2013年5月13日月曜日

ネットの言論と空気



この夏の参院選から、いわゆるネット選挙がスタートする。インターネットを使った選挙活動がようやく解禁されるわけだ。

公職選挙法が「文書図画の頒布」を規制している理由は配布枚数を制限しないと、制作費や発送費に莫大なカネがかかるという一点だ。

カネのかからない選挙を実現するためにはもっとも趣旨だが、インターネットが普及した今、そんな考えをネット上の表示にまで準用すること自体が不自然。解禁されるのが遅すぎたぐらいだろう。

ツイッターやフェイスブックで積極的に自説を述べたり活動報告を展開する政治家が増えている。有名政治家、人気政治家ともなれば、何万人、何十万人が閲覧する。当然、寄せられるコメントも相当な数にのぼる。

ここで少し気になるのが、その種のコメントの内容だ。政治家の発信源であるツイッターとかフェイスブックなどの“コミュニティ”に参加しているのは支持者が中心だ。

書き込まれる内容は必然的に単なる追随やヨイショが大半になる。善し悪しは別として、まるで親衛隊かと見まがうようなオベンチャラがあふれている。

批判的な書き込みがあっても、多勢に無勢だ。政治家本人ではなく、熱くコメントを載せている常連組の支持者から逆に糾弾されたり、全否定されたり、排除されかねない空気が支配的だ。

その種の政治家の“コミュニティ”は、一種のファンクラブ的な性質がある以上、そうした傾向は、ある意味当然ではある。

ただ、当事者である政治家本人が「ファンの声」ばかりを「国民の声」だと勘違いしないか少し心配になる。

ハンパ無い数の「いいね!」ボタンの数や肯定的コメントばかりが溢れる状況は、元々の投稿者本人にとっては気持ちよいだろうが、あくまで特殊な環境である。決して一般世間の視線とは違う

もちろん、政治家だけでなく、タレントや著名経営者など話題の人の「タイムライン」とか「つぶやき」も似たような傾向なんだろう。

新しいメディアの形として、この点が旧来型と大きく違う点だろう。昔ながらの紙媒体であれば、寄せられる反響は誤りの指摘や抗議が中心になる。「ごもっとも」とか「よく言った」みたいな賞賛の声がわざわざ寄せられる頻度はさほど多くないのが実情だ。

一方通行型のメディアと異なり、ネットの双方向性がもたらす「ゆるやかな連帯感」みたいな空気がイマドキのSNSの魅力でありパワー?である。とはいえ、限られた世界だけの常識や論理が変に拡大して暴走する恐れも否定できない。

ネット右翼なる存在が問題になっている。ネット上のコミュニティで好き勝手なことを書き殴っているうちはともかく、その広がりが東京や大阪でのシャレにならない人種差別デモの拡大につながっていった。

ネット上の言論は時に冷静さに欠ける感情的なものになりがちだ。実態を伴わない「ブーム」も猛烈な勢いで広まる。そのエネルギーの強さは侮れない。

大げさかもしれないが、そうした「熱」の行き着く先が妄信的な全体主義だとしたら恐ろしい。戦争に代表される歴史上の世界中の失敗は、冷静さを失った熱病のような空気がすべての元凶である。

なんだかクドクドと小難しい話を書き殴ってしまった。

一応、ややこしい話を載せてみたが、私の大きな関心事は、朝ドラ「あまちゃん」の今週の展開である。


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