2010年8月20日金曜日

安けりゃいいのか?

先日、知り合いと一緒に新宿・歌舞伎町をさまよってみた。石原知事が躍起になって浄化を目指していることを“老害かも”と思っていたのだが、そうでもない。

むしろどんどん浄化すべきと感じた。アノ乱れぶりは、ひどいもんだ。

高校生の頃にはよく歌舞伎町に出かけたが、いまほどハレンチ満開ではなかったような気がする。一応、表と裏が微妙に線引きされていたはずだ。

それにしても、よくもまああれだけ不良っぽい身なりの男女が集うものだ。ある意味感動だ。イカレポンチ風のにーちゃん、ねーちゃんだけが闊歩している。

そんな表現をすること自体が加齢の証しなんだろうか。

25年ぐらい前と比べて、街の造りは変わらない。とはいえ、ビルに入っている店はまるで一新された。100軒に1軒ぐらいは当時から続いている店も見かける。奇跡的なことだろう。

大学生の頃、ちょくちょく顔を出したライブハウスはおっぱいパブに入れ替わっていたし、同じく時々背伸びして通ったバーがあったビルも風俗案内所が主役だ。

ホストクラブも昔は裏通りでひっそり営業していたイメージだが、今では街の一角すべてがそればっかり。

飲食店の呼び込みやホストクラブの案内をチラ見しながらぶらぶらしたのだが、特徴的なのはただ一点。「安さ」を売りにしていること。

安いことは消費者にとって歓迎すべきことだが、それにしても安価なことだけが全面に押し出される。安さの競い合いだけ。中身とか質はどうでもいいみたいだ。

ファーストフードはもちろん、居酒屋も低価格均一料金が主流、風俗ですら格安を売りにする。質はともかく、価格だけで選べば、バカみたいな値段で飯食って、酒呑んで、エロいことが可能だ。

なんだかなあって感じだ。

自分が若い頃にこんな環境だったら、この渦に飲み込まれたのだろう。価格競争の恩恵でフトコロは助かっただろうが、大人にとって必要な知識は学べなかったはずだ。

都会っ子として育ち、中学生の頃から繁華街に出かけていた私にとっては、ボッタクリなどはイナカから遊びに来た若者がひっかかるものだと思い込んでいた。

にもかかわらず、定期的という表現がピッタリあてはまるぐらい、割と頻繁に“歌舞伎町の罠”にはまった。すってんてんになれば帰してもらえる程度のボッタクリ被害には何度も遭遇した。でも、あういう経験って貴重だと思う。

財布にとって痛い目に遭う経験をどれだけするか。これって若者にとって重要な課題だ。

怪しげな店に入れば痛い目に遭う。呼び込みのうますぎる話に乗っかれば痛い目に遭う。分不相応に背伸びした店に行けば痛い目に遭う。これらはすべて真実だ。でも経験しないと実感しない。

今の時代は、280円均一の居酒屋で安心して酔っぱらい、風俗案内所で割引クーポンをもらって安心してヌキにいく。

いろんな分野で均一料金や明朗会計がキッチリ浸透したせいで、男女間の割り勘も最近はシビアになっているらしい。

割り勘の際の“男のやせ我慢”も大人になるための訓練だったと思うのだが、いまは違うようだ。


話がそれた。なんだっけ?

そうだ、デフレが続く今の社会構造の話だ。均一料金、割引クーポン等々。財布に優しいことばかりに頼っているぬるま湯状況についてだ。

ひとことで言って、あまりにリスクと無縁だ。警戒したり、心配したりする要素がまるでない。はたしてそれで楽しいのだろうか。リスクがあるから刺激的で楽しいんだと思う。

倹約結構、デフレ結構。でもその一方で無駄遣いや贅沢といった麻薬のような魅力は人間の活力を考えるうえで大事なことだと思う。

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