10年ぐらい前か、もっと最近か忘れてしまったが、週に何度も夜の銀座をぶらぶらしていた。すっかりご無沙汰している。中央区民になったのが5、6年ぐらい前だからナゼか近所になったら足が遠くなった。
銀座で食事をする機会は多い。先日も変な時間に一人ふらっと洋食の老舗「スイス」に入ってクリームコロッケや名物のハヤシライスを食べた。隣席にいた外国人家族が私の食べているものを物珍しいそうに覗き込んでくるのには辟易としたが、疲れていたからペラペラな英語?を繰り出すこともなく日本人的薄ら笑いをしたままやり過ごした。
気のせいか、ハヤシソースの量が以前より減ったように感じてちょっと萎えた。近頃の物価高の影響だろうか。銀座の老舗ならそのあたりはドーンと構えていてほしいものだが、それも客側の勝手な言い分だろう。
さて、夜の銀座の話だった。お盛んな頃はアフターまで付き合わされて帰宅が早朝になっちゃうこともあったが、いまやすっかり好々爺みたいな暮らしだ。あの頃の絶倫、いや元気さはどこにいったのだろう。
先日、長い付き合いのママさんの誕生祝いで某クラブに出かけた。銀座界隈から届いた豪華な生花が店中に飾られなんとも賑々しい光景だった。ついでに私の気分もちょっとアガった。
やはり夜の銀座のきらびやかな空気感はビタミン剤というか栄養ドリンクみたいなプラセボ効果がある。あの活気とエネルギーに溢れた空間に身を置くことは健康増進効果?につながると本気で思った。
平成から令和と時代が移り変わるうちに東京の「街の色」は均質化が進んだ。街ごとのカラーの違いが薄れてきたわけだが、7丁目8丁目あたりの夜の銀座には今も昔ながらの独特な空気感が漂う。
他のどこの繁華街ともビミョーに違うスノッブな気配というか、どこか凛とした風を感じる。「ヨソイキの街」とでも言いたくなるようなちょっと日常から離れた雰囲気が根強い。
中高年男にとって、自分の現役感や向上心の大切さを再認識する効果もあると思う。私自身、たまには気取った顔してこの街を闊歩するぐらいじゃないとどんどん劣化しちゃうような気がしてナゼか反省したい気分になった。
腑抜けた日々から抜け出て少しだけ背筋を伸ばしたくなるような感じだろうか。きっとマメに銀座通いをしていた頃は私の背筋は今よりシュッとしていたはずだ。
以前ほど銀座通いをしなくなった理由の一つとして「アウェー感」を味わえなくなったことがある。多分に年齢的な意味合いは強い。夜の銀座に初めて迷い込んだのが20代の終わりで、30代ぐらいはまだおっかなびっくりだった。その頃はまだ昭和の良き時代を感じさせる妙に迫力がある謎めいた白髪の老人みたいな客層が珍しくなかった。
そんな空気の中に若造の私が割り込むわけだからアウェー感バリバリである。なんとなく小さくなって隅の方で飲んでいた。背伸びした気分が楽しかったし、かなわない感じというか、一種のMっぽい状況が面白くなってハマっていった。
40代になって徐々に慣れと図々しさが加わって「小さくなって飲む」ような感じではなくなり、40代も半ばを過ぎると知ったかぶりも強まってアウェー感も薄れてきた。いわば純粋にオッサン化が成立してしまったわけだ。
そうなると通い慣れた店も増え、訳知り顔で態度も大きくなり、店に入った途端に太田胃散を持ってきてもらったり、梅昆布茶だけで過ごしてみたり、いつの間にか「カッコつけて飲む」というあの街ならでは嗜み?も忘れてしまった。
銀座のクラブで飲むならどこかシュッとした姿勢や心意気を守りたいものだが、ぐうたらするようになったことで何となく昔に感じていた面白さを忘れてしまったわけだ。
そんなこんなでご無沙汰続きのお店は多い。ちょっと残念である。でも、先日久しぶりに某クラブで痛飲してみて、久しぶりという立場ゆえのアウェー感を味わえたのは新鮮だった。
現役男たるもの時にはこういう場所で気取った様子で過ごすことは案外大事だ。変な話、それも一種の努力だろう。努力を怠ればいろいろと錆びついていく。
最近は冒頭のハヤシライスの時みたいに銀座に出ても食事だけ済ませるととっとと帰宅しがちだ。以前なら帰宅する際にクラブ街を見ながら後ろ髪を引っ張られるような感覚もあったが、今ではそれも感じない。
とはいえ、ここ1,2ヶ月は不思議なことに夕飯の行き帰りなどに旧知のクラブ関係者に道端でやたらと遭遇する。そんなに大勢知り合いがいるわけではないのに立て続けに顔見知りの黒服さんやホステスさんに遭遇している。
“銀座の手”がそろそろ私を掴みに来ている前兆なんだろうか。それならそれで素直にまたあの街の魔法にかかって楽しい時間を過ごしてみることにしよう。
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