2011年11月30日水曜日

解脱したい

宗教的な訓話みたいなのが苦手だ。なんか嘘っぽく聞こえてついついナナメ目線で捉えてしまう。格言とかその手の教訓的なものも敬遠したくなる。

神父さんやお坊さんの話はもちろん、「あいだみつお」なんかも苦手。どうも素直に受け取れない。チャチャを入れたくなる。斜に構えた姿勢は私の悪い癖なんだろう。

そんなひねくれた路線でウン十年強がってきた私だが、最近は、ふとした時に教訓とか訓話とか名言みたいなものにアンテナが反応するようになった。あいだみつおは相変わらずダメだが、善良な言葉が心に刺さるようになってきた。

ようやく大人になったのだろうか。このところ、自分を覆ってきた鎧のような気持ちが随分と丸くなってきたように感じる。

人様が話している善良な話に素直にうなずく、善良な話を書物などで読めばウルウルするようになった。

深層心理の中で肩肘張って生きていくのが億劫になってきたのだろうか。大震災あたりから無意識のうちに無常観というか、すべてを達観するような気分が生まれたのかもしれない。

仕事上欠かせない「物事を斜に構えて捉える姿勢」は、考えてみれば寂しい話だ。善か悪のいずれかに分類すれば、そんな気持ちは悪でしかない。

斜に構えている程度なら、分別とか思慮深さという範疇に収まるが、これが猜疑心にまで進んでいくとどうにもややこしくなる。

世の中の諸悪の根源は猜疑心だ。素直に物事を受け取れず、悪い方悪い方に解釈する。疑ったり、妬んだりする心が持つ負のエネルギーは、まさに悪魔が心に巣くっているかのようだ。

いったん生まれた猜疑心は、その人の心の奥で勝手に膨張する。深く愚かに拡がっていく。あれを悪魔の囁きと言うのだろう。
夢にまで疑いの心が拡がり、毎晩のように思考がネガティブになる。

友達、恋人、家族、そして職場や社会に至るまで、争いはすべて小さな猜疑心から始まる。人の心の曇った部分が世の中に暗い影を落とす。

そうはいっても、人を信用することの難しさもまた一面で人類の課題みたいなものだろう。

子どもが教わるのは「知らない人についていくな」、「見知らぬおじさんの話を信じるな」。

ちょっと大きくなれば「男はオオカミなのよ、気をつけなさい」だし、「女の言うことなんか全部思いつきだ」とか、どうしたって人を信じるな、疑ってかかれという図式で大人になる。

「人を見たら泥棒と思え」なんて言葉もある。大前提として疑うことから人間と人間の付き合いが始まる。

もちろん、だからこそ信用できる関係を築けた時の喜びやそれによって絆が強くなる喜びが大きいわけだ。

信用できるか否か。結局、人と人の関係はその一点に尽きる。ごくごく当たり前のことだが、この一点の確証を得たい一心で人はもがき苦しむのかもしれない。

ガラにもなく、最近教わったマザーテレサの言葉を紹介したい。



人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい




実に美しい言葉だと思う。

まあ、正直に言って、そんな説教じみたことを言われても実践出来るわけがない。普通の人間は煩悩の塊だ。クヨクヨもするし、周りが気になって仕方ないし、エゴむき出しだし、欲も出る。

そうは言っても、今更ながらこんな珠玉の言葉に出会ったのには何か意味があるのだろう。せめてひとつでも実行できるように意識したい。

ああ解脱したい。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

富豪記者様

未曽有の災害から日常の煩事に至るまで、本当に様々な事が起きた今年一年を締めくくるのに、そしてまた新たな一年を間もなく迎えるのにあたり、素晴らしい珠玉の言葉をお贈り下さって有難うございます。一語一語噛み締めて、しっかりと読み飲み込まさせて頂きました。後はこの言葉の中の一行でも、行動と実践に移せるようにしたいと思います。

それにしても、人生の中で「出逢い」ほど素晴らしいものはありませんね。「出逢い」があってこそ、この箴言の奥深い意味も試され、肉付いてくるのではないかと思います。
そういった意味でも、富豪記者様のブログは私には大変大きな出逢いでした。時に理想と現実の間で右往左往する富豪記者様の正直な思いや言葉は、普通の人間である私達には最も珠玉の言葉のように感じます。人間、励まされてばかりいるよりも、プッと笑って、ホッと胸を撫で下ろす時間の方が心地良い時もあると思います。まとまりなく申し訳ありませんが、人格者となられる富豪記者様も素敵だと思いますが、ありのままの富豪記者様も愛すべき存在だと思います!

富豪記者 さんのコメント...

玉さま

過分なるお誉めの御言葉、恐縮至極に存じます。。

ちょっと誉めすぎだと思います。

ありがとうございました。今後も気軽に覗いてやって下さい!!