに落ちるかどうかは別問題だったりする。

愛情なのか、信頼感なのか、信用なのか、はたまた心地よい油断なのか、はっきりは分からないが、少なくともその相手だからこそ、完全に無防備になれる瞬間が訪れるわけだ。

もちろん、個人差はあるだろうが、行為の後に単なる「弛緩状態」で留まるか、「小さな死」までたどり着くかで男女間の距離とか、関係の深さが推し量れるように感じる。

それにしても、今日は、ただ「うたたねバンザイ」という話を書くつもりだったのだが、随分と高尚な?性愛話に飛んで行ってしまった。

欲求不満なんだろうか。

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