2012年5月21日月曜日

築地 寿司 食文化

今の世の中、キーワードは「マイルド指向」だろう。ここ20年ぐらいの間に「濃厚な感じ」があらゆる分野から消えていったように感じる。
AKB48の女の子達の顔が全然分からない。こちらが年を取ったせいもあるのだろうが、だいたい似たような顔に見える。なんかノッペリした感じだ。

男性アイドルなんて、私から見れば「松じゅん」以外は区別が付かない。みなさんノッペリ平坦な感じでマイルドだ。

いきなり話が飛ぶが、タバコだってふた昔前から比べれば異様にマイルド指向が進んでいる。

もう25年以上付き合っているラークマイルドだって、私の学生時代には「軟弱だ」とと小馬鹿にされていたのだが、今では「9㎜ってエラいキッツイですねえ」とか言われる。

酒を飲まない若者も増えた。飲んでも低アルコール飲料が主流だ。そもそも草食系なんていう悲劇的な言葉が若い男について回るのだから世の中大きく変わったのだろう。

政治家の顔だってしかり。田中角栄とか大平正芳みたいな風貌の独特な存在感を感じる人はいない。

「ロッキード社が5億円くれるのか、ヨッシャヨッシャ!」みたいな濃厚な感じが全然無い。

良し悪しはさておき、お大尽というか、清濁併せ飲む大人物みたいなオッサンを見かけない。

最近の首相は、腹が痛いからって辞めちゃったり、ママからお小遣いをもらい続けていたり、大震災を前にイライラするだけだったり、なんともズッシリ感が無い。

首相だけでなく大物議員とか言われている連中だって、大して悪いコトもしてなさそうだし(それでいいのだが…)、せいぜい秘書給与をピンハネしたり、国会に無届けでフィリピンで遊んでいるぐらいで、実にチンケな感じ。

一般の企業活動にしても、やれ接待は昼飯だけだとか、酒を飲んでも2次会はダメだとか、細かい話ばかり耳にする。

こんぴらさんだか、天ぷらだか知らないが、コンプラ、コンプラってやかましくなったのも最近の話だ。

コンプライアンスなどという外来語で包み隠しているが、ただの「道徳」みたいなことであり、「恥の文化」を特色としてきたこの国にとって一種の得意分野みたいな話だったはずだ。殊更マニュアル化しないと物事を判断できない人が増えたから重宝されている言葉なんだと思う。

なんかウダウダ書いてしまったが、実は今日は、築地で昔ながらのお寿司を堪能したことを書くつもりだった。

すなわち、イマドキの寿司のノッペリ感と昔ながらの寿司の濃厚な感じをアレコレ書いてみようとしていたら、ついつい最初から脱線してしまった。

で、築地の寿司の話。

先月、このブログでも書いた我が愛すべき先輩である生田與克さん(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/04/blog-post_23.html)にお声掛けいただき、築地に馳せ参じた。

連れて行ってもらったのは、住宅街に構える正統派江戸前寿司の店「S」。

築地界隈に無数にある「築地の寿司屋でっせ、ピッチピチの魚が揃ってますぜ」みたいな空気を漂わせる店とは違い、一見、何の変哲もない街場のお寿司屋さんである。

カウンターの後ろのテレビからは、相撲中継が流れており、お店の造りもオシャレとか和モダンとか、そういう演出は一切無し。

タイムスリップしたような感じと言ったら大げさだが、懐かしく落ち着く風情だ。職人気質の親方が切り盛りしているのだが、堅苦しい感じとか、威圧感はない。

後になって他のお客さんから聞いたのだが、一昔前の親方はかなり恐かったらしい。

「私も同じモノください」

「同じモノなんてないよ」

はたまた、「それください」って言われて「それっていう魚は無いよ」って答えていたとか。

そんな頃に訪ねなくてつくづく良かったと思う。

築地魚河岸のプロである生田さんが馴染みにしているわけだから、連れて行ってもらった素人の私としては、実に有難い展開だろう。

出されるモノすべてがウマかった。ボキャブラリーが乏しくスイマセンが、その一言だ。

生モノより何らかの手を入れたネタが中心。穴子などに使うツメも深い味わい。酢締めの加減も抜群で、つまみでもらったアジも、握りでもらったカスゴも寿司好きが大喜びすることは確実だろう。

締めたキスの握りもシャリとネタの間におぼろがまぶしてあり、ネタの上には甘めのバッテラ。複雑に絡まり合う味が「仕事をした寿司」の醍醐味を感じさせてくれた。

生田さんに連れて行ってもらったおかげで、デカい顔して飲んだり食べたりしていたわけだが、さすがの私も携帯を取りだして画像をカチャカチャ撮るわけにはいかなかった。

イキな世界でヤボは避けたい。でも撮りたかったなあ。イカの印籠詰めなんて芸術的に美しく美味しかったし、コハダの握りもキリッとしていて風情があった。

貝類のヌタもうまかったし、かんぴょうの味付けもしっかり甘く濃く、「これぞ東京の寿司」って雰囲気がプンプンだった。

皮目を焼いたイサキの刺身も味が濃くてウットリだったし、煮ハマグリとか煮タコの味の加減が「江戸前」そのものって感じ。
今の時代、物流事情が良くなって何でもかんでもナマで美味しく食べられるようになったが、やはり仕事を施した寿司の味は別ジャンルの逸品と言って良いと思う。

変な店、ヘタな店だと、手を入れ過ぎちゃって、かえってナマのままで食べたほうが良かったというケースもある。結構そういう勘違いって多い。

その点、こちらの店は、ナマで食べられることを有難がる季節限定のネタでも、過剰になり過ぎぎない程度に手を入れて、逆にネタの旨味を引き出していた印象がある。

何か偉そうに書くこと自体が小っ恥ずかしくなるぐらい、素人がああだのこうだの語ってはいけない寿司だと思った。

私を連れて行ってくれた生田さんは、その昔、この店に入りたくても、魚河岸の重鎮みたいな人がズラッとカウンターに並んでいたから恐くて入れなかったそうだ。死んじゃったり、隠居したり、引っ越したりで、そういうお歴々も激減したらしい。

そんな事情もあって、最近は激しく混み合うことはないそうだ。また訪ねたい私としては嬉しい話だが、考えてみると、これだけの技術を持った店が本当に混雑しないとしたら、それはそれで大きな問題だろう。

ピチピチ新鮮な魚を乗っけた寿司はもちろんウマいのは間違いないが、こうした江戸前寿司は一種の文化であり、これはこれで受け継がれていって欲しい。

とはいえ、正統な仕事をした寿司を出すお店は少数派だし、なかなか食べる機会がない。食べる機会がないから次の世代に伝わらず、文化がすたれていく。

味も雰囲気も仕込みも「濃厚」なこうしたお店は貴重だ。ちなみに先ほど書いたシャリとネタの間に挟むおぼろは、鍋の前で焦げ付かないように5時間かけて作るそうだ。凄い世界ではある。

ファストフード隆盛、デフレ一辺倒な世相が、食文化の世界にも「マイルド化」の波として押し寄せている。なかなか考えさせられる時間だった。

それにしても、最近、ダラダラと長文を載せることが多くなってきた。ちょっとヤボが進んでいる感じ。

もっと軽快に明瞭に書きたいことを書かなきゃいけねえな!!

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