酒より甘味。ここ1,2年そんな路線になってきた。もちろん酒をやめたわけではないが、甘味に妙に惹かれる。
ほんの5年ぐらい前は朝からカレーや牛丼を嬉々として食べていたのだが、最近はドーナッツを前の日にわざわざ買って朝からコーヒーと一緒に味わうこともある。変われば変わるものである。
糖分のとり過ぎは疲れやすくなると言われるが、ご多分に漏れず私も疲れやすい。たぶん糖分過多のせいだ。でもやめられない。ウマい甘味は心を豊かにしてくれるし、モヤモヤした気持ちが一気に吹き飛ぶほど幸福感に包まれる。ちょっとぐらい疲れたって甘味は大事だ。
先日、銀座のクラブに行った際に土産として虎屋の最中詰め合わせをもらった。想像以上の美味しさに翌週もその店に顔を出してしまった。店側は別の土産を出してきたのだが、虎屋の最中じゃなきゃいらないとワガママを言って同じものを強奪して帰ってきた。
最中はもともとそんなに好きではない。コロモが喉の裏側に引っ付くような感じが苦手で敬遠しているのだが、虎屋の最中はそんな問題以前にアンコが美味しくて感激した。こしあん、つぶあん、白あんのどれも好みだった。
上野にあるどら焼きの名店「うさぎや」の最中も非常に美味しい。こちらもアンコが絶品でコロモが控えめな薄さなのが有難い。最中を敬遠していたのはきっと若い頃にダメダメな一品に遭遇したせいなのだろう。「ちゃんとしたヤツはウマい」という当たり前のことを今更ながら痛感する。
日常の買い物の大半をネットスーパーの宅配に依存しているのだが、ここでも甘味はついつい注文してしまう。どうでもいい感じの「すあま」を買ってはそのどうでもいい感じにナゼかホッとしたりする日々だ。
ネットスーパーに常備されている甘味などロクなものはないだろうという先入観があったのだが、なかなかどうして実際に頼むと結構ウマいものも多い。最近のお気に入りは「あわしま堂」の商品である。
個人的には聞いたことがない会社だったのだが、ネットで調べたら愛媛に本拠がある結構な名門企業みたいだ。やたらと高級ブランド化しているメーカーの妙に高いまんじゅうなどよりは手軽な値段だ。私が使うネットスーパーやウーバーで宅配してくれるスーパーなどでやたらと目にするのがこの会社の商品だ。
ネットスーパーで買い物する際にはサイト内検索でわざわざこの会社名を入れてその時に置いてある商品を反射的に買ってしまう。たいていウマいのが嬉しい。我が日常のちょっとした喜びになっている。
この夏に感激したのが人気店「赤坂青野」の冷やし流し小豆羹」である。モチっとした水ようかんみたいな商品だ。抜群だった。季節限定なのが実に惜しい。この店では「冷やしみたらし」が大人気らしいのだが、個人的にはそっちよりウマいと思う。
三越だけでなく日本橋界隈には各県のアンテナショップがいくつもある関係で散歩するたびについつい未知の甘味を買ってしまう。つくづく糖尿の家系ではないことに感謝しながら糖分まみれの日々を過ごしている。
先日は三重のアンテナショップに「赤福」が置いてあったので当然のように買った。新幹線に乗る時にしか買えないイメージがあったのだが、散歩中に手に入れたことにちょっと興奮した。こういう小さな喜びの積み重ねが楽しく生きる原動力になる。大げさな表現だが案外そういうものだと思う。
赤福を初めて食べたのは小学生の頃だろう。家族の誰かが土産で買ってきたのを食べて衝撃を受けた。今でも「ニッポンのこしあんの究極系」の一つだと感じる。日本茶とセットで味わってこそウマさが引き立つ。
朝から「コーヒーとドーナツ」を楽しみ、のんびりした時間には「あんことお茶」でホッコリする。つくづく飽食の時代に生きていることの幸せを痛感する。
考えてみれば高度成長期で国が豊かになってきた頃にモノゴコロがついて以来、昭和元禄だ、バブルだと続き、世界中のウマいものが集まる都心部で社会人生活を過ごしてきた。外食産業の隆盛から宅配メシの発達まで「食べる」ことに関して恵まれ過ぎた暮らしをほぼ60年にわたって続けている。
親ガチャだ、国ガチャだといった「◯☓ガチャ」という考え方からすれば非常にラッキーなタイミングで生きてきたことは確かだ。生まれるのがほんの数十年ズレていただけで全然違う状況だったはずだし、同じ時期に生まれたとしてもアフリカの奥地とかだったらこんな楽しみは皆無だった。ただただラッキーだ。
神に感謝である。
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